マダムMからいただいた『南方熊楠』(唐澤太輔著、中公新書)読みました。おもしろかった。
南方さん、ロンドンから帰る漱石先生と、インド洋上ですれ違ってたんですね!
大学予備門でも同窓だったけど、ほとんどお互いにメンションなしだという。
酒豪で酔っぱらいで 、気に入らない人には自在にゲロを吐きかける技をもち、部屋はめっちゃ汚くて、身なりにも構わず、とにかく知識の追求にだけひたむきに生きたという南方さん。
漱石先生と南方さんは、同じ時代を生きて外国の知識を異常なスピードで吸収する旺盛な情熱と知性の持ち主であったということを別にすれば、まったく正反対のキャラクターだけど、でも後年に出会っていたら、きっとお互いに興味を惹かれたことだろうと思う。
癲癇の発作などの理由で予備門を中退して以降は正規の教育をほとんど受けず、古今東西の書籍を読みあさって超人的な知識をたくわえ、アメリカのフロリダやキューバで地衣類や粘菌をあつめ、ロンドンでは大英博物館でひたすら筆写にはげみ、1万ページ以上の文献を書き写したという南方さん。
うん、やっぱり大変人。屈折したエリートで、かつオシャレな漱石先生とは、若い頃には話があわなかったかもしれない。
グーグル先生になんでも聞ける今は筆写なんて誰もしなくなったし手で字を書くことさえ減った。だいいちワープロソフトで切り貼りしながら文章を書くのがふつうになったけど、
手書きで書き写して行く作業にはなにか特別な方法で脳に働きかけるものがあるのではないかと思う。
南方さんは後年、日本に戻ったあとは熊野の那智山にこもっていたのだとか!
(熊野にまた行きたいなあ、と最近よく思います。特に前回行けなかった熊野大社と那智の滝。今年の夏に行きたい! )
そして例の明治政府による神社合祀の反対運動に奔走する。
日本の山や里に無数にある小さな神社が、自然環境にとっても人心にとっても社会にとってもホリスティックな装置であったことを体感していたんですね。
南方さんのいうことは、今でも的確。
「わが国特有の天然風景はわが国の曼荼羅ならん 」(204)
ホリスティックなアプローチも、「シンク・グローバル、アクト・ローカル」を地で行く思想も、いま21世紀の最先端に置いても適切なのは、その時代の常識にとらわれなかったから、というより常識に従うことができなかった人だからだろうと思う。行動の人であり、直感で情報を集めることにも長けていて、後年はスピリチュアルな方向にも真摯な科学的興味をもって傾倒する。
大英博物館の館長にも愛されて、「君は東洋と西洋に関するかくも深い学識を持ち、人間世界と物質世界の率直で公平でしかも私心のない観察者です」と賛辞を送られている。
ゲロはいたり酔っ払ったりで家族や友人は迷惑することも多かったと思うけど、それ以上にこんな人がいたら面白くてたまらなかっただろうなと思う。
一昨年の暮れにオシャレなイソップで発見した南方さん(ギフトパッケージに使われていた)。
ようやく少しお顔を拝見できた感じです。もっといろいろ読んでみたいー。
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