2010/10/19

秋のマーケット

街はかぼちゃ色。



近所のお気に入りスーパー Ballard Market にて。
ここは 日系人経営のローカルチェーンTown and Country の系列です。
このチェーンはシアトル近辺に5店舗くらい展開しているちっちゃいチェーンで、地元産の野菜や果物をいつも豊富に揃えている。鮮魚もデリもワインショップも充実してる上に、オリエンタル食品も充実していて、しかもお値段も庶民的。

バラードマーケットがなかったらうちの食生活は成り立たないといっても過言でないくらい、お世話になってます。

同じ系列のスーパーで、車で15分くらい北のショアライン(Shoreline) のCentral Market に行けば納豆も油揚げも手に入る!のですが、バラードのほうはもっと小規模であまりアジア系住民がいないせいか、オリエンタル食品はせいぜいお豆腐やラーメンどまりです。


今年はキノコの当たり年らしく、去年は見たことのなかったキノコ類がスーパーにもたくさん登場しています。

地元の山で採れた松茸もたくさん入荷していて、1ポンド20〜30ドルくらい。3本買って6ドル弱でした。オイスターマッシュルームや黄色いシャンテレルきのこ、見るからにワイルドな朱色の「ロブスターマッシュルーム」などなど、きのこ祭り絶賛開催中です。

 ハロウィーンの飾り用のかぼちゃもいろいろ。スイカ大から、てのひらサイズまで。

いろんな色と形。


店先に並ぶ地元産のダリア。
だんだん本格的に寒くなってきて、暖炉に火を入れ始める季節、明るいオレンジが目に温かい。

2010/10/16

都会でニワトリ


シアトル市図書館から、毎月Eメールで「今月はこんなことやってます」というお知らせのニューズレターが届く。作家や建築家の講演や、キッズ向けのイベントなど、各図書館での催し物がかなり充実していて、実際に行ったことはまだないけど、面白そう。今回はニワトリの写真が目をひいた。

Urban Self-Reliance (都市的自足生活)』というお題のワークショップ。ヒップな町の真ん中のキャピトルヒル図書館で、8回連続で開催中。


Sustain your household by consuming less and saving more.
「消費を抑え、より多く貯めて、家計を支えましょう」

というテーマで、毎回ぜんぜん違う方角の講義が行われる。たとえば「保存食の作り方」「家計予算の立て方」「自転車通勤の初歩」「自転車メンテナンスの基礎」「家庭菜園ワークショップ」そして、「都会でニワトリを飼う」…。

通勤通学は自転車でガソリン代を抑え、 食べるものも出来るだけ裏庭で調達して、環境にも財布にも優しい生活をしましょう、というワークショップなのだ。いかにも不景気の時代らしく、すごくシアトルらしい講座だなあと思った。

シアトルは、自他ともに認める「tree hugger」、環境保護派の人が多い。どのくらい多いのかの統計は見てないけど、たしかに多い。アメリカの平均値から比べたら、エコな人の割合はかなーり濃いとおもう。ビル・ゲイツ財団の屋根も市庁舎の屋根も環境のために草を生やしてるし、エコバッグの普及率も相当なものだ。 環境への影響を軽減することに、大真面目に取り組んでいる個人や企業が目立つ(もちろんみんながみんなというわけじゃないけど)。

「サスティナビリティ」は「持続可能性」という訳語が固まっているけど、この漢字熟語は意味を少し取りこぼしている気がする。
「Sustain」のもつ、供給する、支える、という意味を「サスティナビリティ」も、その背景にニュアンスとしてもっている。「サスティナブルな事業」というような言い方がされる時には、やり方を変えたり、積極的に働きかけることで継続を可能にする、という行動と責任の自覚が意識されている。「自律的な存続可能性」くらいの意味が込められている場合も多いと思う。

このワークショップは、経済的な自律性と環境への責任とを一挙に満たしてしまおうという試みで、超ミクロに地に足がついたとこが良い。

企業や官庁の「サスティナビリティ」への取り組みは過分に宣伝されてるなと思うことも多いけど、個人レベルでとりあえずできることを地道にやろうという人がたくさんいるのは頼もしいし、健康的だ。
そのうち、ペット可じゃなくて家畜可のアパートとかも出来るんじゃないかな。シアトルだから。

