2016/12/09
ねこの時間
ぎゅーんと冷気がやってきました。
月曜日には積もらなかったけど初雪も降り。また今日、雪が降る。
この火曜日、 わたしの大切な友人だった猫のたまちゃんが、具合が悪くなって、あっという間に旅立ってしまいました。
これは初めて会ったころ。
もう5年前!
とてもおとなしい小さな子でした。
強烈に我が強い男の子二人をいつもちょっとさめた目でうかがいつつ、誰もいなくなるとすっとそばに寄ってくるのだった。
このあいだの土曜日の夜、わたしが仕事をしてると、何かいいたそうにこっちを見ながら目の前をすごく何度もいったりきたりしてたのに、もうちょっとして手があいたらお話をききましょう、と思いつつ、腰をあげなかった。
あきらめたたまちゃんはぷんとして外に出ていき、寝る時間まで帰ってこなかった。
思えばそれが、元気なたまちゃんと語り合える最後のチャンスだったのに。
日曜の夜に急に具合がわるくなって、病院につれていったきり、帰ってくることができなかった。
ねこの時間はゆっくりと流れているようで、とても速い。
たまちゃんの時間の中に、少しだけど一緒にいられたことをほんとうに嬉しく思う。
2016/12/07
シアトル市の街角アートボックス その2
信号のシステムが入っているという、街角アートボックスのつづきです。
今回のはすべてダウンタウン。 これはセカンドアベニューだったかな。
かなーり前に撮って、フォルダにいれたまますっかり忘れていたので夏の写真が多いです。
セカンド・アベニューとスチュワートの角。
キャピトル・ヒルのおされレストラン「Poppy」の前。お店のテーマカラーとコーディネートしている。
シアトル・ユニバーシティの前。スケボーですね。
これもキャピトル・ヒル。 わんこがいい感じにコーディネート。
ダウンタウンのどこだっけ。たぶんセカンド・アベニュー。
いまだに健在の新聞販売用ボックスとカラーコーディネートされている。
ほんとにみんなレベルが高い。洗練されてる。
その場所で商売をしてたり住んでる人たちが計画してアーティストに頼んでおカネを出して作るから、こう街角にぴったり溶け込むアートボックスになるんでしょうね。
2016/12/05
シアトル市の街角アートボックス その1
シアトルの街を歩いているとよく目につく、アートなボックス。
これはフリーモントの交差点。この人の作品好きー!
これは、信号機を制御するなにかが入っている箱(雑な説明)だそうです。
シアトル市の交通局が、らくがき防止と美観向上のためにやっている…というか、このページをみると「市がやってる」んじゃなくて地元の人に「許可している」というシステムですね。
市がおカネを出すのではなくて、「うちの近所のこの信号の箱に絵をつけたい」という地元の人がおカネを調達し、アーティストをやとって、プランを提出し、許可がおりたらアーティストが絵を描く、というしくみ。
シアトルって、こういう自主的なしくみがすごくうまくいってると思う。
そして、クオリティもほんとに高くて、街に溶け込んでる。
これはパイク・プレイス・マーケットの近く、「フリーピープル」の前の。
これも同じ通りのマーケットの前。多分同じアーティストさんですね。
だいぶ前に撮ったもの。真夏だった。
こちらも真夏のダウンタウン。
立体をうまく使ってる。これもダウンタウン。色使いもオシャレですねー。
2016/12/03
孤独のグルメといせやの焼き鳥
『孤独のグルメ』第一話をみたら、むちゃくちゃ焼き鳥が食べたくなってしまった。
門前仲町のつくねが、うまそうすぎる。
こちらの焼き鳥は、この夏日本にいったときの吉祥寺「いせや」。
ワカモノ2名に「好きなだけ食べなさい!」といってがっつりビールも飲んでお会計5000円以下でしたし!!
