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2019/05/05

バルジェッロ美術館のバッカスやダビデくんたち <フィレンツェ思い出し日記 その7>


リラックマに気を取られていました。フィレンツェ日記に戻ります。
バルジェッロ美術館のつづき。

ミケランジェロとドナテッロの代表作がいくつもある、豪華な展示室です。
警察署だったというけど、天井がめっちゃ高い聖堂のようなホール。
広くはないけど、自然光がいい感じで差し込んでいます。


1497年制作、ミケランジェロの「バッカス」像。
ダビデ像制作に取り掛かる直前、ミケランジェロ20代前半の最初の大きな仕事だったそうです。

品格あるダビデ像とはまったく正反対の、お腹もたるたるのだらしのない姿で、酔いつぶれて視線も定まらないバッカス。


後ろに従えている牧神くんも、完全にベロベロに出来上がっています。
「でへへへへぇ〜」という感じ。

こういうベロベロなモデルは、フィレンツェの富裕な若者たちのなかにいっぱいいたんでしょうねー。
しかし腕の筋肉とか背中とか、本当に美しいです。

「退廃」と「放蕩」をこれほど正確に、しかもある意味魅力的に描いた美術作品は、退廃がもっともっとおおっぴらに礼賛された19世紀にだって、そうそうなかったのではないだろうか。

ちなみにこの像は枢機卿の依頼でミケランジェロがつくったのだけど、出来上がりをみて「いらない」といわれたそうで、銀行家の家に飾られたそうです…。



こちらはミケランジェロよりも約100年前、3世代前くらいの巨匠、ドナテッロさんが作った「ダビデ像」、1440年制作。ミケランジェロの「バッカス」の半世紀前につくられたものですが、なんとなく雰囲気が似てる。

同じ裸像でもミケランジェロの英雄的なダビデ像とは違って、ヘルメットとブーツだけ身につけているところが、まずもってコスプレ感強い。

倒したばかりの巨人ゴリアテの首に足をかけて得意そうに微笑むダビデくんはかなり中性的で、BLマンガにでてきそうなクールな美少年。
すごく都会的な印象です。

BBCのドラマ『メディチ』にも、この像、出てきました。
男色の彫刻家ドナテッロが作った退廃的な像だといって、メディチ家の敵が煽るシーンもあった。


男性のヌード彫刻というのは、そもそも肉体の美しさを賛美するという思想がなかった中世の教会の支配下ではまったくありえないものだったので、このBL美少年ダビデくんは古代ローマ時代以来はじめての男性裸像として、ルネサンス美術を切りひらく存在となったそうです。

このあとに続々とつづく裸像たちのさきがけとなったルネサンス最初期の代表作なんですね。

実際、メディチ家の宮殿の中庭に飾られていたこの像を、メディチ家の庇護と教育を受けていた少年ミケランジェロくんは日々目にしていたのでしょう。


こちらもドナテッロ作のダビデ像。1409年。こちらは着衣です。
裸像のほうはドナテッロさん50代くらいのときの作品ですが、こちらはそれより30年ほどさかのぼり、20代前半のときの作品。このダビデくんは良家のプリンスという感じですね。


このダビデくんととても良く似た印象だけどもっとかっこいいのが、聖ジョージ。


1417年、ドナテッロさん30代の作品。
この人は、美術室の石膏像で顔みたことありました。でも全身像がこんなになっているのは知らなかった。
聖ジョージというより、日本では「ジョルジュ」または「聖ゲオルギウス」像という名前のほうが通りがいいですね。聖ゲオルギオス、というとめっちゃ強そう。
竜退治で有名な聖人です。

たぶんこれから竜を退治するところなのでしょう。

眉を寄せた表情は、石膏像だと単にちょっと困った顔に見えるんだけど、 こうやって下から見上げるとすっごく凛々しくてかっこよかったです。
こんなにイケメンだったのね!


