2019/07/28
白骨温泉
5月末、上高地の前夜に行った白骨温泉。
宿泊客はほかに3組くらいでした。
温泉はシーズンオフに限りますねー。
山あいの温泉郷。両側に山が迫っています。
白濁したお湯の硫黄泉で、「3日入れば3年風邪をひかない」そうです。3日間つかっていたかった。時間がたつと炭酸カルシウムが分解して水中の浮遊物となるためだそうで、お風呂のふちに鍾乳石のように堆積してました。
朝のお湯は、夜はいったときより透明だった。
投薬のために免疫力が落ちているので今回の日本では銭湯も温泉も控えていたのだけど、ここはかけ流しで他には数名くらいしかお客さんがいなかったので、ゆったり楽しめました。
空も飛ぶし海にも潜る、たぶん日本一フットワークが軽いのではないかと思われるハイパー美人通訳、グレープMさんが探してきてくれたこのお宿。
あちこちに生けてあるお花が、山里らしい風情があって品よく素敵でした。いけばなのことはぜんぜんわからないけど、絵になっている。
グレープMさんとはさいきん毎回帰国のたびに不思議な場所で秘密会議を開催しています。
今回も夜更けまで密度の濃い話がきけて大収穫。わたしばかり得をしているのではないかと思う。
山の幸のお献立。飛龍頭と胡麻豆腐がおいしかった。
岩魚塩焼きーそしてきのこがおいしい。
朝ごはんにも魚と温泉卵ー。これにさらに湯豆腐がつきます。温泉はいっておいしい朝食。天国か。
幸せな山の温泉でした。
2019/07/26
上高地 その2 明神池とコーヒー
梓川の橋をわたると、わりとすぐに明神池があります。
池への道の入り口に穂高神社の鳥居が立っている。
なぜ菊の御紋がついているのだろう。
神社小百科サイトを見てみると、神社の紋というのはとくに決まりはないらしく、伊勢神宮も明治になってから菊の紋を神紋としたそうです。
国家神道寄りの神社ってことなのかな。
とてもこじんまりとしたお宮。明神池のむこうに山を遥拝する奥宮です。
このお宮があるだけなのかと思ったら、ちゃんと社務所があって神社の人がいるのでちょっと驚いた。御朱印も出してるしここで祈祷も受付けてるそうです。てことは神職さんが通ってきてるのか、夏の間ここに常駐してるのですね。
おお、この狛犬さんは下界の穂高神社のあの戦闘系狛犬さんと同じ!
でもなぜか、環境のせいかな、こちらのほうが柔らかく見える。
この桟橋にもやってある船は遊覧用ではなく、御神事に使われる船でした。
池についた途端に、本格的に雨が降ってきました。
バスターミナルのあたりはあんなに人が多かったのに、そこからほんの小一時間の明神池までは来る人がとても少ないのは不思議。みんな反対側の大正池のほうに行くのか。
でもおかげですごく静かでした。
池の周りを少し歩くと、急流が。
「水晶のような水」ってクリシェだけどほんとうに水晶みたい。
このうえなく綺麗な、山から流れてくる水。雨のおかげで少し水量が多いのか、沸き立つような流れでした。
明神の山はかろうじて雨をついて姿を見せていてくれました。
池が静かで水がすきとおっているからなのか、雨粒の波紋がものすごく綺麗でした。
こんなに綺麗な波紋は初めて見たよっていうくらい綺麗で、見ていて飽きなかった。
素敵すぎる水面。
携帯カメラではなくてフィルムカメラで撮れたらかっこいい写真になったかも。
青空の上高地も見てみたかったけど、雨の上高地も本当にしっとり静かでよかったです。
ここで御神事をするのはいつからの伝統なのか。海の民の安曇族はこの小さな山の上の池に海を見たんでしょうか。
安曇族がやってくる前からここは聖域だったのか。
謎が多い不思議な場所です。
それこそ麓から歩いたら数日かかる行程だったろうに。
池の近くに嘉門次小屋という山小屋があります。大正時代からある歴史ある山小屋。
嘉門次さんはウェストンさんを案内したので有名になった人ですが、実際この場所に小屋を建てて、猟師をしていたんだそうだ。
