2016/10/05

わたしの欲望タワー


平和に散歩をしていたら、突然ガンをつけられた。

なぜにそんなところに座っておられたのか、まるでフクロウのように眼光するどい方である。そしてやにわに、
わたしの頭を掻け
と想念で命令されたので、素直に従いました。あーこわいこわい。

ところで先日、メルマガのデジタルクリエイターズとぽんず単語帳のほうに「Desire」と「Greed」についての記事を書きました。

「Desire」をうまく感じの良い、ポジティブなニュアンスの日本語に訳せないなあ、と思っていたのと、そういえばdesireとgreedの違いっていったいなんだっけ?とつらつら考えながら散歩をしていたら、あの『ウォール街』のゲッコーの「Greedは正しいんだ!」という演説を思い出したというわけです。


(マイケル・ダグラス、若い!このとき43歳。)

ゲッコー氏に共感する人がこの国にはとても多いんですよー。

結局「デザイア」と「グリード」の違いは、そこにリソースを取り合う人がいるかいないか、ということにつきる、とも思ってそう書いたたんだけど、もいっかいよく考えてみると、相手がなくても、greedになることはあるね。


 食べても食べても満たされないとか。
いくら財宝を積んでも幸せにならないとか。

 「これでよし」というラインが崩壊しているときがgreedになってるといえるのだろうか。

でも必要かどうかは主観なので、greed(強欲)なのかdesire(熱望)なのかは結局見方の問題ということでしょうね。

結局は、誰か(自分を含む)を傷つけたり、害になってるかどうかで呼び方が違うということでしょうか。

それも主観と立場によって違うけどねー。




ところでこちらは、6月〜7月に日本に帰ったときに買ってスーツケースに詰めて持って帰って来た本のタワーです。
このほかにキンドル版でも10冊くらい(コミック含む)。

本は10冊までにしよう。とか、行く前には思ってるのに、東京で書店を見つけるとふらふらと引き寄せられ、必ずそこには1冊か2冊の書籍が
あなたとここでめぐり会ったのは運命!」とか「わたしを読むとあなたの人生は変わる!」とわたしに話しかけている。とくに古本屋はやばい。

「そうですか、こんなところで待っていてくださったとは(感涙)」と、すぐ話にのせられてしまう人。



そしてこちらは、先週土曜日、ベルビューの日本語学校PTAが開催してる大古本市で購入したタワー。

仕事がけっこうテンパッていたのだけど、寄付したい本もエコバッグに1袋くらいあったので無理やり時間を作って橋をわたって(湖のむこう岸で開催なので家から20分くらい)開始時間の11時ちょうどに行ったら、なんと入り口に4重のとぐろをまいた行列ができていた!

全長100メートルはある(推定)行列でしたよ!当たり前だけど日本人ばっかり!
ふだんシアトルでは日本の人にあまり会わないので、こんなに大量の日本人が一堂に会しているのを見るのはちょっと新鮮だった。

ここの古本市は本当に量・質とも誠にすばらしい。日本でもこんなイベントにはめったにおめにかかれないですよ。

 今回は、夏に買った本が机の近くに積んであるのがいちおう気にはなっているので、コミックが何冊か買えればいいや、という心づもりでした。んが、やはり欲が出て、つい文庫本やハードカバーの箱もチェックしてしまう。これはgreedでしょうか。

値段が値段なのでもう目についたら即お買上げ。
で、戦果はマンガ18冊、それ以外の本11冊、雑誌3冊。


戦果のマンガその他。すべて美品!これがすべて1冊50セントから1ドルでした。

すばらしい。日本語学校PTA様、ありがとうございます。
なるべく次回までにすべて読み切って、また寄付したいと思います。

「ダーリンもの」の元祖『ダーリンは外国人』も、初めてちゃんと読んだ!面白かった〜。


神保町の「神田にゃんこ堂」で買ったバッグ。

「本がいっぱいありすぎ、時間は少なすぎ」。わたくしの人生を代弁しています。

今、うちにある積読タワーをすべて読みきることができる日は来るのか。
欲望は積み上がるばかり…。

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2016/10/03

ゴジラが来るよ


アメリカ組のみなさん、ゴジラがきますよー!!来週!

シン・ゴジラがあまりにもあまりにも話題になっていてつらいので、いっそ日本に観に行こうかと半分本気で考えるほど思い詰めていたら、ゴジラのほうから来てくれたよ!これを引き寄せの法則っていうんだね(違う)。

どういうわけか、全米数都市で、来週の火曜・水曜・木曜のしかも1日1回ずつの上映という、単館ロードショウですらない単発イベント。

これで反応をみて、ロードショウの規模を決めるのかもしれませんね。

シアトルではRegal Meridian 16とかlandmark guild 45thとかで上映。なぜかベルビューは入ってないみたいです。

英語タイトルは「 Godzilla Resurgence」。蘇るゴジラですね。

「Shin Godzilla」 で検索しても、Google先生はお近くの劇場の上映時間を教えてくれますよ。

わくわく。できれば東京で観たかったけど、でも嬉しいなあ。
まさか英語吹き替えじゃないよね。

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2016/10/02

奴らがたむろする場所



ノースゲートのほうに行く途中で、息子にカラスのたまり場を教えてもらった。

 ノースシアトル・コミュニティ・カレッジがあるすぐ近くに今、小学校と中学校(たしか)が建設中で、かなり広い敷地が工事現場になっている。

そこに、奴らがおりました!ほんとにすんげーいっぱい!

