2015/06/18
全米オープン開催地のうねうねゴルフコース
ゴルフの全米オープンが今日から始まってます。開催地はタコマ近郊のChambers Bay Golf Course。
シアトルの近く(シアトルからは軽くクルマで1時間はかかるけど)で開催されるスポーツイベントとしては最大なんだそうです。
このチェンバーズ・ベイ・ゴルフコース、2年くらい前に何度か散歩に行ったところ。そのときの日記に載せた写真ですが再掲しちゃいます。ゴルフコースのまわりはぐるりと5キロ強の遊歩道になっていて、芝生の広場もあるチェンバーズ・クリーク・パークという公園です。
スコットランドかどこかのような、うねうねとした起伏の見るからに難しそうなゴルフコースは、もっと古いのかと思ったら2007年にオープンしたばかりなんだそうだ。
綺麗なコースだなと思っていたけど、まさかこんな大舞台に使われるとは。
ゴルフはやらないのでぜんぜんわかりませんが、 ここでプレイしたことのある友人によると、フェアウェイが狭くてグリーンがうねうね波打ってて硬いのでボールが速く、風向きも頻繁に変わるのでとっても難しいそうです。
いまちょっとテレビで見てたら、タイガー・ウッズが苦々しい顔をしているところでした。
乾いた草のボウボウ生えたラフに打ち込んでる人も続出。
でもほんとに眺めは豪華。木がたった1本しかないっていうのも独特の風景です。この右端の木↓
何人くらいの観客が来るのか、このあたりは今週は近寄れないほど交通規制が敷かれているそうです。
このコースの周辺は閑静な住宅街で近くにホテルなんか全然ないので、コース周辺にはこの週末だけのレンタルのために何万ドルって価格で貸し出されている家がたくさんあるって話です。
4月の新聞の記事で、月2,000ドルの家賃の家をこの1週間だけ38,500ドルで貸し出すために、借家人を追い出したっていう話もありました。1週間で2年分の収入になるですね。
全米オープンが終わったらまた散歩に行ってみよう。
石川遼選手など日本勢はFOXスポーツの中継をちょろっとみただけではフィーチャーされてませんでした。
おお、タイガーが草ボウボウの丘の斜面でボールを打っている!
2015/06/17
レトロなバーガーマスター
シアトルって、というよりアメリカの人って、ほんとに古い看板とか建物が好きだなあと思う。
この「Burgermaster」のウシの看板も、1952年創業のときからまったくそのままって感じです。
この「DINE」の筆記体ふうの書体が素敵。
シアトルに2店、カークランドに1店、あと近郊に2店がある地元の小チェーンのハンバーガやさんで、車をこのパーキングに停めて、車の中で食べられますというのが売り。
注文が決まったらヘッドライトをつけておくと、ウェイトレスのおばちゃま(またはおねえさんかお兄さんの場合もあるけど、たいていおばちゃん。はいはい私よりは若いですけどね)が注文をとりにきてくれます。
ローラースケートは履いてないけど『アメリカン・グラフィティ』みたいですね。
『マッドメン』のベティがキャデラック(だったかどうか忘れたけど)で乗り付けてもまったく違和感ないと思う。
窓のよこっちょのところにひょっと引っ掛ける式のトレイを持ってきてくれます。
バーガーの写真は撮り忘れた。こちらでー。
味はふつうのバーガーで、シェイクもいろいろあります。
2015/06/15
パラダイスのスカイライントレイル
快晴の日曜日、タホマ山akaレーニア山に行ってきました。
今回は、通年営業のビジターセンターがある「Paradise」から始まる、眺めの良いSkyline Trail へ。
とてもポピュラーな6マイル(約9.6キロ)のループトレイルです。
ガイドブックには「7月から10月」と書いてあるコースですが、今年は特に暖冬だったので、雪に覆われてたのはコースの2割くらい。もう普通のハイキングシューズだけでぜんぜんオッケーでした。
パラダイスの駐車場はもちろん激混みでしたが、運良くオーバーフローの駐車場の、しかもトレイル入り口のすぐ前にスポットを獲得。
パーキングとお天気にだけは昔から強運に恵まれているのですw
ビジターセンターでトレイルの状況を確認して、登り始めたのは午後1時ころ。
巨大なザックやスキーを背負って降りてくる人々に何人もすれ違いました。朝早くからずっと上のほうで滑ってるんでしょう。
パーキングから5分も登っただけで、すぐに死にそうに息が切れる。
普段の有酸素運動は近くのスーパー(徒歩5分)にだらだら歩いて買い物に行くか、近所を散歩するくらいなので、当然といえば当然の報い。
