2019/04/24

フランシスコさんの苦難 <フィレンツェ思い出し日記 その5>


フィレンツェ、アカデミア美術館のダビデくん以外の作品。

ジャンボローニャの「サビニの女たちの略奪」の石膏モデル。
大理石版はシニョリーア広場の「ランツィの回廊」にあります。

すごいドラマチックな場面をねじれた形状で表現している、ルネサンス後期、マニエリスムの作品。
ほんとにねじれてますね。


アカデミア美術館にあった中世〜ルネサンスの絵画がかなりツボで好きです。
これは作家の名前を書き留めてこなかった…。キリストの背後にいるのは誰なんだろう。

赤い翼の顔だけの天使がわらわらとわいています。


 無表情な天使の顔がこわい。


こちらも…忘れました。
キリスト復活の場面だと思われますが、レイドバックな感じのキリストが素敵。



タッデオ・ガッディさんの作品。
なにか恐ろしい四翼の飛ぶものから攻撃を受けているように見えてしまいますが、これは聖痕を受ける聖フランシスコ。


火の車に乗って空を飛ぶ聖フランシスコ。


美術館から帰る途中でみつけた、道路標識アート。


こちらも。↓
白い板を愛しちゃってるおまわりさん。
かわいい。なんだかいろいろなものが同居している街です。



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2019/04/23

ダビデくんとプリズナーたち <フィレンツェ思い出し日記 その4>


リッカルディ宮殿の次に行ったのは、フィレンツェのメインイベントのひとつ、アカデミア美術館。

夏場は行列で入場するまでに長い時間がかかるそうですが、3月初めは並ばずに入れました。
「フィレンツェカード」というフィレンツェ市内の美術館の共通カード(85ユーロで72時間有効)を利用したので、次の日のウフィツィ美術館も優先入場できて便利でした。(その後ルールが変わって、フィレンツェカード持ってても入館時間の予約が必要になったようです)



世に名高いミケランジェロのダビデ像。ミケランジェロ27歳〜のときの作品。

実物を見て、思ったより大きい、という人が多いみたいだけど、私の脳内ではダビデくん超巨人化していたので、あれ、意外にちっちゃい、と思いました。

もとはドゥオーモの外壁の高いところに飾る予定だったのを、あまりにも美しく力強く感動的な作品に仕上がってきたので、政治の中心だったヴェッキオ宮殿の正面玄関に飾ることになったそうです。(今ではヴェッキオ宮殿の前には同じサイズのレプリカがあります)

これから倒そうとする巨人ゴリアテに目を据えるダビデ。
この素っ裸の像は、やっぱりかなり明白にローマ・ギリシアの異教の神々から受け継いだオーラをまとっていて、そして自信でいっぱいです。


リック・スティーブズさんは
「ルネサンスのフィレンツェ人たちはダビデ像に自分たちを重ね合わせていた。ほかの巨大な都市国家と互角に戦う、神に祝福された小さな存在として。そしてより深いところでは、中世の迷信や悲観的な世界観、抑圧という醜い巨人を倒す文化的なルネサンス人として」と書いてます。

このテーマはハリウッド映画にも簡単に移し替え可能。

中世の教会の抑圧と重い禁忌からの解放というルネサンスのシンボルとされる作品が、現代のひとにも同じくらいの熱さでアピールするという、そのオーラはほんとうにすごい。




時代に求められてちょうどぴったりのときに現れた芸術作品は、多くの人のものの見方を変えていく力があるんだなと思わされます。


ダビデ像と同じくらい感動的だったのが、ダビデくんのすぐ近くに並んでいる未完の作品群。
「Slave(奴隷)」または「Prisoner」と名付けられてますが、どちらにしても後世の学者がつけた名前。

ミケランジェロは、彫刻家の仕事は石の中に閉じ込められた彫像を見つけることだと思っていたそうですけど、この4つの未完の彫像を見ると、それがウソやハッタリではなくて、ほんとにそうだったんだと思わざるを得なくなります。



大理石の中に閉じ込められていた人物が徐々に姿をあらわすみたいに、石の中から人の体があらわれてくるプロセスが記録されています。

ほんとに石の中から解放されていく人を見ているようで、「プリズナー」というのはいいえて妙なネーミングだと思います。

ノミのあとも生々しく、石から切り出されたカタマリがなめらかな筋肉になっていくその過程が目の前に見えるよう。

粗いピクセルから細かいピクセルの精密画像が現れるような感じでもある。

人知を超えてるとしか思えない制作過程がうかがえます。


ダビデくんはフィレンツェのヒーローだけに、ダビデくんグッズは街中のお土産やさんで見かけます。
このエプロン、CT旦那さんにお土産にしようかなと思って画像をテキストしたら全力で拒否された。


こちらはアカデミア美術館のショップ。

やはり焦点はそこなのか!


