2018/11/03
ヒューストンの牛とポストモダンとどんぐり
ヒューストン空港にいた牛ちゃん。
夜7時着という微妙な便で、タクシーでホテルに直行。
ホテルかと思ってたらアパートメントの建物で、鍵をあけて勝手に入るシステム。
ダウンタウン内だけど近くにはコンビニもレストランもないし、着いた日にトランプが近所でラリーをやっていたらしく、Make America Great Again!と書いた赤い帽子をかぶった人たちが次々と歩いてくるし、アウェー感たっぷりの一夜でした。
なんとクライアントさんが前週までわたしの宿を手配するのを忘れていたらしく、ダウンタウンのホテルはみんな売り切れ。残ってたのはここだけ。写真真ん中の高層アパート。一部をエアビーアンドビーみたいにホテルとして貸し出している。
エレベーターにはめっちゃ生活感ただよう人がいっぱい。
エレベーターに乗り合わせたのはマリファナの匂いプンプンさせた全身タトゥーの黒人兄ちゃんグループ、最上階に住んでいるジャーマンシェパードを連れた白人女性、ラティーノの女の子たち。
めちゃくちゃ高かったのはトランプのせいだったんか!いつもは80ドルくらいのこのしょぼい宿が1泊260ドルとかだった。ぼったくり。わたしが支払ったわけじゃないけど無駄すぎる。
翌朝、仕事で行ったコンベンションセンター。
1987年にオープン。
目をひく赤を大胆にアクセントにした、自信たっぷりの楽天的な感じがする建物。
80年代後半は、レーガンの時代。日本はバブルで。
建物ってやっぱりものすごくその時代を反映するものなんだなあ、とあらためて思う。とっても素朴な感想ですけど、ほんとにそうなんだなー。
その前にあるジャン・デュビュッフェの彫刻。
エチオピアから移住して27年だというタクシーの運転手さんが、「ヒューストンの建物はね、だいたい80年代から90年代に建ったやつだね。あんまりあたらしいのはないね」といっていた。
近くのヒルトン。この色使いも90年代初頭って感じがすると思ったらこちらは2001年完成でした。これもポストモダニズムといっていいのかな。 これも自信まんまん、オレのかっちょいいセンスを見ろ!て感じがする。
穏やかな快晴の暖かな陽気を期待していたら2日間とも雨降りでシアトルとまったく同じ天気でした。半袖持ってって大失敗。
もはや晴れ女の看板は取り下げなければ。
夕方、ちょっと歩いてみたダウンタウン。電車の通る線路の両脇に意味なく水が流れているのがテーマパークっぽくて面白い。
水と光があるだけでぜんぜん景色が変わりますね。
そして街のあちこちで目をひいた、くねくねした巨木。
どんぐりの木でした。 coast live oak というらしい。
ルイジアナ州で見たオークの木とはすこし種類が違うようです。どちらもlive oakというのだけど。
葉が厚いところが南国らしい。どんぐりの木で常緑樹ってあるんだ!不思議なかんじ。
あっ、そういえばシイノキも常緑樹だった!忘れてた。
でもこの木の葉はもっと南国っぽい感じです。
同じ国なのに生えてるものも人もぜんぜん違うなー。ていうか広すぎだろこの国。
へんな写真しか撮れなかったけど、綺麗な青いカラスのような鳥がたくさんいました。
上から見るのが好き
10月の最終週、2日間だけヒューストンに行ってきました。
久しぶりのアラスカ航空。
拡張中のシアトルタコマ国際空港、アラスカ航空のNゲートがあるウィングはやたら混んでて椅子が少ない。
そしてどういう事情なのか、搭乗ゲートから延々歩いていっぺん外に出て、タラップを登って搭乗するという不思議なシステムでした。
おとなしく滑走路の順番を待つ飛行機たち。
霧と厚い雲の上に顔を出していたタコマ山AKAレーニア山。
山のあたりはきれいに晴れていて、すごく間近にくっきりと見えました。
どこかの川。
ほんとにこの国広いよなあ。
と飛行機に乗って人があんまり住んでない土地の上を飛ぶたびに思います。
2018/10/19
ネパール雑貨店の閉店セール!
ゴージャスな秋の日が続いているシアトルです。
さてたまにはご近所の耳寄り情報を。
バラードのネパール雑貨店が、閉店セールやってます!
場所はこちら。
このお店大好きだったので、閉店はほんとうに残念なのですが、全品50%セールやってますよ!12月までだそうです。
つっこみどころ満載の、こんな動物ポーチ(全身黒のパンダって。)とか、
こんな動物スリッパとか!
