2014/07/17
文芸翻訳者の使命 <IJET その5>
6月にIJETで参加したセミナーの報告、続きです。
<翻訳者は何ができるか、何をすべきか> 越前 敏弥さん(文芸翻訳者)
2日目の午後に参加した、楽しみにしていた講演。越前さんはダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』の翻訳者さんで、ダン・ブラウンものをはじめミステリーの訳書をたくさん出版されています。
翻訳業20年目という越前さんは、1994年から翻訳の勉強をはじめ、翌年に初の訳書を出版。2004年の『ダ・ヴィンチ・コード』の大ヒットを機に専業になられたとのこと。
『ダ・ヴィンチ・コード』は単行本と文庫本がのべ1000万部を超えるというあり得ないほどのモンスターヒットでした。現在では文庫でも初版1万部を切ることもあると聞きますから、それはそれは気の遠くなるような数字です。そんなヒット作を持つ翻訳者として、越前さんが出版翻訳の世界を牽引する責任を感じ、後進を育てるだけにとどまらず、読者をも育てようとしている、真摯な姿勢が理解できたセミナーでした。
出版翻訳の現状は、どこでも聞くことですが、厳しいものです。(翻訳物に限らず出版全体ですが)
15年前は文庫1冊の定価が700円で印税は8%が普通で、初版発行部数は2万部。単純計算で110万円くらいの印税収入だったそうです。
現在では定価が平均900円で印税は7%、発行部数は平均12,000部となっているので、これを計算すると67万円ちょっと。
1冊を訳すのにはどうしたって平均3ヵ月はかかります。重版がかからなければその3ヵ月の作業に対する見返りは、それだけ。月割にして20万円台??
厳しい現実です。定価や印税率などの要素は翻訳者には変えることができないので、唯一、影響を持つことができる発行部数に働きかけるしかない、と、売れる部数を伸ばすため、読者獲得のために、越前さんたちは色々な努力をしているそうです。
まず、翻訳にはスキルが必要であることを伝え、一般に理解してもらうように努める。
そして、「謙虚になりすぎない」。読者がいるところでは絶対に翻訳について謙遜してはいけない、 と越前さん。
人の誤訳/悪訳を公の場で叩かない。これは業界内の足の引っ張り合いになり、全体として良くないということなのでしょう。
また、質の低下に加担しないこと、そして、多少無理をしてでも締め切りを守り、たとえばシリーズものの刊行ペースを維持して読者の期待に応える、なども信条とされているそうです。
求められるスピードは出版翻訳の世界でも加速しているようです。
版元の要望する出版日に間に合わせるために、原書で300ページある作品を5人の下訳チームに割り振り、越前さんが監訳の作業を数日間で行なって、5週間ほどで納品したというケースも紹介されていました。これもチーム翻訳で、やはり用語統一のためにはGoogle Docを使ったそうです。
『ヘルプ 心がつなぐストーリー』の翻訳は、それほどの短時間ではありませんでしたが、やはり出版決定から入稿まで3ヶ月もなかったので、下訳担当が2人でそれぞれ担当した部分の訳をGoogle Doc に上げ、メイン翻訳者の栗原さんが見直すという体制で、用語はエクセルの表をGoogle Docに上げて同期しながら使っていました。懐かしいです。昼間別の仕事があったので、夜間と週末とランチブレイクまで完全に潰れた3ヵ月でしたが、登場人物と向き合い、文字を通して声を聞くのがとても楽しくて、仕事から帰ってきてコンピュータをひらくのが待ち遠しい毎日でした。
(越前さんのブログで、以前に『ヘルプ』のご紹介もしていただいたのでした。本当に嬉しい記事でした)。
さて、越前さんたちが牽引している読者獲得のための運動は、「翻訳ミステリ大賞」 の創設や、全国各地の読書会、小学生を対象にした翻訳文学の感想文コンクール、その他イベントなど。
本が「売れない」と言わないこと、も翻訳者に呼びかけているそうです。
売れない売れないと言っていても何もならないし、ますます出版全体のイメージが停滞してい見えてしまうので、ほんの少しでも本を読んでもらうための仕組みづくり、本が読みたくなる仕掛けづくりをするという姿勢。
