2011/01/25

めろんパンとワンダーブレッド


街の住みやすさの基準は人それぞれいろいろだと思いますが、わたしにとっては、日常のお買い物圏においしいパン屋さんがあるかどうかが、かなり重要です。

初めてアメリカのスーパーで買い物をした時、細長いビニール袋に入ったサンドイッチ用食パンに、カルチャーショックを受けました。

水に入れたら溶けそうなテクスチャー!

力いっぱいジャムをぬると、破れる!!
そして
向こう側が透けて見える!!!

なんだこりゃ、これでもパンのつもりなのか〜!、と思ったが、アメリカ人にとってはそれが脈々と受け継がれる正統なランチ用の食材で、これにピーナツバターとジャムを塗ったら立派な「おべんとう」なのだという事実も、ショックだった。

「ピーナツ」シリーズのチャーリー・ブラウンたちのランチも、こんなパンでできていたのですね。 

ワンダーブレッド」のパッケージは可愛いんだけど…。

日本で普通にコンビニに売ってるパスコのパンが、心底懐かしかったです。

ホノルルでは日本人のご夫婦が経営する『ベーカリー・マノア』のパンが、もう本当に日本の心あるパン屋さんそのもので、緑深いマノアのマーケットプレイスにこのパン屋さんを発見したときには、神様に感謝しました。

きっと材料を相当吟味しているのだと思います。あんぱんやクリームパン、メロンパンといった素朴な面々が、真剣においしかった。ホノルル市内で引っ越しを決めたときにも、このベーカリーマノアに近いかどうかを考慮リストにいれたほどでしたw。

 シアトルはカフェの数が多いだけに、優秀なベーカリーも豊富。日本人経営のパン屋さんもあります。

イーストサイドの『フジ・ベーカリー』は、文句なしにデパ地下クオリティ。カレーパンや食パン、フォカッチャなど、今のとこ特にハズレはありません。芽キャベツやトマトが乗ってるこのパンもおいしかった。メロンぱんはラズベリーや抹茶やいろいろあって可愛いけど、もうちょっと大きくてもいいなあ。


 最近、インターナショナル・ディストリクトの日本食スーパー宇和島屋の近くに支店がオープン。いままでは湖の向こうへ橋をわたっていかなければならなかったのが、向こうからお買い物圏にやって来てくれた。


 この支店ではエスプレッソマシーンがおいてあって、なんと、ほうじ茶ラテもありました。

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2011/01/23

Exit through the Gift Shop

Capitol Hill

Exit through the Gift Shop という映画をみた。DVDで。去年の封切時に行きたかったのだけど、単館で上映期間も短かったので見逃してしまった。

英国のストリートアーティスト、Banksy の監督するドキュメンタリー。今年(2011年)のアカデミー賞ドキュメンタリー部門にもノミネートされたようです。


Banksy はストリートアートの世界で超有名なカリスマアーティスト。作品はこちら
スケボー小僧のうちの息子も彼を神のようにあがめていて、私は息子から教えてもらった。
Capitol Hill

開発途上国に対する搾取を告発したり、軍や警察をちゃかしたり、強烈な政治的メッセージをもった、皮肉でポエティックな作品を世界各地で発表し続けている人。
イスラエルが建てたガザ地区の壁へのラクガキはとくに感動的。
ラクガキとして製作されたそれらの作品が、サザビーの競売で一千万円以上の値で取引されたりもしている。

これだけ有名なのに、今なお顔も素性も明かさない方針を守り続けている手際の良さだけでも、天才的だ。
この映画の中に登場するときも(監督なのにも拘らず!!)覆面のままカメラに向かってしゃべる。

でこの映画はBanksy についての映画かというと、そうではなくて、LA在住の陽気なフランス人、Thierry氏の物語なのだ。

Capitol Hill


以下、ドキュメンタリーなのでネタバレご容赦を。

Thierry氏はLAのブティック店主で、偏執的なムービーカメラ好きだった。とにかく肌身離さずムービーカメラを持ち歩き、何でも記録していたが、あるときふとしたきっかけで、ストリートアーティストの追いかけを始める。数年かけて、有名なラクガキアーティストをすべて テープにおさめることに成功し、アーティストとの間に信頼関係も築いた。

オバマの大統領選のときのポスターで一躍有名になったShepard Faireyを通して、ついに伝説のBanksy の制作現場に密着取材をはじめる。が、録画テープは何千本とたまったのに、編集して彼のつくった映画は見られたものではなかった。