チーズのシューズもありますよ!
ファンキーなフェルト製品ばかりではなく、カシミアの手織りのすごく素敵なストールやポンチョなども全品50%オフ!
ガネーシャやインドラも半額!
シンギングボウルも各種あります。
わたしはなぜか前から欲しかったシンギングボウルをついに買ってしまいました。
ときどきリビングでごーんと鳴らしてみて満足。
ネパールに5年住んだことがあり、いまも毎年ネパールに通っているという半ネパール人のような知人Aさん(日本在住)に、ネパール語での値切り方を教えてもらいました。
「安くしてください」は、
「サスト ガリディノス」
または
「アリカティ ミライディヌフンチャ キ」
だそうです。
発音はカタカナのままで大丈夫だそうです。
「ありがとう」は
「ダンネバード」。
閉店前に、もう一回行って「アリカティ ミライディヌフンチャ キ」ってお願いしなくちゃ。
クリスマスプレゼント用にカシミアのストールを買おうかなと思ってますが、まだ在庫があるかな。
前回はシンギングボウルのほかに、自分用にカシミアのポンチョを買いました。
これは25ドルでした。
このお店のカシミア製品には何種類かグレードがあって、本当に光沢のきれいな上質な手織りのストールでも、最高で50ドルか60ドル。お買い得ですよー。
2018/10/17
サンフランシスコの家
サンフランシスコの街並み。すみずみまで見たわけではないけど、なぜか「うわー素敵」とおもうことは少ない。
すごくたてこんでてごちゃごちゃした街だなあ、と感じる。色彩がそそられない。
ニューヨークもたてこんでるけどもっと重厚で、もっと層が複雑で、もっと迫力を感じる。
なんかサンフランシスコってこう、薄くてツンとした感じなんだよねえ。
どうしてそう感じるんだろう。
時代性なのか、地域性なのか。単に趣味があわないだけなのか。
よくみかけたシェアリング電動スクーター「BIRD」。
カリフォルニアの各都市ではかなり普及してるそうですが、友人の話では(都市伝説かもだけど)ひったくり用に使用されることもあるという…。
シアトルへの導入は、条例で禁止されたそうです。 道路上で危険という理由。
有名なヴィクトリア朝の建売住宅「ペインテッドレディ」も見に行ってみました。
一時期アリス・ウォーカーも住んでいたそうな。
8年前にこの内の一つが約4ミリオンダラー(4億円超えですね)で売り出されたとか。
こちらの記事より。
そのオーナーはその家を1975年に6万5千ドルで買ったそうです。すごいリターン。
当時はまだ例のヘイト・アシュベリーに集まってきていたヒッピーたちの残党が勝手に住み着いていて、追い出すために「FBIが捜査中だ」という噂を流したらすぐいなくなったんだとか。おもしろすぎる。
これもたしかその近所の、別の通り。
青いライオン、ラベンダー色のドア、ペパーミントグリーンと金色のアーチ。
窓枠にフューシャピンク。
この家からはドルチェ&ガッバーナかヴェルサーチに身を固めた人がでてきてほしい。
2018/10/13
SFMOMA
ラウシェンバーグ展観に行ったSFMOMA(サンフランシスコ近代美術館)。
だいぶ前ですよ。今年の春ごろ。
かなり大好きな美術館のひとつです!
公園側の正面入口から見た建物。この微妙な円筒がついている部分は1988年ので、建築家マリオ・ボッタが設計したもの。これぞポストモダン!という見本のようなビルです。
わたしはあんまり好きじゃなーい。なんかこのシマシマと茶色の組み合わせも。
80年代ですねー。
ウェブサイトのdezeenによると、オープン当初の反応もあんまりよくなかったらしい。
SFMOMAはこのビルを保存して、そのうしろに新しいビルを建て増し、2016年にリニューアルオープンしてます。
茶色の部分がボッタの建物で、うしろの白い微妙に歪んだ立方体の建物が新しいビル。
増設部分は、オスロの設計事務所スノヘッタが担当。
北欧らしいすっきりしたビルは、ボッタのビルとまったく対照的なんだけど、中に入ってしまうと違和感がないのが素晴らしい。
となりのビルの屋根に寝ている人が!
