2019/05/13

巨匠の晩年 <フィレンツェ思い出し日記 その13>


フィレンツェ3日目、最終日にはドゥオーモ美術館に行きました。
この日は単独行動。午後別の街に回る予定のため午前中だけしかなかったので、さくさくと。

美術館の横にカフェがあったので、このクーポラを見上げながらの朝ごはん。
日本のサンドイッチみたいな三角形のツナサンド。まあまあでした。



カウンターで飲むとエスプレッソは1.5ユーロなんだけど、外のテーブルに座ると3ユーロ。というシステム。


メニューに作曲家ヴェルディの「コーヒーは心と魂のための香油である」なんていう言葉が書いてありました。


この美術館はわりあい最近に改装されていて、ピカピカです。

ドゥオーモ美術館、洗礼堂、鐘楼、クーポラ、ドゥオーモの地下にある遺構は全部共通のチケットで18ユーロ。

「フィレンツェカード」を買うと全部含まれてますが、フィレンツェカードから引き換えるときはここの美術館じゃなくて洗礼堂の前のチケットカウンターに行かないといけないので要注意!

わたしは最初、鐘楼のところにいた係のお姉さんに聞こうとしたら「ここに書いてあるでしょっ!」と、このドゥオーモ美術館に行けと書いてある看板を示されました。フィレンツェで遭遇したなかで一番機嫌の悪い人だった。そして美術館の入り口の列に15分並んだあとで、ドゥオーモの反対側の洗礼堂前にいかなきゃいけないと言われたのでした。ちぇっ。

まあでもとにかく、この美術館もとても素晴らしかったです。ドゥオーモの外壁や堂内に飾られていた彫像やお宝がすべてここに安置されています。
ロレンツォ・ギベルティさんの制作した洗礼堂の扉も、本物はここ。


ドゥオーモと洗礼堂の外壁を再現したギャラリー「Salone del Paradiso」。「天国の間」でしょうかね。

当初聖堂の外壁は彫像で埋めつくす計画だったのが、結局、下のほう三分の一しか完成しなかったそうです。それでも歴代最高の彫刻家たちの作品でいっぱい。


左はドナテッロさんの「聖ヨハネ」。「ヨハネの福音書」「黙示録」の著者とされるヨハネです。


ドナテッロさん22歳のときの作品。あごヒゲとドレープが美しい。すっごい巻き毛ですね。


麗しい手描きの楽譜もある。


これは17世紀に造られた、ドゥオーモのファサード案のモデル。

クーポラ建設に使われた機材の模型とか、映画とか、いろいろインタラクティブな展示もあって面白い。この辺ももうちょっとじっくり見たかった。



鐘楼の壁を飾っていたレリーフのパネル、アンドレア・ピサーノ作、1348〜50年。
28枚のパネルは、聖書物語の一部だけではなく、擬人化された7つの惑星や、当時の産業・技術を擬人化したものもあります。惑星の擬人化ってキリスト教会とは相いれない気がするけど、中世の教会は占星術を排斥せず、むしろ取り入れていたのだそうです。

これは「建築」のレリーフ。ほかに「天文学」「医術」「狩猟」「織物」「法律」などがあります。

この鐘楼の壁をレリーフで飾るために資金を出したのはフィレンツェで当時一番の産業だった羊毛組合で、だからこの街の象徴でもある鐘楼の壁を当時の産業と技術を誇らしげに飾ったのだそうです。

まさにルネサンスの時代精神って、産業が支えてたんだなってことがわかる。


こちらは「メカニカルアーツ」の擬人化で、ダイダロスさん。

ギリシア神話の人物で、イカロスのお父さん。塔に閉じ込められて、人工の羽根を作り、息子イカロスと共に脱出するも、イカロスは太陽に近づきすぎて墜落してしまったというお話で、お父さんよりも墜落死した息子のほうがどちらかというと有名です。

「メカニカルアーツ」ってなんだろう?工学かな?と思ってググってみたら、中世のコンセプトで、修辞学、論理学、数学などの7つの「リベラルアーツ」と比べてそれより劣る実学、といった位置づけの学問だったらしい。

エンジニアが崇められる21世紀とは違って、実際にものを作る技術というのは「リベラルアーツ」よりも下の世界のものだとみなされていたのでした。

このダイダロスさんはいろんな天才的な発明をした人だったので、やっぱりエンジニアの元祖といっていいのかも。
その「メカニカルアーツ」を堂々と鐘楼の壁に飾ることで、フィレンツェの人たちは職人仕事や芸術といったものづくりの技術についての誇りを示したんですね。