ちょうど時刻は日暮れどき。

ゆうに1000羽くらいのカラスがこの工事現場に大集合して思い思いにくつろいでいる。

建設中のビルの屋根の上にも、 砂利山の上にも。
水たまりのまわりで水を飲んだり、砂利の上でなにかついばんだり、ただ高いところに止まって眺めていたり。

この写真ではあまりその多さが伝わらないかもしれないけど、ちょっとよく見てみてください。
地面にうようよいるだけじゃなくて、建築中のビルの上にもずらっと並んでるし、少し離れた砂利山の上にも、まるでアリのようにうじゃうじゃ。

イエローストーン国立公園のバッファローの群れよりもむしろ、野生の王国的な感銘を受けた。

カラスのほうがバッファローより観ていて面白いかも。バッファローは主に寝てるだけだったし。

カラス観察家の息子によると、ここから小グループにわかれてねぐらに向かうのだそうです。
(息子は大学の構内でもよくカラスを観察しているらしく、ときどき謎の大きな袋入りの殻付きピーナツを持ち歩いていてあやしい。
家のまわりでは絶対に餌付けをするなと厳重に言ってあるけど、ときどきバス停から帰る途中でこっそりやってるっぽい)

つまりここは、シアトル中のカラスが就寝前に集まる社交の場なんですねー。

集まってくるカラスたちは、クラブにいくワカモノたちみたいに、あるいは巣鴨にいくおばちゃんたちみたいに、わくわくしてるのかも。

カラスにもスクールカーストみたいなのがあるのかな。  イケてるカラスと、そうでもないカラスがいたりするんでしょうか。



電線にもびっしり。

シアトルにいるカラスは、東京にいっぱいいるハシブトガラスより小柄でほっそりしてます。

カラスのコミュニケーションを見ていると、ほんとうに面白い。
カラスの啼き声って何種類もあって、すごく表情に富んでいる。

奴らはリスより頭が良いことはたしか。ていうかリスの世間は狭そうだけど、カラスの社会はすごく広いし、いろんな決まりがあるようだ。

共同体がいくつも集まって大集団を作ったり、散ったりするって。いったいどういうコミュニケーションが成り立ってるんだろう。
特にサル山みたいにボスみたいなのがいるのでもなさそう。


でも、死んだ仲間をとむらう習慣はあるそうです。

人間の作り出した環境に一番よく適応してるのはカラスなのかもしれませんね。
ていうか、人間の社会といっしょに進化してるっていっていいのかな。

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2016/10/01

近所にお墓が…!


9月30日。
近所の庭が突然、墓場になっていた。

ハロウィーンまで、まだまる一ヶ月あるんですけど。やる気まんまんである。

こういうお墓のディスプレイを戸口の前にするなんて、日本だったら「縁起でもない」って多方面から怒られそう。そんなことない?


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2016/09/30

3秒で売り切れ! 


MUJIのプロダクトデザインでも有名なデザイナーの原研哉さんがシアトル中央図書館で講演します。

4回連続のSeattle Design Lectureの第2回。

10月28日の6時半より。

入場無料!

チケットは、講演日の1ヶ月前である昨日、木曜日の正午から予約開始でした。

んがっ、


なんと3秒でSOLD OUTに!!

コンピュータにはりついていたうちの息子はチケットをゲットできたといってたけど、30秒後にアクセスした私はSOLD OUTになってるのを見て目が点。

Ω\ζ°)チーン

立ち見席は当日整理券が配られるそうですよ。

そして上記サイトでライブストリーミングもあり。

わたしはデザインの専門家ではぜんぜんないけど、原さんの『日本のデザイン』はすごーーーーく面白くって目からウロコの本でした。

デザインとはうわっぺらを綺麗に飾るだけではなくて、そのものの本質、さらにはそのものたちをとりまく文化や歴史や技術や社会全体の本質と、クセやニーズを理解することなのだ、とはじめて深く納得させてくれた本。

この本を読んでから、生活もちょっと変わった。

インダストリアルデザインを勉強しているうちの息子(日本語読み書きは小2レベル)にぜひ読ませてやりたい。これ英訳出ないかなー。


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2016/09/29

フィニーの坂道農園、はやぶさ、秋のリスたち



ああやっと高野山から帰ってこられたww。なんていうと、まるで2ヶ月も高野山にこもって修行してたみたいですね。実際に行ったのは遠足で1日だけなのに(上げ膳据え膳でね。布団も敷いてもらったし)。

修行がまだまだ足りないため、そして座りっぱなしで腹回りだけがますます偉大になりつつあるため、毎朝の通勤として近所の散歩を義務付けています。すこし余裕がある日は片道15分くらいのフィニーリッジの坂へ。

