2019/07/14

小布施の北斎画伯


5月末。
すみだ北斎美術館に行って、息子を羽田に送った翌日、特急あずさで松本へ。
こんどは小布施の北斎館へ行きました。

車窓からの八ヶ岳。久しぶり〜〜!


2日連続で北斎さんにご対面。
とくに北斎画伯への巡礼週間を企画したわけではないのだけど、なんとなくそうなった。

松本駅に敏腕翻訳者Yさんがお迎えにきてくれて、小布施までドライブ。
山がすぐ近くに見える国。空気がおいしい。


なんと、北斎画伯が初めて小布施に来たのは83歳のときだったそうです。
籠とか馬はあったにしても、江戸からはるばる、80代のときに何度も来てる。
ほんとに元気なじいちゃんですね。

北斎はこの地の豪商にアトリエを作ってもらい、小布施にたくさんの肉筆画をのこしてます。
この美術館の収蔵品には祭り屋台(山車みたいなやつ)が2台あり、天井にそれぞれ北斎肉筆の鳳凰と龍、波の図が。

華麗でカッコ良かったです。


おひるはお蕎麦と栗おこわ。うめええ!
本場信州のお蕎麦に感動したけど、敏腕翻訳者Yさんは、いやいやこれはぜんぜんフツウ、とおっしゃる。


 手入れの行き届いたお庭のある素敵なお店でした。


「栗と北斎と花のまち」小布施に行ったのは2回め。
最初のときは19歳くらいのときに、家出少女チエコと青春18きっぷであてもなく長野方面へ行き、なんとなく小布施で貸し自転車に乗ったりしたのだった。栗の木があったというほかには何も覚えていない。


愛する小布施堂本店。


落ち着いた家並みの綺麗な町で、あちこちの家でお庭を公開していて勝手に見ていっていいことになっている。
文人の豪商が北斎を招くくらいだから、江戸時代からきっと豊かな村だったんでしょうね。


しかし!平日の小布施は閉まるのが早い!
あちこちに「モンブラン」の看板が出ているのを横目にゆっくり散策して、さあどこでお茶にしましょうか、と探し始めたら、午後4時でもうどこも閉まってました(泣)。
小布施に行くかた、平日は要注意ですよ!


諦めて帰りかけた矢先に、執念でやっとひとつだけ空いているカフェを発見。モンブラン食べられた。


小布施から松本への帰りに寄っていただいた、姥捨サービスエリアの展望台。

千曲川や長野の町も見え、棚田もみえる。

月夜の晩にはとても綺麗なのだそうです。
信州いいなあー。


その晩は敏腕翻訳者Yさんちに泊めていただいた。
窓から畑とアルプスが見える素敵ハウス。

都会からIターンで松本近郊にお家を購入して、畑仕事を楽しみながら翻訳活動をしているという実に羨ましい環境です。
しかも旦那様が整体師。座りっぱの職業にとっては夢のような境遇ではないか。

でもそれなりにいろいろと苦労はあるようで、引っ越した後、畑は一人で開墾したという。すごい。

晩ごはんには珍しい「根曲がり竹」のお味噌汁をいただきました。たけのこじゃなくて笹の若芽なのだそうで、なかなか地元でも手にはいらない貴重な食材らしい。
一見アスパラに似てますが、食感がキューキューしていて独特の噛みごたえ。

幸せな食卓でした。いいなー信州。


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2019/07/13

すみだの北斎画伯


すみだ北斎美術館。妹島和世さんの設計です。

館内は撮影禁止だったけど、常設の、北斎の居室を再現した展示が生々しくてびっくりでした。

狭苦しい四畳半くらいの散らかった部屋で、布団をかぶって絵を描いている老人北斎と、そのそばに座っている娘のお栄さん。
生涯に何十回も引っ越しをしたという北斎。後に世界中で絶賛される天才絵描きとは思えない、つつましさ。


企画展は「北斎のなりわい大図鑑」。江戸のいろんな職業を描いた作品を集めたもので、面白かったです。


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2019/07/12

麺集中カウンターと地下足袋


5月の東京、いろいろ。
東京駅の横(日本橋側)がいつのまにかこんなになっていたのね。
東京駅に「日本橋口」なんて、昔からあったっけ?おぼえていない。


噂にきいていた「一蘭」のラーメンも食べにいきました。


隣の席との間に衝立てがあり、電話をかける場所か刑務所の面会室みたいな半個室ブースになっている。ラーメンに集中するためのこの場所には<麺集中カウンター>という名がつけられていました。