内部は、新しいビルと古いビルの継ぎ目にまったく気づかないくらい自然です。
メジャーな美術館としてはどちらかというと土地面積が狭いほうかもしれず、縦に長い(8階建てだったかな?) スペースだけど、入り口ロビーの階段の吹き抜けがどかーんと大きいし、カフェもオープンエアで広々していて、すごーく広い印象を受けます。
ショップも広い。
カフェのビーツサラダ。おシャレでござる。
ケーキやコーヒーもあり。ここのコーヒーはilly。
これがあの妙な円筒形の下の部分。
ルイーズ・ブルジョワさんの蜘蛛たちの展示をやっていた。
食事ができるカフェのほかに、建物のちょうどまんなかあたりにもコーヒーショップがあって、展示を見て疲れたあとにささっと休憩ができてとても便利。
もう1軒、1階にもすこしフォーマルなレストランがあるそうです。
コーヒーショップは地元サンフランシスコのSightglass Coffeeというロースターが入居してます。
北欧風の明るいナチュラル素材、クリーンなライン、ミニマルな家具。
ところでいま。日本で藤田嗣治展やってるんですよねー。京都に観に行きたいーーー。
2018/10/12
ラウシェンバーグ展
ずいぶん前だけど、サンフランシスコ近代美術館にロバート・ラウシェンバーグ展を観に行った。
ラウシェンバーグは1925年生まれ、2008年没。第二次大戦中は徴兵されて海軍に所属、戦地には行かず米軍病院に勤務して、終戦後、「GIビル」(兵役を終えた人に支給される連邦政府の奨学金)でアートカレッジに行って美術を学んだ。
第二次大戦直後にGIビルで美大に通って芸術家になった人は意外に多い。
日系部隊で戦ったハワイ日系人の中にも、戦後東海岸の美大を出てアーティストになった人が何人かいることを先日知った。
1940年代後半に美術学校を卒業した野心的なアメリカ人アーティストが行くべき場所はただひとつだった。芸術の中心地の座をパリから奪い取ったニューヨークだ。
当時のアートシーンでは「抽象表現主義」が時代の最先端で、ジャクソン・ポロックに代表される「アクション・ペインティング」がいちばんクールで注目されていた。
そのなかで他の人がやっていない、もっとクールでもっととんがった、もっと時代に呼応したものを造るのがアーティストの使命なのだった。
「描く人の内面生活を、絵筆のストロークを通して描き出そうという抽象表現主義に対し、ラウシェンバーグは、アートは私たちが毎日出会う膨大な情報を取り込み、反映するべきだと考えていた」と、展覧会の解説にあった。
ラウシェンバーグがニューヨークデビューしたばかりの1950年代はじめの作品は、アートで表現できることをあらゆる面からとらえなおそうとする実験精神あふれるものばかり。
車のタイヤにインクをつけて紙の上に走らせただけの作品。
新聞紙を貼り、その上に光沢のある真っ黒なエナメル塗料を塗りたくった作品。
別の画家の鉛筆画を消しゴムで消すことによって、「消した」という行動を作品化した作品。
石にひもをつけて釘にむすびつけた作品。
「うわーーー、こりゃー楽しかっただろうなあ」 というのが素直な感想だった。
毎日毎日、最先端の新しいアイデアを考えついては大真面目で取り組んでみる。
まだ誰も考えていないアートの手法、誰も表現していないもの、つまり未開拓のフロンティアがあった幸せな時代。
彼らの前にはブルーオーシャンがひろびろと広がっていた。
1950年代のニューヨークで生まれたそういう作品群は時代に愛された。
彼はいちやくスターになっていく。ラウシェンバーグ、20代後半。
そして次にラウシェンバーグが編み出したのは、布、雑誌の切り抜き、日用品といった雑多なものをキャンバスに取り入れた「コンバイン」ペインティングという技。
当時、時代を席巻していた抽象表現主義は、「アクション・ペインティング」に代表されるような、勢いのあるストロークが特徴だった。
ラウシェンバーグの作品はその乱暴なまでの筆使いをそのまま取り入れて、それをまったく関係ないものと組み合わせる。
たとえば、自分が使っていたベッドの上半分に、むちゃくちゃにペンキをなすりつけたような作品「Bed」(1955)。
下半分は、どのアメリカの家庭でもおなじみのアイテムだった、パッチワークキルトのベッドカバー。 アップルパイと同じように、アメリカの古き良き正しいファミリーを象徴するアイテム。ありふれて平凡で、変わりようのない制度を代表するようなアイテムだった。
それと先進的な知的芸術であるはずのアクションペインティングを組み合わせる。アートにとっても、古き良き正しいファミリーの価値にとっても冒涜的な挑戦だったのではないかと想像できる。
散歩の途中で買ったアンゴラ山羊の剥製に、拾ったタイヤを組み合わせ、それを抽象表現主義ふうの抽象画の上にのせた「Monogram」(1955) 。
