2016/09/21

奥の院の衝撃 (高野山 その4)


さて、朝ごはんを食べて阿字観瞑想も終え、宿坊をチェックアウトしたあとで、まず奥の院へ。

奥の院というのは、空海、つまり弘法大師の「御廟」があるところ。

というのは、前日、高野山に着いてから初めて知った(・_・;)。

観光パンフによると

「弘法大師御廟は大師信仰の中心聖地です。各宗派の祖師の中でもただお一人入定信仰を持つ大師は、今でもあらゆる人を救い続けていると信じられています」

えっっ。

高野山公式サイト にはこう書いてある。

「921年、醍醐天皇はお大師さまに「弘法大師」の諡号(しごう)を贈られました。この時、東寺長者の観賢(かんげん)はその報告のため高野山へ登られました。奥之院の廟窟を開かれたところ、禅定に入ったままのお大師さまに出会われ、その姿は普段と変わりなく生き生きとされていたと伝えられています。

この伝説からお大師さまは、今も奥之院に生き続け、世の中の平和と人々の幸福を願っているという入定信仰が生まれました。」

ええっ。


つまり、この奥の院の一番奥にある御廟の中に、いまでも弘法大師が生きて祈っている。という信仰があるのだという衝撃の事実。知らなかった!

そしてさらに衝撃的なことに、この御廟に毎朝、弘法大師空海先生のためにごはんを!1日2回!届ける係のお防さんが(維那というそうです)いるのだそうだ!

御廟に入れるのはこの係の人ひとりだけ!

中で何を見たかは、死んでも口を割らないお坊さん。

この係の人は、いったい何年間くらいずつ、この役割をあてがわれるのでしょうか。
想像を絶する生活だなあ。

…という知識を仕入れたてホヤホヤで、宿坊から奥の院へ向かったMちゃんとわたくしでした。


入り口から奥の院までは、こんな苔むした杉木立の間の石畳の道が、2kmもつづく。


その両側には、みっしりと、お墓と、供養塔。

「加賀家」「島津家」「松平家」など、お大名やお公家さんの家の、囲いの中に苔むした背の高い墓石が人の住まないビルディングのようにひしめきあって立ち並ぶ墓所あり、武田信玄、明智光秀、上杉謙信、織田信長などの供養塔もある。

豊臣家の墓所もあり、一番奥の御廟に近い左手の、とくに大きな囲いの中に「歴代天皇陵」もある。


御廟の手前にある 「水向け地蔵」。お地蔵さんや不動さんたちが並んでいるところに水をかけて祈るしきたりらしい。


水をかけるひとびと。割合に思い切りかけている。


この「御廟橋」から先は、写真撮影は禁止。

奥にみえるのが「燈籠堂」。
弘法大師がいまも祈っているというのは、燈籠堂のさらに後ろの小さな建物。

燈籠堂の中では、信仰の篤い巡礼の人から、クウカイってなにそれラーメン屋?な観光客(わたしもほぼ同レベルだったですがね)までが列をなしてお香やお守りや御札やろうそくを買っている。

そのうしろには大きな祭壇があり、そこに座って拝んでいる人もいる。
追加料金で、個別の祈祷をしてもらえるのだそうです。

高野山奥の院での祈祷料は明朗会計で、3000円から20万円まで。
中に座って護摩祈祷をしてもらうには5万円、供養が1万円から。
そして納骨が5万円から、とある。

意外にリーズナブルな価格設定、なのでしょうか。

燈籠堂というだけに、天井や壁に一面にちらちらと火の燃える燈籠がかかっていて、幻想的です。

ここは消防法的にどうなのかという疑問が頭をかすめる。きっと黙認というか治外法権的な扱いなのかも。地震の多い関東じゃちょっと怖いけど。


燈籠堂の中はもちろん撮影禁止なので、和歌山県のサイトからお借りいたしました。

燈籠堂と御廟の前を通って、燈籠堂を一周。

御廟の前には「納骨堂」があり、ここに骨をおさめることができるらしいです。

燈籠堂には地下がある。

この地下室には、ちっちゃい空海先生が何千体も並んでいた!

身内の供養をしたい人が空海先生の像をここに並べる権利を購入してお参りをする、お墓のミニチュア版のようなシステムらしい。

なんだかここはとてつもなく重苦しくて、早く外に出たいと思った。

奥の院全体が重い場所に思えたのだけど、この地下の空気はさらに重くて、あまり長くいるのは堪えられない気がした。
わたくし、閉所恐怖症ぎみなので、地下とか洞窟とか窓のない部屋が苦手なのです。

なんだかスピリチュアルな牢屋みたい。いったい何が閉じ込められているのか。

たぶん、あのちっちゃい何千体もの像にこめられた願いや祈りを、重苦しく感じたのだと思う。

これは空海先生が望んだことなのか? 