2010/10/09

辺境の小さな町

スノホミッシュのつづき。


スノホミッシュ( Snohomish )には、住宅街にも19世紀末から20世紀初頭の家が保存されている区域がある。

様式はまったくバラバラで、材料は細かい意匠の部分も木製がほとんど。洗練されているというより、どちらかというと奇抜なのが多いのだけど、絵本の家みたいで可愛い。
どの家も現役で人が住んでるので中の見学はできないけれど、外から眺めるだけでも楽しめる。


きっと町の創成期に当時の有力者たちがお隣に負けじと張りあっていろんな意匠を凝らしまくったのだろう。

町のサイトによると、19世紀なかば、町には最初、一番乗りの入植者のうちのひとりCadyさんの名前をとってCadyville という名前がつけられていたのだが、のちにそのあたり一帯にもとからいたネイティブ・アメリカンの部族の名をとってスノホミッシュと改名したとか。

Cady さん、あんまり人望がなかったのか…。単に最初に来たというだけの同胞の名よりも、(もう当時、すでに消え去りつつあって白人にとって脅威じゃなかった)土地のネイティブの伝統のほうが町の名にふさわしかったのだろう。北西部でも、ハワイや北米のほかのインディアンと同じように、白人と接触した部族は免疫のない病気にやられて人口が激減してしまった。今ではスノホミッシュ部族の生き残りはずっと北のほうの居留地に少し住んでいるだけで、町には皆無のようだ。

西の果ての辺境の町で、表通りに競って瀟洒な家を建てた町の有力者たちって、どんな生活をしてたんだろうか。


この変わった様式の家を建てたのは東部から家族を連れて移り住んだ木材業者。メイン州から家族を連れ、家財道具と一緒にホーン岬を回って移住した。まだパナマ運河の開通前ですね。
ワイルドウェストって感じではない静かな土地なのだが、世界のはてに来ちゃった気がしたかもしれない。奥さんも、こんな田舎(怒)とかひそかに思いながら東部から大切に運んできた家具調度を並べていたのかも。
何もなかったところに通りを作った家族たちには、ここは自分たちが作った町、という強力な自負があったことだろう。



住宅街にぽつんとある、営業時間の短い床屋さん。いつからあるものなのか不明だけど、例のグルグル回る看板が木でできてるの、はじめて見た。なんでも木で作っちゃった大工さんの伝統なのかもしれない。

2010/10/03

Antique Capitol

スノホミッシュ(Snohomish) は不思議な町。

 シアトルからは車で北に40分くらい。新しいバイパス道沿いに並んでいるのは全米どこでも変わらないチェーン店ばかりだけれど、 旧市街に入ると途端にがらっと19世紀末のような町並みに。
そして、お店はどれもこれもがアンティークショップばっかり。



ここには最初、息子のサッカーのトーナメントで行った。

何も知らずに旧市街を通ったら、あまりにもアンティークショップばっかり並んでいてびっくりしてしまった。

帰ってちょっと調べてみたら、スノホミッシュは「ノースウェストのアンティーク・キャピトル」と宣言している町なのだった。「米国北西部アンティーク界の中心地」って書いてあるパンフレットもあった。
すごいのか控えめなのかよくわからないけど。


スノホミッシュ市のサイトによれば、70年代中盤に町の旧市街ごと国の歴史地区(Historic District) に指定してもらって、ほぼ同時期に「アンティークの中心地」として売り出しはじめたそうです。

男子高校生と一緒じゃお話にならないので、アンティーク好きガールズ2名と一緒に再訪してみました。


ダウンタウンは狭い川に面している。川の反対側には製材所があって、材木の新鮮な香りが漂ってくる。

線路が通っていて、『スタンド・バイ・ミー』に出てくるような旧式の鉄橋がある。 西部劇に出てくるみたいな構えの店が続く通りには、小さなアンティーク店のほかに、アンティーク店を集めた「アンティーク・モール」が数軒。

これは広い店舗を小さな区画にわけて、それぞれの区画で個人ブローカーが委託式にお店を広げているもの。

狭い入り口を通って中に入ると、3フロアくらいにわたって、迷路のような世界が広がっている。



60年代のノベルティを集めた店、馬具や鞍や木馬など馬関連製品ばかりの店、ファイヤーキングやパイレックスの店、家具やジュエリー、古着。

あまりにも品数が多くてとりとめがなくてどこまでもどこまでも続くので、だんだん頭痛がしてくるほどである。 こういう「モール」はたいてい、入り口あたりにあるレジで暇そうな話好きのおばちゃんが2人くらいで店番をしていて、品物について質問してみると滔々とウンチクを語ってくれたりする。