うちの息子の高校の同級生だったカイラスちゃんは、ワセダ大学に交換留学で1年間日本文学を学びにいき、腕にでっかい牡丹の刺青を入れて帰ってきたお嬢さん。
シアトルでは個性的なタトゥーをいっぱいいれていらっしゃる人がとても多いのです。
でも日本ではうら若いブロンドの女の子が牡丹のスリーブを入れているのは珍しいようで、お祭りでどこかの組の親分に腕をつかまれ、しげしげと観察されたうえに酒を振る舞われたという。
日本の外食文化ってすごいと思う。
シアトルだとちょっと小洒落た気の利いた店で食べようとすると一人50ドルとか軽く行っちゃうし、庶民なお店はセレクションが限られているし。
ほんとうにおいしくて多彩なものを食べさせてくれる、なんでもない店構えの街角グルメがこれだけたくさんあるって、すごい文化だ。
「いせや」は有無をいわさぬ相席制。
肘がぶつかるほど狭いテーブルで隣り合った、文庫本を読みながら一人で焼き鳥を食べていた初老のおじさまが、「ポテトサラダがうまいよ!」とすすめてくれた。
別にしつこく話しかけてくるでもなく。孤独のグルメの美学だわ。
やきとり行きたいなあ…。
スタバのホリデーカップと1969年のハンガー・ゲーム
冷たい雨が降って薄暗いシアトル近辺です。今年の11月は雨が多かった。
暖炉のあるスタバに行って資料読み。
スタバのホリデーカップ、今年のは何種類かあってみんなかわいい。
ホリデーカップを見るとなにかテンションの高いものが飲みたくなるので、カイエンペッパーふりかけのピリ辛チリモカ。
街中のテンションが高くてつらい。
きのう台所を片づけながらラジオをきいていたら、1969年にベトナム戦争徴兵の抽選番号がラジオで発表されたときの話をやっていました。
ベトナム戦争が泥沼化していたとき。
それまで、大学に進学していた男子生徒は徴兵をまぬがれていたのが、あまりにも不公平だということで抽選制で誰もが徴兵にあたることになり。
誕生日ごとに抽選で番号が割り当てられて、低い番号なら高い確率で徴兵されることになっていた。
番号の抽選は、1969年の12月1日にテレビとラジオで全国に生中継されたんだそうだ。
アイビーリーグのダートマス大学でも、その年の4年生がランダムなくじ引きで徴兵の対象になるので、みんながラジオに釘付けになっていたという。
自分の誕生日が小さい番号であれば、何ヶ月か後に卒業したあと、すぐにベトナムに送られる可能性が大で、無事に帰ってこられない可能性もとても大だった。
「まさに『ハンガー・ゲーム』ですね」と女性のアナウンサーが言っていた。
うちの息子がちょうど今年、大学4年生なので、クリスマスを前にしてリビングでその番号の発表に耳をかたむけていた本人や家族の気持ちは、とても他人事と思えない。
いまの日本やアメリカの日常って、豊かで平和であることに気づかないほど豊かで平和な世界。
たくさんの若者が、行きたくない戦争に行って死ななくてもいい世界。
この中で生まれ育ってきたのでこれが世の中の当たり前だとつい思ってしまうけど、わたしたちってほんとうに歴史上珍しい、むちゃくちゃ恵まれた時代と場所に生きているのだったよね。
2016/12/01
トランプの肉まんとバカの壁
グリーンウッドのカフェDivaEspresso前のロココなカフェ椅子です。
ここのチェーンは内装が微妙にロココ。シアトル市内に数店があります。
今月のデジタルクリエイターズに寄稿した記事。ちょっと加筆しました。
● 911以来の衝撃
「この数週間、わたしは無関心すぎた。トランプがまさか勝つとは思っていなかった。わたしは間違っていた。
もっと関心を寄せなかったこと、もっと行動しなかったことが悔やまれる。今は残念としか言えないことが残念だ。でもこれからは、トランプと彼に投票した人びとに標的にされている人びとを守るために、わたしは全力で働く。これからはもう無関心ではいない」
選挙の翌日、シアトル在住の知人の白人女性(30代、弁護士)はフェイスブックにそう書き込んだ。
超がつくほどのリベラル都市であるシアトルでは、選挙当日までほとんどの人がヒラリーの勝利を確信していただけに、トランプの勝利にとてつもないショックを受けた。大学キャンパスでは選挙結果について話し合いながら泣き出す女子学生も多かった。
まるで世界大戦の開戦かなにかが宣言されたかのような、1日にしてそれまで当然だと思っていた世界が変わってしまったような衝撃。 まさに、911の同時多発テロ以来の衝撃だった。
トランプは就任早々に不法移民を一斉に排除すると公約しており、オバマ大統領が実施した、年少時に不法移民として米国に来た学生に一時的な法的権利を与える大統領令も就任早々撤回すると宣言している。友人や知人の身の上を案じる人も多い。