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2019/04/22

宮殿とバンクシー、メディチさんちの難しいトイレ <フィレンツェ思い出し日記 その3>




フィレンツェ滞在は正味2日間だったので、ほんとに数点集中でした。

…とはいえ、ウフィツィ美術館とダビデ像しか下調べをしていなかったので、きわめて行き当たりばったりで。

毎度毎度、旅先の下調べができないというのは、なぜか旅が急に決まることが多く、仕事やなにかがたてこんで時間がないというのもあるんだけど、なにか妙なブロックがかかってるのかも、とも思う。

でも帰ってきてからじっくりその場所のことを読んだりしてみて、「ああーそうだったんだ!」と噛みしめるのが好きです。前もって知っておくよりも、むしろそのほうがじわじわと経験が深まる気がする。すこし言い訳めいてますけど。
行く前にこれを知っておけば…と悔しい思いをすることもたまに(スルーしちゃったドージェの宮殿の謁見の間とかね)あるけど。

フィレンツェ1日目はバルジェッロ国立博物館に行こうと思ったら午後1時までの公開で、もう閉まっており、ウフィツィ美術館は翌日行く予定だったので、たまたま目の前にあったメディチ家のリッカルディ宮殿、Palazzo Medici Riccardiへ。

コジモ・デ・メディチさんが1444年に建てた宮殿だそうです。

目の前にあったのに、「宮殿」というわりに外観はまるで銀行かなにかのように地味でいかめしい四角い構えで、しかも街なかにぽっとあるので、「ほんとにここなの?これが宮殿?」とちょっと疑ってしまいました。

外見はこんなです↓。
(Wikiコモンズより)
コジモさんはもともとドゥオーモのクーポラを完成させた天才建築家フィリッポ・ブルネッレスキに設計を依頼したのだけれど、あまりにも豪壮な構えだったので、市民の反感をかうのを恐れて、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオさんにもっと地味な設計を再依頼したそうです。

たしかに、敵が多くて、ちょくちょく暗殺されたり追放されたりする家庭だったことを思えば、この「宮殿」の厳しくてそっけない外観は納得がいきます。



現在はフィレンツェ市の所有で、美術館になっているこの宮殿。
なんと、訪ねたときにはバンクシーの展覧会が開催中でした。


小さな展示だったけど、充実してて面白かった。

宮殿とバンクシーの取り合わせがなんともいえません。
フィレンツェ市のキュレーターはけっこうアナーキストなのかも。


外見は質実剛健ふうな宮殿ですが、中はやはりゴージャスそのもの。

Magi Chapel(マギ・チャペル)という名前の邸内礼拝堂は全面の壁が麗しいフレスコ画で飾られてます。

ベノッツォ・ゴッツォリさんという画家による1459年の作品で、大名行列みたいな大人数の行列が緑豊かな土地をやってくる図。

いちおう「Magi」、つまりキリスト生誕を祝って駆けつける東方の三博士の行列ということになっているのだけど、お衣装は15世紀らしいし、当時の人々、とくにパトロンであるメディチ家の人々やそのお友達、画家自身などが描き込まれた15世紀のコンテンポラリーな仕上がり。

この絵はBBCのTVシリーズ『メディチ』の続編としてNetflixが作ったシーズン2にもでてきました。
 


礼拝堂の聖母子像。



こちらはフィリッポ・リッピの聖母子像。

フィリッポ・リッピの作品はウフィツィ美術館にある聖母子像が有名ですが、こちらも透明感のある素敵なマドンナです。

フィリッポ・リッピというひとは司祭の役職も任じられていたのに、50歳の頃、お祭りの騒ぎに乗じて23歳の修道女を「自宅に連れ去っ」て内縁の妻にしてしまったという破戒僧。でもコジモさんが教皇にとりなして還俗させ、めでたく夫婦になったのだそうです。コジモ、 やるな。


その聖母子像のウラにあるデッサン。憂いのある表情。
若い女性の持つこういったはかなげな透明感をほんとに崇拝していたのですね、フィリッポ・リッピさん。


豪華絢爛、ベルサイユのような「鏡の間」。こちらはメディチ家からリッカルディ家へ宮殿が売却されたあと、17世紀のバロック期につけたされたお部屋。

ここに透明なプラスチック椅子を配するところが、さすがにイタリアです。かっこいい。


こんなところにもヴェルサーチ!(蛇ヘアーのメデューサさん)。
イタリアの人ってメデューサさんが好きなんですね。
ウフィツィ美術館の外壁の飾りにもカラヴァッジョの描いたメデューサさんがフィーチャーされてました。 ↓ これね。