高級なお品はないけれど、細々したカワイイものや変なものが好きな人には、きっと一日楽しめる。

19世紀からあまり景色が変わっていない感じのきれいな川沿いに公園も整備されているし、まったりできるカフェや、レストランも数軒。


観光地としてはパンチに欠けるのだろうが、農業ゾーンの緑に囲まれた秘密の小箱みたいな素敵な町だ。私は偽ドイツ村なんかよりもスノホミッシュのほうがずっと好き。


女同士でおしゃべりしながら無駄な買い物をして、のんびり午後を過ごすのにはぴったりの気のおけない町ですよ。

2010/09/29

Soul of the university

ワシントン大学のSuzzalo library (スザロ図書館)に行ってきた。

1920年代、当時の学長Suzzaloさんが「図書館はSoulf of University、大学の魂だから」とお金に糸目をつけず、壮麗なゴシック大聖堂のような、美しい図書館を建設した。



外観はヨーロッパの聖堂広場みたい。


アーチの上に彫像が立っている背の高い入り口をはいると、ホールの両側に優雅な階段。




読書室は吹き抜けの大天井にステンドグラス。ハリー・ポッターがほうきに乗って飛んできそうな、クラシカルな雰囲気。

この図書館が「あまりにも豪華すぎる」というので Suzzaloさんが理事会からクビにされた。
…と『Lonely Planet』にはあったけど、どうやらそれは事実ではなくて、木材労働者争議の調停をつとめたときに労働時間制限を通して、当時シアトル政財界を牛耳っていた木材会社社長たちの怒りをかったというのが真相らしい、と歴史サイトにはあります。

インテリで人格者で魅力的な紳士だったらしい、スザロさん。


洗面所の入り口には、りすのステンドグラス。本に座っちゃってます。

ちなみに、ここでお勉強するお値段は。
 州の住民の場合学部生の学費が年間8700ドル、州民でない場合は、年間2万5000ドル。これに寮やアパートの住居費生活費をいれると、州外からの学生なら、ざっくり年間3万5000ドル強。日産のフェアレディZが新車で買えます。これ掛ける、4年間である。

これがたとえばスタンフォード大とかの超名門だともっと大変。年間学費が37000ドル、プラス寮費など1万1000ドル。締めて、かるく5万ドル。BMW5シリーズが買えます。1年間のコストですよ。

一般小市民としては血の気が引いてしまう値段。学生の約半数は何らかの補助金を受けていて、卒業後にも何年もかかってローンを返す人も多い。

だけど大学どころかいろんな理由で高校さえ卒業できない若者も、数多い。

聖堂のような図書館を持つ大学に通えるのは、いろんな意味で恵まれた若者たちなのだ。



9月は新学年の始まりなので、ご両親と一緒に歩いてる新入生らしい若者がいっぱいだった。お父さんやお母さんのほうが、緊張気味の新入生よりも嬉しそうに見えた。

ブログランキング・にほんブログ村へ

2010/09/24

移動カーニバル


移動カーニバルといえば思い出すのは、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやって来る』。

町に季節外れのカーニバルが列車でやってきて、全身に奇妙な刺青を入れた男が少年や町の人の魂をさらって行こうとする、怖い話だった。

夜中に物悲しく響く蒸気オルガン、乗ると回った分だけ年取ってしまう回転木馬、生きて動く刺青、鏡の間…。

大昔、これを読んだときには「移動カーニバル」というものの存在自体がピンと来なかったが、アメリカでは遊園地というものは年に数回、向こうから町に訪ねてくるのだということを、ハワイに引っ越して初めて知った。

ねずみーランドとかUFJとかの、隅々までマーケティングの行き届いた「テーマパーク」とはぜんぜん違う、怪しげではかない昔ながらの「カーニバル」。

町の空き地に突然現れ、数日か数週間で消えていく仮設のお祭り広場だ。

日本でいうなら、夏祭りにジェットコースターや観覧車がついてくる、みたいなものかも。

夏祭りは神社のものだけど、移動カーニバルには宗教は無関係。

カソリックの四旬節前のお祭りの「カーニバル」とは、起源には関連があったのかもしれないが、今は何の関係もない。

ラテンの国々やニューオリンズの名高いカルナバルにあやかって、19世紀のマーケッターがつけたのかもしれない。

ウィキによると、移動カーニバルが盛んになったのは19世紀末のシカゴ博覧会からで、観覧車がデビューしたのもこのときだそうです。「カーニバル」には、はっちゃけたお祭りの語感がある。