Banksyは、Thierry氏には映像作家としての才能が皆無であるとみて、それじゃストリートアートを自分でやってみたらどうかと示唆する。これを神の啓示であるかのように受け取ったThierry氏は、自分に「Mr. Brain Wash」 と命名して、活発なラクガキ活動をはじめる。
それだけでなく、財産をすべてつぎ込んで広大なギャラリーを借り、人を雇い、作品を大量に制作して、大規模なデビュー個展を開く。
その作品は、アンディ・ウォホールのパロディのようなシルクスクリーンとか、みんなどこかから借りてきたようなものばかり。「アーティスト」になってまだ間もないのだから当然だ。

ここまでなら、痛いオヤジの話というだけなのだけれど、その後の展開がすごい。この「Mr. Brain Wash」、略して「MBW」、の個展は、Banksy やほかのアーティストの知名度を利用したMBW氏の飽くなき広報活動によって大成功をおさめ、作品売り上げだけで1億円もの利益をあげる。

彼はいまでもMBWブランドでアーティストとして活動している。

… 「あるいは、芸術なんてジョークだということなのかもしれない」

Banksy は「MBW」氏の成功について、映画の中でそう語る。

 あまりにもできすぎた話なので、この映画のドキュメンタリーとしての信憑性を疑う批評家もいる。Banskyは最近のインタビューの中で
 「I guess I have to accept that people think I’m full of shit. But I’m not clever enough to have invented Mr. Brainwash, even the most casual on-line research confirms that. (僕がまったくのデタラメ野郎だと思われてる事実は認めなきゃならないんだろうね。でも、僕は Mr. Brainwash の話を創作するほど頭が良くはないよ。オンラインでちょっと調べてみればすぐにわかることだ)」
と反論している。

アートって結局、やったもん勝ちなんじゃないか。アートの価値って一体誰が決めるのか。
日本人アーティストの作った萌え萌え人形がニューヨークで3000萬円で売れてからというもの、なんだかアートの世界全般がうさんくさく思えてきた。

Capitoll Hill

専門に学んだわけではないけど昔から美術を見るのは大好きで、現代美術作品も、うわーなんて面白いんだろう、と若い頃は素直に感動してみていたのだけど、最近どうもアーティストに(アート作品にというよりも、アーティスト自身に)値段がつくその方法が、胡散臭くてたまらない。
昔から美術の蒐集家の世界なんか魑魅魍魎の領域なのかもしれないんだけど、それがコンセプト勝負の現代アートとなると胡乱さも倍増する。

売れても売れなくてもなにかに動かされて創作し続け、自分のスタイルを築いて発表し続けるアーティストの真摯さにはひたすら打たれるのだけど、いったんそれに値札がついて「これはいくらいくらの価値があるものですよ」となると、とたんになんだか居心地が悪く感じてしまう。

いったい何に値札がついているのか。たぶんすごく限定されたコミュニティの閉じた高級な部屋の中で、需要と供給に基づいて決まっていくのだろう。
そこにはしたたかな商売人がうろうろしているのだろうと思うとかなりうんざりしてしまう。あるいは、アーティスト自身が商売上手であることに幻滅してしまうのかもしれない。

閉じたドアの向こうで動いている金額を考えるとMr. Brain Wash は可愛いものなのだろう…。

Banksy 自身はギャラリーとも契約していないし、ウェブで作品を売ったりもしていない。どうやって生計を立てているのかは宣伝していないので、彼自身がプロデュースした過去のショウで売れた作品が収入になってるのかも不明だけど、彼の作品は社会告発である以上、少なくとも高級カバン屋とタイアップした作品を売ったりすることは今後もないに違いない。それでも、ハードコアなストリートの人からはBanksy はSell Out だ!と言われているようで、本当にアーティストに人が求めるものはそれぞれであるなあ、と思わされる。

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2011/01/21

SATSUMA


ハワイに住み始めたころ、冬になると日本のみかんが恋しくなったものだった。オレンジだっておいしいんだけど、手で皮がするするむける日本のみかんには代え難い。

あんまり私がみかんみかん言うものだから、母が生前、ほかのいろいろなものと一緒に密輸で送ってくれようとしたこともあった。

米国にはいっさいの柑橘類は輸入禁止。母が送ってくれたみかんも、税関で箱があけられ、取り出されて、「こんなものが入っていたので抜きました」というお知らせが代わりに入れられていた(悲。

