2019/07/15

夢の風景。そして大王の最後


敏腕翻訳者Yさんの丹精している畑。

ベリー類や葱や茄子やもろもろ、今頃はきっと豊作を迎えていることでしょう。いいなー。


5月末のこのときは、ちょうど田植えが終わったばかりで、アルプスが水に映えて綺麗でした。

信州安曇野というところは、ずっと前から絶対に行かねばならない気がしていたのになぜか行けなかった(行かなかった)場所のひとつ。
ご縁のおかげでようやく行けました。Yさんありがとうー。

山が好きでよくアルプス方面に通っていたらしいうちの両親が、わたしの名前を安曇にしようかと思ったくらい気に入っていたそうです。字がよくないので(安く曇る?)やめたって言ってた。
昭和どまんなかの時代、ひらがなにしようという発想はなかったらしい。
「あずみちゃん」だったらちょっと人生違ってたかも。


敏腕翻訳者Yさんが「大王わさび農場」に連れていってくれた。

なんだこの夢みたいな風景は!

ありえないほど透明な水に長い藻がゆらゆらしていて、意味なくいくつも大きな水車が回っている。


出来過ぎな風景だと思ったら、この水車は黒澤明の映画『夢』のセットとして作られてそのまま置かれてるんだそうです。まさに夢の光景だった。ちゃんちゃん。

なんか見たことあるような気がした。あの世かと思った。


オフィーリアが流れてきそうでもありますね!

 (ミレイのオフィーリア)。

ここは綺麗な水を生かしたわさび農場で、わさびソフトとかわさびコロッケとか売ってる(コロッケ食べた)。


でもなぜ「大王」なんだろうか、と思っていたら、奥のほうに小さな神社がありました。


ちょっとオットセイっぽいかんじの、モダンなラインの狛犬さん。


社殿の前には、1メートルを超すとてつもない大ワラジが飾ってあるのです。


由来が書いてありました。
「魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)は、今から1200年の昔、当地安曇平をおさめる王でした。身長2メートル超す大男の強者でしたが、東北征伐途上の坂上田村麻呂と戦い敗れました。八面大王の胴体がこのあたりに埋められたことから、初代勇市(わさび農場の人)がここに「大王神社」として祀り、巨体を象徴するかのように以来大わらじが奉納されています」

さらに
「有明神社奥の山中にはこのわらじ同等程の「八面大王の足跡」が巨石の上に残されています」と。

 えー!身長2メートルで足の大きさが1メートルってどういう寸法?
この大きさならすくなくとも身長10メートルはあるんじゃないのか。

て、驚くのはそこではなく。

坂上田村麻呂!このあいだ読んだ『阿・吽』に出てきたばっかりでしたー。
『阿・吽』では、敵ながら尊敬していた蝦夷の武将アルテイを処刑されてしまったことを苦々しく回想していたイケメン田村麻呂でした。

しかし、どうやらこの田村麻呂に魏石鬼八面大王が敗れたというのも伝説のようで、実際にはもっと昔、大和から来た「安曇族」との戦いに敗れた縄文人だったようなのです。

と、「関東農政局」のサイトに書いてあった。

「安曇族」というのは海の民族だったようで、水軍を指揮し、大和朝廷で高い地位にあったという。その海の民安曇族がここに来たのは7世紀頃といわれてるそうです。ということは空海さんや坂上田村麻呂より約100年前。

海の民がなぜこの山の中の盆地に??
というのは、謎に包まれているそうです。
朝廷に送り込まれたのかと思ったらそうでもなくてもっと自主的なグループだったような感じ。

<彼らの分布は、北九州、鳥取、大阪、京都、滋賀、愛知、岐阜、群馬、長野と広範囲にわたっており、「アツミ」や「アズミ」の地名を残しています。>
だそうです。へえええええ。全然知らんかった。
いったいどんな規模の団体だったんでしょうか。

7世紀〜8世紀、ちょうど万葉集の時代ですね。
いろんな勢力があったのねー。

関東から東北にかけて、こんな感じで縄文人と大和人の戦いが大小実にたくさんあったのだろうな、と素朴に思わされる。


思いがけなくも、わさび農場の中で大和と縄文(実に雑にくくってますけど)の戦いの歴史に遭遇するとはびっくりでした。

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2019/07/14

小布施の北斎画伯


5月末。
すみだ北斎美術館に行って、息子を羽田に送った翌日、特急あずさで松本へ。
こんどは小布施の北斎館へ行きました。

車窓からの八ヶ岳。久しぶり〜〜!