目の前の仕切りを開けてラーメンが出てきて、また仕切りがそっと閉められ、ラーメンと向き合う空間が作られる。

しかも、店員さんに何か伝えたいときには声に出さずともこの↑「サイレントカード」に書き込むだけでよいシステム。



こちらは吉祥寺の「一圓」。ここはわたしが高校生だったころからある老舗で、カウンターだけのお店。

このでかい餃子が5個で500円!!。
素朴な醤油ラーメンもおいしかった。

20歳前後の可愛い女の子が一人で入ってきて、餃子ライスを無心にさくさくと食べ終え(早い)、お代を硬貨でカウンターに置いてさくっと出ていったのがかっこよかった。

ニューヨークでRAMEN屋を名乗っているあのオシャレストランのオーナーたちにぜひ見習っていただきたい、このコスパとシンプルな店構え。オーセンティックなラーメン屋さんというのはこういうのをいうのだ。



うちの息子の今回の掘り出しものはこちら。祭り用地下足袋。



新宿の専門店で買い求め、写真をインスタにのせたところ友人たちがみんな欲しがって、8足持ち帰るはめに。…後から遅れて帰ったわたくしが。

そのかわりに書籍を持って帰ってもらったけど。



羽田へ向かう日の足元も地下足袋。
ちなみにボストンにも、もちろん地下足袋を持っていきました。

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2019/07/10

越後屋さんたちのそれからと、お江戸のご馳走



5月下旬の東京。
お江戸日本橋の三越ライオン君。英国生まれだそうです。




店内もなにやら、すんごく素敵。

お昼を食べに行く前であったし、日本橋マダムたちとの間に見えない壁を感じて中に入らず通りすぎてしまったけど、これ隈研吾のデザインだったんだー!
くうううう‼ 足を踏み入れて中から見ておくのであった。

東京は本当に情報が多すぎて頭がぼんやりしてしまう。



行ったのはこちら、コレド室町。
COREDOって、core+EDO(江戸)で「江戸のまんなか」っていう意味かしら。と思ったら、やっぱりそうでした。

三井不動産が開発。ビルそのものの意匠も、街並みも、徹底して和風を意識したつくり。

そして入居してるのも和食のお店が多く、ショップも石見銀山ショップや包丁の木屋や、昆布屋さんやお茶屋さんや漆器の店など、和もの系が多いラインナップ。


鰹節のにんべんがやってる「日本橋だし場 はなれ」。「一汁三菜スタイルの和ダイニング」という謳い文句で、ひじき、おから、きんぴらがついてくる、地味ながらなごむお食事。きれいな鰹節がテーブルにおいてあり、使い放題でした。

この日のランチは、福岡から飛んできてくださったりょんさんと。

学校で飼育されているうさぎなどの動物たちの福祉(ただ檻に入れて放置されているだけのことも多く、やたらに増えてしまったり、学校が長い休みのときには世話が行き届いていないことが多いそうです)と、子どもたちと動物のふれあいを推進しているベテラン教諭です。
去年はその関連のレポート英訳というお仕事をさせていただいた。

りょんさんのようにどこまでもどこまでも心優しく、世の中にダイレクトに違いを作っている方にお会いしていると、自分のことばっかり考えている自分の視野の狭さが恥ずかしくなってきます。


ビルの谷間に神社。おいなりさんです。

これも三井不動産が、コレドと込みで開発した物件。
こちらの記事に詳しく書かれてました。

この神社は「江戸」そのものよりずっと昔、9世紀からあるという実に古い神社なのだけど、一時はビルの屋上や居酒屋の中に祀られていたそうな!それを三井不動産が「日本橋再生計画」の新しいランドマークとして、敷地を確保したというものです。

おもしろーい。都心の再開発で敷地を割いて、公園ならぬ神社を再生する、って、昭和の時代にはなかった発想だと思う。



 ビルの外壁のウインドウにはこんな、ため息が出るほど美しい細工も飾られています。

日本橋って何年ぶりだろうか。
ずいぶん昔、それこそ今のうちの息子くらいの年のとき。八重洲にあった小さな広告会社で働いていたことがありました。
そのころからはずいぶん街も人も変わった。

明治維新から150年、敗戦から70年以上たってますが、最近ようやく(たぶん21世紀になる頃から徐々に)日本の<和風>をコアに取り入れた、自信あふれるデザインが増えてきたなあ、と思います。今はもう、東京の新しいビルっていうとほとんど和風なニュアンスといってもいいほど。

