2011/08/11

What's the PHO ??


ベトナム麺の「PHO」を「フォー」と言うと、息子にいつも訂正されます。

「ファ」と発音するのが正しいのだそうで。

クラスメートにベトナム系の子(両親が移民)がたくさんいるので「絶対間違いない」情報で、「FA」という発音だからこそ「What's the PHO ? 」というジョーク(というべきか)が成り立つのだそうです。

「なんじゃこりゃ!」のもっともお下品な言い方「What's the F@#& ?!」と、同じに聞こえるのだそうで。…失礼しました。実際、シアトルには『What's the Pho?』という名前のお店がいくつかあります。


シアトルも「リトル・サイゴン」と呼ばれる地域があるくらいベトナム系が多いから、もちろんPHOのお店はたーくさん。うちの近所だけでも簡単に5軒くらい挙げられちゃいます。

シアトルに引っ越してきてから、PHO評論家のCTちゃんと一緒にかなりあちこち行ってみたのだけど、まだこれこれ!と思えるPHOに出会っていません。

スープが甘すぎたり、MSG(化学調味料)入りすぎな感じが残ったり、麺が固まってたり。

ベトナムには行ったことないけど、今まで食べた中で一番おいしかったPHOは、ホノルルのチャイナタウンのRiver Street にある、行列の出来る店 To Chauです。

午後2時半までしかやってないので、今回のホノルル滞在中にもかなり焦って駆けつけました。

行列がもうなくなっていて、入れなかったらどうしようと思ってパーキングからけっこうホンキで走ったかいあって、やっぱりおいしかった!
まだここの店にかなうPHOには出会っていません。

おばちゃんウェイトレスは無口で表情が怖くて、店内はアジア風混沌に満ちていて決して清潔ではないけど、とにかくおいしい。
麺の堅さもほどよく、スープは澄んでいてこくがあります。

そういえば、生肉を別皿に持ってきてもらって、スープに入れて半煮えにして食べる方式は、シアトル近辺では見たことありません。ワシントン州の規制かなにかでしょうか。



ついでに、ホノルルで食べたもの。当然ながら5つ星レストランとかには全く縁のない日程でした。

私が食べたかったのはPho と讃岐うどんで、息子の一番食べたかったものは、「ステーキプレート」のチェーン店、『Blazin' Stake』のステーキランチ。

肉とごはんとレタスのサラダのみの超シンプルなプレートで、飲み物がついて7ドルくらい。中高生とガテン系お兄さん達の絶大な支持を受けてます。これはノースウェストでも流行るかな。あまりにもシンプルすぎるか…。

息子リクエストはもう1軒、Rainbow Drive-Inn。

友人お勧めのオシャレなパンケーキ屋さんに行こうと思ったら定休日で、結局庶民の味方レインボー・ドライブインで2日続けて朝ごはんとなりました。



朝から夜まで人気店です。朝の9時すぎには、もうひと泳ぎかサーフィンをして来た海帰りの人も並んでいて、朝っぱらからレイドバックな気分でいっぱいになれます。

ブレックファストメニューから「ハワイアンスウィートブレッドのフレンチトースト」と「ポルチュギーソーセージ」。
シンプルでチープだけど、おいしい。


一番高級寄りだったのは、KP先生とお茶に行ったアラモアナPatisserie La Palme D'Or のモンブランでしょうかー。
日本人女性のパティシエが作るケーキは皆、とても繊細。

たしか同じ頃にオープンした日本風ケーキ&カフェのSatura Cakesがホノルルから撤退してしまってたのはショックでした。

地元にもファンは出来てたのに、場所のチョイスがいまいちだったんじゃないかと推測します。車をさっと停めて買えるかどうかは、ベーカリー&カフェではかなり重要。ワードセンターはちょっとその点、行きづらかったですね。

2011/08/10

ブルーエンジェルス


先週末はシアトルの湖や波止場で「Sea Fair」が開催された。
海賊が上陸したり、パレードや手作りボートのレース、高速ボートのレースなど、いろんなイベントがあったもよう。メインイベントのひとつは航空ショウで、金曜から日曜まで毎日、海軍のアクロバット飛行専門チーム『Blue Angels』のショウがあった。

シアトル一帯を飛び回るので、ダウンタウンあたりでもうちの住宅街のあたりでも、ショウの時間にはただならない轟音が響いてくる。

広島長崎の記念日に戦闘機を見に行って喜んでいるのも何だよなと思いながらも、やっぱり物見高い江戸っ子のわたくし。火事や喧嘩及びそれに準ずるものは見物したい血が騒ぐ。というわけで見に行ってまいりました。