「杣人」という人たちが山には住んでたんですね。
コーヒーを飲みました。「kamonji」ってソーサーに書いてあった。
ビールや鮎定食やカレーもあります。
コーヒーを飲み終わっても、雨はやまず。
雨のなか、バスターミナルを目指して戻る。来た道とは梓川をはさんで対岸を通る、ループコースです。
クマザサのあいだの広葉樹の森。時々ハイカーとすれ違ったり追い越したりするほかは、ほとんど人の姿のない静かな道でした。
クマが出ると書いてあったので、明神小屋でいちおうクマよけの鈴を買ってみた。
水の密度が下界と違う気がする。なんでしょうかこの美しさ。
彫刻のような水です。
帰り道はほぼ雨に降られまくりでしたが、ポンチョのおかげでわりと快適でした。靴カバーはあまり役に立たなかったw
バスで新島々へ降り、「アルピコ鉄道」のカラフルな電車で松本へ。
そして特急あずさで東京(多摩の弟宅)へ帰る。駅弁は迷ったあげくに紫米の「大糸線の旅」。大糸線じゃなくて中央線の旅だけど。
煮物に梅干し、豚の味噌焼き、卵に黒豆。すべて地元の食材なのだそうで、とてもおいしかったのだけどボリューム的にはちょっとものたりなかった。高齢者向けか。
大変活躍してくれた1000円のポンチョ。使い捨てと思ったけど背中のロゴがかわいいので、わざわざ干して乾かして、持って帰ってきました。また使う日が来るかしら。
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2019/07/25
上高地 その1 河童橋から明神へ:おにぎりとお猿
5月の末日、安曇野を訪ねたあとに行った上高地。
白骨温泉でハイパー通訳グレープMさんと秘密会議を行い、その翌朝、バス停まで送ってもらって一人で路線バスにて上高地へむかいました。
ここも、安曇野とおなじく、中学のときから絶対行くと思い続けていてなぜか行かなかったところ。アルプスの山々をつぎつぎに登攀するはずだったんだけどな〜。 おかしいなー。
合羽橋じゃなくて河童橋!
10代のころ親が山好きだった影響で家にあった山関連の随筆なんかをよく読んでいて、この梓川と河童橋はわたしのなかで神格化されていました。
たぶん、あまりに憧れすぎて来られなかったのだと思う。
曇り空ではあったけど、橋の上から見える雪渓はやっぱり美しかったです。
しかし、浅草合羽橋と同じくらいに混んでいた。
早朝、人のいない時間に来たら、きっともっと感動するだろうなー。
バスの発着所からこのあたりまでは観光客がわさわさしていますが、この先まで行くとがくっと人が減って、急に静かになります。
ここでも中国の人が多かった。
日本人は40代後半〜のおばちゃんとおじさんばっかり。平日でしたしね。
前日、安曇野では快晴だったのだけど、この日に限って降水確率100パーセントという予報。
上高地のバスターミナルの案内所で荷物を預けて、雨合羽と靴のうえにかけるビニールカバーを買って出発しました。
明神池までぐるっと回って帰ってくるコース。ほとんど平坦なお散歩トレイルです。
5月末でもまだ新緑という季節で、うぐいすの声も聞こえました。
これは「サンカヨウ」。森の中は白い花がたくさん。
梓川沿いにのぼっていく登山道から分かれて左に折れ、梓川を渡る手前に「奥宮参道」という立派な標識がでてました。
この前の日に行った、安曇野の穂高神社の奥宮が明神池の前にあるのです。
「尊称としてすべてを明神岳と呼ぶ」。そうなんだ。
この看板には明神岳=穂高岳と書いてありますが、地図や山ガイドにはこの明神岳を「穂高」と呼んでる媒体はひとつもなかった。
明神岳のうしろに前穂高岳、その奥に奥穂高岳があって、さらに奥に北穂高岳、西には西穂高岳がある。前穂高よりも手前にあるのが明神岳。
でももしかして歴史的にはこの看板が主張するように明神岳が「穂高岳」だったのかな??