「鏡の間」の隣の広間には、会議設備がありました。後ろにあるのは同時通訳者用ブースと思われる。こぢんまりしているけど、フィレンツェ市の国際会議に使われたりするのでしょうか。
「どんな会議があるの?」
と、美術館のひとに聞いてみたら「ポリティコ」というお答えでした。

ところでこの宮殿でトイレに行こうと思ったら、地下の奥のほうにあったこのトイレが…



(トイレ画像注意)
↓↓







使用方法が難しくてよくわからなかった(涙)。

日本に来て、個室の中で和式トイレに遭遇した外国人観光客のみなさんも、きっとこんなふうに途方にくれることであろう。
いったいどちらを向いたらよいのか?


あっ説明書きがある!と思ったがイタリア語でした。
一生けん命グーグル翻訳してみたが、

we kindly ask all people who use the bathroom to keep it clean and orderly」
(トイレはどうかきれいに使ってくださいね)

役に立たない注意書きであった。

成田空港のトイレ(洋式)についているピクトグラムはとても親切だと思いました。

イタリアで出逢ったトイレは、観光地であっても、高級ホテルや高めのレストランなど以外の場所では、けっこう難易度が高い(トイレのシートがないとか)ことが多かったです。



リッカルディ宮殿の意外にこぢんまりとした中庭。植わっているのはレモンの木。

『メディチ』でもたしか、ヴェネツィアから来たコジモのお妾さんが、奥様付きのお女中さんにイヤミをいわれる場面ででてきた気がします。


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2019/04/16

ドゥオモくんと機嫌のよい街 <フィレンツェ思い出し日記 その2>


街中、ほんとうにどこを見ても絵になるフィレンツェでした。


この赤い車輪の自転車は、シアトルにあるLIMEバイクとかJUMPみたいな、時間貸しで道端に乗り捨てできるシステムのレンタルバイク。

うちの息子もアプリをダウンロードして乗ってました。
しかしこれもデザインがオシャレ!


なにげなく覗いたウインドウ。

弦楽器の修理やさんのようでした。

螺鈿?象牙?の飾りがびっしりのヴァイオリンや、解体されて修理中のギターなどが無造作に置いてある小さな店。その日は休業らしく、閉まってました。

童話の本に出てくるお店みたいだ。


石畳の道に無造作にいるイタリアのおじさんがまたオシャレ。
スカーフ/マフラーがデフォルトです。


フィレンツェの街は夏場は観光客で溢れかえるそうですが、ヴェネツィアとは違って、生きている活気ある街という感じがしました。大学もあるし、きびきびした生活感がある。


ローマ時代からの広場だそうです。

イタリア事情に詳しく、ヴェネツィア在住の友人もいらっしゃる版画家の尚美先生は、住むとなったらいろいろ大変そうだよ、と言っていた。

うん、きっと役所とか電話会社とか電気会社とか、そういう方面で苦労しそうな気がする。ハワイも相当疲れたけど、きっとそれに輪をかけて。

そのような方面をすこしのぞき見た感じがしたのが郵便事情でした。

アメリカの元義理ママ(息子のグランマ)に絵葉書をだそうと思ったら、郵便ポストというものがなく、かなり遠い郵便局まで行く必要があるといわれて困惑。ポストってないんだ…?

チェックアウトのときに宿の人に聞いたら、親切にも出しておいてあげるよ、と言ってくれたのだけど、絵葉書が着いたのは帰国後3週間後くらいでした。


でもイタリア各地で出会った人はみんなだいたい親切で機嫌が良かった。観光地だからというのもあると思うけど、明るい。それもハワイに似てる。

機嫌の悪い人が多いけど物事が粛々と脇目も振らず迅速に進む街と、いろいろトラブルはあるけど機嫌の良い人が多い街と、どっちがいいかといわれたら、住むならば後のほうがいいかな。文句いいながらも。