しかし、キリスト教会の壁をギリシア神話の人物で飾るってアリなんだ!というのがちょっと衝撃的でした。惑星の擬人化もギリシア・ローマ神話の神だし。

という衝撃は、きっとプロテスタント的な感覚なんですね。

ずっとアメリカにいて、キリスト教といえばこう、とプロテスタントの価値観が刷り込まれていたので、それこそ目からウロコでした。


こちらは「論理学と弁証法」のレリーフで、プラトンさんとアリストテレスさんが代表してます。プラトンもアリなんだ!


この美術館にある2つの重要彫像のうちの一つ、ドナテッロさんの「マグダラのマリア」。

一瞥して、「毛皮をまとった洗礼者ヨハネ」かと思ってしまいました。

荒野でイナゴを食べて暮らしていたヨハネ、ではなくて、マグダラのマリアだと知ってほんとにびっくり。

こんなマグダラのマリア、初めて見た。体を覆っているのは毛皮じゃなくて髪の毛なのでした。

新約聖書の登場人物中でも聖母マリアとセットの美女として描かれることが多いマグダラのマリア。「罪深い女」であったところをイエスに出あって癒やされたという設定で、キリストの死と復活に立ち会った女性の一人です。イエスの妻だったという俗説もあり、とにかくいろいろ後世の想像を刺激した色彩豊かな女性なんですが、このような姿で描かれているのは寡聞にして初めて見た。

キリスト復活後、マグダラのマリアは荒野で30年間悔い改めの生活を送ったという話があるんですね。知らなかったです。しかしこんなにガリガリに痩せて老いつつも、まだ悔い改めの真っ最中という表情で、瞳は宙をみつめ、ひたすら悔いでいっぱいですという表情。鋭く尖った鼻、落ち窪んだ眼窩。

それほどまでに女人の罪は深いんだよという意味なのか。

同性愛者だったドナテッロさん自身の、自らの死後の救いへの思いがあるのか。
切ない。


ドナテッロさん晩年の1455年の作品。
大理石ではなく、ポプラ材を使った木彫で、もとは彩色されていたそうです。



マグダラのマリアにはこんな解釈というか表現もあったんだ!と、ほんとにびっくりした作品でした。


もうひとつ、この美術館の中で別格扱いの重要彫刻はミケランジェロの「ピエタ」。

ミケランジェロのピエタ像といえば、20代初めに制作して出世作となったバチカンにあるのが有名ですが、これは晩年の1547年〜55年頃の作品。


右にいるのは聖母マリア、左はマグダラのマリア。

後ろで支えるベールの人物は、弟子たちと共にキリストの遺体を埋葬したニコデモさん。ミケランジェロはニコデモの顔を自分の顔をモデルに作ったと歴史家のヴァザーリさんは語っています。

そろそろ80歳になろうかというミケランジェロさんは、自分の墓の上に飾るためにこれを作っていたのだといいます。


でも結局未完成のまま放棄してしまった理由には諸説あるそうですが、ミケランジェロさんはかなり晩年、落ち込んでいたらしい。

このピエタ像に向かい合う形で、反対側の壁に、ミケランジェロさん自身が最晩年に書いたという詩が大きく展示されてました。

The course of my life has now brought me
through a stormy sea, in a frail ship,
to the common port where, landing,
we account for every deed, wretched or holy.

So that now I clearly see
how wrong the fond illusion was
that made art my idol and my king
leading me to want what harmed me.

My amorous fancies, once foolish and happy:
what sense have they, now that I approach two deaths-
the first of which I know is sure, the second threatening.

Let neither painting nor carving any longer calm
my soul turned to that divine love
that to embrace us opened his arms upon the cross.