この「モノグラム」はラウシェンバーグの代表作の一つとされている。
この作品がニューヨークのアート界に与えた衝撃は、きっととてつもなく大きかったのだろう。
抽象表現主義は、宗教的といってもいいような厳粛さでアーティストの内面をキャンバスに叩きつける、そのおごそかな真面目さとパワーが身上だった。
ラウシェンバーグの「モノグラム」は、その真面目な抽象表現主義の上に、人をくったようなヤギの剥製をのせた。 しかも、タイヤをはいたヤギだ。
なめとんのかコラ!と思ったアーティストも多かったことだろう。
でもラウシェンバーグはふざけていたわけではなく、これが世界を表現するあたらしい方法である、と大真面目にプレゼンテーションしてみせたのだ。
もはや自分の内面だけ語るのは古い。世界は偶然に出会ったヤギとかタイヤに語らせるべきであると。
パンクである。まだ世界はビートルズもローリング・ストーンズも知らなかった。
もちろんセックス・ピストルズも、ラップも知らなかった。
世の中が変わっていく予感があちこちに充満していたけれど、まだまだ決まりごとの多い世界だった。男は男らしく、女は女らしく。ホモセクシャルは暗いクロゼットの奥に隠れているしかない社会だった。
決まりごとがほころび、崩壊していく予感を、きっとアーティストや若者たちはギラギラした喜びを持って抱きしめていたことだろうと思う。
ラウシェンバーグはゲイでもあったが、まだおおっぴらにカミングアウトできる時代じゃなかった。同性愛者が犯罪者のように扱われる時代であった。
俺が既成の概念を壊してやる!しかもカッコよく! という気概が、ラウシェンバーグの作品にはみなぎっている。
そして実際にカッコよい。その楽しげなところがとてもカッコ良いし、乱雑に塗りたくっただけのような黒い画面にも、ひもをくくりつけた石にも、ダンボールのつぎはぎで作った作品にも、美しい質感があり、統一感があり、完結性があり、見る人がつながることのできるオープンさがある。
なぜそうなるのかわからないけど、彼には美意識の魔法があった。
彼の作品は有名になり、親友兼ロマンチックな交際相手でもあったというジャスパー・ジョーンズと一緒に「ネオ・ダダイスト」と異名をとるグループの中の重要なアーティストになっていった。
たがいに関係ないものをむちゃくちゃにコラージュしたような、雑多な画面は、1960年代にはじまったテレビの時代、日常生活に情報がどんどん氾濫していく時代を敏感に反映していた。
ラウシェンバーグたちのすぐあとに、ポップアートの時代がやってくる。
これは1968年の作品、「Mud Muse」。
ベントナイトという粘土を溶かしたねっとりした水の下に、コンプレッサーで空気を送って、ボコボコとわきたつ温泉のようにする装置。
なぜだか人はこういうものに見入ってしまう。
暖炉の火や波に見入るのと同じ感じですね。
村上隆が以前にツイートで 、
「コンテンポラリーアートを「体感」とか言って、鑑賞者のあるがままで見ようとしている方。それじゃ絶対にわかりませんよ。文脈わからないと。さっき音楽のhiphopの世界との比較をしてみましたが、文脈を理解しているといないとでは見方、感じ方、考え方が全く違います。」
と言っていた。
アートの価値を云々語るならまずその前にコンテクストを勉強せよ、と。
それは、たしかに正論。
それは正論、ではあるけれども、コンテクストを知らない人にも「体感」で一定のインパクトがなければアートとして成立しないんじゃないかと思う。
20世紀のアートは、音楽と同じように、それまでのものを否定し乗り越えることで変わってきた。
でもそこにあるのは言葉による「理由」や「説明」だけではない。
優れた作品は、常に常に、重層的なもの。
積み重なった中には、たくさん情報がなければ理解できない部分もあるが、言語的な情報がなくてもつたわる部分もあるし、おそらくはそれが最も強い力だと思う。
ビジュアルや音の存在感、質感、迫力、それと周囲の世界、その時代との関係。
作品そのものが放つ世界観と美意識。あるいは同時代の美意識そのものへの挑戦。
アートの文脈を正確に知らなくても、言語で説明すべき意味を飛び越えて、不意にその切実さ、同時代性、迫力、主張が共有されることがある。それがアートの力だと私は思う。
もちろん、誤解もあるわけだけれど、言葉を尽くしても誤解はなくならないわけである。
そのアートがある程度の普遍性を持っているのならば、そのアートの挑戦しているコンテクストは同じ時代に(あるいは少し後の時代に)生きる人間として、見る側にもある程度共有されているはずだ。
と、わたくしは思うのですがね。
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