 それが4、5年前から、日本のみかんに良く似たカリフォルニア産クレメンティン種のCuties というのがコストコに登場。これは厳密にいうとみかんとは別種で、味にも時々あたりはずれがあるけど、みためはすっかりみかん!嬉しかった。

そしてシアトルでは、温州みかんの「 Satsuma 」が冬場はどこのスーパーでも手にはいる。
野菜や果物はなるべく地元産のものを買うようにしているけど、さすがにみかん農園はワシントン州にはなくて、この薩摩くんたちはフロリダから旅してきたもの。


冬の重い雲がたれこめる雨の日にも、キッチンにみかんがあると気持ちが明るくなるではないですか。

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2011/01/19

アルカイビーチ その2

久々の晴天で時間があったので、アルカイ・ビーチにきのう書いた自由の女神の所在を確認しにいった。

 ありました。

ちっちゃかった。ホンモノはまだ見たことないけど。 お台場にあるのより、たぶん小さいなあ。

2001年9月の同時多発テロの後には、犠牲者を悼んでこの像のまわりは花やロウソクでいっぱいになったそうだ。と、上の写真の右側に犬と座っている赤い帽子のおじさんが教えてくれた。

あのときは私はホノルルにいた。ホノルルでも、市庁舎の前に永遠に消えない火をともし続けるモニュメントが建てられた。皆、何かせずにいられなかった。
車に国旗をつけて走っている人もたくさんいたし、あまりに「愛国」機運が高まるのに危機感を感じた人びとが、ワイキキのガンジー像の前にキャンドルを灯す運動もあった。わたしもまだ小さかったコドモを連れてロウソクをひとつたててきた。


あれからこの国は海の向こうで戦争を始めて、まだ終わらせることができないで、まだ若者がたくさん死んでいる。きのうもシアトル近郊出身の若者がアフガニスタンで戦死したのを悼んで、官庁は半旗にするというニュースを、ラジオのアナウンサーが伝えていた。



アルカイビーチの波打ち際は狭い。砂に混じってメノウや石英のような綺麗な石がじゃらじゃらしているところも山の湖のようだ。

海を主張するのはカモメと貝殻、どっさり打ち上げられた海藻類。



とてもおいしそうな、ハワイの「オゴ」に良く似たのや若布のような海藻がたくさんあったのだけど、誰も食べないのか。おいしい海藻サラダになると思うんだけど…。
今度はビニール袋をもってきて採取してみよう。

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2011/01/18

アルカイビーチ



シアトルのダウンタウンは丸いかたちのエリオット湾に面している。
湾の反対側は、親指のように突き出した三角形の岬で終わっている。

岬の東側からは、静かな湾をはさんでダウンタウンのビルや少し離れたスペースニードルが見える。

そしてこの岬の西側が、Alki Beach (アルカイ・ビーチ)。全長4キロくらいのビーチパークになっている。 シアトル市内にいくつかある「ビーチ」の中では一番ポピュラーで、 夏場には海水浴の人でたいへんにぎわうらしい。



ピージェット湾は深い入り組んだ入り江で、ずっと北のほうでちゃんと太平洋につながっている立派な海であるとはいえ、見ためは限りなく湖に近い。


アルカイ・ビーチから見えるのも、はるかな水平線ではなくて、湾を取りまく山々と森の静かな風景。太平洋の打ち寄せる波は、オリンピック半島の向こう側、100キロ以上も先なのだ。


この岬は、19世紀に東部から移住してきた白人たちがシアトル地域で最初にコロニーをつくった場所だった。

Denny さんという人の率いるグループが、イリノイからはるばる大陸を横断して、太平洋から北方を回って船でこの岬にたどりついた。自由な白人男子であれば誰でも土地を「claim」できた時代。自力で家を建てて住むことさえできれば、土地を自分のものにできた。