ビルの名前が和風になってきたのもそれを反映しているし。

戦後の建物のデザインって本当にカオスで、まわりとの調和なんていう発想すらない街並みでした。ハングリーな昭和は、パワーはあったけどデザインは醜かった。咀嚼できていない西洋を無理やり移植しようとしていた。
そのころの街や建物は、アイデンティティのない、というか、敗戦をひきずっていた時代のアイデンティティを反映していたのだと思います。西洋への憧れと誤解と高度経済成長の生命力がごっちゃになってすさまじかった。
今はデザインが成熟してきて、その分景気は後退して国の生命力は衰えつつある。皮肉というか。



三井本館。「越後屋」があったところだそうです。

「おぬしも悪よのぅ」の越後屋だのぅw

関東大震災後、1929年の竣工で、設計も施工もアメリカの事務所によるもの。
国の重要文化財に指定されています。

この円柱のスケールはすごいですね。
ニューヨークのウォール街近辺にある建物にもひけをとらない。というよりそれより状態が小奇麗で(さすが日本)ピカピカしているから、堂々たる風格を感じます。



こちらは、そのすぐお隣にくっついているマンダリンオリエンタルのビル。これも三井さんの地所で、もちろん三井不動産の開発。

お隣の三井本館の新古典主義様式の、パンテオンみたいな巨大な柱のデザインをトレースしつつ、やっぱり和のニュアンスが濃い意匠ですよね。

メタリックな金色が使われてるところにちょっと中華味が入ってる感じもするけど、格子風の縦ラインといい、渋いえび茶の日よけや暖簾といい、メインは中華資本のホテルとはいえ「もと越後屋」の看板にぴったり。


そのあと行った、銀座の無印良品旗艦店。オープンしてまだ間もないせいか、むっちゃくちゃ混んでいた。
ここも上のほう、格子風デザインですね。

MUJIも、戦後のカオスの中からシンプルな和デザインの美しさをいちはやく提唱して牽引してきた張本人でした。そうそう、原研哉さんとかが中核にいたんですよね。「真ん中になにもない」というシンプルさの哲学を再発見して、それを生かし始めたデザイン。


愉快なマダムMファミリーにつれていっていただいた、激ウマ焼き肉。美しいお肉。
わたしの知っているおニクと違う…。なにこれうまい。涙でそう。
マダムMファミリーは3人家族で、サーファーde外科医のパパ、バンドマンde医学生の息子、おっとりした美人主婦マダム。みんな面白い人。
うちの息子はハワイにいたときに毎年遊んでもらってた。
どうしてわたしの周りには、こんなに心優しく面白い人ばっかりいるんだろうか。


ついでに、別の日、その昔八重洲にあった(いまは移転して虎ノ門)会社のもと上司、K社長にご馳走していただいたヤキトリ!
なにこれ私の知ってるトリニクと違う。めちゃうまでした。
シメに名物だというドライカレー。これがまたウマウマ。

このK社長は、20代半ばのとき、今から考えると明らかに社会人未満というかほぼ人間未満であったわたくしを、バシバシ鍛えてくださった恩人です。ライターのしごとで入ったのだけど、まーよく採ってくれたわ、と思います。最初のうちは赤入れるほうが時間かかってしょうがなかったと思う。
2年ほどしかいなかったというのが信じられないほど濃かったです。K社長は20代の小娘にはちょっと話についていけないほど博識で、文章の書き方から仕事の仕方まで、色々な道理をきちんと整理して持っている方で、会議のたびに頭がパンクしてました。


マダムMと六本木へ。


森ビルでアートナイトをやっていて若いもんたちが群がってました。
東京はほんと夜が遅い。
シアトルはお店、どこでも10時にはしまっちゃうし、バーも1時ころまで。
2時すぎてやっているお店はとても少ないですが、東京はまあ、景気が悪いとかいいながらネオンが明るいこと。夜明けまで遊ぶ人の多いこと。


おばちゃんはちょっと疲れてしまって早々に帰りました。


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2019/07/07

くまコーヒーのモカコーヒー


シアトル地元のロースター、KUMA Coffeeの、このエチオピア豆「SOLOMO」がめっちゃうまいです。最近飲んだなかでぴかいち、直球でツボでした。

もともと、少し酸味があって香りが高いエチオピアのコーヒーが好きなんだけど、これはほんとに超ウマで、びっくりした。

香りの説明には「マンゴー、ライムエイド、キウィ、ピーチ」と書いてありますが、 南国フルーツだけでなくキャラメルのような明るい香りがぱーっと立って、甘みとコクもあってちょっと薄めに入れてもおいしい。


