2018/01/20

褒めなくてもよい


朝ごはん。Kちゃんがサンディエゴからシアトルに戻ってきて、しばらくうちにいるので、うちの息子はまめまめしい。
朝からキッチンに立っていそいそごはんを作っていましたよ。

ポテトをずいぶんちっちゃく切ったな!

きのうの、日経DUALの相良さんのモンテッソーリ教育の記事のつづきで、もうひとつ、いやふたつ、おぅ!と思ったことがありました。

それは

(ここから引用)
モンテッソーリが言うのには、子どもは褒め言葉を必要としない、かえって褒められるとがっかりする。内面からの充実感や自信を持っている子に変に褒めたり、ご褒美をあげたりするのは、子どもの内面からの尊厳を無視することだって。


一つの認識が欠落していると思うんですね。手を使うことがとっても大事。その手を頭で理解するんじゃなくて、手を使うことがとっても必要な時期だし、手を使うことが脳へとつながるわけでしょ。だから言葉でするのではなくて、正しい使い方をできるようにして見せてできるようにしてあげるほうが、ちょっと時間はかかるけれど本質的ですよね。

(ここまで)

内面が充実している子は、褒めても喜ばない。

「できた」っていう実感があると、それだけで嬉しい。

なるほどなあ。力強いなあ。

10代の頃うちの子は、わたしがあまり褒めないので不満だったようですけど。
アメリカの親はまた、やたらに自分の子どもを褒めるのよね。

でもやたら持ち上げるのではなくて、出来たことを一緒に心から喜べるのはいいよね。
 ウソじゃなく。

親が「ここで褒めておかなきゃ!」とか思っていたら、そのわざとらしさは必ず子どもに伝わるし、非言語のコミュニケーションで伝わったそういうものって、関係の中に少しずつ積み重なる。

しかし10代くらいになると、周りの評価が100%気になって不安で夜も眠れない年頃だから、親も白々しくでも褒めるしかないときもある。
ウソでもいいからオレのことを褒めろって、潜在意識が飢餓状態になってるっぽいときは。

 幼児のときから充実してて、10代になっても飢餓状態にならないほどブレない育ち方ってできるのかなー? 
ものすごーく人間ができてそうな10代の子たちもいるけどね。
 
あと、バイリンガル教育のことを書いたときにも頭にあって、でも学問の裏付けがなかったしちゃんと言えてなかったんだけど、幼児期に必要なのは絶対!第二言語とか読み書きとか変な技術を覚えることじゃなくて、手や体の筋肉をつかったり五感をつかって直接的な情報をたくさんインプットすることですよね!モンテッソーリさんが太鼓判を押してくれてたのを読んで嬉しくなった(子どもをモンテッソーリのスクールに通わせてから17年後にね……)。

言語より論理より、情感と運動能力と感覚をしっかり鍛えておくと、多分、その後のインプットと処理と演算がうまくいく土台ができるんだと思う。

それには野山に放り出すのがいちばんいいみたいな気がする。
自然の世界は、人工物にはマネのできないほど情報量が多いですから。




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