9世紀に生きた空海先生は、自分の開いた教えが1000年のちにこんな巨大なシステムに育つなんて夢にも思ってみなかったに違いない。

もちろん誰かの信仰にケチをつける気はさらさらないのだし、それがうまく働いているのなら素晴らしいことなのだと思うのだけれど。

高野山ができてから次々にお墓が集まってきて、数百年かけて、まるで珊瑚礁のようにお墓と骨が集積してきて、もうそれはたいへんな量のカタマリとなっている。

奥の院のお墓の数は、20万基だという。さらに、供養された人や納骨された骨の数を数えたら、何百万にもなるはず。



立石寺でもつくづく感じたけれど、お寺というのはつまりお墓であるのですね。

そんな当たり前のことと言われるかもしれないけど、立石寺と高野山を訪ねるまで、わたしにはそのことがいまいちわかっていなかった。


わたしも、毎回日本に帰るたびに、初日に父母の墓参りをブッキングする(自分と弟にブッキング)。

ふだん音信不通にひとしい上の弟にも声をかけて、下の弟に運転をたのみ、車で1時間以上かかる埼玉県大宮市のあたりにあるうちの墓まで行って帰ってくるのに、半日以上を費やす。

息子が行くときには、とりあえず息子も連れていく。

お墓は、まずもって、生きている人の思いを受けとめる器なのですね。

死者との関係の置き場所。

日本のお寺はそれの引受先として、機能しているのですね。それをここで、まざまざと感じてしまった。


奥の院には参道が2本あって、新しいらしいほうの参道には、企業の名前のついた立派な墓所がいくつも並んでいた。

これらには誰かの骨がはいっているのではなくて、亡くなった従業員や関連する人びとをまとめて供養するという供養塔なのらしい。

中でも一番古そうなのが松下電器ので、これは古いほうの参道沿いにあった。

昭和13年、45歳の松下幸之助さんが建立した。「建立誌」には、

「熱誠なる従業員の中で不幸傷病のため死没せし者」を出したことを「痛惜に堪えざる」思いで、「千古不滅の霊城に永代供養塔を建立し、これらの先人を弔うとともに、向後不慮の殉職または在勤中に死没せる人びとの霊を合祀して永くその冥福を祈り祀らんとす」
(原文は漢字とカナ)とあった。

大正から昭和初期の「熱誠なる従業員」たちは、ほんとうに掛け値なしに「熱誠」だったのだろうなあ。
今とくらべてずっと危険な工場などの環境で、命を落としたりした人もいたのかもしれません。
 「痛惜に堪えざる」というのが胸に迫る。

幸之助さんは、まことに社員思いだったんですね。胸熱。


見慣れた形が!!


上島珈琲さんも!!


しろあり!やすらかにねむれ!!
白蟻駆除をなりわいとする人びとが建てた白蟻のための碑です!


いろいろと衝撃的な事物の多い奥の院でした。


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2016/09/19

空海さんとシアトル高野山の曼荼羅 (高野山 その3)


空海さん。

高野山に行くまで、空海先生がいったいいつの時代になにをした人だったのか、まーーるで頭にはいってませんでした。申し訳ございません。

空海先生については、先日みつけたこの「大人になってから学びたい日本の歴史」というむちゃくちゃ面白いサイトの

空海「俺、天才で協調性もあって運も良すぎワロタww」

という記事(空海さん&最澄さんの連続4回記事)がほんとうにわかりやすくて面白くっておすすめです。

この著者さん、まだお若い20代の「ふつうのサラリーマン」さんだそうですが、バランス感覚も素敵だし、素晴らしいです。
日本史って自分でも呆れるほどなにも知らないので、これからちょびちょび読みにいこう。

ところで、シアトルにも高野山があるのをご存知でしたか?

