2018/02/06

座敷わらしとの夜


このあいだ、といっても2週間以上前ですが。1月21日の土曜の夜、SODOに舞踏を見にいってまいりました。
引きこもっていたので、久しぶりのお出かけでした。そのあとも更に引きこもってましたが。

去年も開催された、暗黒舞踏の祖・土方巽さんのメモリアル。今年は三十三回忌だそうです。去年のはこちら

場所も同じ、Teatro de la Psychomachia(テアトロ・デ・ラ・サイコマキア)。

セーフコ・フィールドのすぐ近く、派手なストリップクラブのすぐ並び。
景気の良いシアトル、まわりはどんどん開発されてSODOもだんだんキラキラになってきたものの、ここはまだ変わりません。

こんな待合室のようなスペースを抜けて、うなされる夢に出てくるみたいな狭い階段を二つのぼった先に、不思議な空間が開けています。



ここの主、ヴァネッサさんのアトリエ兼住居でもある広々したシアター。

壁際には、ブードゥー祭壇が健在でした。


入り口には去年とおなじ、土方巽メモリアルのオブジェ。たぶん棺桶をイメージした枠のなかに、写真やメモがコラージュされています。


あちこちに骨のイメージ。そして薔薇。


前回聞いたのだけど、ここのあるじ、ヴァネッサさんは長年ニューオーリンズの住人だったそうで、ヴードゥー実践者なのだそうです。
美しいお母様の写真も飾ってあった。
お仏壇みたいなものなんですね。


ややとぼけたメデューサちゃん。それよりさらにすっとぼけたヘビたち。
「あ〜やだ、また頭からヘビが生えちゃったわ。んもー!」
みたいな感じ。
メキシコ製かな。


この子もかわいかった。んーどっちに行くぅ?て二つの頭で相談するもののどちらも譲り合うので方角がきまらなくて足が踏み出せないみたいな。

演目も、去年と同じ、3つでした。
ジョアン・ラーゲさんのソロ、薫さん&Aoi Leeさんのデュオ、そして休憩をはさんでここの女主人ヴァネッサさんのソロ。


薫さん&Aoiさんのデュオは、真っ暗な部屋の中へ、ロウソクの明かりを手にして登場。

これは本当に恐かった。

今回は iPhone (7 Plus)だけの写真です。最初の部分は暗くてこんな感じだったけど、今年はこのテアトロにLEDのスポットライトが配備されていて、このあとから結構ばっちり明るく撮れたのだった。とはいっても拡大に耐えるほどのディテールはもちろんないですけど。


暗がりからゆっくりと、さまよい出て来る魂。 


ゆらゆらと絡まり、ほどける、生まれたばかりの生命体。

胎児たち、または、海の中の生きもののようでした。

未明の世界をさまようタマシイ。


何かを見つけたり、ふわりと反応してみたり。



薫さんはちょっとますますヒトの世界を離れてきた感じ。

LEDのシャープでドラマチックなライトが、この演目にはとても合っていた。


舞踏のプログラムは、ここ何年か主に薫さんたちの演目をいくつか見ているだけで、ほんとうに何も知らないのだけど、演者と音楽だけしかないぶん、くっきりしたストーリーがセリフや背景で説明される演劇よりも、舞踏というのは伝わるときにはとても直接的に伝わるものなのだなあ、と最近やっと腑に落ちるようになってきた。

匂いとか音楽とかと同じように、直接伝わってくるカタマリ。



抽象的なものは分かりにくい、と思われがちだけど。

この人の表現しているこの感覚、この気持ち、この意思のかたちを、わたしも知っている、と思えた時に、それは具体的なストーリーのある表現からつたわるよりも、ずっと強くつたわってくるものになる。


それは、どんなコミュニケーションにもあるように、単なる勘違いであることもあるかもしれない。

でもそういう共感は、言葉によるよりも、ずっと強くずっとたしかに、深く届く。


この部分がすごかった。
Aoiさんは、ほんとうにイノセントな小さなこどもになりきっていた。

そして後ろに控えている薫さんの恐いこと! 
うっかり見えてしまった、人が見てはいけない存在みたい。古い神社の奥に住んでいるものみたいな、別の世界のオーラに包まれてました。

