2016/04/26

タコマのレインフォレストへ


タコマの近くにあるポイント・デファイアンス公園にいってきました。
ピュージェット湾の一番下のあたりに指のようにつきだした小さな半島の先を、そっくり敷地にしたかなり広い公園で、小さなビーチもあり、動物園と水族館もありますが、今回はそちらじゃなく、森歩きへ。


羽毛のようなフワフワの苔。


本当は週末かけてオリンピック半島のレインフォレストに行きたかったのですが、それほどの時間がとれなかったので、お手軽なこちらの森へ。


公園内の森にトレイルが張り巡らされていて、隅から隅まで歩くと 2.5キロくらいになるようです。

お手軽な散歩コースのわりに、レインフォレストの標本のようなミニ森で、巨木もちらほらと残っています。


何年も前に倒れたらしい木の幹を覆い尽くすように、苔やシダや若い木が生え出しているのがあちこちにみられました。

すさまじい縄張り争い。「共生」という状態は、実は苛烈な「ニッチ争い」の結果でもある。


これは、倒木の根を、木の「下」側だった根っこのほうからみたところ。倒れてからどのくらいになるのか、シダや灌木がアレンジしたみたいに生え出しています。


これも原型が溶けてしまったかのような古い巨木の根。


かと思うと、他の木の幹を抑えつけるように伸びる若い木もある。植物に遠慮なし。

ダイナミックな生命力あふれるミニ温帯雨林でした。


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2016/04/16

たてもの物語(1)レーニア・タワー




シアトルの隔週情報紙『ソイソース』で、また連載をさせていただくことになりました。

以前はシアトル周辺の歴史について、なんの前知識もなくいろいろ調べつつ、面白いと思ったことを書かせていただいたのですが、今回はシアトルの「たてもの」の話です。

一回目はこのレーニア・タワー。コラムはこちらです。

このビルは、シアトルに来て間もない頃から、そのキノコ的な形状がものすごく気になっていた建物。


シアトル出身の日系建築家、ミノル・ヤマサキの作品です。

コラムでも書いたとおり、20世紀を代表する不運な建築家といわれる人ですが、相当なシャレ男でプレイボーイでもあったらしい。この人を主人公にした映画を作ったら面白いと思う。

彼の代表作といわれる2つのプロジェクトは、どちらももうこの世にありません。




一つ目は、世界貿易センター。(Wikiより拝借)。


二つ目は、スラム街を解消するためモダンな団地を建てたら、その団地がスラム化し、わずか15年ほどで1972年に取り壊された住宅プロジェクト、「プルーイット・アイゴー」。

これは映画『コヤニスカッツィ』に使われた、プルーイット・アイゴーの姿。


こっちのドキュメンタリーも気になる。建築と計画の失敗だと言われているけれども、それは「伝説」であり建設はスケープゴートにすぎず、本当は政策と社会全体の失敗であって、未だに問題は続いているのではないか、という視点のドキュメンタリー。 YouTubeで全編が公開されてます。


ヤマサキのもうひとつの作品がレーニア・タワーのはす向かい側にあります。
IBMビルディング。こちらは1964年に完成。

その10年後に作られたレーニア・タワーのデザインは、このIBMビルディングの大きなアーチとその上からまっすぐ伸びる印象的な直線というデザインに呼応してる、というか、それをさらに引き伸ばしたものなんですね。


レーニア・タワーのある一画は、ワシントン大学が所有してます。

シアトル黎明期にはダウンタウンにキャンパスがあったので、けっこうな地主なのらしい。
(通りの名前も「ユニバーシティ・ストリート」です。)



このブロックはレーニア・タワー以外は低層建築なんですが、ここに58階建てのビルを建てる計画があります。

Rainier Square 建設プロジェクトのサイトから。

レーニア・タワーの曲線に呼応して、タワーが尻すぼみになっているのと反対に末広がりのデザイン。
シアトルのアイコンのひとつであるレーニア・タワーに敬意を表しています。