ずっと上のほうに人が歩いている姿を見て、頭がクラクラしました(上の写真、手前の尾根の右肩)。
標高差は1400フィート(約420メートル)って聞くと全然大したことないように思っていたけど、いやいやいやいや、おばちゃんハイカーにはこたえたよー。本当に心臓が止まるかと思った。
もっとこまめに動かなくちゃですね。
人気コースでお天気も良かったので、家族連れもたくさんいました。とはいえ、パラダイスの駐車場付近の混雑ぶりからしたら、こんなもの?と思うほど、上のほうは静かな世界。
雪の上をわたっていきます。ガチガチに固まってはいなくて、シェイブアイスに良い感じの頃合いでした。
ビジターセンターから時計回りに登ってくると、正面に山頂、左手にニスカリー氷河が見渡せます。
トレイルはしっかり整備されてて、歩きやすくなってました。でも雪だから滑ることは滑る。
5歳くらいか、こんなちっちゃい子も頑張って歩いてた。
綺麗なチョウがいた。
Edith's Checkerspot という名前らしいです。
1.7マイルくらい登ったところで、Panorama Point という展望地点につきます。
レーニア山の双子みたいなアダムス山と、噴火でてっぺんが平らになったセントヘレンズ山がくっきり見え、その真中あたりに遠く、オレゴン州の最高峰、三角形のフッド山も見えました。
ここからの山頂はこんな眺め。
このコースではここが最高地点で、標高6800フィート(2072メートル)。
ここでおにぎりを食べます。スパムむすびとほうじ茶を持参。
インド人の20人くらいの団体が、ここで宴会をしてました。踊ってる人もいて楽しそうでした。
シアトル周辺の観光地はどこもそうですが、インドと中国の人が圧倒的に多い。山の上も同じです。
このあとの3分の2はほとんど平らと下りの道(もうちょっと高いところを回ってくるループもあったけどそちらはパスして雪の上を横切りました)なので、らくらく。
Washington Trails Associationのハイキングガイドブックには反時計回りで説明が書いてあったので右から回るつもりだったのに、気づいたら左手から時計回りに登ってました。
でも時計回りのほうが、最初のきつい登りの間に氷河や山が眺められて、結果良かったと思います。
高山の花がたくさん咲いてました。これは、「paintbrush (ペイントブラッシュ)」。
水辺が好きな「Marsh Marigold(マーシュマリゴールド)」。
アネモネの仲間のPasqueflower(パスクフラワー)。
以前に行ったサンライズの雪渓ハイキングのフローズンレイクへのコースよりも、ずっと花が多かった。
山腹の丘をひとつ回ると、こんなすり鉢の底のような河原に出ます。ここがまた素敵。
山頂もすぐ近くに見えるし、雪解け水の小川の水と緑が目に鮮やか。
ここで一日ピクニックしたいような感じ。
ビジターセンターで聞くとこの箇所だけ道に水が被ってるから気をつけてといってましたが、せいぜいくるぶしくらいの深さでした。
今回は息子と2人のハイキング。最近買ったフィルムカメラを試し中。
団体で咲き誇っていたAvalanche Lily (アバランチリリー)。
「雪崩ユリ」と日本語にしてみると風情がまったく変わってしまいますが、「アバランチリリー」というと、はかなげな響きがある気がします。
雪が融けて雪崩の起こる時期になると咲き始めるんでしょう。
これはDwarf Lupine(ドワーフルピン)、たぶん。ルピナスの高山種らしいです。
Pink Mountain Heather(ピンクマウンテンヘザー)。
こちらはGlacier Lily(グレーシャーリリー)。
「氷河ユリ」と「雪崩ユリ」だと漫才コンビになりそうな気がします。
以上、花の名前のあんちょこはすべてこちらでした。
花あり氷河ありの豪華充実ハイキングでした。ゆっくりめで約4時間。
駐車場に戻ると5時10分前で、ビジターセンターはもう閉まるところでした。
夏場は夜9時過ぎまで明るいんだし、せめて6時頃まで開けといてくれてもいいのに…。
2015/06/14
ヤマボウシとハナミズキ
5月から6月のシアトルで目立つのはdogwood。
近所にも真っ白になっている満開の木がたくさんあります。上のはワシントン大学構内。
この木、「ハナミズキ」と「ヤマボウシ」は同じものかと思っていたら、別物なのだそうです。
でもどちらも英語では「Dogwood」ではある。
ハナミズキは「アメリカヤマボウシ」で、花弁(正確には「苞」ですが)が丸い形。
ヤマボウシは尖った形をしている。幹と実も違う。
うちの近所で見かけるのは「ヤマボウシ」のほうが多いみたいです。
これは、ハナミズキ?