こちらはミケランジェロのブルータス像、1540年制作。
一見すると、より直線的な大づかみの彫像という印象だけれど、表情はとても繊細。


こちらの正面から見た横顔は英雄的だけれども、顔の右半分では少し唇を歪めてワケありげな表情をしているのを、 リック・スティーブズさんは、親友カエサルの暗殺に加担したブルータスの英雄的な面と狡猾な面を微妙に表現しながら、さらにフィレンツェの独裁者だったメディチ家と愛するフィレンツェ共和制に対するミケランジェロ自身の揺れ動く心情を映している、と評してます。ふーん。


こちらはルネサンス時代も後期のジャンボローニャの作品「マーキュリー」。1580年。
ミケランジェロの次の世代でいわゆる「マニエリスム」の作品。

マニエリスムって「自然を凌駕する行動の芸術的手法」とか言われてもさっぱり分からなかったけど、こうやってルネサンス初期から後期までのすごい作品を並べて見せてもらうと、ああなるほどねー、ミケランジェロの世代が古典美を現代(当時の)によみがえらせて完成させてしまったあとで、こういう方向にいかざるをえなかったんだねえ、というのがちょっとわかる気がする。
あまりにも不自然にねじ曲がった姿勢のマーキュリー。



そしてちょっとこれは、足のせ台としてはあんまりなんじゃないかと思うよ。


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2019/04/30

中庭の裸像 <フィレンツェ思い出し日記 その6>


フィレンツェ思い出し日記の続きです。
2日めの午前中に行ったバルジェッロ美術館。


16世紀から19世紀まではフィレンツェの治安取締りを担当した警察署的な役所として使われていて、監獄も兼ね、この中庭では罪人の処刑も行われてたそうです。

一番最初は市長的な役割の人の役所として建てられたというけれど、それにしても銃眼や見張り塔がついていて要塞的なおもむき。警察署といわれるとなるほどなーという感じ。

ヴェネツィアの華奢で華麗な建てものと比べると、フィレンツェの建てものはごっついですね。

19世紀後半から美術館になったそうで、彫刻作品がたくさん。
版画家なおみ先生が「高校の美術室で見たやつがいっぱいあるよー」とおすすめしてくれたので、ここはダビデくんとウフィツィ美術館、ドゥオーモについで必見だと思っていた美術館でした。行ってよかった!



中庭の正面にあったやつ。これは噴水で、まんなかの女性のチチからピューっと水が出るというデザイン。
これってラスベガスとか南カリフォルニアにありがちな噴水だと思っていたんだけど、なんとイタリアにちゃんと元ネタがあったのね。

 製作年代は16世紀なかば、1556〜1561年。バルトロメオ・アンマナーティという方の作品です。この人は建築家でもあった。ルネサンス期の彫刻家って建築家でもあった人が多いんですね。
ミケランジェロより30歳くらい年下の世代で、このあとに作ったネプチューンの噴水(シニョーリア広場にあるが、ちゃんと見てこなかった)は気の毒に、ミケランジェロに「綺麗な大理石を台無しにして、プッ」なんて、けちょんけちょんにバカにされたそうですよ気の毒に。

アーチの上に座っているのはゼウスの妻ジュノー(ヘラ)。
両脇にいるのはアルノ川(左)と「パルナッソスの泉」の擬人化だそうです。ふーん。

盛期ルネサンスて、本当に、バリバリにローマ・ギリシアの裸の神様を礼賛だったのねー。
こういう裸像が増えていく富裕な都市を見て、ローマの教皇やマジメな僧たちは、さぞやイラっとしたことでしょう。

そのへんの時代についてまったく無知なので、フィレンツェにきてこういう像をたくさん見て、ルネサンスって面白いー!と今さらながら思うのだった。

でもこの時代は異端審問所が設置されたころでもあり、宗教改革に刺激されてカトリック教会も反省して変貌していく時代でもあって、マジメな僧たちが権力をにぎったあと、フィレンツェでも裸像が弾圧されて、ミケランジェロも最後には裸像ばっかりつくった自分を悔い改めたみたいなことを書き残してたりするのが興味深い。

でも中国の文革みたいになにもかも壊されたりしないでよかった。



 こちらも中庭にあった、これは大砲。
100年後、1638年の建造で、実際にピサの街の防衛につかわれていたそうです。

大砲の後ろに首を突き出しているこのひげの方はどなたかというと、なんと!聖パウロさんです!