舞踏では俳優の演じる力とは別の、たぶん技術でもない、まるっとそのものの、演じる人のタマシイが見えることがある。
演者と見る人のあいだにストーリーを間に挟まない舞踏というカテゴリーは、小説ではなくて詩に近いのだと思う。

そして、古い時代の呪術に近いのかもしれない。 死者や神や精霊が、すぐとなりにいた時代の。

いまの時代は、近代の個の時代をすぎて、またそういう時代にすこし戻っていっている気がする。



音楽の向こうにサイレンが鳴る。
「ああこの子は、戦争でなにもかもなくしているんだ」

というのが、急にわかってくる。このサイレンが唯一の、物語のヒント。
 


Aoiさんが、孤児になっていた。

恐怖とかなしみ。知っているすべてをなくすこと。理不尽な世のなかの、とどかない思い。


二度と手にはいらないものに向かって叫ぶ。なにもかもを失わせた大きな力。

『鉄コン筋クリート』のこどもたちも思い出した。クロとシロ。

世界が終わったあとのこども。この絶望的な寂しさに、涙でる。



あとから「戦災孤児、海の生き物がみえました」といったら、Aoiさんからこんなメッセージをもらった。

*******
今回の舞台は、ユニセフの"子供の、戦災を含め災害にあった数が過去最高値"という発表を受け、"陽炎"というタイトルで作りました。 シーンを4つのパートに分けて、パート1 " 座敷童" 、パート2 "生まれなかった子供たち" 、パート3 " 焼け落ちた橋"、 パート4" 陰陽" と。 特に、2と3は、土方の舞踏譜をベースにしました。 沖縄戦、ベトナム戦、そしてシリア内戦の写真の子供たちが、今回の舞踏の先生です。
*******

 このパートの「焼け落ちた橋」というのは、土方巽さんのつくった「舞踏譜」(というものがあるのね。知りませんでした)に沿ったものだったんですね。


最後のパートはまた静かに、海の中にもどっていくような。


この場面も好きだった。ゆらゆら水の中で揺れる生物。


そしてまた二つのタマシイが、ゆっくり周りはじめ。


なにかを手にして、それをどこかに返す。


ふわり。


なにかが出ていった。


演目のあとは、観客もいっしょに自由に踊ろうの時間。


この気持ち良い音楽にのって。


素敵なパフォーマンスでした。行ってよかった。


お衣装の一部、赤いおまもりは東大寺のでした。鳥がかわいい。

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2018/02/02

バスルームに見知らぬ人が!


サンディエゴからKちゃんがシアトルに戻ってきて、いつのまにかうちに住んでいる。

それはいいんだけど、ある日バルスームに入ったらバスタブの中にこんな人が!

U-HAULでカリフォルニアから持って帰ってきた半分くらいは植物だったんじゃないのかしらまじでと思うくらい、植物長者のKちゃんのおかげで息子の部屋にもリビングにも新人が増えました。


きのうの満月。 おとといだっけ? 月蝕は曇りでみられませんでした。

先日の日記読んだ恵比寿マダムが心配してLINEのメッセージくれた。ごめんなさーい、生きてます!ありがとうー(涙)

単にドラマクイーンでした。すみません。自分にできる以上の仕事を抱えて一体全体どうするつもりなのと思ってたんですが、なんとかヤマはひとつ越えつつあるよ。生還するよ。

泳げないけどいろんな浮き輪を投げてもらってなんとかゴールにたどり着きそうです。

3週間くらい前、車を運転してたらその車高がどんどん高くなり、ビルの5階ぶんくらいの高さの超大型トラックになってしまい、右折しなくてはならなくて、ええっこんなもの操縦したことなかったよねわたし、と思った夢を見た。