このきつい坂。以前は車道だったに違いないのだけど、今は畑(コミュニティ農園)になっている!
坂が急すぎて事故でも続出したんでしょうか。



てんとう虫マークはオーガニックのしるし。
ケールがおいしそう。畑いいなあ。


いろんな木の実がみのって、街中でリスたちが狂乱状態。

仕事をしてたら隣の家の塀のあたりで、ひな鳥のような声がギャーギャーギャーギャーしつこくしつこく続くので、巣から落ちた雛でも啼いているのかと思ったら、リスだった。

別の日には、どこかの庭のヒマワリに上って種を食べ尽くしているリスをみた。
食べものが急に増えて、少しずつ寒くなって、いったい世界に何が起きているのかとリスたちは不思議に思っているのかもしれません。木の実がいっぱいで幸せいっぱい、でもなんとはなしに不安…みたいな感じかしら。

この実はなんだか知らないけど、綺麗な殻。


この道に覆いかぶさっている木のものです。


リスたちが狂乱の宴を繰り広げているなかで、こんな危険も。

この人は近所で初めてみた。iPhone 5sの望遠ではこれが限界だけど、グレーの翼で腹にシマがある、とてもきれいな鳥だった。
はやぶさ?ファルコン? イーグルよりはずっと小さく、カラスより一回り大きい。

この人がうろちょろしているリスをもう少しで捕まえるところだったのだけど、近所のカラスが大騒ぎ。

俺らのシマでなにさらしてんねん、どつくどコラ!

と、3羽ほどがまとわりついてました。
カラスは自分たちより大きい鳥が近所にやってくると大騒ぎで追い出そうとします。

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2016/09/28

山上の異域に裏口から侵入(高野山 その6)


7月1日の高野山日記の最後です。気がついたら9月も末だわー。諸行無常。


奥の院を探訪し、おひるを食べたらもう時間があんまりなくて、メインの伽藍が並んでいる「壇上伽藍」や、総本山の金剛峯寺のあたりはさらっと見る時間しかなかった。

なにしろ、夕方までに軽自動車で大阪まで帰るという事業が残っていたのです。


こちらは総本山金剛峯寺のお玄関。
不思議なゾウと獅子がいる柱と、綺麗な透かし模様。

お寺の建築は幕末の1863年。
長州や薩摩が勝手に外国相手に戦争をしたり、将軍が上洛したり、アメリカでは南北戦争が起こっていた激動の年です。明治維新まで5年。


ひわだ葺きの屋根のてっぺんにあるのは、火事のときに使う用の天水桶。

時間がなかったので総本山の中は観られませんでした。


修行のシンボルだという「根本大塔」。昭和12年に再建されたもの。ここは拝観しました。

なかは立体曼荼羅になっていて、絢爛豪華な色彩のおおきな菩薩図と、巨大な大日如来像を囲んで金剛四仏が配置されています。

この中でしばらく大日如来を眺めていたが、うーん。

シアトル高野山でレプリカの曼荼羅図を観たときのような感銘は受けることができなかった。 やっぱり京都に行かなくちゃ。


高野山の建物は、とくに古いものはあまりない。
けっこう火事で焼けてしまったようです。


一番古いものは1198年建造の不動堂だそうです。

このお堂が並んでいるあたりには、お坊さんを中心とした団体がいくつも記念写真を撮ったりしてた。どこかのお寺の檀家さんのグループなのか、お坊さん楽しそうだった。



わたしが一番気に入ったのは、この上の右の「御影堂」。弘法大師の肖像(御影)がしまってあるので御影堂。軒に並んでいる燈籠と欄干、屋根の形が素敵。



奥の院の参道わきに司馬遼太郎の文学碑があった。
立ち止まって読んでみて、感動。文章うめえぇぇ!(当たり前だけど)。

司馬先生が書いている空海先生の話『空海の風景』もぜひ読んでみたくなりました。

「高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。

山上はふしぎなほどに平坦である。そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀(ねりべい)をつらねている。枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃(ゆうすい)な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。さらには林間に苔(こけ)むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海がいまも生けるひととして四時(しいじ)、勤仕(ごんじ)されている。

その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。大門のむこうは天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空(そら)がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空(くう)に架けた幻影ではないかとさ思えてくる。まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。」

実はこの大門、今回は、これから高野山を去ろうというときに初めて観ました。
今回は山道を抜けて奥の院の前のほうから入って来たので、裏口から入って表から帰るコースになってしまった。

前日に行った玉置神社もそうだったし、この旅はそういう旅だったのね。


高野山の中にも、神社がある。

空海先生が寺を作る場所を探していたところ、山の中で不思議な猟師と女性に遭った。その女性は自分はこの山の主だと名乗り、ここに寺を開いてもよいといった、という伝説がある。

その伝説は鳥居の横にも書かれている。丹生明神、狩場明神という地元の神様、地主神が祀られています。


ここの狛犬さんには、ツノがあった。

行く前に思っていたよりもずっと敷居がひくく、俗っぽくて、テーマパーク的な感じさえ受けた高野山でした。でも司馬先生がいうように「異域」であることはたしか。

別の季節にもう一度ゆっくり訪ねてみたい。

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