シアトルのファーストヒルにあるフライ美術館に行って来ました。久しぶり。4年ぶりくらいか。
『グループ・セラピー』という展覧会が開催中でした。(1月6日まで)
ものすごい量の情報が交錯し、フェイクニュースの物語ごとに陣営にわかれて相互のコミュニケーションが成り立たなくなってしまったようにみえるこの時代に、癒やしとコミュニケーションの可能性を模索する。
…といった内容の作品をあつめた、なかなかおもしろい展示でした。
Shana Moultonというカリフォルニアの女性アーティストの、プロジェクションを使った作品が面白かった。
ダリっぽい地平に並べられている、いかにもニューエイジっぽいグッズたち。壁につぎつぎと映し出されるマンガっぽい人体の一部。
My Life as an INFJ というタイトルは、マイヤーズ・ブリッグズ の16種類のパーソナリティタイプを示してます。
(ちなみにわたしはINTP。20年位まえにホノルルのカレッジで心理学の講座をとったときにこれをクラスでやって、その当時、まもなく別居する運命であった旦那がまるっきり正反対のESFJだったので、ああなるほど…と思ったのでした。)
もう一方の壁には別のビデオ作品『Whispering Pines』。これもいかにもカリフォルニアチックなニューエイジ/スピリチュアルな傾向に惹かれながら現代生活をおくる白人女性を自演していて、皮肉なのだけど意地悪ではなく、スピリチュアリティに対する希求の切実さがコミカルに描かれてるけど切ない。
もうかれこれ10年ほども続けているシリーズのようです。
この悪意のない皮肉、どうしようもないおかしさと切実さが、わたしはとても好き。
まあその解釈が合ってるかどうかは、わかりませんが。
Lauryn Youdenというカナダ生まれ、ベルリン在住アーティストの作品『A Place to Retreat When I am Sick (of You) 』
黒い砂を敷き詰めた、瞑想のループ。ざぶとんとヘッドフォンがいくつかおいてあり、それぞれいろんなバイノーラル・ビートが聞こえる。
一番おもしろかったのは、Marcos Lutyensという英国人アーティスト(ロサンゼルス在住)の『Library of Babel, a Symbiont Induction』。
薄暗い小部屋のなかに腐葉土が敷き詰められ、クッションとヘッドフォンがいくつかおいてある。中心のガラスケースのなかには、きのこ(霊芝)が生えた螺旋階段を中心としたテラリウム。壁には幾何学もようのタイル(菌糸体を素材とした防音タイルだそうです)が貼られている。
ボルヘスの短編『バベルの図書館』を下敷きにした作品で、ヘッドフォンからはアーティスト自身の声で録音した、きのこの世界にわけいっていくようすをブツブツ呟く催眠術的なモノローグがきこえる(なかなか気持ち良い)。
『バベルの図書館』は 、上にも下にも永遠に螺旋状につながっている六角形の図書室だけでできている世界のなかで生きている図書館司書のモノローグという体裁をとった短編です。
この短編の英語訳を一生懸命読んだのだけど、とにかく単語やイメージが難解で、わたくしには完全に理解なんかできませんでした。
しかし、言葉と幾何学から成る陰鬱な永遠の図書館世界と、その書物に書かれた謎を解き明かそうとして永遠の中の短い生涯を費やすひとびとのイメージは強烈です。
松岡正剛さんのサイトに、この短編の一部が紹介されてるのを発見しました。
(ここから)
その図書館は、その中心が任意の六角形であって、その円周は到達不可能な球体なのである。 そこでは、五つの書棚が六角の各壁にふりあてられて、書棚のひとつひとつに同じ体裁の32冊ずつの本がおさまっている。それぞれの1冊は410ページから成っている。各ページは40行、各行は約80文字で綴られる。 この図書館は永遠をこえて存在しつづける。なぜならば、そこにはたえず有機的な文字をもった書物が一冊ずつ加えられつづけるからである。 しかし、どの一冊をとっても、その一冊が他の全冊と関係をもたないということはない。たとえば私の父が図書館の1594号回路で見かけた一冊は、第1行から最終行までMとCとVの文字が反復されるがごとく並んでいた。しかしそれが意味がないと、いったい誰が決められるだろうか。その一冊は、少なくともそのような配列をもつことによって迷路になりえているのである。
(ここまで)
この展示は、バベルの図書館に収められている、意味のわからない暗号でいっぱいの書籍を、たがいに言葉ではない方法でコミュニケートしあう菌、またはその菌糸のあいだにある情報におきかえて、有機的な空間を作り出しています。
きのこたちにはわたしは昔から異常に親近感を感じているので、これはめっちゃ面白かった。だってきのこってとても妙な方法で互いに信号を送り合って共生している、ヘンないきものではないですか。