正夢でした。

今週前半はまぢで今まで生きてて一番焦ったくらい忙しかった。運転したことなかったよこれ。忙しすぎてハイになってる。

乗ってるうちに自転車がどんどん高くなってしかも一輪車になってるという夢も見たことがある。のりものが変形していってしまうという、焦る夢のパターンのひとつです。

さてなんとか右折できるんでしょうか。なにか内輪に巻き込んでないといいけど。


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2018/01/31

あなたは危ないところに立っている


たとえば、目の前に犬のフンが落ちていて、このまま足を踏み出したら0.5秒後に踏むのがわかっていても踏んでしまう。

あるいは、なにかさわったらすぐ感電するものが目の前にあるのにさわって感電してしまう。

わかってて当然なのに意識にレジスターされてませんでしたというそういう症候群になにか名前はあるのだろうか。

さいきんその傾向がとてもひどくなってきた気がします。

ちょっと先週から、耳までどころじゃなくて頭のうえ3メートルくらいのどつぼにはまりこみ、泳げないのにトライアスロン大会にでちゃってる感じです。

泳げない−。

この琺瑯のカップは、実家にあったもの。
たしかうちの父がヨーロッパ旅行で買ってきてくれた謎のお土産の一部だった気がする。
あとロシアの熊とかマトリューシカとかもあったな。

船舶信号のセットで6つくらいあったんだけど、これだけしか残ってない。

このカップだけ生き残ったところ、いったい何かのお告げでしょうか。

来週まで生き残れたら、書きかけの舞踏レポートを書きます!


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2018/01/23

追悼。魔法使いの母


SF作家のアーシュラ・K・ル=グウィンさんが亡くなった。

オレゴンのセーラム在住でいらして、わたしがシアトルに引っ越してまもなく、シアトル中央図書館でも何度か講演に来てた。

告知を見たのに、仕事が詰まっていたかなにかで行くのを見送ってしまったのがほんとうに悔やまれる。それも2度までも!

人生にそんなに大切なことは他にないでしょう、と今、あの時の私に詰め寄りたい。

プリンス殿下の生涯最後のコンサートになったオークランドでの公演も、殿下の大ファンのチェリーちゃんに誘われてたのにちょっとばかし忙しかったもんだから「また次があるさ」と見送ってしまった。


次はなかった。



それと同じくらい悔しい。

人生、差し出されたものを断ると、次はないことがけっこうある。

10代のころル=グウィンさんの『ゲド戦記』シリーズにはまりこみ、『闇の左手』と『所有せざる人々』を読んでSFにこんなことができるんだ!と衝撃を受け、以来、わたしのもっとも愛する作家ベストテンの中で不動の位置を保っている(なんて、そんなに読書家でもないんですけどね)。

うろ覚えなんだけど、ジブリの宮崎駿さんもル=グウィンさんの大ファンで、『ゲド戦記』をぜひアニメ化させてほしいと頼み込みに行ったのだという話をインタビュー記事で読んだ覚えがある。

ジブリを立ち上げる前の話。

でもその頃(いつだかわからないけど、『未来少年コナン』のころかな。70年代後半〜80年代初期かな)はまだ、もちろん宮崎さんの作品も世界に知られてなかったし、ル=グウィンさんは自分の作品がアニメなんてとんでもないと、きっぱり拒絶されたそうです。

それで、「仕方なく」ナウシカを作ったんだ、というような話だったと思う。これはけっこう衝撃的な話だったので強い印象を受けた。

そして時は流れ、ジブリが世界の隅々まで知られるようになったあと、こんどはル=グウィンさんが宮崎さんを招いて、ゲド戦記をアニメ化してくれないか、あなたなら出来る、と、頼み込んだという。

でも宮崎さんはもう引退を考えているころで(『崖の上のポニョ』の前で、『ハウルの動く城』の後あたりかな?)、もう自分にはその気力はない、と断ったんだって。

でもそこであのプロデューサーの鈴木さんが、これやりましょうよ、と、宮崎さんの息子さんを監督に据えて作っちゃったのがジブリ版の『ゲド戦記』。

わたしあの映画は日本で見たんだけど、そしてかなり期待して見に行ったんだけど、今まで見たジブリの中で一番ダメな映画だった。
好きな人ごめんなさい、でもこれは胸をはって言えます。だって原作の大ファンだから。