<若い時に芸術を至上のものとして追い求めていたのはなんと愚かだったことか。
死を前にした今では、絵画も彫刻も自分の魂を鎮めてはくれない。
ただ十字架の上で両手を広げている救い主の神聖な愛だけに自分の魂は向かっているのだ、…>

という内容。

一世を風靡したドナテッロさんもミケランジェロさんも、長生きした晩年はちょっと寂しくなっちゃって救いを求めていたのか。

ローマの有名なピエタはもちろん本物を見たことがないけれど、わたしはこの未完成のピエタ像、すごく好きです。
 
聖堂の美術館に置かれるにふさわしい作品でした。

ローマのピエタも見てみたい…。


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2019/05/12

洗礼堂で地獄を見上げる <フィレンツェ思い出し日記 その12>


ドゥオーモの前のサン・ジョヴァンニ洗礼堂。「夢殿」みたいな八角形の建物です。
ロレンツォ・ギベルティ作の扉の彫刻が有名。(写真は撮ってこなかった)
3D効果を強調したレリーフで、ルネサンスの幕開けとなる作品とされてるそうで、若いミケランジェロが感動して「天国への扉」と呼んだそうな。



ドゥオーモよりずっと古く、11世紀に造られた建物。
天井にはモザイク画で「最後の審判」の場面が描かれています。

ルネサンスよりずっと前、ダンテさんもここで洗礼を受け、大聖堂ができるまで礼拝堂だったこの建物に通っていたという。


ダンテさんはここで洗礼盤をたたき壊したこともあるそうです。
洗礼を受けていた幼い子どもが溺れそうになったため。


後に『神曲』を書くことになるダンテ少年が親しく見ていた最後の審判の図なんですねぇ。そう思うと感慨深い。『神曲』読んでないけど…。

そしてですね、この天井モザイク画の中で、キリスト像についでもっとも目を惹いたのが……


この存在。

キリスト像の向かって右下、一番下の層に地獄の図が描かれています。
キリストの左(見る人からは向かって右)が地獄、右が天国のようです。

その地獄の中で大忙しなのがこの……存在。
両手に亡者、口にも亡者、そして耳から生えている蛇?も亡者をくわえている。
蛇はかなり困った顔をしてます。

ダンテが見ていた地獄図ですよ!

ドゥオーモ美術館で絵葉書になっていたので買ってきました。




地獄は大忙しとはいえ、キリスト像は「ジャッジメント・デイ」の図なのだけれど、なぜだかとてもウェルカムな感じで、癒やされる空間でした。

お行儀がわるいけど、ベンチに頭をのせてひっくり返ったようなカッコウでとっくりと眺めさせていただきました。
スタンダール症候群」にならないように…。
様式化された天使たちや植物の模様もとてもきれいで、心が休まる。

観光客であふれる21世紀じゃなくて13世紀のミサの最中に見たなら、きっと違うメッセージを受け取ったに違いないですが。

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2019/05/11

パジャマを着た教会、奇跡の屋根、暗殺現場 <フィレンツェ思い出し日記 その11>


フィレンツェの顔、ドゥオーモ。正式名称はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、
「花の聖マリア大聖堂」です。


当時のキリスト教世界では最大の聖堂として1296年に着工したものの、建築家カンビオの死によりいったん中断。40年近く後に画家としても有名なジョット(ハレー彗星を描いた画家として有名で、ジオット探査機に名前が使われた人として覚えてた)が任命されて、鐘楼を建設したもののその中途にやはり死去。

その後、数々の建築家の手を経て、14世紀末にはドーム以外の聖堂部分は完成。前にも書いたけど、完成方法がわからないままこれだけのビッグプロジェクトを推進したフィレンツェ人の自信、すごいと思う。

1418年にクーポラ建設模型の公募があり、ここで選ばれたのがブルネルスキさん。
彫刻家ドナテッロさんもこの建設模型に応募したという。ほんとにルネサンス期までは彫刻家=建築家だったんですね。ともかくめっちゃ優れた頭脳の方だったようです。

このクーポラ、二重構造にすることと煉瓦の石積みを斜めに組み合わせた「ヘリンボーン」式にすることで難題を解決したそうですが、本当に優雅で綺麗な形ですね。



ピンクと緑が印象的なファサードですが、これは19世紀になってから完成したもの。

フィレンツェがイタリア王国の首都になった1865年を前に、首都になるんだから大聖堂もちゃんとしなきゃ、ということであわててファサードを公募したそうですが、建設が始まった1876年には、すでにローマに遷都されてしまっていたのでした。残念。



リック・スティーブズさんは「パジャマを着た大聖堂」と呼ぶ人もある、なんて言ってます。ピンクと緑と白のストライプって、たしかにまさにパジャマにありがち。

拝観は無料ですが、生きている大聖堂なのでミサの時間は信者さん以外はオフリミット。それ以外の時間は、いつも聖堂の外に長い行列ができています。
でも私たちが行った日(3月初め)はわりとさくさくと列が進んで、15分くらいで入場できました。


