2014/05/15

母の日の花と大失態




母の日は息子にワッフルを作ってもらいました。ほぼ強制

しかし、同時進行でほかのものを用意するというワザが身についていない大学1年生男子。けっきょく自分で苺を切ったりベーコン焼いたりしている母の日。なんだかなあ。




ファーマーズマーケットで買ってきてくれた花。賑やかな春の花束。

 


思いがけず、息子のガールフレンドKちゃんも、お花をもってきてくれました。

大輪の菊。

日本では普通、仏花ですが、アメリカでは普通に花束に入ってます。
しかもこの菊。

日本でたとえばお嫁さんがお姑さんに母の日に白い菊の花束を贈ったら、どんなケンカを売ってるのかと思われるかもしれませんが。そんなことはKちゃんには言わないでおく。

日本でももう菊の花→仏壇。葬式。という図式はなくなってきてるのかしら?

こうしてバラやカラーと一緒にブーケになってると、ほんとに優雅で豪華な花ですね。
文脈から切り離してみるというのは、大切なことだ。

こんなに祝ってもらったのに、あろうことか、元義理ママ(息子のグランマ)への電話もテキストもすっかり忘れていたああああああああああ。あわあわあわあわあわあわ。

水曜の早朝になってから「テキストしなくてごめんなさいね」というテキストが来て、一気に目が覚め、真っ青。ぐあああああ。自分のことしか考えてない頭がここにあります。人間としてどうなのか、わたくし。自分に問い詰めたい。

週末からなんとなしに風邪っぽくて、頭にべっとり霞がかかっていたので。なんて言い訳にならないよっ。

来年は花束を早めに予約しておくことにしようーー。今からカレンダーにマルだ!



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2014/05/01

クラホウヤ


ヴァション島へのフェリーは、ベインブリッジ島に行くやつよりずっと小ぶり。


今回はキトサップ半島から乗ってヴァション島で下りて、またヴァション島からウェストシアトルにわたるコースで乗りました。

ヴァション島には切符売場はなくて、乗るときに往復または最終目的地までの運賃を支払うしくみ。

たしかに島には船でしか行けないから、合理的なシステムなのでしょう。
でも、何ヶ月かずっと島から出ないよっていう時はどうするんだろう。



船の名前はクラホウヤ。チヌーク交易語で「ハロー」という意味だそうです。 

いかにもヴァション島的なおじさまが日なたで読書中。




このフェリー、アメリカ版の『リング』に出てきたやつ(「タマラ」の手がかりをもとめて薄ら寂しい孤島へ行くフェリーで、馬が急に暴れだしてトラックの荷台を蹴破って海に飛び込む)と同じだと思う。

あれも暗い映画だった。
シアトルに引っ越す前に観てしまって、「本当にこんなに暗くて湿っぽいとこなんだろうか」と少しブルーになった。
冬のシアトルの描写としてはステレオタイプ的ながら的確というしかないですが、春になって陽が照ると全然違う土地のようになってしまう。二重人格な都市です。

今週、ツツジが咲き終わったら急に夏がきて、今日なんか一気に華氏86度/摂氏29度!
 
5月のはじめにここまで急に暑くなるのは異常ですが、とにかく、急に爽やかな緑の華々しい初夏の世界がひらけています。


 

フェリーのクラシックなベンチ。ゆっくり乗っていたくなりますが、向こう岸まで20分なのであっという間です。

アラスカに行くフェリー(クルーズ船じゃなく)というのにもそのうち乗ってみたい。

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2014/04/27

ヴァション島



Vashon Island (ヴァション島)に行ってきました。「ヴァッション島」て書いてあることが多いけど、「ヴァション島」のほうが似合う。ていうか、音つまってないと思う。
どちらかというと「ヴァショ~ン」て言ってる人のほうが多い気がするんですけどいかが?