ショウの時間、ワシントン湖の上をわたる高速道路I-90の橋は両方向閉鎖されて、徒歩の見物人に開放される。自転車用トンネルをとことこ1マイル近く歩いて橋の上へ。

すでに西行き方面の橋の上は大混雑だったので、少し離れていてもっと空いている東行き車線の橋へ行ってみる。


こっちのほうは、ござを敷いて座れるくらいの余裕ある混み具合だった。

見物の人はやっぱりシアトル人。自国の戦闘力を確認して大感激する愛国的な雰囲気をにじませるような人はいなくて、うわさを聞いてサーカスのアクロバット芸人を見に集まった村人というような雰囲気の、いたってレイドバックな群衆だった。

 騒音から耳を守る耳当てをつけた男の子2人を連れたおじいちゃんは、戦闘機が轟音を上げて頭上を通過していったあと、「Well, that's a war machine, but sure is beautiful(戦争用のキカイには違いないが、美しいことに違いはないね)」と、なんとなく言い訳めいた感想を述べていた。

一人だけ、警備のヘビメタ好き風なおっちゃんが、感に堪えないといった調子で「THAT's the sound of Freedom!(これがフリーダムのサウンドなんだぜい!)」と橋の上に響き渡る声で叫んだが、これは、そこにいた全員が聞かなかったフリをしていた。


戦闘機のチームに「天使」という名前も皮肉だけれど、このチームは展示飛行が専門で、一年中国内各地を飛び回り、実弾を装備することは決してないから「エンジェル」なのかしら。この飛行隊の主な使命は海軍の広報宣伝、リクルート。

シアトル全域の空を旋回しながら湖面に10回くらい戻ってきて、編隊を組んだり、逆さに飛んだり、 双方向から正面衝突コースで飛んだり、急上昇したり。


うちの少年に感想を聞いてみると、「クールだった。僕もやってみたくなった。でも人を殺すための機械じゃなかったらね」だそうです。

圧倒的な力や速度にはなんといおうと圧倒的な魅力がある。トップエリートが操縦する、莫大な金額を投じた戦闘機の音速のフォーメーションには、それは当然目を奪われる。

これと 「ひとつになりたい」や「愛国心」が結びつくと限りなく強力なプロパガンダになる。80年代にも映画『トップガン』のおかげで海軍志望の子どもが急増したらしい。


でも2011年夏のブルーエンジェルスは、あくまでクールなアクロバット芸人として、いっときの歓声を集めただけで去って行ったのでした。

2011/08/09

ワイキキの朝と夜


(先々週滞在したワイキキ日記のつづきです)

14年くらいオアフ島に住んでいたけれど、ワイキキの真ん中に宿泊したことは一度もなかった。
朝早く、モアナサーフライダーのホノルルコーヒーカンパニーでコーヒーを買ってビーチを散歩して、夜は大道芸人を冷やかしながら遅くまでカラカウア通りをうろうろする、というワイキキ観光の大道を、いっぺんやってみたかったのです。


ので、優雅な「ワイキキの貴婦人」モアナサーフライダー、の向かいのホテルに宿泊。モアナサーフは小佐野賢治さんのグループからウェスティンに経営が変わったけど、名前はもちろんそのまま。1901年の建築で、汽船で本土から来た上流人たちを迎えた瀟酒なホテル。

ワイキキのホテルはここ数年であっちこっち買収が進んで、名前がずいぶん変わった。

 朝のワイキキビーチ。観光客はまだ少ない時間、地元のサーファーが「クイーンズ」や「カヌーズ」のポイントに集って波を待っている。何年か前に一度だけ、知人の親切なおじいちゃんサーファーにここでサーフィンを教えてもらったことがあった。常連が多くて、リタイア後に毎朝サーフィンしにきてるおじいちゃんもよく見かける。

 ワイキキビーチボーイさんにも、かなり年配の方がいる。


 すぐそばにあるデューク・カハナモク像。
日本人の観光客のお父さんが、子どもに言っているのが聞こえた。
「サーフィンが上手になりたい人は、ここにお参りするんだって」 って、えぇっ。
いつから神社になったんですかー? まーでも日本だったら、きっと神社になってるのかも…。

 ハワイアンのおじさんがトーチに火をつけて回る日暮れ前。

 サンセットは午後7時。
夕方にも、仕事を終わってサーフポイントに直行という感じの人が次々に海に入っていく。お父さんにボードを押してもらって何度もトライしていたちびっこサーファー、はじめて立って乗れました、の図。


シルバーマンもゴールドマンも健在でした。新聞紙バージョンとか、二人組とか、いろんなバリエーションがでてた。


2011/08/08

南国の庭

(もうちょっとだけホノルル日記。)

カパフル通りの裏のほうの民家。果物の樹が多い。


玄関先にたわわに実るスターフルーツ。

パパイヤ〜。

 パパイヤの花は意外と可憐です。

バナナの花。


このおうちにはパパイヤ3本、バナナ4本、大きなライチーの樹があった。

写真を撮らせてもらってたら奥様が庭に出て来て、果物の秘密をいろいろ教えてくれた。
 「ライチーの樹はね、毎年実がつくのじゃなくて、痛めつけると実がなるのよ。いつだったか義弟が何かの薬にするといって幹の皮を剥いだら、その年は大豊作だった」そうです。