以前瞑想セッションに参加させてもらい、今年の元旦にも行ってみてすっかり気に入ってしまった、こぢんまりした素敵なお寺。
瞑想や護摩行は誰でもウォークインで参加できます。

高野山の宿坊、一乗院のお堂で、この空海先生のお像に会って、そういえば、シアトルでも空海さんと目があったのだった……と思い出した。
シアトル高野山も、また年内に行きたいなー。

そうそう、去年だったかな、シアトル高野山の瞑想に参加したときに、新しい綺麗なお堂にかけられている胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅に目が惹き寄せられて、まじまじ目の前で見せていただき、とても感銘を受けたので、そうだ高野山に行ったらほんものが見られるのか!と思ってたんだけど、この曼荼羅があるのは高野山じゃなくて京都の東寺でした………(;´д`)トホホ…


胎蔵界曼荼羅、

アンド


金剛界曼荼羅。

どちらも「宇宙はこういうふうにできているのだ」ということを示した図。ということでよろしいでしょうか。

シアトル高野山にあるレプリカも、たぶん実物大? とても迫力がある。

どちらもベースになっている経典(大日経金剛頂経)について、学ぼうとすれば一生かけても学びきれないのだろうけれど、きっぱりした空間に視覚で全てを伝えようとしてくれている意思がなんともありがたく、宇宙観の片鱗がひとひらかふたひらくらい、ダイレクトにつたわってくるような気がする。

このつぎ京都に行ったら東寺に直行するだ!

東寺には「立体曼荼羅」もあるのだそうだ!



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大根の謎と御札 (高野山 その2)


夏に訪ねた高野山、その2。

宿坊の朝は早い。朝6時からの勤行が、お坊さまたちのメインのお仕事のひとつなんですね。

朝のお坊さまたちは、前の夜の作務衣とは違い、ぱりっとした正装の法衣をまとっていました。


勤行をするお堂は宿坊のお座敷の隣にある別棟。宿泊者もこの朝の勤行に招待されます。
「強制」ではありませんが、「ぜひともご参加ください」と、宿坊に泊まって勤行に出ないなんてありえないでしょ、という無言の了解を求められる感。

もちろん、よろこんで!参加させていただきましたよ。


お公家さんの菩提寺というだけあって、天井も絢爛豪華です。
宿泊者席は畳に正座ではなくて椅子席でした。


この正面にご住職が座って、両脇にもう二人ずつお坊さんが向かい合い、お経を上げる。

男声5名のお経は力強く、迫力満点で朗々と響き、心地良かったです。

ほんとに読経とかグレゴリオ聖歌とか、チャント系が大好きなんです。


下がり藤は、ここが菩提寺だというお公家さんの九条家の紋。

そういえばうちの実家も下がり藤だったけどちょっと違う。


空海先生の像。なぜか、大根とさつまいもと人参が供えられていました。

お坊さんたちが座ってお経を上げる中央ステージみたいなとこ(なんというのか、名前はあるのだろうけど)の回りに、空海先生像はじめ、各種如来像、菩薩像、不動明王像などが飾られ、そのまわりにたくさんの位牌が置かれています。


高野山では大根や芋を立てて供えるのが伝統らしい。
なにか意味があるのか聞いてみたけど、伝統だというだけで教えてくれませんでした。
きっと、かんたんにあかせない秘密があるに違いない(違?。

歓喜天/聖天という天部の神様が大根好きという話がウィキに載っているけれど、真言宗と関係あるのかどうかわかりません。


ものすごく恐ろしい形相のブラックな不動明王様。

ここは、部屋全体が大きなお仏壇のようなものなのだな。と思いました。

部屋に戻ってすてきな朝食(またお坊さんが上げ膳据え膳してくれる)をとったあと、ご住職(でいいのかな)が指導する阿字観瞑想というのに参加しました。

瞑想以前に、半跏坐ができなくてがっくり。

あれは、足の太い人にはできないのではないか。
と思ってご住職に「一生できる気になりません」と弱音を吐いたら苦笑された。

ご住職はみやびで知的な、大学教授みたいな感じの方だった。いかにも京都の方、という物腰。お公家さんの家筋なのかしらー。


瞑想セッションから戻る途中で、お庭のわきに神棚を発見。

お寺の境内に神社があるのは見たことがあるけど、お寺の(宿坊だけど)内部に神棚があるとは思わなかったのでびっくり。
天照大神の御札が貼ってありました。

ちょうどご住職が通りかかったので聞いてみると、
「さあ誰が貼ったのやら、どの神社の御札かわかりませんけど、真言宗では大日如来と天照大神は同じと考えております」
と、やわらかな関西弁で答えてくれた。

おおお。本地垂迹ってやつ!