豆がとても小粒です。

袋には、エチオピアGUJI地区のエアルーム、と書いてある。

ウェブサイトだと1袋(340g)19ドルだけど、ご近所スーパー(バラードマーケット)では14ドルでした。

エアルーム品種っていうのがあるの、知らなかった。日本だったらかなり高値になるんじゃないかな。


ところで「モカ」コーヒーというのがイエメンとエチオピア産のコーヒーだということを、わたくしはつい最近はじめて知りました。

エリトリアやソマリアの向かい側のイエメン。紅海の出口に近い、海峡が一番狭くなってるとこのちょっと内側に、たしかに「モカ」という港がありました。


エリトリアのアッサブという港町の対岸です。


広域図。まさに、海賊が出るあたり。

現在のモカの町はこんならしい…(悲)。

ウィキコモンズより、1996年の風景)

15世紀から、ここでコーヒー豆が出荷されてたんだそうです。

そしてウィキペディア先生によれば。

「 かつてモカの港からは、イエメン産のコーヒー豆の他、対岸のエチオピア産の豆も一緒に輸出されたため、両国産のコーヒー豆を合わせて「モカ」と呼んでいる」
 へー!

さらに、
「エチオピア産はブラジルなど苦みが強い豆とブレンドされることが多い。特に苦みの強い、ジャワ産ロブスタ種とのブレンドは、モカジャバとして親しまれている」
だそうです。

へー‼
モカジャバって、そういうブレンドだったのね。全然知らんかった。

寺山修司の歌に

<ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し>

というのがありますが、本来のモカは苦いコーヒーじゃなかったんだ。

<モカジャバはかくまで苦し>じゃ、違う歌になっちゃいますね。




この間、東京に行ったとき、代官山のモカ珈琲専門店、Mochaというお店に行きました。

ここの豆は100パーセントイエメン産。

エチオピアの豆よりも少しアーシーな感じでした。
同じ国でも、それぞれのマイクロな産地によってまた少しずつ違ったりするのかも。

イエメンって、今、内戦まっただなか。
政情不安定で大変な地域から、はるばるやってきた豆たち。


ほんとに、のんびりおいしいコーヒーを飲んでいられるって、めちゃめちゃ恵まれてますよね。ありがたい。

モカの町もいつかまた平和な港になる日が来ますように。
 

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ポジとネガ、リプレゼンテーションとピザ



独立記念日はファースト・サースデー(第一木曜日は美術館の入館料金が安くなり、遅くまで開いてるのです)でもありました。

そして、舞踏家・薫さんをモデルにしたRuthie.Vさんの作品がSAMギャラリーに飾られているので、シアトル美術館に集合だったのです。


モデルと実物!

狙ったのか偶然か。お召し物が白と黒で、ポジとネガ、みたいですね。
裾の花模様も響き合っている。

カメラ(iPhoneなのに)を向けると、すっと舞台の上の人になってしまう舞踏家です。



この日は特別展『Victorian Radicals』(ヴィクトリア朝時代の過激派たち)をやっていて、そちらも見に行きました。なにしろ通常29.99ドルのところ9.99ドル。お得です。

さくっと見るつもりが、けっこう熱心に考え込んでしまい、三々五々ながら一緒に行ったはずの皆様にすっかりはぐれていつの間にか一人になっていた。

東京でラファエル前派展をやっていたのに見てこなかったことをすごく後悔していたこともあり。

わたしはラスキンさんについて、というかラファエル前派についてまるで誤解していたなあと思いました。いつもながら。本当に何も知らなくてごめんね、ラスキンちゃん。
 
こちらはまた今度ゆっくり。



ネズミ君とアンゼルム・キーファーさんのひまわり(泣くほど好き)にも挨拶し。


3階ギャラリーのこちらも特別展。

これもまた、さくっと見るつもりが、惹き込まれました。

Zanele Muholiさん、南アフリカのアーティスト。LGBTの活動家でもある。
世界各地で撮影したセルフポートレイトです。


いわば一種の「コスプレ」を通して、見る人に

「a discomforting self-defining journey, rethinking the culture of self-representation and self-expression」