古自転車再利用のガーデン柵もレイドバックな雰囲気で、フルーツいっぱいのお庭に合っていました。いいなー、ライチの木があるお庭。

2011/08/07

Block Party


8月2日、火曜日は、「 National Night Out 」デーだった。

なんの日かというと、全米各地で地域の防犯のためのイベントがいろいろ行なわれるのだそうで、その催しの一環として、Block Party (ブロック・パーティ)というのがある。

ハワイでは全国ブロックパーティの日なんて全然聞いたことなかったのだけど、シアトルの人たちはかなり積極的に参加しているようです。


ブロックパーティとは…各町内がブロックごとに自主的に道路でパーティをするというだけのもの。

警察に、この時間はうちの町内を通行止めにしますよという通知をして、車が進入できないようにした道にグリルを持ち出してバーベキューをしたり、子どもの遊具を出してにわか公園にしてしまったり。

もちろん何もやらない町内もあるけど、Ballardのあたりは結構結束の固い町内が多いようで、去年もあっちこっちで通行止めになってた。

うちの町内は、去年は何もやらなかったけど、すぐ1本うしろの通りがとても仲良しで、滑り台まで出して大きなパーティをしていたのに触発されたらしく、今年は4軒となりのJillさんが発起人になって、早くから計画を立て、ブロックの家を一軒ずつ回ってコーディネイトをしてくれた。


というわけで今年は6時から9時まで、家の前の道路がこんなパーティ会場になった。

そのJillさんの旦那様がバンドで太鼓をたたいている人らしく、なんとビッグバンドが「リハーサル」の名目で参加、ライブミュージックつきに。
バーベキューグリル3台を路上に据えて、各家庭が「肉一品と、サラダかデザートか何かもう一品ずつ」持ち寄る形式で、食べものもワインもたっぷり。

大人はジャズバンドで踊り、子どもたちと犬が駆け回り、猫は遠巻きに眺める大パーティになった。夏の夜は長いので、9時を過ぎてもまだ明るいし。

私は用事があって途中からしか参加できなかったけど、気になっていた素敵なお庭の持ち主や、いつも遊ぶ猫くんのご主人とも話が出来て、とても楽しいひと時だった。

近所に住んでいる人たちとお互い顔は見知っていても、話したことは実は少ない。道ばたで話し込む機会なんてそうそうないから、素敵なイベントではありませんか。

2011/08/06

ホノルル中華街の熱帯果物


まだもうちょっと続くホノルル日記です。
ホノルルのチャイナタウンにて。迫力のあるアジアな市場。やっぱり、熱帯なのだった!としみじみ思う、濃厚な果物たちの山。

午後に行ったのでもう魚屋さんや肉屋さんは店じまいの時間だった。
地元の果物てんこもりの八百屋さんは、前より増えていた気がする。

大根の隣に並んでいるのは、調理方法がわからないけど魅惑的なバナナの花、99セント/ポンド。

ドラゴンフルーツもたしか、そんなような値段。

 ゆでピーナツは人気おやつ。

 いろんな種類、いろいろな熟れ具合の地元産マンゴー、アボカド、パパイヤなどなど。

「持って帰れたら良いんだけどね」と残念そうに言ってみると、八百屋のおっちゃんが「シアトル?大丈夫大丈夫」と請け合う。


このおっちゃんです。

そんなはずはないだろぅ!とおなかの底から思いつつ、つい釣られて1個だけ買ってみた…。
友人のお庭で採れたスターフルーツとマンゴーも一緒にこっそり荷物に入れてみるも、しっかり空港で発見されました。


写真に撮り忘れたけれど、サワーソップという果物のジュースがさっぱりしてすごくおいしかった。

2011/08/05

モイリイリ

ホノルル日記、つづく。

ワイキキから車で5分かそこらのモイリイリ地区にて。ワイオラシェイブアイスの近く。
ここらの古い民家に心惹かれる。広くはないお庭に、ティ・リーフや果物の樹がひしめいて植わってるアイランド民家。
 ブーゲンビリアの写真を撮っていたら、ここのアパートのおばちゃんが追いかけて来た。
 「ちょっとちょっと」

「あそこの角の家に、とっーっても綺麗なハイビスカスがあるのよ。ぜひ観て来なさい」

 みせていただきました。


お庭のない集合住宅にもところ狭しと置かれている鉢植え。日系町だったから、日本の長屋の伝統なのかも。

 アパートの階段にも鉢植え集団が!

やっぱり気になる郵便ポスト。

 「悪い犬に注意」……。

 「犬注意」の看板の家が多いわりには。

ヤル気のありそうな犬は、あまり見受けられなかった。