人がものを学ぶのは「視野を広め、みずからを相対化するため」。そして翻訳という仕事は、「海外文化の受容をしやすくして、客観視、相対化の一助となること」だと言う越前さんは、ご自分の「使命」として文芸翻訳に淡々と取り組む、守護天使のような役回りを買って出ているようです。
最後に、奇しくもこの講演の日の前日に亡くなった翻訳家の東江一紀さんの業績を讃えていらっしゃいました。 「小骨のない翻訳」のお手本を示してくれ、越前さんが駆け出しの時から支えてくれた、恩師であったそうです。東江さんの築いた「翻訳道」を後進に伝えて行くのが自分の使命、と淡々と語る言葉の真剣さに心を打たれました。
2014/07/16
翻訳者のためのウェブマーケティング <IJET その4>
6月21日~22日に開催されたIJETで参加したセミナー報告&感想の続きです。
1日目の終わりには立食パーティー式のディナーが用意されていて、ここでも世界各地から参加している日英・英日の翻訳者さんとお話しができ、 楽しかったです。
ケーキは25周年だというIJETおめでとうの飾りつき。さすが日本のケータリング、ちゃんとしたふわふわスポンジの生クリームケーキで、ついお代わりをしてしまいました。
ランチや夕食のときにちょこっと話をした米国人のワカモノたちは、JETプログラムで日本に来ている子が多かった。英語を教えるだけでなく、日本の官庁や大学で働いている子も何人か。
どうして日本語に興味を持ったの?と聞いてみると、子どもの時からANIMEが好きで、という子が半分以上でした。クールジャパン(笑)! 高校時代に日本語のクラスを取ったのが日本語を学んだ最初だったという人が、ほとんど。
いや、うちの子どもも含め、半端にバイリンガル環境で育った子たちよりも、高校や大学から日本語を学んで、日本語が好きになっちゃって大変な勉強をして身につけたという人びとのほうが、ずーっときちんとした日本語を身につけていたりするんですよね。
社内通訳・翻訳者として米国中西部の日本企業で働いているアリソンさんという若い白人女性は、日本語も英語もアナウンサーのようにとても綺麗な発音でしたが、東京オリンピックの年までにフリーになって通訳で来たい、と言ってました。きっと彼女なら実力を磨いて成功するに違いない。楽しみです。
<フリー翻訳者のためのウェブマーケティング> 平原憲道さん(企業家、RDシステムズ・ジャパン 代表)
さて2日目のプログラムで参加したのは、ウェブサイト運営に関する講座で、講師はウェブサイト開発などを専門とする平原さん。
独自サイトを持つ利点はたくさんあるけれど、個人サイトが失敗する要因の大半は、更新が進まないことが原因。そして更新が進まない原因は、多忙であること、作業が複雑であること、技術の利用が難しい、という3点だ、といいます。
ではどうすれば良いか? 更新を超簡単にする秘密兵器が、CMS(Content Management Systems)。
何が優れているかというと、コンテンツ管理とパブリッシュ(書き出し)がハッキリと分かれた構造になっているので、そのままモバイル版にもできるし、サーバーやドメインの引っ越しの時にもコンテンツをまとめてさっと別のプラットフォームに載せることができる、更新も簡単、と良いことずくめ。
そんなに便利ならすぐ使おう、とメモを取っていましたら、CMSってWordpressやDrupal のことだった。 そ、それは…もう使ってました… orz...。 別ブロクの自己ドメインのサイトはワードプレスを使用中です。全然使いこなせてないけど。しかも更新がめっちゃ滞ってるけど… (;・∀・)。
そしてDrupalは、6年くらい前に、前いた会社のウェブサイト作成の時にデザイナーに勧められてちょっと使ってみたのでした。
Wordpress、Drupal と並ぶ第3のCMS、Joomla というのは初めて聞きました。おもにEコマースのサイトでよく使われているそうです。
ワードプレス、もっと勉強しよう…いやホントに。と肩を落とした講座でした。
2014/07/14
翻訳者チームで仕事をするという可能性 <IJET その3>
6月21日~22日に開催されたIJETで参加したセミナー報告&感想の続きです。