ホテルとリテールと200室の高層コンドミニアムになる予定だそうです。
市からは去年末に許可が下りて、着工は2017年、完成は2019年の予定。


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2016/04/15

いつか蟻になる日まで


最近、蟻のことをよく考えています。

蟻ってヘンないきものですよね。

人間的な基準で考えると。

ひとりの女王蟻から生まれたクローンみたいな働き蟻たちが、全体のために喜々として、一丸となってはたらいている世界。

蟻の中にも個性があって、あんまり働かない働き蟻とがむしゃらに働く蟻があるみたいですが、それにしても、蟻たちに「自分」という感覚はどのくらいあるんでしょう。

 

蟻の感覚と人間の感覚を比べるのもなんですが、蟻たちには人間のような「自分」の感覚がないのではないか。「自分=全体」という感覚で彼らは生活しているのではないかと思うのです。

そしてそれは蟻たちにとっては幸福なことなんだろうと思います。

だって彼らには彼らの共同体だけが「世界」なんだし。辛い思いをしている蟻は、いないんじゃないか。
「ほんとうは空を飛びたかったのに!」とか「ほんとうは違うことをしていたいのに」とか「あいつのほうがアタシよりいい思いをしている。ちくしょー」なんて、彼らは思っていないから。たぶん。


全体のためにせっせと働くことそのものが嬉しくて嬉しくて仕方ない、営巣工事でも外敵から巣を守る戦いでも、共同体のための活動が直接、「自分」の利益になるセカイ。
そこには犠牲の精神はありません。
だってすることが全部、「自分」のためなんだから。

この間ラフカディオ・ハーン先生の『怪談』を読んでいたら、うしろのほうにアリの話が載っていました。『虫の研究』というエッセイの中の一編『蟻』です。

「社会進化論」「適者生存」という考え方を編み出した哲学者ハーバート・スペンサーの論をひいて、ハーン先生は

「社会進化に関して、この昆虫の方が、むしろ「超人」的に進歩していることを認めるのに、だれもちゅうちょしないであろう」

と言ってます。
そして、

「蟻社会の生態のうちで、われわれの最も注目に値するものは、その倫理的状態である。しかもこれは、スペンサー氏が、道徳進化の理想は「利己主義と利他主義とが、たがいに区別のないまでに融和折衷されている国家」であると述べている、その理想を実現しているのであるから、人間の批評を絶しているのである。いいかえると、非利己的な行為をするという喜びが、唯一の有能な喜びになっている国家である」

とも。

そして、ハーバート・スペンサーの「いずれ人類は、倫理的に蟻の文明と比較のできる、ある文化状態に到達するだろうという信念」を次のように引用しています。

「利己的目的を追求する際に奮起するのと同様、あるいは同様以上に、利他的目的を追求する場合にも、奮然決起することのできる本性を生み出すのは、すでに有機的組織のうちに、それを産み出す可能性があるからだという事実を示している」というのがスペンサーの主張。なるほど。

「有機的組織のうちに、それを生み出す可能性がある」 というのは、すでにもうアリで実現してるんだから、ほかの生物でも実現する可能性があるだろうという意味ですね。

などと考えていたら、愛読している「セーラー服おじさん」のメルマガにも、蟻のことがでてきました。(Otakuワールドへようこそ!4月1日号「自閉症の時代」

 ++ここから引用+++++

「脳内には脳細胞がいっぱい詰まっていて、それらが互いに結びついていて、情報をやりとりすることによって、総体として意識が生じているものらしい。そうだったとしても、脳細胞一個一個の側が、自分が全体の意識の形成のために小さな役割を負っていることを意識できてはいまい。


一匹一匹の蟻は、大した知能をもっているように見えないが、一群の蟻が全体として、意識や意志をもって振舞っているようにみえるときがある。眼前に溝があって、越えなくてはならないとき、蟻自身が材料となって、互いに連結しあって橋をかけたりする。

もしそうだったとしても、一匹一匹の蟻が、群れとしての意識を形成するための一素子の機能を果たしていることを意識してはいないであろう。

もしかすると、人間も、一人一人が脳細胞一個の役割を負い、人の集団が全体として意志をもつように機能しているのかもしれない。もしそうだったとしても、一人一人はそのことに気づいていない。」