2日連続で北斎さんにご対面。
とくに北斎画伯への巡礼週間を企画したわけではないのだけど、なんとなくそうなった。

松本駅に敏腕翻訳者Yさんがお迎えにきてくれて、小布施までドライブ。
山がすぐ近くに見える国。空気がおいしい。


なんと、北斎画伯が初めて小布施に来たのは83歳のときだったそうです。
籠とか馬はあったにしても、江戸からはるばる、80代のときに何度も来てる。
ほんとに元気なじいちゃんですね。

北斎はこの地の豪商にアトリエを作ってもらい、小布施にたくさんの肉筆画をのこしてます。
この美術館の収蔵品には祭り屋台(山車みたいなやつ)が2台あり、天井にそれぞれ北斎肉筆の鳳凰と龍、波の図が。

華麗でカッコ良かったです。


おひるはお蕎麦と栗おこわ。うめええ!
本場信州のお蕎麦に感動したけど、敏腕翻訳者Yさんは、いやいやこれはぜんぜんフツウ、とおっしゃる。


 手入れの行き届いたお庭のある素敵なお店でした。


「栗と北斎と花のまち」小布施に行ったのは2回め。
最初のときは19歳くらいのときに、家出少女チエコと青春18きっぷであてもなく長野方面へ行き、なんとなく小布施で貸し自転車に乗ったりしたのだった。栗の木があったというほかには何も覚えていない。


愛する小布施堂本店。


落ち着いた家並みの綺麗な町で、あちこちの家でお庭を公開していて勝手に見ていっていいことになっている。
文人の豪商が北斎を招くくらいだから、江戸時代からきっと豊かな村だったんでしょうね。


しかし!平日の小布施は閉まるのが早い!
あちこちに「モンブラン」の看板が出ているのを横目にゆっくり散策して、さあどこでお茶にしましょうか、と探し始めたら、午後4時でもうどこも閉まってました(泣)。
小布施に行くかた、平日は要注意ですよ!


諦めて帰りかけた矢先に、執念でやっとひとつだけ空いているカフェを発見。モンブラン食べられた。


小布施から松本への帰りに寄っていただいた、姥捨サービスエリアの展望台。

千曲川や長野の町も見え、棚田もみえる。

月夜の晩にはとても綺麗なのだそうです。
信州いいなあー。


その晩は敏腕翻訳者Yさんちに泊めていただいた。
窓から畑とアルプスが見える素敵ハウス。

都会からIターンで松本近郊にお家を購入して、畑仕事を楽しみながら翻訳活動をしているという実に羨ましい環境です。
しかも旦那様が整体師。座りっぱの職業にとっては夢のような境遇ではないか。

でもそれなりにいろいろと苦労はあるようで、引っ越した後、畑は一人で開墾したという。すごい。

晩ごはんには珍しい「根曲がり竹」のお味噌汁をいただきました。たけのこじゃなくて笹の若芽なのだそうで、なかなか地元でも手にはいらない貴重な食材らしい。
一見アスパラに似てますが、食感がキューキューしていて独特の噛みごたえ。

幸せな食卓でした。いいなー信州。


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2019/07/13

すみだの北斎画伯


すみだ北斎美術館。妹島和世さんの設計です。

館内は撮影禁止だったけど、常設の、北斎の居室を再現した展示が生々しくてびっくりでした。

狭苦しい四畳半くらいの散らかった部屋で、布団をかぶって絵を描いている老人北斎と、そのそばに座っている娘のお栄さん。
生涯に何十回も引っ越しをしたという北斎。後に世界中で絶賛される天才絵描きとは思えない、つつましさ。


企画展は「北斎のなりわい大図鑑」。江戸のいろんな職業を描いた作品を集めたもので、面白かったです。


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2019/07/12

麺集中カウンターと地下足袋


5月の東京、いろいろ。
東京駅の横(日本橋側)がいつのまにかこんなになっていたのね。
東京駅に「日本橋口」なんて、昔からあったっけ?おぼえていない。


噂にきいていた「一蘭」のラーメンも食べにいきました。


隣の席との間に衝立てがあり、電話をかける場所か刑務所の面会室みたいな半個室ブースになっている。ラーメンに集中するためのこの場所には<麺集中カウンター>という名がつけられていました。

