2015/07/08
日本国の『それから』
世の中には「姦通小説」 というジャンルがあるのだそうです。
要するに、人の奥さんを取ってしまうとか旦那を取ってしまう三角関係の話ですね。
週刊誌ふういうと「略奪愛」になります。
夏目漱石の『それから』も、その次の作品の『門』も、「姦通小説」。
でもしばらく前にこの2冊を読み返してみたのだけど、ほとんど、色っぽさを感じませんでした。
この小説でいちばん官能的に感じた場面は、小説の冒頭で主人公の代助が鏡を見ながら歯を磨く場面だった。この優男、自分にうっとりしながら歯を磨いてるんですね。
(その次は三千代さんがすずらんの活けてあった水を飲むシーン。でも鈴蘭て有毒じゃなかったかしら?)
『それから』が書かれたのは明治42年、1909年。
『三四郎』『それから』『門』は、3年間に連続して朝日新聞に連載されて、三部作とされてますが、『三四郎』は主人公がこれから大学に入る青年であるし、ほかの登場人物たちもみんな秋の空のようにすっきりとした人ぞろいで、読後感も爽やかなのにくらべて、『それから』の主人公は頭と現実が分裂してしてて最後には破綻に向かって走りだしてしまうし、『門』はさらにその破綻の先にある、生活が重くのしかかる中でしんみりと寂しい内向的な世界で暮らす主人公の話です。
だんだんだんだん暗くなる三部作です。
その後の日本の行く末を予言するような暗い小説。
漱石先生の明治日本に対する警告が真ん中にがっつりと嵌めこまれた小説なんだな、と思いました。
主人公の代助ときたら、大学をとっくに卒業してもう三十路になるというのに職につかず、実業家の父と兄から月々の援助を受けてのらくら遊んで暮らしているくせに、理屈ばかりは二人前。
食うために働くという行為を見下して、食うために必死で就活中の友人をイラっとさせる発言を平気でする。
<「僕はいわゆる処世上の経験ほど愚なものはないと思っている。苦痛があるだけじゃないか」
「むろん食うにこまるようになれば、いつでも降参するさ。しかし今日に不自由のないものが、なにを苦しんで劣等な経験をなめるものか。インド人が外套を着て、冬の来たときの用心をすると同じことだもの」「パンに関係した経験は、切実かもしれないが、要するに劣等だよ。パンを離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない」>
なんて、しれっと言う。
挙句にその友人の妻に告白して、のっぴきならないところまで来てから自分には生活力がないことに初めて気づく、とんでもない野郎です。
もともとその友人に頼まれて仲人みたいに間を取り持ったのに、数年後に再会した人妻になった彼女が幸せそうではないのを見て、自分は彼女に心を惹かれているのだとだんだん気づいていくという、まったくもって煮え切らない残念な人。
だけど、この代助を見て、当時の明治の青年たちの多くは「これは僕の姿だ!」と胸を熱くしたらしいのです。
代助は、自分が働かない理由を友人にこう説明します。
<「なぜ働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、おおげさに言うと、日本対西洋の関係がだめだから働かないのだ。
日本は西洋から借金でもしなければ、とうてい立ちいかない国だ。それでいて、一等国をもって任じている。そうして、むりにも一等国の仲間入りをしようとする。
だから、あらゆる方面に向かって、奥行きをけずって、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じことで、もう君、腹が裂けるよ。
その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見たまえ。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、ろくな仕事はできない。
ことごとく切りつめた教育で、そうして目の回るほどこき使われるから、そろって神経衰弱になっちまう。日本国じゅうどこを見渡したって、輝いている断面は一寸四方もないじゃないか。ことごとく暗黒だ」>
そばで聞いていた三千代さんには「なんだかごまかしているようよ」と言われるのですが、これはそのまま、漱石先生の日本観と見て良いのだと思います。
もちろん、代助=自分という私小説では全然なくて、漱石先生は代助というちょっと困った主人公を作り上げた上で、自分の考えを思いきり代弁させているのです。