<チームアプローチ101:今日からやってみよう!ソースクライアントから受注しチームで「良い」仕事をするための7つのヒント> 小林一紀さん (翻訳者、有限会社エコネットワークス代表)
これは1日目の最後のコマのセミナーでした。
一昨年サンディエゴで行なわれたATA(アメリカ翻訳者協会)のカンファレンスで参加したセミナーの1つに、アメリカ人とドイツ人の英独翻訳者コンビによるプレゼンテーションがありました。
その2人の翻訳者はそれぞれ英>独、独>英の翻訳とチェックを分担しあって、翻訳だけでなくチェック・編集校正も込みの「完成品」として納品する体制を作っているという内容でした。信頼できるチェッカーと常にコンビを組むことで品質も管理でき、不明点を互いにすぐ問い合わせることもできるので安定したクオリティを提供できるという良いことずくめの内容で、たしかにこれができたら理想かも、と思って聞き、それ以来、フリーの翻訳者同士でチームが組めたらいいなと漠然と思っていました。
今回の小林さんのプレゼンテーションは、まさにそうした理想をかなりの規模で実践しているケースの紹介でした。
小林さんのチーム、「エコネットワークス」にはのべ100名の翻訳者や各分野のフリーランサーが登録し、そのうち常時30名ほどが稼働、年間80万字/語を処理しているそうです。 一点に利益を集約する「会社」ではなく、最初から協同作業のみを目的とする「チーム」を作るというスタイル。
翻訳者にとってはエージェント経由よりもソースクライアントから直接受注のほうが断然単価が高くなり条件が良くなりますが、1人ではこなせる量も得意分野も限られている。それをチームワークでカバーするというモデルです。
実践の役割分担では、仕事のできる人に負担が集中してしまう、苦手な作業を振ってしまったために全体としてロスが出る、などのリスクを避け、徹底的に互いに負担を減らしあい、それぞれが得意な作業を組み合わせて補いあうことを目指しているそうです。
そのために必要なのは信頼とコミュニケーション。この時間帯はできる、このくらいできる、というキャパシティやライフスタイルのプロフィールを共有しあっているといいます。
報酬は字数(ワード数)あたりの基本レートに加えて、プロジェクトのマネージメントなど翻訳作業以外の作業に対してはプロジェクト終了後に「付加価値ファンド」という形で還元する形をとっているそうです。また、クライアントからのフィードバックも共有しているとのこと。
コミュニケーションに使っているツールは特別なものではなく、進捗状況を毎日メールで連絡しあうほか、進行中の用語統一やグロッサリーなどは、Google Document、Skype、Drop Boxで共有。
セキュリティ上格別の注意が必要なクライアントの書類は有料のアマゾンのクラウドを使用しているそうです。
10万字の報告書英訳を12名のチームで数週間で行なうという離れ業も、この体制で完遂できたとのこと。専任コーディネーターがいる翻訳エージェント以上の処理能力。凄いです。
私も、これまでに大小様々なプロジェクトで翻訳者さんと協同作業をさせて頂いたことがあり、その際に使ったのもやはりGoogle Document とDrop Box、それからTradosでした。
エージェントから翻訳だけ、チェックだけ、と縦割りで仕事を振られて、自分の担当した翻訳にどうチェックが入ったのか、あるいは編集した翻訳が最終的にどのように納品されたのかが見えないと歯がゆい思いをすることが多々ありますが、フリーの翻訳者さんと同じ立場で訳文をチェックしあったり、チェッカーと翻訳者が直接情報をやりとりできると、そのプロジェクトへの意識や責任感も強くなりますし、個々の訳語だけでなく訳文理解についても細かな情報を共有でき、品質面でより良い結果が出るように感じます。
エージェントのコーディネーターは忙しいので、フィードバックは余程のことがないと来ないほうが普通です。最終クライアントともっと密にコミュニケーションが取れればより細かに要望を汲んだ翻訳ができるのに、と残念な思いをすることもしばしば。もっと言えば、どのようなメッセージを誰に向けて発したいのかを直接最終クライアントの担当者に確認して、その表現の方法についても提言ができたら良いのに、と思うこともあります。