選挙戦中にトランプが振りまいた暴言に本気で怒り、しかしこんな馬鹿者がまさかほんとうに大統領になるはずがないと失笑していた西海岸のリベラルな人びとは、自分たちが何よりも大切にしてきたはずの価値観をまったく尊重しようとしないその暴言王と追随者たちに国政のトップが握られてしまったという事実に、しんそこ打ちのめされている。
選挙後、シアトルでは大人や大学生だけではなく、中高生のデモも行われた。(反対デモはほかの都市のような破壊活動に発展せず、平和的な行進にとどまっている。)
誤解している人もいるようだが、これはヒラリー支持者のデモではない。多様性の尊重、マイノリティや女性の権利といった、トランプが鼻で笑ってバカにした価値観を自分たちは絶対に守るという意思表明だ。オバマ政権の8年間の間に成人したミレニアル世代にとって、特にその衝撃は大きかったのだと思う。
とにかく街に出て集まってまだ世界が変わっていないことを確認しなければいられないほど、リベラルな都市の人々は動揺していたのだ。
● ふたつのカゴとcoalition
ニューヨーク・タイムスのサイトで公開されている出口調査のデータには、分裂しているアメリカがはっきりとあらわれている。
男性の53%はトランプを支持。
女性の54%はヒラリーを支持。
白人の58%はトランプを支持。
黒人の88%、ヒスパニックとアジア系の65%はヒラリーを支持。
29歳以下の人の55%はヒラリーを支持。
45歳以上の人の53%はトランプを支持。
大学を卒業していない白人は67%がトランプを支持。
大卒の非白人は71%がヒラリーを支持。
住む地域による差も目を惹いた。
人口5万人以上の都市圏に居住する人の59%はヒラリー支持。
郊外になると50%がトランプ支持、小さな町や田舎になると、62%がトランプ支持。
プロテスタントその他のキリスト教徒の58%、カソリックの52%、そして白人の福音派教会信徒は81%がトランプ支持。
今のアメリカは「素晴らしい」と思う人の83%、「良い」と思う人の76%がヒラリーに投票。
「あまりよくない」と思う人の55%、「良くない」と思う人の79%がトランプに投票。
次世代のアメリカは「今より良くなっていると思う」人の59%がヒラリーに投票。
「悪くなっていると思う」人の63%がトランプに投票。
アメリカは確かに分断されている。でも、当然ながら、二色にわかれているのではない。
ホワイトカラーとブルーカラー。
莫大な富をたくわえている富裕層、援助なしには生活できない貧困層、その中間のいろいろなレベルの中流層。
都市圏と非都市圏。
同性愛者の結婚は当然の権利だと信じる人びとと、とんでもないことだと信じる人びと。
人種、性別、収入、職種、教育、世代、住む地域、信条など、リアルな断層はいくつもある。
現在の二大政党制、特に大統領選挙は、その無数に分断された有権者層を、無理矢理に赤または青のふたつの大きなカゴに入れる装置になってしまっている。
そして、その違いをさらに際立たせる方向に働いている。
選挙の報道では、政党や候補者がどんなグループのcoalition(連合)を味方につけることができるかということが焦点になる。
オバマ大統領の2回の選挙では、若者やマイノリティのグループといった層を中心に、幅広い層の連合を形成することができた。そしてその連合はかなりの熱をもっていた。
今回、ヒラリーのキャンペーンは、それほど熱のある連合を形成できなかった。
とにかくヒラリーは全方向的に敵が多かったしむやみに嫌われていた。
マイケル・ムーアが「残念だけどトランプが勝つよ」と選挙前にポストしたらしい記事で指摘しているように、予備選でサンダースを熱狂的に支持していた層はヒラリーが民主党候補になったことでがっくりしていて、トランプに投票しないまでも、ヒラリーを熱心に推す意欲はなかった。
反対に、トランプ推し連合のコアにいた層は、圧倒的な熱をもってトランプを推した。
政治家としての経験がないトランプは、21世紀の秩序あるアメリカ政治の世界では言ってはいけないとされていたはずの政治的に正しくない発言をズバズバと投げつけることで、そんな秩序なんかクソ食らえと思っていた人びとに熱狂的に支持された。
オバマ政権の8年間で、マイノリティやLGBTの権利尊重、女性の権利尊重はすっかり当然のものとみなされるようになっていた。アメリカの新しい常識となっていたはずのその感覚を完全に無視するトランプの発言に、一部の、とはいえかなり大きなグループの人びとが溜飲を下げ、それより大きなグループの人びとがそれを容認した。