目の前の仕切りを開けてラーメンが出てきて、また仕切りがそっと閉められ、ラーメンと向き合う空間が作られる。

しかも、店員さんに何か伝えたいときには声に出さずともこの↑「サイレントカード」に書き込むだけでよいシステム。



こちらは吉祥寺の「一圓」。ここはわたしが高校生だったころからある老舗で、カウンターだけのお店。

このでかい餃子が5個で500円!!。
素朴な醤油ラーメンもおいしかった。

20歳前後の可愛い女の子が一人で入ってきて、餃子ライスを無心にさくさくと食べ終え(早い)、お代を硬貨でカウンターに置いてさくっと出ていったのがかっこよかった。

ニューヨークでRAMEN屋を名乗っているあのオシャレストランのオーナーたちにぜひ見習っていただきたい、このコスパとシンプルな店構え。オーセンティックなラーメン屋さんというのはこういうのをいうのだ。



うちの息子の今回の掘り出しものはこちら。祭り用地下足袋。



新宿の専門店で買い求め、写真をインスタにのせたところ友人たちがみんな欲しがって、8足持ち帰るはめに。…後から遅れて帰ったわたくしが。

そのかわりに書籍を持って帰ってもらったけど。



羽田へ向かう日の足元も地下足袋。
ちなみにボストンにも、もちろん地下足袋を持っていきました。

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2019/07/10

越後屋さんたちのそれからと、お江戸のご馳走



5月下旬の東京。
お江戸日本橋の三越ライオン君。英国生まれだそうです。




店内もなにやら、すんごく素敵。

お昼を食べに行く前であったし、日本橋マダムたちとの間に見えない壁を感じて中に入らず通りすぎてしまったけど、これ隈研吾のデザインだったんだー!
くうううう‼ 足を踏み入れて中から見ておくのであった。

東京は本当に情報が多すぎて頭がぼんやりしてしまう。



行ったのはこちら、コレド室町。
COREDOって、core+EDO(江戸)で「江戸のまんなか」っていう意味かしら。と思ったら、やっぱりそうでした。

三井不動産が開発。ビルそのものの意匠も、街並みも、徹底して和風を意識したつくり。

そして入居してるのも和食のお店が多く、ショップも石見銀山ショップや包丁の木屋や、昆布屋さんやお茶屋さんや漆器の店など、和もの系が多いラインナップ。


鰹節のにんべんがやってる「日本橋だし場 はなれ」。「一汁三菜スタイルの和ダイニング」という謳い文句で、ひじき、おから、きんぴらがついてくる、地味ながらなごむお食事。きれいな鰹節がテーブルにおいてあり、使い放題でした。

この日のランチは、福岡から飛んできてくださったりょんさんと。

学校で飼育されているうさぎなどの動物たちの福祉(ただ檻に入れて放置されているだけのことも多く、やたらに増えてしまったり、学校が長い休みのときには世話が行き届いていないことが多いそうです)と、子どもたちと動物のふれあいを推進しているベテラン教諭です。
去年はその関連のレポート英訳というお仕事をさせていただいた。

りょんさんのようにどこまでもどこまでも心優しく、世の中にダイレクトに違いを作っている方にお会いしていると、自分のことばっかり考えている自分の視野の狭さが恥ずかしくなってきます。


ビルの谷間に神社。おいなりさんです。

これも三井不動産が、コレドと込みで開発した物件。
こちらの記事に詳しく書かれてました。

この神社は「江戸」そのものよりずっと昔、9世紀からあるという実に古い神社なのだけど、一時はビルの屋上や居酒屋の中に祀られていたそうな!それを三井不動産が「日本橋再生計画」の新しいランドマークとして、敷地を確保したというものです。

おもしろーい。都心の再開発で敷地を割いて、公園ならぬ神社を再生する、って、昭和の時代にはなかった発想だと思う。



 ビルの外壁のウインドウにはこんな、ため息が出るほど美しい細工も飾られています。

日本橋って何年ぶりだろうか。
ずいぶん昔、それこそ今のうちの息子くらいの年のとき。八重洲にあった小さな広告会社で働いていたことがありました。
そのころからはずいぶん街も人も変わった。