漱石先生は『現代日本の開化』という明治44年(1911年)の講演で、日本の開化は「外発的」なもので、日本人は「あたかも天狗にさらわれた男のように無我夢中で飛びついて」行かねばならないと指摘しています。
だから必然的に「空虚の感」を持ち、どこかに不満と不安をいだくものであって、
「この開化が内発的ででもあるかの 如き顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない」
と言っています。
<自分はまだ煙草を喫ってもろくに味さえ分からない子供のくせに、煙草を喫ってさも旨そうな風をしたら 生意気でしょう。それを敢てしなければ立ち行かない日本人は随分悲酸な国民といわなければならない>。
日本の開化は「皮相、上滑りの開化」であり、でもだからといってほかにどうしようもできず、日本人は <涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない>か、または<滑るまいと思って踏ん張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒といわんか憐れといわんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。 私の結論はそれだけに過ぎない>
と、きわめて悲観的なことを言っています。
<おれの国には富士山があるというような馬鹿は今日は余りいわないようだが、戦争以後一等国になったんだと いう高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすれば出来るものだと思います> 。
代助は、洒落者で洗練された都会人で、学問をおさめたゆえに現実的な日本の位置を知り、仕事をして何かを成し遂げようと思うことさえできないほど、日本の現実に絶望しています。
実際の役にはまったく立っていない立場でごたくを並べているだけの人だけれども、このダメダメな人が実はもっとも真面目で純粋な明治の「現代人」として描かれているのです。
「人と人との間に信仰がない原因から起こる」不安に襲われ、 神経が鋭敏すぎるためにしじゅう気分を悪くし、地震をひどく恐れていて、小心であることを恥と思わない。それが代助。
代助の内面の分裂は、維新の前の教育を受け、サムライ社会の価値観で育ってきた父にはもちろん理解してもらえないし、実生活に追われている友人にも理解してもらえない。
わたしは代助の、人妻である三千代に対する気持ちはなんだか良く理解できない。
恋愛感情というにしては切実さが欠けているように感じます。
代助の世界は収まるべきところになにひとつ収まらない世界です。
自分を罰するかのように、にくからず思っていた三千代を友人の平岡に「斡旋」して縁をまとめ、数年たって関西から帰ってきた三千代に今度は自分を追い詰めるかのように接近していく。
それにひきかえ、代助に告白されて「あんまりだわ」と泣く三千代さんは、とても人間らしく描かれています。
親の勧める縁談を断り三千代さんを選んだばかりに援助を打ち切られ、親子や兄弟の縁も切られた代助は、「ちょっと職業を探して来る」と外に出る。
そうして、タバコ屋の暖簾や郵便ポストや売り出しの旗などの真っ赤な色が代助の頭の中を占領するところで、物語は終わります。
中編『趣味の遺伝』が、恋愛綺譚の形をとった、戦争賛美への冷めた批判だと思うということは以前に書きましたが、『それから』も、「姦通小説」といういれものに入った痛烈な日本社会批判に見えます。
もちろん恋愛や「姦通」の人事も漱石先生にとって真摯な重用事であって、単なる表皮ではないのはいうまでもありませんが。
代助と友人の会話の中に、共産党の人が逮捕されたりといった話題がちらほら出てくるけれど、漱石先生はこれを単なるどうでも良い時事ネタのひとつとして選んだわけではないと思う。
ぽつんと何気なしに挟まれたこの話題は、なんとも暗い影を落としています。
漱石先生は日本が本格的に暗くなっていき、言論弾圧もますます激しくなる時代の直前に胃病で亡くなってしまいますが、昭和の戦争前夜まで生きていたら、さぞかし苦々しい嫌な思いをされたことだろうと思う。
それからの日本は、代助の恐れていた首都の大地震を経験し、中国での領土拡大をこじらせ、大東亜共栄圏をぶちあげ、国内の言論をますます弾圧し、本格的に発狂せざるを得なくなっていきます。
『それから』にはその後の日本が見事にというか、恐ろしいくらいに、予言されているようにみえるのです。
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