しかし嶺宮は明神岳でなくて奥穂高岳の上にあるそうで、またややこしい。このへんの山塊を全部まとめて「穂高」と呼んでいたのかも。
バスターミナルからここまではなんとかお天気がもちましたが、いきなりパラパラと大粒の雨が降ってきたので、この分岐のところにある山小屋、明神館に寄ってちょっと雨宿り。
おにぎりを食べました。
山で食べる(登ってないけど)おにぎりはやたらにおいしい。
中国人のおばちゃんグループがキャアキャアいいながら楽しそうにご飯をたべてました。
小止みになったところで出発。
正面に見えるのが、明神岳の第5峰。堂々たる綺麗な山ですね。
でもこの山には登山道が整備されていないため、登るのは岩登りの装備もして、相当に山に慣れている人でないと無理だそう。
雨を降らせる気満々の空模様。
でもこれはこれで、凄みのある山の表情が見られて良かったです。
まるで噴火する火山のように雲をまとった明神の山。かっこいい。
橋を渡ると大きな猿がいました。「餌をやらないように」とバスターミナル近辺にもあちこちに書いてあります。
寄って来はしないけれど、人を恐れるでもなく、威嚇するかのようににらみつつ、すこし距離を置きながら悠々とわが道を行く猿でした。
猿さんはこの橋の下を器用にとっとっと伝って、明神館のほうへ渡っていきました。
2019/07/18
あまりにも理不尽な
ラウラウちゃんに頂いた、アティチュードのあるフラガール。
ご近所スーパー、バラードマーケットで1本3ドルのバラの花を奮発したら(1本だけな)、3日もたたずに元気がなくなってしまったので頭を切り取って小さいはちみつ瓶に挿してみた。
フラガールちゃんの豪華なバックグラウンドになりました。
きのうから京都アニメーションでのテロ事件のニュースに衝撃を受けて、ニュースを見るたびに号泣してます。
ものを作る場所がこんな理不尽な暴力に遭うなんて。
犯人が40代だというのにも暗澹。多いよね…。
この事件をヘイトスピーチのネタにする人がいるというのも衝撃的でした。
そして約1億円の義援金が半日で集まるほど、 米国でも、世界中でもこのスタジオを愛するファンがいるというのにも動かされる。
わたしはここのスタジオの作品はほとんど(『日常』くらいしか)観たことないのですが、世界中のファンからのツイートを見ては泣いてます。
戦後、どこまでも平和な国だった日本でも、これからはセキュリティが強化されていくのでしょうね。
この事件の犯人であった40代男性というのがどんな人でどんな生い立ちでどんな生活を送ってきたのか、家族までさかのぼってこれから詳細にワイドショーはじめあちこちの媒体が掘っていくのだろうけれど。
これほど心を病んだ人が暴力をぶちまける前に、どこかの曲がり角でなんとかならなかったのか、と思わずにいられないです。
理不尽な不満や得体のしれない恨みを抱えて生きている爆発スレスレの人はまだまだたくさんいるはずだし、残念ながら社会の階級差が広がって行く以上、そういう人はますます増えていくのだと思います。
戦後の日本はいままでそんな階級間の緊張をかかえなくてよい国だったのだけど、もう決定的に変わっちゃったんですね。
もちろん、たとえば社屋に出入りする人をチェックするなど、はたらく人の安全、セキュリティを重視することは必要だけれど、それとは別に、自分は社会においていかれた、出し抜かれた、ずるをされた、顧みられない、損をしている、理不尽にバカにされている…という謎の怒りを溜め込んでいる人たちや心を病んでいく人たちに、もっと積極的に<なにか>ができないはずがない、とも思います。
もちろんこの症状にはこの薬、みたいなフォーミュラがあるわけもなく、そういう対策の効き目は何十年というスパンでとても微妙にでてくるのだろうから、半世紀後、または次の世紀になってみないとわからないのかもしれない。
でも受け皿がひとつでもあれば、そのひとつ分だけ、何か、必ず、違いは生まれるはず。
何が有効なのかはわかりません。即効性のある方法なんてきっとないと思います。
でもそういう視点での模索が究極、社会のセキュリティにつながっていくはずし多分ほかに方法はないとも。
それは甘えだとか自己責任だとかいう人が必ずいるだろうし、今はそちらの声のほうが大きいけれど。
2019/07/17
謎すぎる民の穂高神社、ものぐさ太郎、シンプルお蕎麦
5月末、信州安曇野。
大王わさび農場のあと、穂高神社に行きました。