わたしこの考え方は大好きです。神の名前や現れ方はその場所でいろいろに変わる、というの。
とても実用的だと思うし、信仰のあり方としてとても前向きじゃないかと思う。
原理主義の人にはもうとても我慢できない考え方だと思うけれど。

神と仏のどちらが正しいとかいう問題じゃなくて。
あらゆる存在は、名前も、あり方すらも、その場その場で必要に応じて変わるものだと思うので。

力や個性も、時と場と相手を得てゆるやかに、時には激しく変わっていくもの。
人も。神々も。植物も、鉱物も、惑星も、恒星も、宇宙も。

だってすべては空であり色でもあるとブッダ先生も言っているではないですか。

仏教の先生や神道の先生からしたら、ちょっと曖昧すぎる解釈なのかもしれませんが。

あっ、念のため、私はキリスト教徒ですよ!教会の人からみたら、かなり道に迷った間違ったクリスチャンだと思うけど。


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2016/09/16

秋の色、秋の味覚


急にさむくなって強風が吹いたら、一夜にしてすっかり秋が深まってしまったシアトル。
もうこんなに葉っぱが散ってしまった。


きょうのファーマーズマーケットでは、いが栗を発見!
栗ご飯…と思ったけど、買わんかった。

息子は大学に戻るガールフレンドを送ってサンディエゴに行ってるのである。
ひとりご飯は(ますます)手抜きご飯。


かわりにこちらを買いましたー。
サーモンのスライダー。スライダーとはちっちゃいバーガーのこと。というのはわりと最近学んだ。

釣り船を2隻もっててアラスカでサーモン漁をしているという漁師さんちの直営サーモン屋さんにて。
ベーコンとチーズいりのちっちゃい鮭バーガー、6ドルなり。うまかった。


近所のDogwoodがこんなに深い色になった。

 こちらはひと月前の図。


そしてこちらは6月。同じ木ではないので種類は少し違うかも。
じたばたとしているあいだに、季節は巡っておるですね。

四季のある土地はあわただしいけど、季節の感触が嬉しい。ハワイにいる間は、「あれっ今って夏だっけ冬だっけ?」と一瞬わたしはいまどこ状態になることがしばしばあった。もちろんハワイにもちゃんと季節はあるのだけど、その差はとても穏やかなので、日本の関東地方のぱきっとした四季の中に育ったものにとっては、かなりしっかり目をこらして感じ取ろうとしないとその季節感がみえてこないのだった。

シアトルは四季はあるけどシカゴや東京ほど暑くなったり寒くなったりしないし、いいとこどり。秋冬がどんより暗くても文句は言えないね。


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上げ膳、カエル池、狩野派 (高野山 その1)

7月の、巫女との旅、続き。

奥熊野の山の中から、十津川渓谷を戻り、さらに山道をくねくねと上り(長かった)、ようやく夕飯の時間に高野山に到着。

今回の2泊3日の旅は、巫女のMちゃんにすべての旅程をおまかせしておりました。

2泊目は高野山の宿坊に泊まるというので、雑巾がけとかするのかな、と思っていたら。


武家屋敷のような立派な構えの門の前に車を停めると、「お待ちしておりました〜!」と、着物を着た綺麗な女性とお坊さんが出てきた。

一乗院という宿坊で、京都の九条家の菩提寺でもあるそうです。

ついたてのある、美しい帳場でチェックイン。
きれいに頭を剃ったお坊さんが館内の案内をとうとうと述べてくれ、部屋に案内してくれる。

部屋に着くとすぐに、お坊さんが2人、ご飯のお膳を持って登場。(到着が遅かったので、待ちかねていたらしい)


もちろん精進料理なのだけど、朱塗りのお膳三つに満載の、竜宮城みたいなお料理たち。


山桃いりの冷やしそうめんに山葵とろろかけ。
平椀は、胡麻豆腐に岩茸と山葵添え。
冬瓜とじゅんさいのお吸い物。
賀茂茄子に精進あんかけ。
生麩の白味噌煮込み。ぶどう豆。
無花果の揚げ出しに紅葉の天ぷら。
汲み上げ湯葉に生醤油。
ごはん。
メロンとすいか。

などなど。豪華絢爛の精進料理でござった。


照明は蛍光灯だったので写真の色がいまいちで残念。繊細なお味でございました。


食べ終わると、またお坊さんがやってきてテキパキとお膳を下げ、お布団まで敷いてってくれる。

雑巾がけはしなくてよいらしい。

高野山の宿坊って…高級旅館だったのね。

お風呂が午後9時までで、翌朝6時からのお勤めには「ぜひご参加ください」という柔らかなご招待があったほかは、旅館とおなじ待遇。あ、あと、門限もありました。9時までだったかな? 