華麗な外観からすると内部は拍子抜けするほど質素。ぎっしりと黄金のモザイクで飾られたベネツィアの聖マルコ聖堂とはぜんぜん違います。

ゴシック特有の尖ったアーチが、ザ・中世というおもむきです。これはこれで素敵。



ここは、なんと復活祭のミサ中にメディチ家の兄弟暗殺が企てられるという、血なまぐさい事件のあった場所。
1478年の出来事で、メディチ家当主のロレンツォはかろうじて難を逃れたものの、弟ジュリアーノはこの場所で刺殺されたそうです。

ここを訪ねたときにはもちろん知りませんでしたし、実をいうとNetflixの『メディチ』シーズン2を観て、は?聖堂内で暗殺?ちょっとドラマタイズしすぎじゃないの、と思ったら、本当にあった事件だったと知ってびっくりでした。

このときの首謀者、パッツィ家の当主など8人が処刑された様子をボッティチェリがフレスコ画にしたのだけど、後にメディチ家が追放されたときに消されてしまったそうです。

フレスコ画が描かれていたのは警察署、今のバルジェロ美術館。
中世の歴史はもれなく、血なまぐさいですね。日本はそのころ、室町時代。


クーポラ内部のフレスコ画は「天地創造」。ミケランジェロの弟子だったジョルジョ・ヴァザーリとフェデリコ・ツッカリの制作。

クーポラの上まで上るには日にちと時間指定の予約が必要。階段は463段。
今回は時間がなくて無理でした。 いつか行けたらいいなー。


カトリック教徒じゃないんだけど、ここでのミサに参加してみたい。


こちらはジョットさんが設計した鐘楼。



こちらも、てっぺんまで上ることができます。こっちの階段は414段。これも時間がなくて断念。

この鐘楼の目の前に「もつ煮込みサンド」という日本語の手書き看板が下がっている店があって気になっていたのですが、あとから、その看板がツイッターで話題になってるのをアリゾナの翻訳者Nさんが教えてくれたw

「もつ煮込みサンド」はランプレドットという料理だそうです。この日別行動してたうちの息子は、まさにその店でそのサンドイッチを食べて、うまかったといってました。

今すぐもう一度行ってやりたいことだらけのフィレンツェ日記です。


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2019/05/10

聖人と女奴隷 <フィレンツェ思い出し日記 その10>


ウフィツィ美術館の窓から見える景色。すぐ横を流れるアルノ川。
これだけぎゅうぎゅうに混み合っていても美しい建物群のありかたというのがあるんですね。同じコード、同じトーンで統一されていること。
日本の街並みの混乱ぶりは、そのまま戦後の美意識のカオスとバイタリティのあらわれでもあるんだなあ、としみじみ思ったりして。こういうのと比べてみるとよく分かる。



ギャラリーの窓から見える夕暮れのヴェッキオ橋。


それを眺めている人。
最初、これ生身の人間のパフォーマンスかと思ってぎょっとしました。

ローマ時代の大理石の彫像が並ぶ展示室の隅、窓の前にぽっと置かれているモダンアート。

英国のアーティスト、アントニー・ゴームリーさんの作品でした。
展示室には説明もなにもなし(見つけられなかった。フィレンツェの美術館は、日本やアメリカに比べて解説の量が少ない気がします)。

ウフィツィ美術館のサイトを探してようやく、ゴームリーさんの展示の解説ページを見つけた(こちら、英語)。今年の2月から5月末までの展示だそうです。


夕陽が差し込むと彫像もさらにドラマチックに見える。


 ゴームリーさんの作品がもうひとつ、ドゥオーモが見えるテラスに立っていた。



こちらはフランドル、現在のベルギーの画家、フーゴー・ファン・デル・グースさんの「ポルティナーリの三連祭壇画」。
全体はこんなです。


これもインパクト強かった。
ボッティチェリさんが「プリマヴェーラ」を描いていたのと同時代、1476〜78年頃の制作。
メディチ銀行のブルージェ支店を取り仕切っていたポルティナーリさんの依頼で制作されたもので、両翼(観音開きで、パタンと閉じるようになっている)にはポルティナーリさんと妻と3人の子どもたちがひざまづいている姿が描かれてます。