+++引用ここまで++++

蟻社会と人間社会のありかた。今の人間の社会でも、もしかして、一人ひとりの人間は気づかないレベルで全体のために動いているのではないかという。うーん、なるほど。

「ガイア」論みたいに、個をぜんぶまとめたところで人類が生命体として活動していて、個人は気づかないうちに役割を振られているという感じか。


でも今のところ、素子同士で忙しく殺しあったり憎みあったり絶望したりで、蟻たちよりずっと幸せ度は低いですね。




 

19世紀の学者であったスペンサーの考え方は、19世紀の人らしく、高尚な倫理の状態に向けて社会は進化していくのではないか、というものでしたけど、倫理とかそういう価値観を別にしたところで、メカニズムとして、蟻社会と人間社会に似たところはあるのでしょうか。

蟻たちが全体のためにまるで一個の生命体のように、自他のインセンティブをまったくひとつにして働いているのと、マクロな視点でみたときの人間社会に、似たところはあるか。

わたしは、そんなにはない、と思う。今のところは。
でもこれから本当に人工知能が発達して、人びとが「繋がる」ようになったら、だんだん蟻的世界になっていかざるを得ないのでは?とも思う。

さいきん、蟻のことをよく考えるのは、技術的特異点(シンギュラリティ)についての「予言」に衝撃を受けてから。2014年のIJETでの斎藤さんの講演を聞いて、世界終末を予告されたような衝撃をじわじわと受け、いろいろと人工知能について読んだりしていましたが、それから2年、メディアでも人工知能についてどんどん取り上げられるようになってきました。いまいち話が咬み合っていない情報が多いですが。

レイ・カーツワイルさんは、

2045年には「人類の生物学的知性とコンピュータの人工知能を組み合わせた『人類文明の全知性』は、現在に比べて10億倍になっている。そのとき、コンピュータは血液細胞とほぼ同じ大きさになっている。人類は脳の内部にこのテクノロジーをはめ込み、脳をクラウド上に置き、思考をさらに大きくする――」

という状況になっているといいます。(NHKのインタビューから)

シンギュラリティをあまりのホラ話だと言う人もいるけど、そういう人こそ本当にどうかしていると思う。


30年後ではないかもしれないけど、100年のうちにはいずれそのくらいのことは起きるのだろうと思います。

AIがほんとうに完成して(いまの時点で実用化されている「人工知能」ではなくて「知性」を持った存在として)「脳がクラウドに直結」することが可能になったとき、「人類対人工知能」の戦いが起きるのではないかと恐れている人もいるようだけど、それも違うと思うのです。

そうではなくてむしろ、「旧人類(いまの人類)」対「新しい人類 powered by 人工知能」の対立になるのではないだろうか。

AIとつながることを絶対に拒否し続ける人びとと、つながってしまった人びと&人工知能のカタマリとの間のどうしようもない断絶が、しばらく続くのではないでしょうか。

互いにほっておければいいのだろうけど、そうでなければ小規模なハルマゲドンみたいなものがあちこちで勃発する。 ISISとかみたいな過激な原理主義的グループが荒野や山に立てこもって、データセンターを破壊しようとゲリラ戦を繰り広げたりする。

そしてつながってしまった人びとは、蟻的な存在に「進化」する。
つまりスペンサーが予言した「倫理的に蟻の文明と比較できる文化状態」に。

なーんて思うんですけどね。

極端な二極化じゃなくて、その中間の「部分的にAIとつながる人類」っていうのもアリなのかなあ。

クラウドに脳のナカミをアップロードしてっていうのが本当に可能になったとしたら、その時点でもうその個人は、今の常識でいうところの「人間」ではなくなり、今のわたしたちが考えるところの「個人」であることも終わるはずですよね。

いまの「人間」というのは、感覚器官をそなえ、常に身体の中と外の情報をその感覚器官から得て、細胞をめまぐるしく再生しつつ、物理的空間の中で自分なりのセカイを構築しつつ動いている、生きものですから。生きものである以上、身体というユニット単位で「個人」がある。そのユニットを隔てる壁がなくなってしまうということ。

クラウドにつながった「脳」というのは、身体をなくした、いわばユウレイのような存在ではないのか。世界中に存在する膨大な感覚器官から絶え間なく情報を受取るのにしても、身体に閉じ込められた「個体」であることをやめたときに、「個人」と「全体」の境界は、今の人間が自分について抱いている感覚よりも、ずっとずっとずっと薄いものになっているはず。