キリストの使徒パウロさんがこんな好戦的な物体に装着されていてもいいのか、と思ってしまうのはきっと後世の感想であって、戦が日常的な脅威であった時代には、街を守ってくれるありがたい存在として庶民から敬われていたんでしょうね。



青銅製で、ライオンも乗っており、全体に細かい模様が施されているとても綺麗な大砲ですが、まったくのお飾りではなくて、現役の武器だったんでしょう。



これも中庭の回廊にあった、19世紀のヴィンチェンツォ・ジェミートという人のなかなか素敵な「Fishing Boy(釣りをする少年)」。1876年。

目を惹きます。どことなくアール・ヌーヴォーの時代のものだなーっていう感じがするのは、この素材の黒い色なのせいなのか、テーマというか、描写の手法なのかな。


絵画に比べると、今まで彫刻作品ってそんなに熱心に見てこなかったしそもそもそんなに知らなかったけど、ここの美術館の彫刻作品はほんとに素敵なものが多くって、目を開かれる思いでした。


もうひとつ素敵なお尻。
これは黄金の羊皮を探しにいったギリシャ神話の「イアーソーン」。英語読みだと「ジェイソン」だったのね!知らなかった。

1589年、ピエトロ・フランカヴィッラさん制作のお尻です。かなりモリッと盛り上がってますねー。

メインの展示室にはミケランジェロさんやドナテッロさんの裸像がいっぱいでした。つづく。

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2019/04/24

フランシスコさんの苦難 <フィレンツェ思い出し日記 その5>


フィレンツェ、アカデミア美術館のダビデくん以外の作品。

ジャンボローニャの「サビニの女たちの略奪」の石膏モデル。
大理石版はシニョリーア広場の「ランツィの回廊」にあります。

すごいドラマチックな場面をねじれた形状で表現している、ルネサンス後期、マニエリスムの作品。
ほんとにねじれてますね。


アカデミア美術館にあった中世〜ルネサンスの絵画がかなりツボで好きです。
これは作家の名前を書き留めてこなかった…。キリストの背後にいるのは誰なんだろう。

赤い翼の顔だけの天使がわらわらとわいています。


 無表情な天使の顔がこわい。


こちらも…忘れました。
キリスト復活の場面だと思われますが、レイドバックな感じのキリストが素敵。



タッデオ・ガッディさんの作品。
なにか恐ろしい四翼の飛ぶものから攻撃を受けているように見えてしまいますが、これは聖痕を受ける聖フランシスコ。


火の車に乗って空を飛ぶ聖フランシスコ。


美術館から帰る途中でみつけた、道路標識アート。


こちらも。↓
白い板を愛しちゃってるおまわりさん。
かわいい。なんだかいろいろなものが同居している街です。



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2019/04/23

ダビデくんとプリズナーたち <フィレンツェ思い出し日記 その4>


リッカルディ宮殿の次に行ったのは、フィレンツェのメインイベントのひとつ、アカデミア美術館。

夏場は行列で入場するまでに長い時間がかかるそうですが、3月初めは並ばずに入れました。
「フィレンツェカード」というフィレンツェ市内の美術館の共通カード(85ユーロで72時間有効)を利用したので、次の日のウフィツィ美術館も優先入場できて便利でした。(その後ルールが変わって、フィレンツェカード持ってても入館時間の予約が必要になったようです)



世に名高いミケランジェロのダビデ像。ミケランジェロ27歳〜のときの作品。

実物を見て、思ったより大きい、という人が多いみたいだけど、私の脳内ではダビデくん超巨人化していたので、あれ、意外にちっちゃい、と思いました。

もとはドゥオーモの外壁の高いところに飾る予定だったのを、あまりにも美しく力強く感動的な作品に仕上がってきたので、政治の中心だったヴェッキオ宮殿の正面玄関に飾ることになったそうです。(今ではヴェッキオ宮殿の前には同じサイズのレプリカがあります)

これから倒そうとする巨人ゴリアテに目を据えるダビデ。
この素っ裸の像は、やっぱりかなり明白にローマ・ギリシアの異教の神々から受け継いだオーラをまとっていて、そして自信でいっぱいです。