いずれにしても例によってこのへんの地名にありがちな、バンクーバー船長一行様が18世紀に勝手につけて去っていった、土地とは一切なんの関係もない船長の友人の名前ですが。

シアトルからもすぐ目の前に見える、わりと大きな島。マンハッタン島の1.5倍強だとか。
キトサップ半島からは石を投げたら届きそうなくらいの距離です。

橋がないので、足はフェリーだけ。



ここです。

橋がないかわりキサップ半島とタコマとシアトルの西側の3箇所から、フェリーがでてます。

こんなに都市圏に近いのに、孤島。

今まで行ったことがなかったのは、べつに行く理由が見つからなかったから。

特に何かそこを目指していくような目立つランドマークがあるわけでもないし、ベインブリッジ島みたいにオリンピック半島への通り道でもないし。

どこかのファーマーズマーケットで、山羊のチーズを売ってる生産者さんがこのヴァション島から来てたので、「ヴァション島=やぎ農場」とインプットされていました。

ヴァション島に長年住んでいたという人に以前その話をして、むっとされるかと思ったら「そうそうそう、やぎいるいる」と同意してくれた。

行ってみて、期待はちっとも裏切られませんでした。

シアトルまでフェリーで20分の山羊の島。道ばたの民家の裏庭に、ほんとに山羊がいた。


人口1万人ちょっとだそうです。

とにかくのんびりしてます。 シアトルも結構のんびりした街だけど、またここは別次元ののんびりさ加減。



土曜日で、マーケットが花盛りの木の下で開催中でした。

これまたちっちゃなマーケット。



ファーマーズマーケットというより、半分はクラフトフェアみたいな。

このラブリーな手作り籠のお店は、近くに住むおばさまが自分で作った籠と庭で穫れた野菜を少しずつ並べて売ってる屋台。ネイティブ・アメリカンの籠を参考に自分でデザインしたもので、胡桃をアレンジしてあったりするのが素敵。



こちらは手作りのボウルやお盆やコマ。

お値段は籠もボウルもかなり高額です。小さな手乗りサイズで50ドルくらい、大ぶりのボウルなら200ドルくらい。

自分で作って売るとしたら、時給考えていくらで売りたいか考えれば当然の価格ではありますね。

ピア1やターゲットで売ってるのとは思想と生い立ちの違う工芸品です。

この木の器はいいなあと思ったけど、ほいほい買えませんです。




シアトルにこれだけ近くて(フェリーでウェストシアトルまで20分)、これだけのんびりしているので、そういう環境が好きな人びとを惹きつける。

昔からヴァション島にはアーティストが多いそうです。

マーケットの並びにあったギャラリーは、この島に住んでいるアーティストが共同で出資して作品を並べているCOOP式ギャラリー。ぜんぜん作風が違うのが並んでるのがコミュニティっぽくて面白い。


町にはこのほか、スーパーと金物屋と、犬のいるブックストア(↑)など。



そして本屋さんの隣には、お茶屋さん Vashon Tea Shop がありました。


ふつうの家のリビング、ていうか日本の家の洋風茶の間みたいなごちゃごちゃしたインテリアで、全然オシャレなお店ではないんですが、お茶の種類がとても豊富で、クオリティは抜群。

片っ端からテスターのお茶の葉の壜をあけてくんくんにおいを嗅いで、思いがけず長い時を過ごしてしまいました。

(店番のおば様も、ものすごーーくのんびりしてました。短期な人には、この島は無理。)

キーマンとダージリンセカンドフラッシュと、あとここのお店の特製ブレンドのハーブティーを2種類買ってきましたが、どれも驚くほどおいしかったです。

何の特記事項もなしな島の、端から端まで徒歩3分くらいの町だけど、とにかくまったりした午後を過ごすことができました。

島というのは人をのんびりさせてしまうものなのか。
ハワイのまったり感に近い空気を感じました。それもオアフ島だったらウィンドワードのほう、ホノルルじゃなくて。

孤島のくせに、やっぱりこれだけ都市圏に近いので、最近どんどん地価が高騰してるそうです。
ちらと見てみたけど、家の値段も家賃もシアトル市内とさほど変わらない感じ。


フェリー乗り場。ウェストシアトルの丘のむこうににょきっと見えているのは、シアトル・ダウンタウンのコロンビアセンター。

 ほんとすぐ近くなんですけどね。

車で20分というのとフェリーで20分というのとは、ぜんぜん距離感が違います。

この「切り離されてる」感じが、別次元ののんびり感を生むのでしょう。



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2014/04/24

悪の法則とBIUTIFUL



Netflixで『Breaking Bad』の最後の8エピソードが公開されたのでさっそくプチビンジ上映会をひらき、見終えて軽い虚脱感におそわれた心の傷が癒えないうちに、とんでもない映画を見てしまった。『The Counselor』(邦題『悪の法則』)。