蟻の感じている「身体性」というのは、もしかしたら「個体」ではなくて「全体」にシンクロしている部分が多いんじゃないかしら。

クラウドにつながった「次の人類」は、きっと蟻の巣のように考え、行動するのではないか。

あるいは、私たちがまだ知らない、全体の中の個のあり方があるのかもしれませんが。

21世紀はじめの今の社会でも、すでにだんだんとSNSや携帯デバイスを介して人はつながってきていますけど、この流れが徐々に脳内情報ダダ漏れの時代へと「進化」していくのか、どうか。

いまの私たちが、個人情報ダダ漏れの危険に目をつぶってもグーグルなどの便利なサービスを手放せなくなっているように、人は脳内ダダ漏れと引き換えに、身体能力や知識を拡大させていくことを選ぶようになっていくのではないか。

『マトリックス』でトリニティーが数秒でヘリの操縦方法を仮想脳内にダウンロードしたみたいに、だんだんと「学ぶ」方法や「経験」ということの意味が変わっていくのかもしれません。


蟻の写真はなかったので、だいぶ前のスペースニードル写真でした。鳥居のような色の野外彫刻はアレキサンダー・リーバーマンの「Olympic Iliad」。


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2016/04/12

一度は灯台守になってみたい方はぜひ、砂嘴の灯台へ。



先日、ダンジネス砂嘴にまた行ってきました。2年半前には途中で引き返したけど、今回はフル行程を踏破!どや!
 

……といばるほどのものじゃありませんが。
潮汐表を見ると正午頃が引き潮だったので、午前11時ころに出発しました。


上から見た砂嘴(おととし乗ったデルタ便の窓から)。 
ファンデフカ海峡をへだてて対岸にちらっと見えているのは、カナダのビクトリア島。

有名なカニ、ダンジネスクラブの名前は、この地域のダンジネス港に由来してるそうです。

目的地は砂嘴の突端にある灯台。片道5.5マイル、約9キロ。


…遠かった。

このダンジネス砂嘴のあるあたりは、ピュージェット湾やオリンピック半島のほかの部分が雨でもここだけは晴天ということが多い、晴れ多発地帯。出発してまもなく雨がザーッとやってきたので、うぅっと思ったのですが、その後はほぼ快晴でした。
天気晴朗なれども、風がびゅうびゅう。

行きは追い風。さくさくと先を急ぎ、1時間半ほどで灯台に到着。


行けども行けども、砂と流木と石ごろごろの浜。
右側は鳥獣保護で立ち入り禁止の浜です。ハクトウワシがいました。


ついた!
正式名称New Dungeness Lighthouse(ニュー・ダンジネス灯台)。
1857年からここにあります。

日本ではペリー来航の直後、開国で大騒ぎだったころですね。

西海岸まで国土を広げたばかりの若い国アメリカが、さー次は太平洋だ!と、イケイケどんどんと海軍を送り出していた時代。ここは辺境ながらも国境の要所として設置したのでしょうね。
シアトルだってその頃はまだ、最初の入植者が来てから数年しかたってない、辺境の村でした。


灯台の隣には灯台守の住居だった可愛らしい家が。とても良く手入れが行き届いています。
灯台は毎日9時から5時まで開放されています。見学は無料。



灯台の入り口に一人、灯台の狭い階段を登った上の巨大レンズの横に一人、おじさんがいてニコニコと説明してくれました。
この人たちは 「ダンジネス灯台協会」のメンバーで、ここに1週間滞在しているのだそうです。

どこの国にもけっこう熱心な灯台フェチの方々がいらっしゃいます。
灯台は人を熱狂的に惹きつける何かを持っているようです。

このローカルな協会はファミリー会費50ドルで誰でも入会可。

そして、この灯台で1週間灯台守をして過ごす「Keeper Program(灯台守プログラム)」というのがあって、ひとり1週間350ドルで滞在できます。
この日いたおじさんたちも、このプログラムで滞在している週間灯台守なのでした。