リック・スティーブズさんは
「ルネサンスのフィレンツェ人たちはダビデ像に自分たちを重ね合わせていた。ほかの巨大な都市国家と互角に戦う、神に祝福された小さな存在として。そしてより深いところでは、中世の迷信や悲観的な世界観、抑圧という醜い巨人を倒す文化的なルネサンス人として」と書いてます。

このテーマはハリウッド映画にも簡単に移し替え可能。

中世の教会の抑圧と重い禁忌からの解放というルネサンスのシンボルとされる作品が、現代のひとにも同じくらいの熱さでアピールするという、そのオーラはほんとうにすごい。




時代に求められてちょうどぴったりのときに現れた芸術作品は、多くの人のものの見方を変えていく力があるんだなと思わされます。


ダビデ像と同じくらい感動的だったのが、ダビデくんのすぐ近くに並んでいる未完の作品群。
「Slave(奴隷)」または「Prisoner」と名付けられてますが、どちらにしても後世の学者がつけた名前。

ミケランジェロは、彫刻家の仕事は石の中に閉じ込められた彫像を見つけることだと思っていたそうですけど、この4つの未完の彫像を見ると、それがウソやハッタリではなくて、ほんとにそうだったんだと思わざるを得なくなります。



大理石の中に閉じ込められていた人物が徐々に姿をあらわすみたいに、石の中から人の体があらわれてくるプロセスが記録されています。

ほんとに石の中から解放されていく人を見ているようで、「プリズナー」というのはいいえて妙なネーミングだと思います。

ノミのあとも生々しく、石から切り出されたカタマリがなめらかな筋肉になっていくその過程が目の前に見えるよう。

粗いピクセルから細かいピクセルの精密画像が現れるような感じでもある。

人知を超えてるとしか思えない制作過程がうかがえます。


ダビデくんはフィレンツェのヒーローだけに、ダビデくんグッズは街中のお土産やさんで見かけます。
このエプロン、CT旦那さんにお土産にしようかなと思って画像をテキストしたら全力で拒否された。


こちらはアカデミア美術館のショップ。

やはり焦点はそこなのか!


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2019/04/22

宮殿とバンクシー、メディチさんちの難しいトイレ <フィレンツェ思い出し日記 その3>




フィレンツェ滞在は正味2日間だったので、ほんとに数点集中でした。

…とはいえ、ウフィツィ美術館とダビデ像しか下調べをしていなかったので、きわめて行き当たりばったりで。

毎度毎度、旅先の下調べができないというのは、なぜか旅が急に決まることが多く、仕事やなにかがたてこんで時間がないというのもあるんだけど、なにか妙なブロックがかかってるのかも、とも思う。

でも帰ってきてからじっくりその場所のことを読んだりしてみて、「ああーそうだったんだ!」と噛みしめるのが好きです。前もって知っておくよりも、むしろそのほうがじわじわと経験が深まる気がする。すこし言い訳めいてますけど。
行く前にこれを知っておけば…と悔しい思いをすることもたまに(スルーしちゃったドージェの宮殿の謁見の間とかね)あるけど。

フィレンツェ1日目はバルジェッロ国立博物館に行こうと思ったら午後1時までの公開で、もう閉まっており、ウフィツィ美術館は翌日行く予定だったので、たまたま目の前にあったメディチ家のリッカルディ宮殿、Palazzo Medici Riccardiへ。

コジモ・デ・メディチさんが1444年に建てた宮殿だそうです。

目の前にあったのに、「宮殿」というわりに外観はまるで銀行かなにかのように地味でいかめしい四角い構えで、しかも街なかにぽっとあるので、「ほんとにここなの?これが宮殿?」とちょっと疑ってしまいました。

外見はこんなです↓。
(Wikiコモンズより)
コジモさんはもともとドゥオーモのクーポラを完成させた天才建築家フィリッポ・ブルネッレスキに設計を依頼したのだけれど、あまりにも豪壮な構えだったので、市民の反感をかうのを恐れて、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオさんにもっと地味な設計を再依頼したそうです。