明治維新から150年、敗戦から70年以上たってますが、最近ようやく(たぶん21世紀になる頃から徐々に)日本の<和風>をコアに取り入れた、自信あふれるデザインが増えてきたなあ、と思います。今はもう、東京の新しいビルっていうとほとんど和風なニュアンスといってもいいほど。

ビルの名前が和風になってきたのもそれを反映しているし。

戦後の建物のデザインって本当にカオスで、まわりとの調和なんていう発想すらない街並みでした。ハングリーな昭和は、パワーはあったけどデザインは醜かった。咀嚼できていない西洋を無理やり移植しようとしていた。
そのころの街や建物は、アイデンティティのない、というか、敗戦をひきずっていた時代のアイデンティティを反映していたのだと思います。西洋への憧れと誤解と高度経済成長の生命力がごっちゃになってすさまじかった。
今はデザインが成熟してきて、その分景気は後退して国の生命力は衰えつつある。皮肉というか。



三井本館。「越後屋」があったところだそうです。

「おぬしも悪よのぅ」の越後屋だのぅw

関東大震災後、1929年の竣工で、設計も施工もアメリカの事務所によるもの。
国の重要文化財に指定されています。

この円柱のスケールはすごいですね。
ニューヨークのウォール街近辺にある建物にもひけをとらない。というよりそれより状態が小奇麗で(さすが日本)ピカピカしているから、堂々たる風格を感じます。



こちらは、そのすぐお隣にくっついているマンダリンオリエンタルのビル。これも三井さんの地所で、もちろん三井不動産の開発。

お隣の三井本館の新古典主義様式の、パンテオンみたいな巨大な柱のデザインをトレースしつつ、やっぱり和のニュアンスが濃い意匠ですよね。

メタリックな金色が使われてるところにちょっと中華味が入ってる感じもするけど、格子風の縦ラインといい、渋いえび茶の日よけや暖簾といい、メインは中華資本のホテルとはいえ「もと越後屋」の看板にぴったり。


そのあと行った、銀座の無印良品旗艦店。オープンしてまだ間もないせいか、むっちゃくちゃ混んでいた。
ここも上のほう、格子風デザインですね。

MUJIも、戦後のカオスの中からシンプルな和デザインの美しさをいちはやく提唱して牽引してきた張本人でした。そうそう、原研哉さんとかが中核にいたんですよね。「真ん中になにもない」というシンプルさの哲学を再発見して、それを生かし始めたデザイン。


愉快なマダムMファミリーにつれていっていただいた、激ウマ焼き肉。美しいお肉。
わたしの知っているおニクと違う…。なにこれうまい。涙でそう。
マダムMファミリーは3人家族で、サーファーde外科医のパパ、バンドマンde医学生の息子、おっとりした美人主婦マダム。みんな面白い人。
うちの息子はハワイにいたときに毎年遊んでもらってた。
どうしてわたしの周りには、こんなに心優しく面白い人ばっかりいるんだろうか。


ついでに、別の日、その昔八重洲にあった(いまは移転して虎ノ門)会社のもと上司、K社長にご馳走していただいたヤキトリ!
なにこれ私の知ってるトリニクと違う。めちゃうまでした。
シメに名物だというドライカレー。これがまたウマウマ。

このK社長は、20代半ばのとき、今から考えると明らかに社会人未満というかほぼ人間未満であったわたくしを、バシバシ鍛えてくださった恩人です。ライターのしごとで入ったのだけど、まーよく採ってくれたわ、と思います。最初のうちは赤入れるほうが時間かかってしょうがなかったと思う。
2年ほどしかいなかったというのが信じられないほど濃かったです。K社長は20代の小娘にはちょっと話についていけないほど博識で、文章の書き方から仕事の仕方まで、色々な道理をきちんと整理して持っている方で、会議のたびに頭がパンクしてました。


マダムMと六本木へ。


森ビルでアートナイトをやっていて若いもんたちが群がってました。
東京はほんと夜が遅い。
シアトルはお店、どこでも10時にはしまっちゃうし、バーも1時ころまで。
2時すぎてやっているお店はとても少ないですが、東京はまあ、景気が悪いとかいいながらネオンが明るいこと。夜明けまで遊ぶ人の多いこと。


おばちゃんはちょっと疲れてしまって早々に帰りました。


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