6歳以上なら子ども連れも可。
この時には、60代くらいのご夫婦が二組とあともう一人の計5名で滞在しているのだといってました。

「ここに1週間、 ずっと一緒に顔を合わせてるんじゃ、ウマが合わないと辛いですね」
といったら、「いやー別に、好き勝手なところにいるし、それぞれ部屋は別だし、あんまり顔合わせっぱなしってわけでもないよ」と。

一人きりで灯台守ハウスを1週間借り切ることもでき、その場合は2100ドル/週だそうです。最大9名収容なので、家族で借り切ることも可。


灯台の上からの眺め。ここにいたおじさんも楽しそうでした。

1泊50ドルで1週間灯台守、いかがでしょう?
もちろんテレビもWiFiも多分ない(と思う)ものの、見学のお客さんにホラ話をしてあげたり、灯台のガラスを磨いたりして過ごすのもけっこう楽しいかもしれませんよ。

宿泊費を払う上に、灯台の階段の手すりを磨いたり、芝生を刈ったりという仕事もしなければなりませんが、リトリートだと思えば安いもの。

一生に一度は灯台守になってみたいという灯台フェチの方がお知り合いにいらしたら、ぜひ教えてあげてください。

 

灯台の下の部屋は、昔の家具やら以前に使われていた灯台のライトやらが飾ってあってミニ博物館になってます。


ここの砂浜に転がっている石たちは、長年荒波にさらされただけにとても綺麗です。コンブ(?)が根を張った石もみつかります。ダンジネスクラブの殻も。


帰りの9キロは向かい風。とてもとても長かった。行きよりずっと時間がかかって、約2時間半。

顔にびゅうびゅう強風を受け、これは何の修行だったっけと思いながら、ひたすら足元を見て黙々と歩く。

だんだんと頭がぐらんぐらんしてきて、そのうち無になります。無。


あっ、灯台守をするときは、この砂浜を9キロ歩くのではなくて、ボートで荷物と一緒に運んでくれるのだと思いますよ。たぶん。


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2016/04/08

八重桜とメイプル


まだ4月はじめだというのに、今日は暖かいを通り越して、外を歩いてると汗をかく。
初夏のような快晴の一日でした。このところ晴天続きです。

ソメイヨシノは終わってしまいましたが(今年はUWの桜を見逃した)、バラードの八重桜並木が今年も超濃厚。


バラードの14thアベニュー、昔はここを路面電車が走っていたらしく、無駄に広い中央分離帯が今は路上駐車用の空き地になってます。ここは公園になる予定でもう数年前から告知が立ってるのだけど、一向に工事が始まる気配がない。予算がつかないのかな。
いつか公園が完成したら、ちょっとした八重桜の名所になるかもしれません。クルマを停めるのは至難の技になるけど。

桜ほど目立たないけれど、今このあたりで絶賛満開中なのが、メイプルの花。

枝から垂れ下がる黄緑色の花房が、意外に豪華です。
遠くから見ると木全体がうす黄色。


これはメイプルシロップの採れる砂糖カエデではなくて、ヒロハカエデ(Acer macrophyllum)という種類で、この太平洋北西岸の固有種だそうです。
秋には赤じゃなく黄色に色が変わります。

カークランドの住宅街を散歩していて、とても立派なメイプルの木をみつけました。


枝ぶりが燭台のようです。まわりを遮るものがないと、メイプルってこういう形に育つんだ。
この辺もどんどん家が建てこんできているので、この広大なお庭も、数年後にはなくなってしまうのかも。

登りやすそうな枝。


枝分かれしてからまっすぐに伸びるんですね。



樹齢どのくらいなんでしょう。

ほかにも樺の木の花なども満開で、外に停めておいたクルマの窓が花粉でうっすら黄色に覆われているこの頃。

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2016/04/07

富豪の愛した野原とクレーターズ・オブ・ザ・ムーン


なぜか急に思い出して始めた4年後の旅日記、最後です。

イエローストーンのすぐ南側にくっついているGrand Teton(グランド・ティトン)国立公園はとても静かな場所。大混雑のイエローストーンから入ったので、特にそう感じました。急に空気がしーんとする。