これはヤマボウシですね。
この手裏剣みたいな形。ハナミズキよりヤマボウシのほうが優雅です。
ウィキによると果実は食べられるそうです。
「果肉はやわらかく黄色からオレンジ色でありマンゴーのような甘さがある。果皮も熟したものはとても甘く、シャリシャリして砂糖粒のような食感がある。果実酒にも適する」とな!知らなかった!
今回もiPhone写真でした。
2015/06/10
ケイちゃんのお葬式
(English version is here)
先日、友人の妹さんが、亡くなりました。
46歳でした。
彼女はダウン症でした。
生まれたときに気管だかに障害があって死にかかっていたのに、病院のスタッフはダウン症だからといって放置しようとしたのだそうだ(スリランカでの話)。自ら医師でもあったお父さんが激怒して、手術のできる小児科医を直接電話で呼び出して手術をさせたのだと、棺の前でそのお父さんが語ってくれました。
友人のジェニファーは13年前にそれまで東海岸にいた妹のケイちゃんを自分の家に引き取って、それからずっと一緒に過ごしてきました。
イギリス人のお母さんとスリランカ人のお父さんを持つスリランカ生まれのジェニファーは、ものすごく強い生命と愛情に溢れた人。そしてジェニファーの旦那さんジムもまた、とてつもなく懐が深くてリソースフルな人。
ケイちゃんがシアトルの家に来たときには、ジェニファーの娘たちは2人ともまだ小学生で、この2人ともに聡明で優しくてきれいなお嬢さんたちは、ケイちゃんを叔母さんというより姉妹のようにして、育ってきました。
その妹のほうがうちの息子のガールフレンドなんですが、デートし始めた高校生のときに、まず、「私と付き合うなら、家族とパッケージなんだけど」 と宣言したんだそうです。
うちの息子はあっという間に賑やかな家の仲間にさせてもらって、ケイちゃんにも特に気に入ってもらったらしく、いつも私にケイちゃんの話をしてました。
いつだったかケイちゃんに描いてもらった絵が、まだうちの壁に貼ってあります。
この家族はとにかく圧倒的に賑やかで愛情深くて、人間のほかにもシェパードとバーニーズマウンテンドッグとテリアがリビングで仲良く場所を譲り合っています。
何年か前のサンクスギビングに初めておよばれして行ったら、ケイちゃんが初対面のわたしに「ハッピーバースデー!!」とお祝いの言葉をかけてくれました。えっだれの誕生日?と思ったら、ケイちゃんは一年中いつでもお祝いをしてるのでした。
お祝いするにふさわしいような楽しい気分の時にはいつでも「ハッピーバースデー!」とまわりの人を祝福してくれるのが、ケイちゃんでした。
彼女は生涯に何度も大きな手術をして、その度に医師たちの予測を裏切って乗り切ってきました。シアトルに来た13年前にも、医師にはあと数年といわれていたとか。
驚異的な生命力で何度も危機を乗り越えて、そして家族にも、まわりの人にも、驚異的なほどの愛情を少しも出し惜しみせずに与えてくれた人でした。
彼女のメモリアルサービスに、私はジェニファーに頼まれて写真を撮りにいきました。
100人以上の人が集まり、ジェニファーと2人のお嬢さんと、そして10年前に住み込みのナニーとして子どもたちとケイちゃんの世話をしたシェルビーが、ケイちゃんとの日々を語ってくれました。
ケイちゃんがユーモアのセンスにあふれていて、どんなひどい時でも笑わせてくれたこと、なにがあっても「It Will be Okay!」と明るく言う異常なまでのへこたれなさがあったこと、サッカー観戦が強烈に好きだったこと、優しい人とそうでない人を見分ける鋭い観察力をもっていたこと。
そしてこの姉妹はふたりとも、ケイちゃんが「She shaped me into a woman(私がひとりの女性として大人になるのに、とても大きな影響を与えてくれた)」、その明るさ、へこたれなさ、愛情の深さでどれだけ自分たちを感化してくれたか計り知れない、と語っていました。
ジェニファーは待ちに待った小さな妹が生まれて大興奮したときのこと、お母さんが「特別なファミリーに、特別な赤ちゃんが授かったのよ」と言って妹を紹介してくれたことも語ってくれました。
手作りのパンフレットに、ジェニファーが書いたメッセージ。
Since moving to Seattle, people would often tell us how lucky Kay was to have us, never realizing we were the lucky ones. Kay's ability to see people for who they were and love them unconditionally is the legacy she leaves for us to carry on.
