" America has only three cities: New York, San Francisco, and New Orleans. Everywhere else is Cleveland."
「アメリカに都市は3つしかない。ニューヨーク、サンフランシスコ、ニューオーリンズだ。
そのほかの場所は皆クリーブランドだ」
テネシー・ウィリアムズの言ったというこの言葉(出典は不明)、ニューオーリンズの土産物店で何度も見た。
半世紀以上昔の出典不明な言葉であっても、「NOLA」と自称するニューオーリンズ人たちのプライドを今もくすぐっていることは間違いなし。
この言葉のいわんとすることは、わかる気がする。
都市を都市にしているのがカオスのような国際性と息のつけないせわしなさ、容赦のなさだとすれば。(その当時ロサンジェルスはまだ都市ではなかったのだろうし)
数日前に滞在したアトランタと比べて、同じ南部の都市でもニューオーリンズは全く毛色が違いました。
カタリナ災害の影響がまだ濃いのもあるのだろうけれど、全体に景気の悪い感がじっとりと漂っている。
フレンチクォーターは観光地だから、のほほんとした観光客から少しでも小銭をむしり取ろうとタップダンスの子どもたちや観光馬車が待ち構えている。
そして人がせわしなく、抜け目ない。南部のほかの場所ではどこでもみられるゆったりした「サザンホスピタリティ」(南部人の誇りとする、南部式おもてなしの精神)は、この町ではほとんど感じられない。
もちろんサービス業はそれなりに愛想は良いけれど、人が皆疲れているようにみえた。
泊まったのはフレンチクォーターではなくガーデン・ディストリクトのB&B。
フロントの綺麗な女の子も、カフェの太ったバリスタも、ドラッグストアのおばちゃんも、なんだかデフォルトで憂鬱そうで、機嫌が悪かった。
車の運転もシアトルやアトランタみたいにのんびりしてません。
道も狭くて建て込んでいるし、ああなんだか東京のようだと少し思った。
一見、優雅そうだけれど、中身はめちゃタフそうな町という印象でした。
住むには相当のエネルギーが要りそう。
いろんなものが爆発寸前なまでにぎゅうぎゅうと詰まっている町。
だけどきっと、近づいてみたらめっちゃ面白いに違いない。
うちの未成年はフレンチクォーターを歩いて、僕はここに住んでみたいと言った。
母は、私にはもはや無理、と思った。
都会の定義はいろいろあるけど、住む人にタフネスを要求するっていうのも都会の特性のひとつだよね。
町を包むように蛇行しているミシシッピ川。このへんでは意外なほどに川幅が狭い。
川までも、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている感がある。
Voodoo 博物館というのに行ってみた。
小さな家にぎゅうぎゅうと歴史的なブードゥのいろいろを詰め込んだ、息苦しくなりそうな狭いミュージアム。
ブードゥーは、 アフリカの信仰とカソリックの教えと伝統がぎっしり詰まった、ニューオーリンズ生まれのフュージョン宗教。
これもまた、ジャズや料理と同じく、この土地でしか育まれ得なかったもの。
ブードゥ博物館に展示されていた、手描きのブードゥ流入経路。
ニューオーリンズは奴隷貿易の港でもあった。
この狭くるしく、ドクロだらけの怪しい雰囲気いっぱいの博物館の廊下で素朴な手作りの地図を見ていると、この3つの大陸の近さがとても生々しく感じられたのでした。