ル=グウィンさんも気に入ってはいなかったようだけど、当然だと思う。
キャラクターに存在感も説得力もなく、ストーリーに迫力がなく、原作とはぜんぜん別の話になっちゃっていました。


ル=グウィンさんの『ゲド戦記』はアメリカのテレビでミニシリーズとしても制作されたけど、これもちょっとどうなの〜、という出来の代物で、大変残念だしル=グウィンさんが気の毒だった。

あんなに素晴らしい作品なのに、映像作品に恵まれなかったためもあって、知名度はハリポタに圧倒的に負けている。 
ハリー・ポッターより100倍以上優れた作品だと私は思うけど。

運命を感じますね。

宮崎さんの『ゲド戦記』が出来ていたら『風の谷のナウシカ』が生まれなかったかもしれない!というのも、運命だなあ。

本や映画は、読むべき人が読むようにできているのだろうな、と思う。

そして、人と会う機会と同じように、出会える時はほんとに限られた1回きりなのかもしれない。

ル=グウィンさん、88歳だったそうです。
ほんとうにたくさんの素晴らしい作品を書いてくれてありがとう!

あなたの作品が私の人生を変えました。

と伝えたかったです。

RIP。



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2018/01/20

褒めなくてもよい


朝ごはん。Kちゃんがサンディエゴからシアトルに戻ってきて、しばらくうちにいるので、うちの息子はまめまめしい。
朝からキッチンに立っていそいそごはんを作っていましたよ。

ポテトをずいぶんちっちゃく切ったな!

きのうの、日経DUALの相良さんのモンテッソーリ教育の記事のつづきで、もうひとつ、いやふたつ、おぅ!と思ったことがありました。

それは

(ここから引用)
モンテッソーリが言うのには、子どもは褒め言葉を必要としない、かえって褒められるとがっかりする。内面からの充実感や自信を持っている子に変に褒めたり、ご褒美をあげたりするのは、子どもの内面からの尊厳を無視することだって。


一つの認識が欠落していると思うんですね。手を使うことがとっても大事。その手を頭で理解するんじゃなくて、手を使うことがとっても必要な時期だし、手を使うことが脳へとつながるわけでしょ。だから言葉でするのではなくて、正しい使い方をできるようにして見せてできるようにしてあげるほうが、ちょっと時間はかかるけれど本質的ですよね。

(ここまで)

内面が充実している子は、褒めても喜ばない。

「できた」っていう実感があると、それだけで嬉しい。

なるほどなあ。力強いなあ。

10代の頃うちの子は、わたしがあまり褒めないので不満だったようですけど。
アメリカの親はまた、やたらに自分の子どもを褒めるのよね。

でもやたら持ち上げるのではなくて、出来たことを一緒に心から喜べるのはいいよね。
 ウソじゃなく。

親が「ここで褒めておかなきゃ!」とか思っていたら、そのわざとらしさは必ず子どもに伝わるし、非言語のコミュニケーションで伝わったそういうものって、関係の中に少しずつ積み重なる。

しかし10代くらいになると、周りの評価が100%気になって不安で夜も眠れない年頃だから、親も白々しくでも褒めるしかないときもある。
ウソでもいいからオレのことを褒めろって、潜在意識が飢餓状態になってるっぽいときは。

 幼児のときから充実してて、10代になっても飢餓状態にならないほどブレない育ち方ってできるのかなー? 
ものすごーく人間ができてそうな10代の子たちもいるけどね。
 
あと、バイリンガル教育のことを書いたときにも頭にあって、でも学問の裏付けがなかったしちゃんと言えてなかったんだけど、幼児期に必要なのは絶対!第二言語とか読み書きとか変な技術を覚えることじゃなくて、手や体の筋肉をつかったり五感をつかって直接的な情報をたくさんインプットすることですよね!モンテッソーリさんが太鼓判を押してくれてたのを読んで嬉しくなった(子どもをモンテッソーリのスクールに通わせてから17年後にね……)。