ホノルルでは、オバマ大統領の母校プナホウ・スクールも、毎年2月の週末に「カーニバル」を開催している。

決して広くはない学校の敷地にぎちぎちに乗り物が並び、ジェットコースターまで登場する。

たべもの屋台は先生や父母のボランティアでフル回転。先生が汗だくで揚げドーナッツを作ってたりする。

金曜夜に始まって、週末が終わると何事もなかったように学びの場に戻る離れ業がめざましかった。ホノルルの冬の風物詩みたいな存在で、地元民に愛されているカーニバル。

移動カーニバルの遊園地は、どういうものか、20世紀半ばくらいからモデルチェンジしていそうもない、キッチュでレトロなデザインがお決まりで、それがたまらなくかわいらしい。

安全性には大きなクエッションマークが付くので、身内が乗ってるとハラハラしてしまうけれど…。



シアトル近郊で一番大きなフェア/お祭りが、9月の第1週から4週まで開催される、Puyallup (ピュアラップ)のPuyallup Fair

シアトルのダウンタウンからはハイウェイに乗って片道約30分くらい。



敷地は広大で、真ん中に大きな納屋が何棟も設置され、牛や馬や羊や鶏の品評会や、併設スタジアムではロデオやコンサート(ホール&オーツ、ジョン・レジェンド…など)も催される。

そしてもちろん、そのいちばん賑やかな一画は、ぐるぐる回る乗り物各種とゲームや食べもの屋台からなるカーニバル。


乗り物だけでなく、ゲーム屋台も20世紀中盤からモデルチェンジしてない。

ボールを投げて缶を倒すとか、輪投げとかのごく単純かつ簡単そうに見えるものばかり。

実際やってみるとけっこう難しく、どんどん熱くなってしまうのがミソ。景品は必ずバカバカしいくらい巨大なぬいぐるみで、これを抱えて歩いている人はカーニバルのヒーロー。

いつかバーチャルゲームにとって代わる日も来るのかもしれないが、意外にこういう面では保守的なアメリカ人のことだから、あと半世紀くらいは缶倒しゲームが生き延びるような気がする。

景品のぬいぐるみだけは世代交代していて、ドーモくんも進出していた。

ブログランキング・にほんブログ村へ

2010/09/22

In the first sight

初めて見たときから懐かしい場所というのがある。わたしにとっては、アメリカの太平洋北西沿岸部、パシフィック・ノースウェストがそういう土地だったみたいだ。

もうひと昔前、トランジットで降りたポートランド空港で、窓から見えた風景に呼ばれた。豊かな緑、入り組んだ川と湖、感じのよさそうな町並み。空港のガラス窓越しで空気の匂いもわからないのに、がっちり掴まれてしまった。ここに戻ってこなくては、ここに住まなくては、となんだか強い焦りを感じた。結局それから15年以上、ポートランドを訪ねることはなかったが、ノースウェストがずっと気になっていた。

縁あって常夏の島で暮らすようになって、あっという間に10年以上が経った。ハワイは純粋に素敵な特別な土地だけど、自分がそこに本当に属していると思ったことはなかった。いつも借りてきた靴を履いているような落ち着かなさがあったのは、ノースウェストに帰らなくちゃ、とずっと思っていたからかもしれない。

シアトルを初めて訪ねたのは11月の朝だった。その季節には珍しい晴天で、まっさきに飛行機の窓から真っ白な富士山そっくりのレニアー山が見えた。魚市場のうしろにピュージェット湾がキラキラしていて、遠くに雪をかぶった山々が見えた。おかえり。と言われた気がした。なにもかも珍しく、懐かしかった。



オアフ島からシアトルに引っ越して、1年と1か月。本当は何も知らないのに、ずっとここに住んでいるような気もする。季節ごとの花も、天気も、食べものも、お店や建物も、土地の歴史や人びとも、まだまだ毎日目に新しく、知らないはずなのに心地よい。

旅の人と住人の真ん中くらいな目でみた、新しくて懐かしいノースウェストのもろもろを少しずつご紹介したいと思う。