小林さんのチームではクライアントとも単なる発注/受注の関係ではなく、対等なパートナー関係を目指しており、チームのキャパシティをクライアントと共有したりもしているそうで、大変魅力的なモデルです。
お話を聞いていて感じたのは、チーム内、そしてクライアントに対しても大前提としてオープンなコミュニケーションへの姿勢と互いの信頼がなければならないということでした。コミュニケーションに対する姿勢をチーム全体で共有するためのシステムづくり、ということにも力を注いでいらっしゃるのが伝わってきます。
こうした有機的なネットワークによる仕事の仕方に、それこそ翻訳者サバイバルのための可能性がかかっているのではないかと思わされました。
2014/07/13
技術的特異点と翻訳者のサバイバル <IJET その2>
IJETで参加したセミナーのメモ、つづきです。
<世界で生き残るために翻訳者がとるべきコラボレーション戦略> 齋藤 ウィリアム 浩幸さん
1日目3コマ目は、日本人の両親を持ってアメリカで生まれ育ち、ごく若い頃からエンジニアとして大成功した斎藤ウイリアム浩幸さんのセミナー。日本語での講演でした。
指紋認証システムを開発して成功し、その会社をマイクロソフトに売却した後は後進のための環境作りを目指して日本に拠点を移し、日本国のIT戦略コンサルタントとして活躍中という華々しい経歴のハイパーエンジニア。講演の後でいただいた名刺は内閣府本府参与、科学技術・IT戦略担当というものでした。
直接翻訳とは関係ない部分で、大変にエキサイティングな内容のセミナーでした。
話の中核は技術革新がいかに急速に進んでいるかということ。たとえば、現在では市場に行き渡っているスマートフォン1台のほうが、10年前のホワイトハウスのコンピュータの処理速度よりも速いとか。
めくるめく技術の世界を吉本の芸人さんさながらのテンポで次々に紹介してくれるので、まるでジェットコースターに乗っているような気分にさせられるプレゼンテーションでした。
トランジスタ、通信、ストレージ、センサーはいずれ「タダ」になる技術であること、ホットなトピックはやはり、ビッグデータ、ソーシャルネットワーク、モバイル(ウェアブル)技術、センサー応用、サイバーセキュリテイ、3Dプリンター、「モノのインターネット」であること、そして技術的特異点(シンギュラリティ)についての予測など。
人工知能が人間の脳の能力と同等になる時期というのは、早い予測では2030年、あとわずか15年。さらに、1台のコンピュータが地球上の全人類の脳を合わせた以上の能力を持つようになるのが2045年だという予測もあるそうです。この20年間のコンピュータの普及、インターネットの出現と普及、技術上の「ドッグイヤー」の加速を考えれば、充分に可能性があることと納得できます。
それは「もしかしたら」ではなく、遅かれ早かれ確実に、21世紀中に実現するだろう技術。
その時いったいどんな社会が出現するのか、誰にも見当がつかない、と齋藤さんはいいます。これほど最先端を知りつくしている人が、わからないと。
ヒトよりも賢くなったその時、コンピュータは人を幸せにするのか不幸にするのか。富の偏在を加速させるのか、是正するのか。現在ある仕事のほとんどが不要になるとしたら経済はどうなってしまうのか。社会の変化はスムースに起きるのか、あるいは世界戦争のような災厄的なイベントの引き金になるのか。
生きている間にとてつもない変化を見ることになりそうだという予感が、このセミナーを聞いていてますます強くなりました。
先日のマイクロソフトの「スカイプ翻訳」の発表の際にも感じたのですが、翻訳業界では意外なほど技術に対する危機感が少ないようです。技術的特異点を待つまでもなく、言語サービスが職業として成り立つのはあと10年か15年くらいじゃないかと、私はごく漠然と感じます。
たしかに現行の機械翻訳はまだ実用レベルではなくて編集に余計な手間がかかるくらいですが、精度が上がっていくスピードは現在想像できる以上に早くなる気がするし、自動通訳機械みたいなものは恐らく10年くらいでかなり普及レベルになるんではないかという感じがします。