細い道を適当に当てずっぽうに歩いていたら、建てものの間からドゥオーモの姿があらわれて、思わずおおおおー!と声を上げてしまう。



正式名称はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。

13世紀から140年かけて建設されたという聖堂です。
こんなに建て込んだ街の真ん中にあるんだー!と新鮮に感じました。

ヨーロッパ中世の街というのは城壁に囲まれた限られた面積の中に建てるからめちゃめちゃ建て込んでるんですね。
行ってみるまで、そんな事情を考えてみたこともなかった。

機内で読んだリック・スティーブズさんのガイドブックで

「ドゥオモは屋根に大きな穴が空いたかたちで建設された。壮大なドームをその上に建てられるような技術が、建設着手当時にはまだ存在していなかったのだ。でもそんなのは大した問題じゃない。フィレンツェの人びとは、そのうちにきっと誰かがこの難問を解決するに違いないと知っていた。15世紀になって、フィリッポ・ブルネレスキがその役を果たした」

とあって、まじでか!と感動しました。

どうやって建てるかわかんないけど、 とりあえず建て始めちゃいましょう

って、日本では多分、ありえない発想ではなかろうか。

大仏殿の屋根の作り方わかんないけど、とりあえず下だけ作っとこう、ってないよね。
何言ってんだおめえ、て即座に却下されそう。

行ったことないけど、イギリスやドイツでも、きっとダメだっていわれそうな気がする。そんなことないですか?



ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂でもつくづく思ったけど、石の文化ってほんとに、重ねていく文化なんですね。

この正面のファサードは19世紀に完成したもの。
着工が1296年だというから、実に600年ちかくかけて完成したともいえる。


帰ってきたからNetflixでドラマ『メディチ』を観たら、第1部の舞台は15世紀前半、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・メディチさんとその息子コジモの時代で、まだてっぺんがまるあきのドゥオモが出てきた。

そして第一話でジョヴァンニさん(演じているのはダスティン・ホフマン!おじいちゃんになった!)が息子コジモとの会話でそのことに触れて、このドゥオモは未来を信じるフィレンツェ人のホコリであり自信なんだ、みたいなことを言ってて(うろ覚え)、えへへっ、と思いました。




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2019/04/13

スクワット街灯と宝石商の橋 <フィレンツェ思い出し日記その1>


フィレンツェ思い出し日記!
もうひと月半も前なのか。はやっ。

ヴェネツィアからフィレンツェへは車で山越えをして、文字通り夜中に到着しました。

翌朝、ポンテヴェッキオという有名な橋にむかう途中でいきなり遭遇したのがこの、手すりの上でスクワットしてる街灯くん。

もうこの街灯ポストをみた瞬間に、わたくし、この街が死ぬほど好きだというのがわかりました。

どの時代にどなたがデザインしたものかまったく知りませんが、この脚。
この街灯が川沿いにしゃがんでいるこの姿を見ただけで、ここに住みたくなった。

ていうか、ここも、初めて行ったのに、帰ってきたよ久しぶりだね!という感じがする街だった。


橋のうえにぎっしり建てものが乗っている、ヴェッキオ橋。

上階にはメディチ家専用通路があったそうです。
「ヴァザーリの回廊」という名前のついてるこの通路、いまは改修中で、2021年に再オープンの予定だとか。気が長い感じがイタリアっぽい。



最初は肉屋がずらっとならんでいたのが、16世紀に橋の上にその専用通路を作ったメディチの人(コジモ1世)が、橋を通るときに<臭いから>という理由で肉屋たちを追い出し、金細工師たちの店入れ替えたというお話です。

肉屋さんは川に廃物を捨ててたんでしょうか。 相当臭かったんでしょうね。


いまは観光客むけにジュエリーショップが両側にずらりと並ぶ。


夏場は足の踏み場もないくらい混雑するそうですが、2月の末はこんなかんじでした。

ポリスのユニフォームも可愛い。左の二人。白いヘルメット。
コスプレ?と思うくらいカワイイですが、ちゃんと拳銃を携帯してるポリスウイメンでした。

ていうか街の人もみんなオシャレだ。


ヴェッキオ橋の上にある宝石屋さんで買ったスプーン。1本7ユーロなり。
メイド・イン・チャイナかもしれませんが、すごく満足。

ショウウィンドウに並んでたほかの品物たちとは2桁以上値段が違うので、ほんとうに7ユーロなのかちょっとドキドキしながら聞いてみた。

翼の生えたライオンはヴェネツィアの徽章。
右のはメディチ家の紋章なのか、フィレンツェ公国の徽章なのかよくわからない。
こんなに小額のお買い上げなのに、宝石屋さんはとっても丁寧に流麗な筆記体の領収書を書いてくれました。



これもフィレンツェの紅茶屋さんのお茶です。中国風のグリーンティーに松の実や花がはいってて、ヴァニラの香りがする「ミケランジェロの夢」。

できることなら毎月通いたいよ、フィレンツェ。また行く絶対。


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