たしかに、敵が多くて、ちょくちょく暗殺されたり追放されたりする家庭だったことを思えば、この「宮殿」の厳しくてそっけない外観は納得がいきます。



現在はフィレンツェ市の所有で、美術館になっているこの宮殿。
なんと、訪ねたときにはバンクシーの展覧会が開催中でした。


小さな展示だったけど、充実してて面白かった。

宮殿とバンクシーの取り合わせがなんともいえません。
フィレンツェ市のキュレーターはけっこうアナーキストなのかも。


外見は質実剛健ふうな宮殿ですが、中はやはりゴージャスそのもの。

Magi Chapel(マギ・チャペル)という名前の邸内礼拝堂は全面の壁が麗しいフレスコ画で飾られてます。

ベノッツォ・ゴッツォリさんという画家による1459年の作品で、大名行列みたいな大人数の行列が緑豊かな土地をやってくる図。

いちおう「Magi」、つまりキリスト生誕を祝って駆けつける東方の三博士の行列ということになっているのだけど、お衣装は15世紀らしいし、当時の人々、とくにパトロンであるメディチ家の人々やそのお友達、画家自身などが描き込まれた15世紀のコンテンポラリーな仕上がり。

この絵はBBCのTVシリーズ『メディチ』の続編としてNetflixが作ったシーズン2にもでてきました。
 


礼拝堂の聖母子像。



こちらはフィリッポ・リッピの聖母子像。

フィリッポ・リッピの作品はウフィツィ美術館にある聖母子像が有名ですが、こちらも透明感のある素敵なマドンナです。

フィリッポ・リッピというひとは司祭の役職も任じられていたのに、50歳の頃、お祭りの騒ぎに乗じて23歳の修道女を「自宅に連れ去っ」て内縁の妻にしてしまったという破戒僧。でもコジモさんが教皇にとりなして還俗させ、めでたく夫婦になったのだそうです。コジモ、 やるな。


その聖母子像のウラにあるデッサン。憂いのある表情。
若い女性の持つこういったはかなげな透明感をほんとに崇拝していたのですね、フィリッポ・リッピさん。


豪華絢爛、ベルサイユのような「鏡の間」。こちらはメディチ家からリッカルディ家へ宮殿が売却されたあと、17世紀のバロック期につけたされたお部屋。

ここに透明なプラスチック椅子を配するところが、さすがにイタリアです。かっこいい。


こんなところにもヴェルサーチ!(蛇ヘアーのメデューサさん)。
イタリアの人ってメデューサさんが好きなんですね。
ウフィツィ美術館の外壁の飾りにもカラヴァッジョの描いたメデューサさんがフィーチャーされてました。 ↓ これね。




「鏡の間」の隣の広間には、会議設備がありました。後ろにあるのは同時通訳者用ブースと思われる。こぢんまりしているけど、フィレンツェ市の国際会議に使われたりするのでしょうか。
「どんな会議があるの?」
と、美術館のひとに聞いてみたら「ポリティコ」というお答えでした。

ところでこの宮殿でトイレに行こうと思ったら、地下の奥のほうにあったこのトイレが…



(トイレ画像注意)
↓↓







使用方法が難しくてよくわからなかった(涙)。

日本に来て、個室の中で和式トイレに遭遇した外国人観光客のみなさんも、きっとこんなふうに途方にくれることであろう。
いったいどちらを向いたらよいのか?


あっ説明書きがある!と思ったがイタリア語でした。
一生けん命グーグル翻訳してみたが、

we kindly ask all people who use the bathroom to keep it clean and orderly」
(トイレはどうかきれいに使ってくださいね)

役に立たない注意書きであった。

成田空港のトイレ(洋式)についているピクトグラムはとても親切だと思いました。

イタリアで出逢ったトイレは、観光地であっても、高級ホテルや高めのレストランなど以外の場所では、けっこう難易度が高い(トイレのシートがないとか)ことが多かったです。



リッカルディ宮殿の意外にこぢんまりとした中庭。植わっているのはレモンの木。

『メディチ』でもたしか、ヴェネツィアから来たコジモのお妾さんが、奥様付きのお女中さんにイヤミをいわれる場面ででてきた気がします。


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