(居心地のわるい、自分を定義する試み、セルフ・リプレゼンテーションと自己表現の文化について考え直す機会)
を提供する、という。

このrepresentationって、人類学の講義でも現代美術史でもさんざんでてきたんだけど、日本語でなんて訳したらいいのかいまだによくわからない。
フーコーとかの訳書では「表象」とされてるみたいだけど(ちゃんと読んでませんよーん)、表象って言われてもなにそれって思うよねえ。

自分や組織や団体などの主体を、どのように定義して表現するか、意識してない部分も含め、それをどう考えるか、常識とか役割とかそういった社会(そして権力構造)との結びつきの文脈で考えなおしてみよう、という場面で使われる言葉で、つまりは「これはこのような形で理解する」というかたち、概念、捉え方、立場のこと、といっていいのかな。

その捉え方は多くの場合、意識しないうちに身についていて、点検されないまま<常識>になっていることが多い。20世紀後半にはいろいろなマイノリティが自らの立場を守り向上させるためにその常識を攻撃し、新しいリプレゼンテーションを意識して主張してきた、という経緯があり、現代の、特にアメリカの社会ではとても重要なキーワードとしてよく出てくるのだけど。

日本語でこの「リプレゼンテーション」、スッキリ手頃な言い方がないのが、どうも納得いかない。
アートスケープのこのページがとても詳しく説明していて、いろいろ文脈により訳語が工夫されてはいるが、結局<「表象」がその他の意味を包含しつつ使用されることが一般的である>とあります。うーん。


こういうときはIT業界やファッション業界にならって、カタカナで概念ごと輸入してしまうのが一番無難なのかもしれません。

他人種っていうあきらかな他者を(建前上、そしてボリューミーに)内側にもたない日本の社会では、リプレゼンテーションの問題って、社会の大きな関心時ではなかったのかもしれない。

でもともかく、リプレゼンテーションの常識を揺さぶるという試み、というのはリクツだけではなく、美意識の領域に深くくいこんでくるもの。でないと力を持たないよね。

とても美しくて強烈な写真でした。おすすめ。11月までやってます。



独立記念日の夕方は、きっと私がぽつねんと意気消沈していると思って気遣ってくれたのにちがいないCT夫妻と、ピザのディナー。

帰って仕事をしてたら外がうるさいので窓から覗いてみると、ガスワークパークで打ち上げられている独立記念日の花火が、遠いけどとてもよく見えました。

けっこう大玉が多くて豪華だった。

よい一日でした。日本の花火が見たいな。

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2019/07/05

シアトル美術館の謎の半分


フランスは6月、むちゃくちゃな猛暑だったそうですが、シアトルは今年、いまのところやや肌寒い夏です。
5月にぱーっと暑い日が続いたあと、真夏日はまだ一度もないんじゃないかな。
長袖デフォルトの7月です。


独立記念日はシアトル美術館へ行ってきました。

この建物。

反対側(ユニオン・ストリート側)は直線の多いビジネスライクな顔のデザインなのに、ビルのこっち側(ユニバーシティ・ストリート側)半分にはアールデコを1980年代風に解釈しました風の妙な装飾があり、性格が完全に分裂していて、よく見るとおもしろい。

こちら側は1991年に作られたビルで、真面目なほうは2006年に拡張工事をした部分だそうです。

よく見るとマハラジャみたいなアーチと黒いつっかえ棒みたいな柱もある。80年代だなあ、としみじみ感じるデザインです。


前から変な意匠だなと思ってたんだけど、そういえばこの同じ通りを2ブロック坂をのぼったところに、あのシアトル・タワーがあったのだということに初めて気づいた。


この正統派アールデコのしゅっとしたビルです。
しみじみカッコ良いです。
このビルがオーロラ色にライトアップされていたという、その頃のシアトルの夜景を誰かCGで再現してくれないかな。 

戦前・戦後のかなり長い間、シアトル・ダウンタウンの代表格だったという建物。

シアトル・タワーにもエジプトの墳墓をイメージしたという、金ぴかのロビーがある。

もしかしたらこのシアトル美術館のビルのアールデコ風装飾は、同じ通りのシアトル・タワーをかなり意識したオマージュだったのかもしれないな、とふと思ったのでした。


久しぶりにダウンタウンに行ったらまた見覚えのないビルが増えていた。
最近のシアトルは数ヶ月見ない間に、かなり街並みが変わってます。ほんとに。

たしかこのビルたちができる前まではまだフェリーからもちょこっとだけシアトル・タワーの一部が見えた気がした。…んだけど、記憶違いかもしれません。


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