『悪の法則』という邦題は、観る前に心構えができるという点では「カウンセラー」よりずっと良心的かもしれません。「カウンセラー」は「顧問弁護士」という意味で、主人公の職業です。

監督はリドリー・スコット。

キャストはブラッド・ピット、ハビエル・バルデム、キャメロン・ディアス、ペネロペ・クルーズという超豪華陣。主演の弁護士役のマイケル・ファスベンダーはこの映画を見るまで知らなかったけれど、このあとに見た『12 Year a Slave(それでも夜は明ける)』ではサディスティックな農場主を熱演してました。

うっかり、メキシコの麻薬カルテルがらみのもうけ話にのってしまった弁護士の運命は…。というお話。

『ブレイキング・バッド』に出てくるメキシコの麻薬カルテル関係者も怖い人たちでしたが、この映画を見てから思い返せば、ぜんぜんマイルドな描写でした。

『ブレイキング・バッド』で、運び屋の首をカメの甲羅にくくりつけてハンクおじさんにトラウマを与えたメキシコ国境の麻薬マフィアも、まだまだ、可愛いものとすら思える。

顔色ひとつ変えずに部下の頸動脈を段ボール用カッターナイフで切る「チキンマン」ガスですら、この映画を見た後ではまるで懐かしい友人のように感じられる。

あらすじは詳しく述べませんが、ほんとうーに後味の悪い映画でした。

いや、良い映画です。嫌いじゃないです。むしろ好きです。
でも、ちょっと2時間現実を離れてすかっとしたいというふやけた期待を持って見ると、とんでもない目に遭わされる。

監督のやり口が汚い。

希望をもたせておいて、徹底的に叩き潰す。テレビや映画のまっとうなお約束のフラグをあてにしていると、まんまとしてやられます。でもチェーホフのいう「銃」(お話に銃が出てきたなら、それは使われなくてはならない、というキマリ)はちゃんと約束どおり使われる。最後の最後まで、ああ出てきてほしくなかったのにやっぱりここで出てくるのねー、という形で。

救いのなさは、個人的に今まで観たうちでの「救いのない映画ナンバー1」だった『モンスター』(日本映画のじゃなくて、シャーリーズ・セロンが娼婦の連続殺人犯を演じたやつ)と良い勝負でした。

暴力の描写がたっぷりな分、『悪の法則』のほうがトラウマ度は高いかも。

この映画で描かれる暴力には、血みどろな描写は少ない。淡々と粛々と、業務として行われる殺しや暴力が物語全体を通して同時進行にあらわれて、血がドバドバ出るような派手な描写でない分、逆に背筋がじわりと冷たくなるような気味の悪さ。

この映画に描かれる最初のひどい暴力は、主人公とクライアントの間で交わされるいくつかの会話に出てくる。メキシコのカルテルがいかに容赦ない人びとかという話の中で、見せしめに使われる非人間的な暴力の方法が語られる。

麻薬とお金を動かすために、人の生命や、ささやかながらも幸せな生活が、ごく簡単に抹消されていく。

観ている側も、蜘蛛の糸にじわじわと周りをからめとられるような、気づいたら出口がない洞穴に置き去りにされていたような、暗澹とした気分にされてしまう。

「愛の反対は憎しみではなく、無関心なのです」というマザー・テレサの名言があるけれど、まさに、「悪」というのは、他人への無関心に根を張っているのだ、としみじみ思わせる。

悪というのは、悪役プロレスラーみたいなわかりやすい顔はしていない。実は無表情なのだ。
悪が行えるというのは、共感を拒否するということ。
他者と自分をなぞらえるのを拒絶すること。

