大統領選挙まで、あと1週間となりました。
これほど国ぜんたいが不安と焦燥につつまれる選挙は、近年、なかったのではないでしょうか。「恐怖」といってもいいかもしれません。
といっても、わたしが実際にアメリカで経験した最初の大統領選は、ブッシュ対ゴアのとき(2000年)。あのときも、アメリカの選挙ってなんてダイナミックで分裂しているんだろう、とおもったけれど、まだ世間には余裕がありました。
オバマ対マケインのときも、大統領選てエンターテイメントとしてなんて面白いんだろう、とおもったのですけれど。
今回はもうニュースを見るのもイヤで、見たり読んだりする情報を少なめにしています。
写真は、アリゾナとネバダの州境ちかくのガソリンスタンドのレジの近くにあった「2020ドル札」。1枚5ドルで売ってました。
アメリカの田舎の幹線道路沿いのガソリンスタンドには、こういうヘンなスーベニアがいろいろ売られています。
エクソンの赤いペガサス。ひさしぶりに見た。
昔、うちの近くに出光石油のスタンドがあってこのマークの看板を見慣れていました。
懐かしい。
アリゾナ州やネバダ州、アイダホ州などを車で通過するあいだに、「TRUMP FOR 2020」という巨大な旗をつけて走っているトラックやピックアップトラックを何度も見ました。
アメリカでは選挙が近づくと、家の前庭に支持者の名前やスローガンを書いたプラカード(というのか)を立てて支持を表明するおうちが多いのですが、シアトル周辺の住宅街では100パーセント、バイデン支持のものばかりで、トランプ支持のスローガンはまったく見かけません。
でも都市圏の外に出ると、…とくに山を越えると、ほぼトランプ一色に。
シアトルではトランプ支持者を(すくなくとも表立って表明している人を)見ることは皆無といっていいほどにないので、数年前にヒューストンに行ったときに、たまたま市内でトランプのラリーがあって「TRUMP」と書かれた赤い帽子をかぶった人びとに大量にでくわして、恐怖を感じました。
まるで、言葉の通じない危険な野生動物かなにかにでくわしたみたいに。
トランプ支持者を実際に見かけることのない都市圏に住んでいる心やさしいリベラルの人々の多くも、きっと同じようないわれのない恐怖を感じるのではないかなと思います。
意見だけでなく地理的にも隔絶されているので、お互いに、文字通り相手を見る機会がないのです。
これでは相互理解どころか、対話など始まるはずもない。
しかもSNSでも「エコーチェンバー現象」で、同じ意見の人が集まって同じものの見方が強化されていくので、ますます自分とは違う人々が不気味に見えてくる。
この状況はもうちょっとなんとかならないのか、と、ロードトリップのあいだじゅう、息子とその話をしてました。
うちのご近所のファミリーの前庭プラカード。プラカードはなぜだか、みんな決まってこのサイズです。
「SETTLE FOR BIDEN」というスローガンに、笑ってしまいました。「Settle for」は、ごぞんじのとおり、「まあ仕方ないからこのへんで手を打っとこう」というニュアンス。
民主党の中でもバーニー・サンダースを熱狂的に支持していた、社会に劇的な改革がすぐに必要だと考えている層には、バイデンはめっぽうなまぬるい候補だからです。
この2020年というかつてない危機の時代に民主党をまとめる候補が70代の地味な白人のおじいちゃんしかいなかったんか!というのも、不思議な歴史の必然なのか……。
ほんとに影が薄いんですよねー。バイデンさん。
先日、朝日新聞のデジタル版の記事の見出しで、ジョー・バイデンのことを「トランプではないほうの人」と呼んでいて、思わず笑ってしまいました。