グランド・ティトンの土地の大部分は、1930年代、富豪のジョン・D.ロックフェラーが自然保護活動家に説得されて、開発から守るためにあちこちの地主から買って国立公園にするために寄付したもの。
ロックフェラーは地主たちに自然保護の意図を知られないように仮面会社を作って土地を買い集めていたのですが、それを知ったワイオミング州の地主たちから猛反発があったり、せっかく土地を寄付するといっているのに議会から公園にする予算がつかなかったりして難航し、ようやくグランド・ティトンとして統合されたのは第二次大戦後のこと。

富豪が作った国立公園って、アメリカらしいというか。

このティトンにもロッジが4つありますが、その中でもジェニーレイクの湖畔のロッジときたら、朝晩の食事つきで1泊800ドル。イエローストーンの混雑はスルーして静かに大自然を楽しむお金持ち向けなんですね。食事も高級リゾート並みに美味しいそうですよ。

 アンセル・アダムスが撮ったグランド・ティトンの山々。神々しい。

ジャクソン・ホールは不思議な土地でした。

ジャクソン・ホールというのは、クレーターみたいな穴があいているわけではなくて、こういう山々に囲まれた平らな土地です。まわりは山だらけなのに ぽっかり空いた穴みたいだという印象だったので、19世紀はじめにこの土地に出入りしていた毛皮猟師たちがそう名付けたのだとか。ジャクソンというのも、この辺で活躍してたわな猟師の名前だそうだ。
『レヴェナント』に出てきた人たちみたいな、まさにああいう感じだったんでしょう。

わたしたちはイエローストーンからの帰り道に急いで通っただけなのですが、どうしてか、落ち着かない気持ちにさせられる場所でした。
 

こちらもWikiコモンズより、アンセル・アダムスのティトンとスネークリバー。
富豪のおかげで、アダムスの時代とほとんど同じ風景を見ることができます。


ジャクソンの街に寄って昼ご飯を食べました。

スキー場があるリゾート地なので、ちょっと小洒落たレストランやカフェなどもある。そしてカウボーイバーもある。
すぐ目の前の山腹にスキー用のリフトがいくつも見えました。

ほんとにちっちゃい町なのだけど、こんなところで経済シンポジウム(ジャクソンホールサミット)をやるのだというのは後から知った。

町の真ん中にある公園には、エルクの角だけで作られたこんな門が。
これを見て、バッファロー乱獲の時代のこれを思い出してしまうのは私だけでしょうかね。

 Wikipedia より。1870年代のアメリカ西部のどこか。


富豪たちの集まるリゾートタウンに残る、ワイルドウェスト魂。なのか。

この日は、イエローストーンの湖からアイダホ州のボイシまで、400マイル近く走りました。


ジャクソンホールを出るとすぐにアイダホ。
アイダホフォールズから州間ハイウェイを外れて、地図上でみつけて面白そう!と思った「クレーターズ・オブ・ザ・ムーン・ナショナル・モニュメント」というものがある裏道を走ってみました。

この道がまた、予想以上に奇妙な場所でした。

古い火山の火口が大草原にぽつぽつとあって、ところどころにいきなり溶岩原が現れる。ほんとに月面みたいな世界が広がってます。

何があるのかまったく何も知らずに行ったので、いきなりの火山地帯に圧倒されました。
『Xファイル』に出てきそうな場所。

ここの溶岩は、最近のものでも2000年、古いものでは1万5000年ほど昔のものだそうです。ほんとに有史以前の火山。

イエローストーンみたいに大人気のイキの良い活火山公園があるかと思えば、人の住まない平原にこんな古い火山も隠れているなんて、アメリカって広すぎる。


そしてこの旧道は、その昔、中西部から太平洋岸を目指して移住した最初の幌馬車隊が通った「オレゴン・トレイル」の一部だったというのを、このモニュメントのビジターセンターに書いてあった説明を読んで知りました。

小さな馬車に家族と家財道具を積んで、こんな奇妙な土地を通って、見たこともない新しい「ホーム」へ向かうっていうのは、どういう心境だったんでしょうね。

宿泊地のボイシまで長い道のりがあったので、さくさくと通過しなければならなかったのですが、この土地はかなり強烈に印象に残ってます。機会があればまた行ってみたい。


この時はまだ若かった、マイ愛車。よく走ってくれたー。今もまだ現役ですけど、もう長旅はちょっと無理かなー。

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