それは実は、とても簡単に、システム化することができる。

どんな人でも、わりに簡単に、その一部になれる。

そして実際、これとほとんど同じことが今も現実に起きているのだということを、この映画は淡々と思い出させてくれるのです。



でもハビエルのこの格好を見られたのは収穫でした。面白すぎる。

ハビエル・ バルデムは大好きな俳優さんの一人です。出演作ごとにすさまじいほど全然違う人になってる。

今回は国境で派手にもうけてるハイパーに陽気なおっちゃん。

この人の出演作で一番好きなのは、バルセロナを舞台にした『BIUTIFUL ビューティフル』です。

これも、暗い暗い映画でした。

でも『BIUTIFUL』には、最後に薄ら寒い冬の雲の間からさしてくる頼りない日ざしのような救いがあった。

不景気なバルセロナは、とても醜く描かれてました。

ガウディの教会でさえ、物陰にしまい込まれて忘れたふりをされている、不幸な作りかけの工作みたいに見える。

主人公は違法滞在の中国人移民をつかってビジネスをしていて、小さな子どもを抱え、貧乏で、治療することのできない病をわずらっている。中国人たちに少しでもマシな環境を提供しようと試みて、逆に大惨事を引き起こす。なにもかもが、裏目にでてしまう。

今のヨーロッパ諸国のリベラルな良心と葛藤をそのまま、人格化したような人物。

移民で溢れる街で、取ってつけたような正義を提供しようとしても、あまりにも無力。

なにより自分はもう死にかかっている。どんどん貧乏になり、どんどん病みつつ、子どもに少しでも貯金を残してやろうというだけのために生きている。子どもがこの先暮らしていくのには、そんなものは全く充分ではないことを知りながら。

明るい理想なんかもうどこにもない。無い袖は振れない。移民に正義を提供するどころか、自分の子どもにちゃんとした生活に必要な資金を残してやれる財力すらない。

この主人公の状況とジレンマは、いまのEU諸国そのままではありませんか。

とにかく暗い。八方ふさがり。
でも『BIUTIFUL』には、それでもヨーロッパの理想と希望とヒューマニズムがシニカルではなくて、絶望のなかながら肯定的に描かれてて、一種スピリチュアルな救いになってる。

最後の、森の中での、父との出会いの場面は思い出しただけで今でも号泣してしまいます。泣。








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2014/04/23

Kingfish Cafe


ニューオーリンズにいきたしと思えど、ルイジアナはあまりに遠し。

というわけで、Capitol Hill のはずれの住宅街にあるわりと有名な「クレオール風」ビストロ、The Kingfish Cafe にいってみました。

古い建物を改造した感じのいいレストランで、いかにもニューオーリンズっぽい優雅なロートアイアンのゲートがあり、店内はむき出しの煉瓦壁。期待できそうな外見。

サイトによると、シアトル生まれ(ガーフィールド高校卒業生)の二人姉妹(ラングストン・ヒューズと、縁続きだとか!)の経営。壁には家族の歴史を語る南部の写真が飾られている。

雰囲気はいい感じなんでつが…予約をとらないので5時の開店前に行ったらもう並んでて、開店と同時にほぼ満席。それはいいんだけど、やっと注文とりに来たのが25分後! 隣の席のマダムは怒って帰っちゃってた。




当然ガンボを注文。でもでてきたのは、これー。こ、これは何?