トランプ推し連合を肉まんにたとえると、中のジューシーな肉にあたる部分が主に白人男性からなる熱いコアなサポーター。そのまわりに、こいつは狂人のようなことをいう下品のような奴だと思いながらも、いろいろな理由でヒラリーよりはマシだと思って投票した層が分厚く取り巻いている。その中には、人工中絶に絶対反対のキリスト教福音右派もいれば、トランプのほうが自分たちの利益を守ってくれるに違いないと感じる富裕層もいる。
オバマのときにオバマ推し連合にくわわっていた労働組合の人々も、今回はトランプ推し連合の肉まん中央付近に流れてしまった。
● ルサンチマン
今回の選挙では、ヒラリーが「エスタブリッシュメント」の代表で、政治家ではないトランプはそのようなエスタブリッシュメントをひっくり返すことができる人物だとトランプ支持者は感じていた。ていうか信じているらしい。
トランプは企業と富裕層に大幅な利益をもたらす減税を公約していて、ヒラリーは富裕層への増税を公約していたのだけれど、トランプ支持者が目のかたきにするエスタブリッシュメントというのはお金持ちのことではなくて、「いまのアメリカを動かしているシステムとその中にいる目にみえて偉そうなやつら」のことだ。その中には、東海岸や西海岸の都市で「ビバ多様性!」とかいっている「進歩的」なインテリやメディアも含まれる。
選挙キャンペーンのラリーに集まったトランプ支持者は、ぞっとするほど熱かった。「ヒラリーを牢獄へ」「メキシコに塀を」「移民はもう来るな」というスローガンで熱狂する人びとを動かしていたのは、エスタブリッシュメントに対するresentment だった。
resentment をひとことで表現できる日本語はない。自分の置かれた状況とそれを作り出している世界に対するモヤモヤした憤り、恨み、不満。
テツガク用語としてやってきて日本に定着している「ルサンチマン」というのが、多分いちばん正確に表しているように思う。
都市にはインド人や中国人が来て高給を取っているのに、自分の住む地域では経済が一向に上向かず、暮らしは悪くなる一方だ。不法滞在の移民には権利が与えられるのに自分たちの生活はまったく顧みられない。わけのわからない奴らだけがトクをして、純粋なアメリカンであるはずの自分たちはないがしろにされている…。この人々が抱いている思いはそんなところなのだろうか。
「アメリカはだんだん悪くなっている」「今の社会は最悪」と実感している、小さなさびれた町に住む人びと、特に、アメリカ社会の中で徐々にマイノリティになりつつある白人男性に、「移民が悪い」「企業に国内で生産させれば景気はよくなる」「ヒラリーのような嘘つきの政治エリートが企業と結託して世の中を悪くしている」とわかりやすい敵を指し示したトランプの言舌は熱い感動を呼び覚ました。
「Make America Great Again(アメリカをもう一度グレートにしよう)」というスローガンに熱狂する人びとを見るたびに、わたしは、ネイティブ・アメリカンの「ゴーストダンス」を思い浮かべてしまった。
白人が突然イナゴの群れのようにやってきてバッファローを絶滅間際まで乱獲し、土地を独占してネイティブたちを狭い居留地に追いやったとき、平原に住んでいた民の間に熱病のように新しい宗教がはやった。鉄砲の弾も通さないというシャツを着て踊り続けることで、白人がいなくなり、バッファローが戻ってくるという信仰だ。
白人男性が無条件に尊敬を受け、女は黙って家事と子育てにいそしみ、黒人やヒスパニックが権利を求めてホワイトカラーの仕事にしゃしゃり出て来たりしない時代のアメリカ、白人男性が女性を「ガール」と呼び、黒人を「ボーイ」と呼んで見下しても誰にも怒られなかった時代、『マッドメン』シーズン1の舞台になった1960年代初期のアメリカを、もしかしたらこの人たちは「偉大なアメリカ」だと思っているのかもしれない。デスパレートなトランプ支持者たちとバッファローの帰還を切実に願ったラコタ・インディアンの民と一緒にしたら、きっとラコタの人びとは気分を害すると思うけれど。
ゴースト・ダンスの信奉者たちの精神的リーダーのひとりだった酋長シッティング・ブルは、熱狂する信者たちを薄気味悪く思ったアメリカ陸軍との衝突の中で殺害された。
「アメリカをもう一度グレートに」の親玉は、国民の約半数の承認を得て(得票総数ではヒラリーが200万票以上上回っているものの)この国のトップに座ることになった。
とはいえ、大平原を覆い尽くすバッファローの群れが帰ってこないように、彼らの夢見る「グレートなアメリカ」もたぶん帰ってこない。