だから正直なところ、通訳翻訳業はこれからの若い人に薦められる職業ではないと感じています。
村岡花子さんが活躍した20世紀は翻訳の時代だったけれど、21世紀は人工知能の時代。情報のやりとりももっと速く、データはもっと膨大になっていく。
21世紀後半には人間という存在の捉え方そのものが変わるだろうなと思います。
そこへの移行がどのくらいゆるやかに、または急激に進むのか、固唾をのんで見守るしかありません。
で、そんな世界で「生き残るために翻訳者がとるべき戦略」はというと、結局はテクノロジーの動向から目を離さずに取り入れながら、(今のところ)ヒトの力でしかできない事に能力を特化していくこと、でしかない、というのが結論のようです。
ルーティン・ワークやマニュアルでこなせる単純な仕事は加速度的に消滅していく世の中で、最後までヒトでなければできない仕事は何か。市場に何が提供できるか。
それを常に点検していかねばならない。市場のルールと需要は年ごと、いや日ごとに変わっていくでしょう。
これはどの業界でも同様なのだと思いますが、きわめて深刻で難しい課題です。
にほんブログ村
2014/07/12
赤毛のアンの時代と翻訳業界の展望 <IJET その1>
今回の帰省の目的のひとつは、JAT(日本翻訳者協会)が主催する「IJET」(International Japanese-English Translation Conference 、国際英日・日英翻訳国際会議)に参加することでした。
6月21日&22日の2日間に東京ビッグサイトで開催されたカンファレンスには約600名の参加者があったそうで、想像以上に充実したイベントでした。行ってよかった。
以下、参加したセミナーのメモ&感想を忘れないうちに。
別ブログに書こうか迷ったのですが、東京日記の続きとしてこちらのごった煮ブログに掲載することにしました。
シアトルご近所の皆様、業界話がしばらく続きます。すみません。
< 村岡花子 『赤毛のアン』翻訳に託した未来への希望> 村岡 恵理さん(作家)
第1日目の最初のプログラム、基調講演はNHKの連ドラ『花子とアン』の原作者で、『赤毛のアン』などの翻訳で時代を切り開いた翻訳家、村岡花子さんのお孫さんである村岡恵理さん。大ホールでの講演でした。
貴重な写真を交えて、朝ドラの脚色とは少し違う本当の花子さんの実像を紹介。『赤毛のアン』は最初は『窓辺に座る少女』(だったか?)という、全く違うタイトルだったというエピソードや、花子さんの死後、文箱の中から見つかった恋文の束(妻のあった村岡氏との恋愛中のもので、びっくりするほど情熱的な内容だったそうです)の話など。
もっとも印象的だったのは、花子さんは何度も『アン』の舞台であるプリンスエドワード島へ行く機会があったのに、その度に何かしら家族の事を優先させて、結局一度も行くことはなかった、というお話。
戦争中、カナダ人宣教師からもらった『アン』の本を憲兵の監視の目から隠れて訳し続けた花子さんは、実際に行ったことはなくてもプリンスエドワード島をもう充分に見ていたのでしょう、と恵理さんは淡々と語っていましたが、聞いていて危うく大泣きしそうになりました。
また、なぜ日本ではこれほど『アン』が人気なのかとプリンスエドワード島の人から聞かれるのですが、というカナダ人翻訳者の質問に答えて、戦後、それまでの抑圧体制が一転し、女性が参政権を獲得し、どんどん変わって行こうとしていた日本の社会に、『アン』のポジティブで明るいキャラクターがぴったり合っていたのでしょう、と答えていたのも、ストンと響きました。
翻訳家が文化の紹介者であり、時代を引っ張っていく探照灯のような役割を担っていた時代。明治から戦後数十年間までは、そういう時代だったんですね。
<翻訳業界の未来とそのなかで翻訳者がとりうる道> 井口耕二さん(翻訳者)
1日目の午後一番は井口耕二さんの「翻訳業界の未来とそのなかで翻訳者が取りうる道」というセミナーへ。
このセミナーは録画/録音しない方針ということもあってか、大教室が立ち見も出る盛況でした。
翻訳者399名へのアンケート調査を基にしたデータを分析して業界動向を探るというもので、録画を公開しない方針ということですので詳細にご紹介するのは控えますが、年収やレートの平均値や中央値、最頻値など具体的な数字をたくさん挙げたプレゼンテーションで、大変興味深いものでした。