「当初はポルティナーリ家の建てたフィレンツェのSanta Maria Nuova病院付属の教会に飾られていた。1483年にフィレンツェに主に海路で運ばれた」と美術館の解説にありました。

メディチ銀行、すごいですね。ほんとに世界を制覇する勢いで、ベルギーにも支店があったんですねー。
このころのフランドル地方。ヒエロニムス・ボスさんも活躍してた頃ですよね。面白そう。どんな世界だったのか。

フランドルの画家の絵、やっぱりフィレンツェの絵画とは全然雰囲気が違う。技法的なことより先に、空が暗くて人の顔が青白いww

もう一回出しちゃいますけど、この女の子はその銀行家ポルティナーリさんの長女らしい。


すっごく気になるのはこの後ろで口開けている存在!きみ何者?!

これについてはどこにも何も解説がなかった。
後ろの二人の女性は聖マルガリタとマグダラのマリア、とあります。

聖マルガリタは伝説の殉教者で、竜の形に化けた悪魔にのみ込まれたけれど持っていた十字架が刺さって竜の腹が裂け、中からなにごともなく生還したという伝説によって安産の守護聖人になっているそうな。(byウィキペディア)
で、この銀行家の長女ちゃんはマルガリタちゃんという名前なのらしい。それで聖マルガリタ。


 ウィキの聖マルガリタ。

なのでたぶん、聖マルガリタが腹を破って出てきたところのドラゴンなんでしょう。
聖人伝説って、すごく奥が深いし幅広い世界ですね。


でもこの絵で一番気になるのは、なぜこの生まれたばかりの幼子イエスが地面にころりと放り出されているのかということです。

 天使たち「こんなところに赤子が!」「ムキダシで!」「地面に!飼い葉桶でもなく!」

誰か毛布かなにかかけてあげて今すぐ! て思いますけど、これには象徴的な理由があるんでしょうか。

羊飼いたちが生まれたばかりの幼子イエスを拝みにきたところを描いている絵なのですが、なぞなぞのように情報量が多いです。


ロッソ・フィオレンティーノさんの「奏楽天使」。1521年。
この人もマニエリスムの画家に入るそうです。

この天使の絵、絵葉書を持っていて、ずーっと栞に使っていたので、ここで再会できてちょっとびっくりでした。



ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」。1538年。
マーク・トウェインが「全世界に存在する絵画の中で、最も下品で下劣でわいせつな絵画である」と言った、そうですが。トウェインはフェミニストだったんだなあ。19世紀にそこまで言うってすごいわ。

これもさんざん、美術史や社会学の講座でも、19世紀のマネがこれを下敷きに描いた「オランピア」と比較したりしてウェブや印刷物で見ていましたが、ああやっぱり本物は美しい。

優雅に完成されている世界。
女子をマイルドな奴隷または付属物とみなしている世界観を手ばなしで肯定するものとして、イライラするほど完成されている。

もっと下品で下劣でわいせつな絵画は、19世紀のアングルとかあのへんの最後の古典派のトルコ風呂とかを描いたやつらです。あのへんにくらべたら16世紀のティツィアーノはまだ上品だし優雅。

そう感じるのは、たぶん16世紀は時代があまりに遠いせいもある。19世紀の西欧の支配階級が持っていた傲慢さがひどすぎるせいかもしれないし、19世紀の古典派女奴隷絵画にはどこかに不自然な、不誠実さを意識の底で自覚している退廃的な後ろめたさをほのかに感じるせいかもしれない。

16世紀には、奴隷が一生奴隷でいるのは「神のさだめ給うた運命」であると誰もが納得していた。
19世紀にはそうではなかった。奴隷制はもう駄目でしょ、という意識が主権をとりはじめるなかで、 いやいやそれは社会の安定のためにうんたら、と既得権にしがみつく階級があった。そして帝国主義があり。

ヴィーナスも聖母も、男性優位のきっちりした階級社会で崇められてきた定型的な女性性であって、ボッティチェリさんが描いたように、コインの裏表のようなものですよね。



時間がなくって、カラヴァッジョのあたりはもうほとんど観られませんでした。

そうそう、これだけ大きな建物なのにトイレが2箇所だけで、地下の奥のほうにしかなくて、閉館30分前には閉まってしまいますのでお気をつけください。でもさすがにここはリッカルディ宮殿御不浄とは違い、普通の「洋式」でした。

本当にいつかまた、生きてる間にもう一度行きたい、ウフィツィ美術館。

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