(彼女がシアトルに来てから、私たち家族がいてケイは幸運ね、とまわりの人に良く言われましたが、幸運に恵まれたのは実は私たちの方だったのです。人の本質を見抜き、そして無条件に愛することができたケイの力は、私たち家族がこれからも大切に受け継いでいける財産となりました)
会場には、ケイちゃんが大好きだった一口サイズのケーキとダイエットコークも並んでいました。
私たちはだれでも、まわりの人に影響を与えているし、時に、ささいに見えるそんな影響がとてつもなく大きな働きをする。
この世で一番大切なことは本当にシンプルで、だからこそなかなか手に入れにくいのに、ケイちゃんはいつもやすやすと手に入れて、周りの人にもいつも気前よく分けてくれていました。
ほんの少しの時間ではあったけれど、ケイちゃんに会えて私も幸運でした。
2015/05/31
SAM散歩 平原のビーズ、幻視の絵、音の出る箱
先日、シアトル美術館の『Indigenous Beauty』という、アメリカ先住民のアートを集めた美術展を観に行って来ました。また例によって、会期終了間際。5月17日まででした。
アメリカ各地のネイティブ部族の作品を地域ごとにブロックにして展示してあって、緻密でモダンアートのような草のバスケットや、アリゾナあたりのホピの人びとの奇妙な人形や、北方の怖いお面や、大平原の人びとのビーズを沢山使った美しい皮の衣服がいろいろ。面白かったです。
平原インディアンの使った小さな「シードビーズ」って、ベネチアやベルギー産だったのだそうです。知らなかった。
インディアン=ビーズの刺繍、て図式が頭に出来てますけど、平原インディアンの間にビーズが流行して、あのビーズを刺繍した美しい皮の衣服がインディアンの様式になったのは、平原に白人が直接入り込み始めた19世紀半ばからなのだそうだ。
ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』にも、インディアンのキャンプ跡でビーズを拾う場面があったと思う。
あの一家の話って、インディアンの滅びの時代。今思うと本当にインディアン戦争の前線すれすれにローラの一家は暮らしていたんだな、と、またもやこの展覧会を見ながらしみじみ思ってしまいました。
3年前にサウスダコタ州まで行って、スー族の土地や戦場跡を訪ねて以来、この大平原の人びとの生きていた時代とその最後の数十年間が、ずっしり感じられて仕方ありません。
上の絵は、大人たちがインディアン居留地に押し込められたあと、東部の寄宿学校に送られた少年が色鉛筆で描いた、ビジョン。
この展覧会は撮影禁止だったので、これは展覧会カタログから。
ほかの工芸品ももちろん素晴らしかったのだけど、この学校のノートのページに色鉛筆で描かれた絵が、一番印象に残りました。なんなんだこれ。
あと、ベーリング海のアリューシャン列島で発掘されたという、2世紀から5世紀の、セイウチの牙で作られた銛の部品も素敵すぎでした。
象牙のように白かったはずのセイウチの牙が、長年埋もれていたおかげで黒檀のように黒くなっていて、縄文風のグルグル模様が全体にほどこしてありました。
それを作ったのは、日本を通ってアメリカ大陸に渡った人たちだったのかもしれません。
常設展示もさっとつまみ食い。ガレの器がありました。うっとり。
19世紀の部屋にあった小さな油絵。あれ、モネかな?と思ったら、マチスだった。
カーネーションピンク &ブルー&ターコイズ&フューシャピンクの雪景色。
このスタイルだけで生涯を終わっても素晴らしい画家だといわれたに違いない。
何年の作品か見てくるのを忘れた。
手前の木の箱は、蓋も扉もつまみもなくて、時々ポロロンというような素朴な音が聴こえてくる箱。これちょっと欲しいかも、と思った。
テーブルとかたんすの中から時々こんな音がしてきたら、ちょっと嬉しい。
誰の作品か忘れました。1960年代の、たぶん。
昔からなぜか大好きな、ジャスパー・ジョーンズさんの「温度計」。
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