前前年度と比較して収入が減った人と増えた人が2割ずつというのも面白い結果だと思いました。
翻訳単価はたしかに市場の一端では値崩れしているけれども、一方では年間1000万円以上の高収入を維持している翻訳者さんもあり、今後は明暗がよりくっきりしていく傾向なのかなという印象を受けました。
市場イメージ図をコストと品質のマトリックスに描いてみると、大半の翻訳者は壺のように真ん中が厚いぼってりとした形で分布していて、コストの高い人びとがXY軸の右上のきゅっと上がったところにいる感じ。
値下げ圧力に屈してしまうと、その単価に見合った仕事をする、品質が落ちてまた値下げになる、というスパイラルに陥ってしまいかねない、という指摘はもっとも。
収入を上げていくには単価を上げるか速度を上げるかなわけですが、交渉して単価が上がったは良いが仕事量が減るという確率が高いので、収入の中心となっている仕事の発注元に急に単価交渉を持ちかけるのはリスク。
新しい発注先を得たらそこの単価を最初から高く設定するようにして、そちらが安定してから既存顧客との交渉をしては、というのは的を得たアドバイスだと思いました。
2014/07/10
日本のたべもの:キルフェボンと枇杷
東京でたべたものシリーズ。
可愛いマダムお二人に連れていってもらったフルーツタルトの店、「キルフェボン」のいちじく/白桃/佐藤錦のタルト。
このお店は今回初めて知りましたが、なんか全国津津浦浦にある人気店だそうですね。
もちろんおいしかったんですけど、日本の旬の果物は、何もせずそのまんま食べるのが一番おいしいと思う。
特に佐藤錦タルトについては極めて遺憾ながら一同、思いを同じくいたしました。そのまんま食べたほうがたぶんずっとおいしい。
タルトとかパイにするのはむしろ、酸味の強い素朴なアメリカンチェリーなんかのほうが合ってると思います。
白桃はまだ出回っていなくて、そのものずばりをいただくことができませんでした(悲)。
枇杷は八百屋さんの店先でみかけて即買い。 何年ぶりだったか。懐かしい。
初夏の色ですねー。
2014/07/09
日本の食べもの :ポン・デ・ライオンと完熟トマト
とりあえず日本でまっさきに食べたものは、ミスタードーナッツの「ポン・デ・なると金時」と「ポン・デ・抹茶」でした。もちもち~。
ロハスでお洒落な「はらドーナツ」には行く機会がなかったけれど、ミスドには駅からバスに乗って帰るたびに毎回必ず寄り、弟(40代独身)にもノルマを強要してドーナツを食べ続けたのでした。だってポン・デ・ライオンが100円セール中だったし。
それでも3週間の滞在ではミッフィーちゃんのお皿がもらえるサービス券(300円で1枚)8枚に届かず。6枚しか貯まらなかった。無念。やっぱりコドモがいないと消費量に限界がありました。
600円分のドーナツを消費して残り2枚をゲットするよう弟(40代独身)に命じて帰ってきたのだけれど、果たして弟はミッフィーちゃんをちゃんと入手しているでしょうか。心配です。
スカイツリーの下を通ったらこんな店もありました。ポン・デ・ライオン専門店であるのか。気になったものの、入りませんでしたが。
ポン・デ・ライオンはともかく、本当に普通のものが本当に異常なまでにおいしい!と毎回帰国のたびにマックスで感動します。
今回はトマトと豆腐、卵などの基本食材にまた改めて激しく感動しました。
シアトルで(ハワイでも同じだった)完熟トマトといったら、この1種類がデフォルトです。
これって品種名も特に書いてなくて、ただ「vein ripe tomatoes」として売っている。全米で流通してるのでしょうか。
アメリカに最初に来た20年近く前、「トマト」として売られているもののあまりのまずさに驚愕しました。だって中がジャリジャリで、食感がトマトではない。そしてまるで味がない。まるで壁紙かなにかを噛んでいるかのような味気のなさ。
たしかにサンドイッチやバーガーにはさむには切りやすくて便利かもしれないけれど、こんなものを食べることに何の意味があるのかと頭をひねるほどのまずさ。それはもう「赤くて丸い=トマト」という記号でしかなく、作物とも食べものともいえないように思われました。