でも、それほどまでに絶望していた人びとが溜飲を下げる機会を得たというのは、この国にとってもしかしたら良いことだったのかもしれない。
グレートなアメリカが帰ってくると本気で期待している人がトランプ推し連合のいったい何%いたのかはわからないが、トランプが掻き立ててしまった熱と憎悪と夢は、トランプが政権を実際に運営していく中で、ゆっくり着地して中道に吸収されていく機会を得たのかもしれない。
あの熱い人々の不満が、都市圏のリベラル人口に中指を突きつける機会を得て、国全体の対立が中和していくためのきっかけになった、のだといいのだけれど。
いずれにしてもあらゆる分野で長くて憂鬱な衝突がたくさん起こるのは必至だ。
トランプが発表しつつある人事をみても、リベラル側から見るといまの体制をかなりの部分「逆行」 させる気まんまんの面々がそろっている。
規制緩和、大型減税、インフラ投資、貿易規制強化でレーガン時代のようなカラ景気を呼び込むという公約で、実現すれば肉まんの真ん中の人々にとっても長期的な利益になるとはとても思えない。
● デプロラブルの壁
9月、ヒラリーは支持者(コアな支持グループであるニューヨークのLGBTコミュニティだった)のファンドレイジングイベントで、ついうっかりこんなことを言ってしまった。
“You know, to just be grossly generalistic, you could put half of Trump’s supporters into what I call the ‘basket of deplorables.’ Right? The racist, sexist, homophobic, xenophobic, Islamophobic — you name it. And unfortunately, there are people like that, and he has lifted them up.”
「ごく大雑把なくくり方をすると、トランプ支持者の半分は、わたしが『デプロラブルのカゴ』と呼ぶカテゴリーに入れて良い人々だと思います。そうですよね? レイシスト、性差別主義者、同性愛を嫌悪する人、外国人恐怖症やイスラム恐怖症の人など。残念ながらこういう人たちは存在します。トランプはこういう人たちを持ち上げてしまったのです」
そして、残りの半分のトランプ支持者は「政府に取り残され、経済に恵まれず、誰にも顧みられることない人々、彼らの生活や将来については誰も案じてくれず、絶望的なまでに変化を必要としている人々」だとして、「彼らに対しては理解と共感を持つべき」と自分の支持者に向かって訴えた。
デプロラブルというのは「嘆かわしい人たち」というほどの意味で、「どうしようもないクズ」「手のほどこしようのないカス」を上品に言い換えた言葉だといって差し支えないと思う。
この発言が大炎上した。
トランプは「うちの支持者をデプロラブルと呼ぶとは何事だー!」とここぞとばかりに攻撃し、トランプ支持者は
「わたしはデプロラブル」
と誇らしげに宣言するTシャツやバッジやプラカードを身につけて集会に参加するようになった。ヒラリーはメラメラと燃えるルサンチマンにガソリンをまいてしまったのだ。
ヒラリーの発言は、マーケティング目線だ。
「この層の人びとはうちの商品に興味を持つことはありません。わたしたちがターゲットにするべきなのは、こっちの層の人びとです」という、ごく簡単に図式化して考える方法。
「残りの半分に理解と共感を持つべき」という言葉も、恐ろしく上から目線なのだ。少なくともそこには共感は感じられない。
この発言は、でも、豊かな都市に住むリベラルな人々には、そのまますんなりとスルーされてしまう。
都会のリベラルにとって「山の向こうの頑固で蒙昧な人々」は理解しがたいグロテスクな存在だ。
もちろん逆も真なりで、平原の小さな町の信仰篤い人々は、都会のリベラルを堕落した気味の悪い有象無象の存在だと思っていることだろう。
リベラルな都会の人々と反エスタブリッシュメントな田舎の人々の間には高い壁があって、壁の両側でお互いをバカだと思っている。
今回の選挙は、その壁をいやが上にも高く、厚くしてしまった。
「多様性」「政治的正しさ」というのはイデオロギーではなくて自明の選択だと思ってきた人たちは、国民の半数の無理解と、暴言を容認する無関心を実感して、理解を阻む気味の悪い壁の前で呆然としている。
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