デニーさんグループは、翌年、湾の反対側にコロニーを移して、シアトルの街の基礎ができていったそうです。

アルカイ・ビーチって、オアフ島の「カイルア・ビーチ」のアナグラムだ。
景色はだいぶ違うけど。

(参考)カイルア・ビーチ、オアフ島。
アルカイ・ビーチ、シアトル。


カイルアの隣の「ラニカイ・ビーチ」にも少し似ている。名前が。


ラニカイ・ビーチ。オアフ島。

「アルカイ」の意味は、当時の土地の言葉で「もうすぐ」とか「そのうち」というような意味だったそうで、もともとはデニーさんたちが「ニューヨーク・アルカイ」とつけた。

「そのうちニューヨークみたいになりますように」という壮大な願いをこめたのだろう。 それに関係あるのかどうか、自由の女神のレプリカもあるのだそうだ。


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2011/01/15

言葉のトレンド



数百年間の言葉の趨勢がわかる。

Google Ngram Viewer がおもしろい。

Google がこれまでにデジタル化した書籍520万冊に出てくるすべての言葉、約5000億語をコーパスに、任意の単語や熟語、フレーズの登場頻度の変化を、時系列グラフで表示してくれる。コーパスに使われているのは、15世紀から2000年までの書物。

なにができるのかというと、言葉の用法のはやりすたりを検索したり、あるモノや現象や人物などに対する世間の関心の高さの移り変わりを数量でみることができる。

たとえば、「tofu」と「hot dog」を検索してみると1980年代からトーフが急激にのび、ホットドッグを追い越している。
「missile」は1960年に激増して、いったん減り、80年代後半にまた急増。

「God 」と「human」を入れると、やっぱり1960年代に神様からヒトへ、ヒトの関心が移ったことがわかる。


年号のリンクをクリックすると、その単語がでてきた出版物のページに飛んで、中身をみることもできちゃう。

残念ながら日本語はまだないけど、ロシア語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、中国語、ヘブライ語もあり。英語はイギリス英語、アメリカ英語、フィクションなどの選択肢もある。

 しかし520万冊。5000億語って、並べてみたらどのくらいの広さなんだろう。
A4サイズ1枚で仮に500語だとして10億枚分。地平線のかなたまで単語が敷き詰められた大空間を思い浮かべてみる。その中を一瞬で検索して数えて計算してグラフをつくってくれるって、すごすぎる。

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2011/01/13

ベリンガム

先週末はBellingham (ベリンガム、あるいはベリングハム。Hをはっきり発音する人もたまにいるけどそんなに多くないみたい)。シアトルからは北へ約2時間。ハイウェイをひたすらまっすぐ北上する。息子のサッカーチームのトーナメント参加のため…だったのが、途中、ハイウェイで突然空が暗くなってこんな雪が降り出した。
うわーうわーといいながら10分も走ると、すっかり地面が乾いていて雪のひとひらも降った気配がない。空にも晴れ間が見えている。にわか雪というのか、通り雪というのか、つかの間の吹雪。

空は晴れていたものの、グラウンドには朝方降った10センチくらいの雪がつもってて、試合は中止。せっかく2時間ドライブしてきたのだから街の見物にでかけた。その前にとりあえずスーパーのTARGETに寄ったら、駐車場にはカナダのナンバーをつけた車が多かった。カナダ国境はここから30キロくらい。お買い物圏なのだ。


とりあえず市街へ行ってみたら、アンデルセンのお話に出てきそうな建物があった。市庁舎らしい。前の広場もすっかり雪に覆われていて、どこか北の小さな国の首都のような風情。

港のほうには工場がちらほら。

 北国のつめたい空。北緯48度、パリとほぼ同じ。ベリンガムって、『マディソン郡の橋』の主人公と恋に落ちるカメラマンが住んでいるって設定だった。物語そのものよりもその設定に説得力がある気がして、忘れられない。北のはずれのひっそりした、でもあまり田舎びていない小さな街、というようなイメージだったのだが、ほぼ想像通りだった。

 雪の日曜日の朝にあいているのはカフェくらい。
 試合のユニフォームを着たままの高校生は車から出るのを拒否するし、ブーツのつま先から雪がしみて来るし、特に予習もしていかなかったので、ぐるっと一回りしたあと、市庁舎の近くでドーナツとコーヒーを買って、またハイウェイに乗った。

 そうだ、その手前のアンティーク屋さんもあいていた。『Garden States』のサントラがかかってて、店主らしい中年女性が店番をしていた。


 「ロケットドーナツ」。店内には火星人の頭や等身大模型が陳列されている。店の外には小型ロケットが停泊中。

 ドーナツもちゃんとおいしかった。オールドファッション評論家の息子によると「ミスドよりおいしい」四つ星評価だそうです。
また雪のないときに、ゆっくり遠足に行ってみたい。

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