敏腕翻訳者Yさんいわく、ここはこの地元では一番大きく、初詣といえばこなのだそうです。
敷地は広くないものの、予想していたのよりずっと大きな神社で、格式が高そうな雰囲気が鳥居をくぐる前から感じられて、おおー!と声がでるほどびっくりしてしまいました。
ほんとに、山里の神社って感じじゃなくて、ピシッとした都の風情がただよっているのです。
狛犬さんも神田明神の狛犬さんのような筋肉ムキムキで、強そうなタイプ。
肩のニクの盛り上がり方がすごいし、巻き毛もかっこいい。
それほど古いものではなさそうですが(見てくるの忘れた)。
横顔が凛々しい。やっぱり戦闘系なんですね。
凛々しい杉の木。
ご祭神は<穗髙見命>で、
神社のサイトには
<穗髙見命は海神族 (かいしんぞく)の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)であります安曇族は、もと北九州に栄え主として海運を司り、早くから大陸方面とも交渉をもち、文化の高い氏族であったようです。>
とあります。
上高地に奥宮があるので、わたしはてっきり地元の神様なのかと思っていたら、安曇族の神様だったんですね!(ていうか若宮はそのものずばり、安曇族の族長みたいな人)
9月の祭りには船のかたちの山車がでてくるそうです。この山に囲まれた盆地で‼
安曇族の伝統って脈々と受け継がれてるんだ。
それが1000年以上続いているってすごくないですか?
この土地では最初は「征服者」だった安曇族の文化が、土地全体に共有されていくようになったっていうことなのか。
そして驚いたことにこの神社は20年毎に式年遷宮を行って、本殿を建て替えるのだそうです。
神社サイトによると
<醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式神名帳には名神大社に列せられ古くより信濃における大社として朝廷の崇敬篤く、殖産興業の神と崇められ信濃の国の開発に大功を樹てたと伝えられています。>
…だそうで、やっぱり相当の格式が与えられてたんですね。
安曇族って一族郎党どのくらいの規模だったんだろうか。朝廷との力関係はどうなっていたんだろう。なんていろいろ気になり出す。
安曇族は百済から来た勢力に追われてこの地に来た、という説もあるそうです。水軍として大陸からの侵略や海賊を防ぐという役回りだったらしく、朝鮮半島での戦役にも出ていってそこでリーダーが戦死している。
朝廷から命じられてこの土地を征服しにきたわけじゃなく、自主的に自分たちの領地を求めて来た、アメリカの19世紀の西部開拓民みたいな人たちだったのか。
安曇族については、いろいろ謎につつまれているようです。
大河ドラマにはならないだろうけれど、誰か長編小説を書いてないのかな。
日本は単一民族国家なんてしれっと言ってるけど、平安朝くらいまではあちこちに大陸系の民や縄文系の民(と大雑把にくくる)が激戦を繰り広げていたんですねえ。
信濃のまんなかでそんなことを実感するとは思ってもみなかった。
そういう意味でこの古い神社の存在は本当に興味深いです。
ヨーロッパの教会とは形が違うけれど、やはり祈りの場はパワージェネレーター装置。
この土地に勧請された勝者の神なわけですね。神社は土地の所有をどこからみても完璧にオフィシャルにするシステム、とみえる。
面白いことに、あまりのものぐさが幸いして出世したという「ものぐさ太郎」が摂社(若宮)に合祀されています。
釈迢空、折口信夫さんがものぐさ太郎のことを詠んだ碑があった。難しい…なぞなぞみたいな歌だ。
<川端康成、井上靖、東山魁夷が絶賛した>というケヤキの巨木。
こんなに大きなケヤキの木をみたのは初めてです。
色々謎がてんこもりでほんとうに面白い、それなのに不思議なほどすがすがしい神社でした。不思議〜。
敏腕翻訳者Yさんに、松本の町でたぶん一番おいしい、というお蕎麦やさんに連れてっていただきました。
小さな通りに面した目立たない店構えで、テーブル3つか4つだけのとても小さなお店。
おいしゅうございました。
蕎麦湯が出てくる土瓶などの器も素敵でした。
メニューは「ざるそば 1000円」と「大盛り1300円」の二択という直球。
平日だったので、幸いあまり待たずに座れました。
ドイツ人らしい旅行者の二人連れも神妙にお蕎麦を食べてました。
また信州にお蕎麦を食べに行きたい‼
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