言語より論理より、情感と運動能力と感覚をしっかり鍛えておくと、多分、その後のインプットと処理と演算がうまくいく土台ができるんだと思う。

それには野山に放り出すのがいちばんいいみたいな気がする。
自然の世界は、人工物にはマネのできないほど情報量が多いですから。




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2018/01/19

秩序感と朝の儀式


雨の午後。UディストリクトのSlate Coffeeです。
ここの店では「カプチーノ」とはいわないで、「エスプレッソ&ミルク」と呼ぶ。

エスプレッソ&ミルクも、カプチーノと同様、淹れる人でぜんぜん味が違うですね。

Slate Coffee、いつの間にか、フジベーカリーさんのペストリーを置くようになってましたよ!

ところでこの間、ていってももう何ヶ月も前だけど、美人弁護士すーちゃんと久々に会ってごはんを食べました。すーちゃんのご子息、「たーちゃん」(仮名)はパワー溢れる4歳。
2歳前からエネルギーいっぱいで、会うたびに

「もー聞いてくださいよ〜、うちの子ね…」

ではじまる、そのわんぱくぶりを聞くのがたのしみ。

すーちゃんも、フルタイムでがっつり仕事を終えて家に帰ると職場の何倍も疲れる…とは言いながらもたーちゃんのエネルギーをうまーく発散させて見守ってるのがいいかんじ。

本人はほんとに疲労困憊もいいところなんだろうけど、私に話すときにはもうほぼ、笑い話に昇華されている。

ていうか、すーちゃんはよく考えると決して自分の話を湿っぽく愚痴ったりしないで必ず笑える話にしてから来るな。そこがカッコいいなあ、と前から思ってたんだった。

でこないだ、

「うちの子ね〜、絵本を読み聞かせると、目次のページとかも飛ばさないで最初から全部順番に読まなきゃいけないっていうんですよー、ちょっとおかしいのかしら」

とまた例の調子で、半分本気で悩んでるっぽかったので、笑ってしまった。

だって自分もそうだったのを、その話聞いて思い出したから。

本を読む時、かならず奥付まで心のなかで音読しないといけないと決まっていた時代が、たしかあったのよ、私にも。
ほかにもなんか色々と難しいキマリを作っていた覚えがうっすらある。良く思い出せないけど。

うちの息子はそこまでのこだわりはなかったので、子どもによるんだと思う。

で、今日、日経DUALっていうウェブの共働き夫婦用の情報サイトで(べつにぜんぜん共働きでもないし子育ても終了してるんだけど面白くて時々読んでます。さすがに有料会員じゃないが)、モンテッソーリ教育の第一人者だったという相良敦子さんという方の対談記事を読んで、すっごく感動してしまった。

この記事は去年の6月のもので、相良さんはインタビューのすぐ後に亡くなられたのだそうです。

 相良さんは、2歳児は「魔の2歳」ではなく「宝の2歳」だという。

(ここから引用)

モンテッソーリは「秩序感」という0~3歳の特別な敏感期を、「強烈な恋をするようなエネルギー」って言い表しました。恋をするように命懸けで戦うほどのやりたい大事なことを、大人が無頓着で、場所もどうでもいい、順序はどうでもいい、あなたは遅いから私がやっちゃおうとするから命懸けで反抗するんです。

この時期の一生の最初の段階に生涯を左右するほどの「敏感期」という独特のエネルギーは、秩序感と呼ばれ、基本的にはいつもの順番、いつもの場所であること、いつもの所有物である、そして一人でできるようになることが大事なんです。


(ここまで)


そういう「秩序感」が満たされると、子どもは自信を持ち、落ちついてくるのだと!

これすっごく納得。

世の中ってむちゃくちゃとりとめがないじゃありませんか。

そこに自分なりの秩序を見つけて、自分でコントロールできる範囲を作っていくこと。

子どもってそういう作業をして、自分のまわりの世界と和解してるんだ!