部屋は新築されたばかりのようで、畳も新しかった。
テレビはないけどミニ冷蔵庫と電気ポット完備。美味しいお茶とお茶うけも用意されてました。

もちろん、そのへんの旅館よりもお掃除はずっと行き届いていて、どこもかしこもぴっかぴかで塵ひとつ落ちていません。



客室のほかに、正面の帳場の横に、広い続き座敷がいくつもある。


襖絵の一つは狩野派の絵師の筆になるものだそうです。

お座敷の一つで、写経をしているご家族があった。



庭には池があり、夜はカエルが大声で鳴いていた。
きいたことのないカエルだったので、どういう種類のカエルかと聞くつもりで、翌朝、案内してくれたお坊さんに
「お庭でたくさん啼いてますね。あのカエルは何ですか?」
と聞いたら
「……ふつうのカエルです」
と冷たく返されてしまった。お坊さんはカエルなどに興味はないらしい。


夕食後、高野山の中心部を散策。


ライトアップされた「根本大塔」は昭和12年に再建されたというもので、ぴかぴかのクリスマスカラー。
巨大でドラマチックな建物だけど、あまりにピカピカすぎて、巫女のMちゃんにはいまいちお気に召さなかったようです。コンクリート製だしね。



真言宗の総本山に来ておきながら、にっこり笑って「ええと、こちらのお寺の宗派は…?」と宿坊のお坊さんにきいたMちゃんもMちゃんですが、その後で空海についてこっそりwikipediaを読んでいたわたしもまったく同罪です。

お坊さんには「…こいつら空海先生のことも知らんと、聞く事ゆうたらカエルかい。しょうもな」と思われてたかもしれませんね。
 


ちなみにお庭のカエルはこちらです。

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2016/09/14

図書館とマネー


今回のソイソース『たてもの物語』は、シアトル中央図書館を紹介しました。
ブログで中央図書館の記事を書いてから、もう2年なのねー。季節はめぐるー。

シアトルの人って、どんだけ図書館好きなんでしょうか。と、いつも感心する。

このコールハース&ラマスさん設計の中央図書館ができたのも、1998年、市内の図書館を一新するために1億9,600万ドルという破格の予算がついたから。

さらっと200億円っすよ。国とか州ではなくて、人口100万人に満たない市の予算ですよ。

これは自治体の図書館予算としては全米でも破格のスケールで、いまだに前例がないようです。

当時はマイクロソフトが天井知らずの成長を遂げていたころ。

図書館のサイトにある「シアトルとしょかんのれきし」というコーナーにも、その当時の状況についてこんな一文が。

Circulation had soared past 5 million items by the mid-1990s, the Library's annual donations topped $1 million, and the dot-com frenzy was fueling an economy that seemed to promise a limitless future.

(1990年代なかばには貸出し数は500万件を超え、図書館への寄付も年間100万ドルを超えるようになった。怒涛の勢いで成長するドットコム業界は経済を大きく成長させ、無限の未来を約束しているようにみえた)
…ちょっと泣ける…。

このときの住民投票では69%が賛成だったそうです。

結局、この1998年の「Library for All (すべての人に図書館を)」予算は、当初の1億960万ドルに加え、ビル・ゲイツさんやらあちこちからの寄付などを加えて、2億900万ドルのプロジェクトになったのだった! 290億円。ちーん!

この予算で国際的中央図書館が建ったのみならず、市内の22の分館はすべて新築または改装されたので、シアトル市内の図書館はみんなとってもオシャレ。



こちらはご近所のバラード図書館。

ソイソースの記事ではさらっとしか触れられなかったけど、2012年8月に住民投票でゴーサインが出た図書館の目的税(Library Levy)もすごいなあ、と、つくづく思う。

私がシアトルに移り住んでしばらくたった2012年ころには、不況で市の財源が減らされて、図書館の開館時間も大幅にカットされてたんですよ。

日曜日に開いている図書館が少なくなり、あちこちのネイバーフッドの図書館も週に何日かは休館したり早い時間に閉めたりして、経費削減に対応していた。

それを、目的税を設定することで7年間にわたって毎年1,500万ドル以上の図書館運営費を確保した。7年間で1億2,300万ドル。

さらっと年間15億円。
内訳は、Keep Library Open (「図書館を開けておきましょう」)予算(週末や夜間も図書館を開けておくための人件費など)、書籍や資料を購入する予算、オンラインサービスやコンピュータ機器のアップグレード予算、建物のメンテナンス予算。

2000年代の不況を経て、また今、シアトルはバブリーなまでの成長中。
図書館にむこう7年間お金をつぎ込むだけの余裕を感じているのでしょう。いいことですね。



バラード図書館は、エコな仕掛けがいろいろフィーチャーされている。


屋根に草を生やしてあったり(グリーンルーフというそうですよ)。
これが10年間でどんだけうまくいってるのかはちょっと謎だけど、まあそこはそれ。
ソーラーパネルもあるらしい。


かっこいいでしょうー。とりあえず、町の誇りが図書館っていいよね。

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