どうも奴らが信用できない。
もはや、あの人たち無しでは毎日が考えられないくらい、すごーくお世話になっているのですが。
とっても便利なサービスを提供してくれるし、次々にすごく気になる面白そうな新しいものを持ってきては、ホラっどう?おもしろいでしょー、良かったら使ってみてよ♥と気前よく使わせてくれる。
しかもタダで。
言うことがまた、すがすがしい。
「僕たちは、悪いことはしないって決めてるんだ!」
そんな人たちのことを、信用しても良いものだろうか。
もちろん、Google先生のことです。
気づけばもう数年来、生活の多くを Google に頼っている。
何かわからないときには、思考するより早くグーグル先生に聞いてみると、思考するスピードの1000倍くらいの早さで答えを返してくれる。
仕事の日はほぼ1時間に10回くらいの勢いで、グーグル先生に頼りっぱなし。
メールは全部Gmail 。
メールアドレスは独自ドメインのを持ってるけど、それもGmail に転送すればどのPCからもマックからもスマートフォンからもすぐに見て返事ができるし、なんといっても下書きだって即同期してくれるさっくさくのシームレスさ、連絡先やフォルダの使い勝手の良さは圧倒的。最近追加されたプロモーションメールの振り分け機能も超べんり。
不気味なスパムメールがほぼ一切といっていいほど来ないのも、本当に快適。
このブログだってGoogle の無料サービス使用中ですし。
道がわからない時も交通機関を使いたいときも、新しい場所に行ったときも、Googld Mapが頼り。サンディエゴでもサウスダコタでも、ワイオミングの山の中でも、グーグル・マップがなかったらどれだけ不便だったことか。
だから地面続きのカナダに行って、ローミングしたくないのでグーグルマップが使えないのには、心底いらついた。
写真や書類の保存はGoogle Driveにもお世話になっております。
もうグーグル先生なしには、人間としての生活が成り立たないくらいになってしまっている。
ではあるけど。というか、だからこそ。
ここまで生活を一企業に頼って良いのだろうか、と、ふと不安になる。
Google Drive は容量の多い有料版にして月に3ドルくらい支払ってるけど、まあそれだってタダみたいなもの。
ほとんどお金も払わずに、ここまで生活のコアを頼っているってどうなのか。
知らないうちに、自分の情報のすべてがGoogleの手に握られてる…ていうと妄想の世界のようであるが、実際、わたしに関する情報の多くが、もうすでにグーグルのサーバーの中に永久保存されているのはまぎれもない事実。
Google + をあんまり使いたくないのも、グーグル先生にソーシャルメディアまでお世話になりたくないからだ。Gメールをヘビーに使っているので、そこに直結したソーシャルメディアっていうのには抵抗がある。
でもブログサービスも使ってるので、囲い込みが最近アグレッシブだ。
Blogger にも最近、Bloggerプロフィールの代わりにGoogle + のプロフィールに替えませんか?というお誘いがついてたりする。
きっと先生は、ユーザー情報をぜんぶ統一してもっておきたいのだ。
それも恐らくは親切心から。
(ついでに、最近Gmail で添付書類のダウンロードボタンのよこにGoogleドライブのボタンがついてくるようになって、うっかり間違ってクリックしてしまうと、ローカルドライブや別の場所に保存しようと思っていたものもあっと言う間にGoogleドライブに保存されてしまって、後からわざわざ消すのが面倒だったらありゃしない。
あれももしかして、グーグルのサーバーに情報をたくさん集めるためのギミック?なんて疑りたくなる)
グーグル先生っていったい何を考えているんだろう。
たとえば、Google Glass。
今年発売されても、まだ本当に実用的になるにはあと数年かかる予定だそうで、実際に普及レベルにするのは2020年だというけれど。
あれ、今は単に面白いガジェットのレベルで取り上げられてるけど、本当に普及レベルの製品になったら、今のスマートフォンどころじゃない、破壊的に日常生活を変えるモノになるのは間違いないと思う。
それから、Google に買われたロボットたち。
それから、ストリートビュー。
それから、You Tube。
先生は一体、なにをされたいのですか?
多分グーグル先生はまだ自分たちの世界征服の野望に自覚がないのかもしれない。
善意と熱意で始まった物事が、 いつのまにか妙な方向に行っちゃったことは、歴史をみれば枚挙にいとまがない。
ていうか善意のほうが、あからさまな悪意よりも始末が悪いことも、往々にしてある。
グーグル先生たちにはいつまでも末永くスローガンである「 DON'T BE EVIL」を実行してもらいたいものだけど、その前にそれをきちんと具体的に定義してくれないかな。
このロボットはちょっとやっぱりどこか EVIL に見えるんだけどな。
グーグル先生はきっと純粋に世界中の情報をすべて知りたいのだと思う。
むかしむかし、インターネットという単語がまだ世にあまり知られてなかった頃、初めてアメリカに来たときに、サンディエゴの書店で敬愛するアーシュラ・K・ル・グウィンの、日本語版未訳だった『Always Coming Home』という小説のペーパーバックをみつけて買った。
これは遠い未来の、米国北西部海岸地方の話。文明は衰退して、人びとは狩猟と採取の生活を送っている。いくつかの部族が海岸地域に点在していて、主人公の女の子は内陸の騎馬族の酋長を父に持ち、海岸の部族の娘を母に持つハーフ、という設定だった。
その部族に伝わる歌や伝説を織り交ぜた、野心的なファンタジーで、当時のわたしの英語読解力ではかなり難解だった。途中で何回も放り出しつつも、(紙の)辞書をひきながら苦労して何年もかけて読んだ。
うろ覚えなんだけど、たしかその中に、以前の文明世界で人間が作ったコンピュータが独立した知性を持つ存在になっていて、人間からいろんな情報を集めようとしている、というのが出て来た。
人間の文明が衰退してしまった後で、人工知能が独自に勝手な発展を遂げ、機能や目的とは無縁の超越的な存在になっている。
そのシステムは、別に人間に対する悪意や害意はなく、ただ純粋に、周りの世界で起こっていることを知りたがっているだけなのだ。
グーグル先生のことを考えるたびに、そのコンピュータのことを思い出す。
純粋な、子どものように飽くなき好奇心と巨大な知性をもった、頭脳だけの存在。
グーグル先生を動かしている中の人たちは、ものすごく頭が良いとはいえ人間にはちがいない。でもトップの人がどうこうじゃなくて、グーグル先生そのものが、なにか有機的に、ふつうの企業の原理とは全然違う原則に動かされて広がっているという、そういう気がする。
「2001年宇宙の旅」のHALよりももっとずっと複雑で有機的な、生きもの的な存在。
浦沢直樹版の「アトム君」みたいな、なんかそういう存在なイメージ。
グーグル先生のサーバーに集められた世界中の情報は、あと何十年か後には今の私たちが全然考えもつかなかったような用途に使われるのではないだろうか、なんて気もしたりする。
「ビッグデータ」から何かを抽出するとかその程度の意味じゃなくて、なんかもう本当にとてつもない規模で。
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