ちょうどそのころ、マクロ経済101という大学1年生用の講座を取ってたのですが、講師の先生が何かの余談として、トマト収穫の作業者たちが一斉にストライキをして賃金が上がったために、生産側はトマトの品種改良をして、機械で収穫できるようにしてしまったのだという話しをしてました。それが本当なのかどうかは今に至るまで確かめてませんが、その時、なぜアメリカの野菜がそれほどまでにまずくて記号的でしかないのかが理解できた気がしました。
それから数年たって、ようやくこの↑↑↑「完熟トマト」がマーケットに出回るようになり、ああやっとアメリカでもちゃんとしたトマトが売られるようになった!と喜んだのですが、最近ではむしろ、機械で収穫できそうなジャリジャリのトマトはほとんど見なくなった気がします。少なくとも私がいつも行くシアトル市内のスーパー数軒ではみかけません。
と、書いたところで気になって近所のスーパー「バラードマーケット」に確かめにいきました。
上の「vine-ripe」完熟トマトのほか、イタリアのロマーノ種とチェリートマトがあって、それから、
この3種類。右上は最近見るようになった黒っぽい色のプレミアムトマト「KUMATO」。これは日本の野菜みたいにパッケージされていて、4個か5個入りで400円か500円相当。たしかに糖度が高くておいしいけれどもお値段がはるのであまり買いません。
左上は夏場だけ出回る「エアルームトマト」。形も色もバラバラで、ものすごくひねくれた形だったり、虫食いの穴があったりする。近い産地のものが多いようです。
そして手前は、これも最近見かけるようになった「スライス用トマト」。サンドイッチやバーガーにちょうど良い大きさの完熟で、水栽培で作られてるらしい。
やっぱりジャリジャリの機械化トマトはありませんでした。あれはさすがにもう過去の遺物だと思いたい。
かように最近アメリカでもトマトのチョイスが増えてはいるのですが、日本に行ってみたら、ちょうど旬のトマトの種類の豊富さとおいしさはまったく比較になりませんでした。
日本のスーパーや八百屋さんに並ぶトマトは種類が多くて、すべてがプレミアム。どのトマトも「完熟」というジェネラルな呼び名なんかじゃなく、ちゃんと名前がついてました。
「麗夏」という、ピンク色に近い上品な色のトマトを買って食べたら、繊細な甘さがおいしかった。
シアトルは食に関しては、地元の食材が比較的安くたくさん手に入るという点で米国のほかの地域にくらべてずっと恵まれていると思うけれど、日本の野菜の平均的な味の濃さと繊細さ、そして完璧なまでの美しさ !はまったく別世界。日本の野菜売り場の美しさにはため息がでます。アメリカの高級スーパーのプレミアム野菜だって、西友や京王ストアの普通の野菜に味も見た目もかなわないでしょう。
日本では車だけでなく、野菜も普通にピカピカです。
ハワイでもシアトルでも、スーパーに並んでるパックのいちごに1つ2つカビが生えてるなんて日常茶飯だし、レタスの外側は虫くったままだし。それで当たり前。完璧さを野菜に求める消費者はいません。
日本の市場ってすごい、ていうか消費者の要求のレベルの高さはすごい。
卵を割ってみても、黄身の色の濃さにびっくりでした。普通にスーパーで買った卵が、こんもりした綺麗なオレンジ色の黄身で、日本の卵ってこんなだったっけ、とちょっとショックを受けたくらい。
特に超プレミアムというわけでもなく、値段的にも、いつもシアトルで買ってる「ケージフリー(平飼い)」の一番安い卵(1ダース300円前後)とほぼ同じでした。
アメリカの食品はたしかに全体的には安いけれど、それはジャリジャリトマトとか何の肉だかわからない加工食品とかの大量生産しやすい食品の話であって、クオリティを入れて考えたら、日本の食品のほうがかなりお安い、と思う。
日本のマーケットって、なんでもスタンダードがやたらに高くて、なんでもけっこう安く手に入る。その分、べらぼうに無駄も多く、どこか目につかないところでその埋め合わせがされているのかもしれません。でもとにかく消費者にとってはこれほど選択肢が多くて恵まれた国って、きっと世界のどこにもないに違いないと思います。
にほんブログ村
登録:
投稿 (Atom)