ガンボの定義は料理人の数だけありますが、うーんこれはどちらかというと、パシフィックノースウェスト風エビとカニの煮込み? オクラなんかはいってないし、ルウのどろどろ感はなし。

友人Tが食べてたフライドチキンも、うーん、南部食堂にははるかに及ばず。

なんか全体にあっさりと、ノースウェスト風に翻案した感じです。

雰囲気は良良いし、「好きになりたい」お店なんですが。

経営者の女性はとっても感じよかったのだけど、ウェイターはまったく愛想なし。この愛想のなさはニューオーリンズ風ともいえる。

週末のブランチが良いと友人は言ってたので、機会があったら今度は午前中に行ってみたいです。


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PONDZU WORDS BOOK  (1 of 1)

2014/04/21

Woodinvilleの天然塩ショウルーム


Woodinville のSalt Worksというお塩屋さんに行ってまいりました。

のどかな風景の中にある、倉庫のような四角い巨大な建物の一角がショウルームになっていて、小売りもしてくれます。

ヒマラヤンソルトはじめ、世界各地から仕入れたいろいろな天然塩と、ここで作ってる塩が並んでます。味見もできる。


受付のおねえさんはとても親切でいろいろ教えてくれました。

太平洋の水をここまでタンクで運んできて、海水から塩をつくっているのだそうだ。

太平洋北西岸の海水にリンゴの木やアルダーウッド材でいぶして燻製風味をつけたスモークソルトもここの特製。
パスタや鮭の料理なんかに良さそうです。



そしてなんと「ハワイアンソルト」もここで作っているそうです。ハワイから材料になる火山の赤土を仕入れて、天日乾燥製法はそのまま、工場で作られてるとのこと。

うちでいつも使ってる「Alaea Red Hawaiian Sea Salt」も、PACKED BY Hawaiian Pa'akai Inc. Honolulu, Hawaii と印刷されてるけど実は塩そのものはカリフォルニアで作っているらしい。

いまどき昔ながらの製法では許可もなかなかおりないようです。



1こ1ドルのお試しサイズソルトもいろいろあります!
これはオミヤゲにぴったりー!正真正銘パシフィックノースウェスト産の天然塩。

フランス、地中海、南米、ヒマラヤ、と各地の塩があるのに、日本のは見当たらないので聞いてみると、仕入れていた生産元が津波で全壊してしまい、再開のめどがたっていないのだそうでした。



このソルトワークスはじめ、Woodinvilleの名所をKaoruさんにいろいろと案内していただきました。

Woodinville、町の中は一見ふつうの郊外住宅地なのですが、住宅街のすぐ外側に、田園風景の中にいろんなものが点在していて面白い。アメリカ名物クッキーカッターサバーブとはだいぶ違います。
葡萄は作ってないのにワイナリーが200軒もあったり、サステナブルなコミュニティを目指す農場ネットワークがあったり。馬ややぎがいる農場もあるし。



こちらは町の中にある巨大園芸店Molbak's
シアトルのスワンソンズよりも、広々してました。カフェはやっぱり、イーストサイドのマダム御用達のようです。

ここのモンステラの巨大さにはびっくり!ここまで育ってるのは初めて見ました。


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2014/04/14

ハーバード出口と粒子加速器

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花盛りのシアトルです。シアトルは本当に桜の種類が多い。桜だけではなくてスモモやりんごも花盛り。春になると住宅街はどこもピンクや白の花でいっぱいです。

3月の話ですが、キャピトル・ヒルのHarvard Exitという、魅力的な名前の小さな映画館に行ってきました。

 なんか一見普通の民家のような入口で、扉をあけると暇そうなお兄ちゃんが1人で座っていて、切符を売ってくれる。これでも2つスクリーンがあって、中はけっこう広いのです。

階段がまた普通の民家のようで、お婆ちゃんの家のようなにおいがする。

そして、上映10分前に行ったら、他にカップルが1組いるだけで、その男の人のほうが舞台の袖のほうを覗きこんでいた。「いま、ネズミがいたんだけど…」
 


カーペットの模様がまたすごい。そのまま、デビッド・リンチの映画に使えそう。
1920年代の建物で、幽霊が出るという話もあったそうです。


それはさておき、見に行った映画は『Particle Fever』という、この映画館とはまったくミスマッチな、スケールの大きなサイエンス事業の話でした。

スイスとフランスにまたがって設置されている、欧州原子核研究機構(CERN)の「大型ハドロン衝突型加速器」(Large Hadron Collider/LHC)についてのドキュメンタリー。

