というわけで、シアトル名物
アンダーグラウンド・ツアーに行ってきました。
パイオニア・スクウェアの、このオレンジと青の建物が出発地点です。
まず、19世紀の酒場を再現した重厚なカウンターのある部屋で20分ほど、シアトルの町の出来た当時の人びとのことや、どうして予定外の地下街ができたのかの説明をききます。
それから20人くらいのグループに分かれて、アンダーグラウンドへ。
土曜日で春休み期間だからか、ツアーは結構な盛況でした。
19世紀なかば、一山当てようと今のシアトルにやってきた「町の父」たちは、みんな中西部の出身だったので、海には潮汐があるというのを知らなかった(というのがツアーのお兄さんの説明ですw)。のでみんなして、ピュージェット湾に向かって海岸線ぎりぎりに町を作ってしまった。
だから満潮の時間になると、あらびっくり、トイレが(当時、水洗トイレが爆発的に普及しはじめていた)逆流して「
まるで間欠泉」のように下水を噴き出し、おがくずを敷いた道路にドロドロと流れ出してもうそれはそれは大変な光景だったとか。
そこへ、1889年、大火事が起こって、当時のシアトル中心街だったこの地域25ブロックをすっかり焼き払ってしまいました。(奇跡的に死人はなかったそうです)
復興に取りかかる際に、もうトイレが逆流する事のないよう、町を
上げ底にすることが決定されたのでした。このあたり30ブロック近くをそっくり持ち上げるという大工事、ずい分思い切った都市再開発です。よほど「間欠泉」に懲りていたのでしょうね。
海岸近くで8フィート(約2メートル半)、建物の1階分、地面を持ちあげるという計画でしたが、いかんせん19世紀のこと、工事には時間がかかる。
道の両側にまず煉瓦壁を作り、その中を埋めていくという気の長~い工事で、商店主たちは何年もかかって道が出来るのをのんびり待っているわけにいきません。で、もとあった場所に(今度は焼けないように煉瓦で)ビルを建てて、営業を始めます。
そのうち数年かかって道が出来てくると、いままで1階だった各ビルの1階正面入口は地下に埋もれてしまいました。
道路とビルの間にあった歩道の上をふさぐ橋のような形で新しい歩道ができ、下に取り残された旧歩道は何の役にもたたない地下迷宮になったのだそうです。
こんな階段を下りていくと、昔の歩道とビルの正面入口だった1階が、
こんな感じで現れます。道ができて歩道にフタがされた後は、長年ほったらかしにされてネズミの王国になっていたようです。
ツアーは、あちらこちらのビルや道の入口から地下道に入って、
ひょっこり煉瓦の路地裏に出て来ます。
ガイドのお兄さんはとってもエンターテイナーで、火事の始まったわけとか、上げ底道の建設途中の町の様子を面白おかしく話してくれたので、歴史には毛ほどの興味もないうちの17歳男子も興味をもって聞いてました。
頭上は現在の歩道。ところどころにこんな明かり取りのガラスもはめ込まれているから、地下は全く廃墟にしてしまうつもりでもなかったのでしょうね。足の下にこんなアンダーグラウンドワールドがあるとは、この上を歩いていても全然気づきません。
地下にいる間に気になって仕方なかったのは、
今地震が来たら超無理…ということでした。どうみても耐震構造にはなってない、煉瓦壁に支えられた歩道。
2001年のM6.8地震ではいくつかのビルの壁などが崩れた程度でしたが、それより大きな地震がきたら、この地下道はかなりまずい場所のはず…。
この地域は労働者のための安宿、娼館、飲み屋が集合していたので、それこそアンダーグラウンドなエピソードが豊富なようです。
そういう逸話を聞かせてくれる、21歳以上限定・大人のための
『アンダーワールド』ツアー(カクテル付)もあり。これも面白そう…。