子育てが終了してからやっと分かったよ!遅っ!

それでこの記事を読んで、すーちゃんの話を思い出して速攻LINEで記事のリンクを送っちゃいました。

そしたら「はー、じゃあ宝がどんどん続いていく…」と返信が(笑)。

 実はうちの息子も4歳のときにちょっとだけ、ホノルルでモンテッソーリの幼稚園に通わせてたことがあったんだけど、モンテッソーリ教育についてはなんとなく「自主的にー、面白いと思うことをー、手をつかってやるんだよねー」くらいの認識で(バカすぎる)、まったくちゃんと知りませんでしたし学ぼうともしてなかったな。バカ親ーん。

そして今、よく考えると、わたくし自身が秩序感の構築をしようと自分をしつけてる。

1日が自分のコントロールの及ばない速さで過ぎていくのに驚きながら、いろんなリチュアルがだんだん増えていっています。

私は毎日同じことをする生活がたいへん苦手な性格だと自分では数十年思っていたのだけど、そして確かに今でも苦手なのだけど、フリーで家で仕事をするようになってから、生活にルーチンを作る必要をひしひしと感じて、実行するようになってます。

ていってもたとえば朝起きたらラジオ体操をする、レモン入りの白湯をのむ、布巾に熱湯を通して机の上を拭く、とか、ほんとに簡単な儀式ばっかりなんだけど、それでネジが巻けるのです。

朝起きて、世界が「いつもの順番、いつもの場所であること、いつもの所有物である、そして一人でできる」ものであることは、大人にとってもけっこう大切。

たぶん毎日お勤めに行っている人は自然に実行しているのでそんなことは考えるまででもないのだろうけど、いつもの電車やいつもの朝の同じ時間のオフィスの雑談がないぼっち自営には、これかなり重要。成功しているプロの方には、みんなきっとそういうリチュアルがあるんじゃないかと思う。



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2018/01/17

スリラッチャなのか!


このあいだウワジマヤさんで見つけたSriracha Peas。

びっくりしたのは、Sriracha の日本語表記。「スリラッチャ」って書くんだ!

ぐぐってみたら、ウィキ先生は「シラチャー・ソース」と表記していらした。
でも「スリラッチャー」も併記されている。

へー。

でも確かにこういう綴りだと「スリラッチャ」って言いたくなるよね。

この最初のシラブルの「ri」の部分は、アメリカ英語ではほとんど発音されないので、「シラチャー」と聞こえます。
でも原産国のタイでほんとはどう発音されてるのかは知りません。



で、シラチャー。日本ではそれほど知られてないみたいですね。マダムMも先日ホノルルで、相変わらず上品に「え〜なぁに、それ〜?」ていってた。エスニック好きなのに意外。

ここ10年くらいの間にどこのスーパーでもよく見かけるようになった、酸っぱ辛いエスニックチリソース。
うちの冷蔵庫にも入ってるよ。

これをかけると突然なんでもエスニック風になり、残り物の卵焼きからちょっと残念な感じに仕上がった料理まで、無理なく食べられるという優れたソース。
ポン酢および柚子胡椒と同レベルの貢献をしてくれる、頼りになる調味料です。

今から5年くらい前に異常なシラチャーブームが起こり、シラチャー味のチップスとかポップコーンとかシラチャ味の醤油とかタバスコとかケチャップとかタバスコの発売するシラチャとか色々売り出されてました。今はだいぶ鎮静化して、タバスコとケチャップの中間のどこかで、アメリカ調味料界における中堅どころの位置を占めるようになりました。

ちょうどブームの頃、ロサンゼルス近郊の工場が近隣住民の苦情で操業停止に追い込まれるという騒ぎもありました。

トウガラシ入りの排気がもくもく出てきて目が痛いっていう苦情だったそうで、そりゃ嫌だわ。


この妙に写実的なトリの絵がまた良いのですよ。

買わないで店頭で撮影するところが貧乏くさいですね。


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