「ヒッグス粒子」を発見するための超大掛かりな 国際プロジェクト。

「ヒッグス粒子」についてウィキペディアで読んでみようとしましたが、1行どころか1語も理解できませんでした。


ヒッグス粒子はスピン 0 のボース粒子である。 素粒子が質量を持つ仕組みを説明する機構のひとつであるヒッグス機構においては、ヒッグス場と呼ばれるスカラー場が導入され、自発的対称性の破れにともなって特徴的なスカラー粒子が出現するとされている。このスカラー粒子が、ヒッグス粒子である

はぃ? (o´・ω・`)

ちなみにこのキッズ向け記事はもうちょっとわかりやすかったです(ヒッグス君がやる気なさそう)。

そんなんだから、映画も始まって3分で眠くなってしまうのでは、と不安だったのですが、物理といえば中学校の理科で習った慣性の法則くらいまでがせいぜい理解の限界な私でも楽しめる、エンターテイメントなドキュメンタリーでした。

地下100メートルに設置されている、山手線と同じくらいの規模のトンネルだという加速器/LHCの映像が見てみたかったのでした。
検出器だけで5階建てのビルの大きさだというこの装置の映像も迫力ではあるんだけど、ドラマとしてもおもしろかったです。



各国から何千人もの物理学者が集合しているプロジェクトを描くのに、数名の物理学者を中心にストーリーが構成されてます。

アメリカ映画なので中心人物はアメリカ人。

すごく良く喋る、プリンストン大学の若手理論物理学者(両親がイランから亡命して来たという、長髪のイラン系アメリカ人)。

訛りの強い英語で素朴に喋る、スタンフォード大学の60代の素粒子物理学教授。トルコ生まれのギリシャ系で、13歳のときに政情不安な母国からアメリカに移住したという話も語られる。

そして語り手として一番活躍するのは、現場のLHCで実際の作業に当たっている、若い研究者の女の子。
この子は、アメリカのどこの高校や大学にも一定の割合でいそうな、健康的で頭が良くて人懐こくて可愛らしい、そしてこれまたキャピキャピと良く喋る、アメリカ教育のよく出来た標本みたいな幸せそうな子。自転車で職場に通い、休日にはボート競技で過ごしたりする。

それから、プロジェクトの広報担当をつとめる、イタリア人女性素粒子物理学者。

この人選が、うまいなあ、と思う。国際プロジェクトの多彩さとバイタリティを網羅してて、特にこのモニカっていう若い女の子の視点で語られる部分が、観客にとって、敷居をとっても低くしてくれる。

ストーリーの中心は、プロジェクトの立ち上げから事故と1年間の中断を経て再開し、ヒッグス粒子にほぼ間違いない、と広報官が述べて、やんやの拍手を浴びるデータの発表がクライマックス。

NHKの『プロフェッショナル』みたいな結果を追う人間模様中心かというとそうでもなくて、各研究者の背景はさらりと背景に触れられるくらいで、映画の中心テーマとして描かれているのは、出てくる研究者全員が代弁する、「真理の追求」に対するひたむきな好奇心と情熱。

物質はどのように存在しているのか? 宇宙はどんなふうに出来てどうなっていくのか?という理論の鍵になるというその粒子を見つけるための、予算90億ドルに1万人近い物理学者を動員したプロジェクトの中核である、とくにすぐ目的があるわけではない純粋な真理の探求。

いまどき、純粋な真理の探求には予算90億ドルに1万人がかかるんですね。ニュートンの時代はリンゴ1個で済んだものを。

もはや宇宙の謎はあまりにも細かくなりすぎて、素粒子物理学者でなければ手に負えなくなってしまっているけれど、宇宙のほとんどが実は、謎のままなんですよねぇ。


世界の存在に関わる理論が目の前でひとつ証明されるというのは、それはもう興奮せずにいられない ことに違いない。この映画を見ているとだんだんその興奮が伝染してきます。


実際には国際プロジェクトの内部には政治的なこととか野心とかいろいろドロドロな部分もあるんだろうけど、研究者たちが目を輝かせて、この粒子の発見(の可能性)に立ち会える幸運を語っている姿は、とにかくうらやましくも感動的です。







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