一日ごとに木の葉が茂り、花もどんどん入れ替わり。ドッグウッド(ハナミズキ)の花(じゃなくてほんとうは総苞だけど)があっというまに満開です。
ひとつ大きな仕事が終わったらまた超ヒマになってしまった。しーんとしています。
だからといって積ん読本はちっとも減らず。そしてなぜか本棚を開けて(うちの文庫本用本棚は扉つき)ランダムに目についた、夏目漱石先生の『道草』を読み始めてしまいました。
面白かったです!
20代の頃に読んだはずだけれど何ひとつ覚えていなかった。
これ20代で読んだってわかるわけないわ。同じ本を読んでも、そのときそのときで受け取るものは違いますよね。
これは完成作品としては漱石先生最後の作品で(未完の『明暗』の前)、49歳だった漱石先生が自分の36歳の頃の出来事を振り返った自伝的作品。そして物語の中心は、うまくいかない夫婦仲です。
子どもの頃養子に出された先で、承認要求ばかり高くて素直な愛情を子どもに注げない毒親に辟易した思い出。
そして海外から戻り、教師となり、学問の世界で高い野心と自負を持つものの、その野心と自負に比例するほどの経済的余裕はないのに、過去の闇からころがりでてきたような毒親はじめ、親戚一同がお金をせびりにくる哀しさ。
夫婦ともにめちゃくちゃ我が強く、互いに思いやりはあるのに素直に譲ることのできない気性で、すれ違うばかりの夫婦仲。
主人公の健三さんに、漱石先生の筆は容赦なく切り込んでいきます。
「つまりしぶといのだ」
健三の胸にはこんな言葉が細君のすべての特色ででもあるかのように深く刻みつけられた。彼は外の事をまるで忘れてしまわなければならなかった。しぶといという観念だけがありとあらゆる注意の焦点になって来た。彼は余所を真っ暗にして置いて、出来るだけ強烈な憎悪の光をこの四字の上に投げかけた。細君は又魚か蛇のようにその憎悪を受け取った。(139)
13年前の自分をこれだけ冷静に、第三者的に見られるってほんとにすごいと思う。だから文豪なんですね。
お産間近で、今度は死ぬかもしれない、と弱音を吐く奥さんと健三さんの会話。
「女はつまらないものね」
「それが女の義務なんだから仕方ない」
健三の返事は世間並みであった。けれども彼自身の頭で批判すると、全くの出鱈目にすぎなかった。
これには漱石先生の女性観の一部がすごくよくあらわれてると思います。
この小説が発表されたのは大正4年、1915年。
女性には参政権もなく、女は子どもだけ生んで育てていればよろしい、夫や親の所有物であるというのが「世間並み」の価値観であったときに、近代人であった漱石先生はそれが「出鱈目」であることを感じつつもその世間並みの価値観の中に生きていて、その矛盾を痛切に感じていたのだと思います。この時代の矛盾はもちろんそれだけではなく、社会のあらゆる面で目について、漱石先生みたいな正義の人&美意識の人にとってはたいへんなストレスだったことだろうと思う。
ちょっとあまりにヒドイと思った箇所を。
一番目が女、二番目が女、今度生まれたのもまた女、都合三人の娘の父になった彼は、そう同じものばかり生んでどうする気だろうと、心のうちで暗に細君を非難した。然しそれを生ませた自分の責任には思い到らなかった。(209)「同じものばかり」って……。
もうひとつ
その赤ん坊はまだ目鼻立さえはっきりしていなかった。頭にはいつまで待っても殆ど毛らしい毛が生えて来なかった。公平な眼から見ると、どうしても一個の怪物であった。
「変な子が出来たものだなあ」
健三は正直なところを云った。
「どこの子だって生れたては皆なこの通りです」
「真逆そうでも無かろう。もう少しは整ったのも生まれる筈だ」(242)
おい!娘にむかってなんてことを。でもこんなことを言っても、漱石先生の場合にはまったく嫌味でなくて、笑ってしまえるのは人徳。
奥様も漱石先生も、どちらもぜんぜん悪者ではないけれど、それぞれのしがらみによりそれぞれの立場でしかものを見られず、それで互いに期待している反応が得られずに癇癪を起こすという、うまくいかなさの機微をどうしてこう細かく容赦なく描けるものだろうか。冷徹すぎる。
わたしも36歳くらいのときに離婚しましたけれど、 元旦那もわたしも、当時は健三さんとお住さんどころではない、まったくもって小学生なみの我の張り合いをしていたものですから、そんな幼稚な応酬は精密に思い出したくもないし思い出そうとしたら相当に疲れそう。
夫婦のすれ違いっぷりを描いた作品では、最近は Netflixの『Marriage Story』もよかったなー。
これは20世紀初頭の健三さんとお住さんとはまた全然違う、21世紀初頭のアメリカの話だけれど、お互いに期待するものと自分が目指すものと自分の我の折り合いがつかなくなってだんだんねじれてくるところはおんなじ。
とても切ない話でした。俳優陣がみんなすごくよかったー。
きょうの夕虹。ひと雨ごとに緑が濃くなっていきます。