2017/01/24

暗黒舞踏の夜


久しぶりに舞踏をみてまいりました。

場所はSODOのTeatro de la Psychomachia。
マリナーズの本拠地Safeco球場のすぐ手前のストリップ劇場の並びにあるスタジオ。

入り口は、目立たない。看板もでていない建物の奥の階段を、「ここでええのかな?」と用心しながらのぼった先にあるドアの後ろに、意外にも広い、高校の教室くらいのスタジオが広がっている。

こんな都会のこんな表通りにこんなアンダーグラウンドな(2階だけど)秘密めいた場所があるとは。シアトルもまだ捨てたものではありません。

この日は、「暗黒舞踏」の祖、土方巽さんのメモリアル。

入り口には祭壇のようなメモリアルのコーナーが作られてあり、写真や亡くなったときのお顔のスケッチなどが飾られていました。

1986年に亡くなった土方巽さんの舞台、わたしは残念ながらいちども見たことない。


スタジオの右にはとても妖しい祭壇が。可愛いドクロがいっぱい。
ニューオーリンズのブードゥー博物館を思い出した。

ここのあるじ、ヴァネッサさんは長年ニューオーリンズに住み、ブードゥーを実践しているのだそうです。

両肩に蛇のタトゥーをまきつけたヴァネッサさん、「スピリットたちのお世話をしている」というだけあって、なるほどの貫禄。

本日の演目はまずJoan Laageさんのソロ舞踏。こちらはジョアンさんの意向により撮影なし。

困惑したように生まれ出て、舞台の上で身体と苦悩を発見し、いろいろに変化するいきものが、最後にニワトリになって去っていく。赤いしっぽもちょろりと出て来る。
ユーモラスなエンディングでした。

ちょうど、隣にいた20代なかばくらいの男の子Ariくんと、開演前にニワトリについて話をしていたのでそのシンクロにもびっくり。彼はマーサーアイランド育ちで、英国で舞踏をはじめて学び、シカゴとインドネシアで8年くらい舞踏を学んだり教えたりしてシアトルに帰ってきて、今度子どもたちのために、ニワトリと恐竜をモチーフにした舞踏のワークショップをやるんだ、といっていた。

ニワトリは恐竜の遠い親戚。まずニワトリになってみて、恐竜を想像するワークショップ。
それはすごくおもしろそう。

ジョアンさんのソロのあと、10分間ほど土方巽さんのモノローグが流れる。
観客は瞑目してそれを聴く。そのために、目の上に縛るサラシが配られた。


土方モノローグの間に舞台中央にいつの間にか登場し、蛹になりかかった蚕のようにからまってじっとしている二人の舞踏家。

静かに舞台が始まると、蚕たちはゆっくりと二つにほどける。


Lee Aoiさんは、一升瓶をかかえた酒場の女。

黒いハイヒールをぬぎ散らかして、昭和の歌謡に合わせて、おどる。


安酒場の女なのに、Aoiさんがおどるとなぜか小さな可憐な少女にもみえて、そのギャップと同時性がぐいぐいくる。

少女が娼婦でもあり、ケバいおばさんが聖処女でもある。同時にあり得る。

女が自分にもとめているのは、いつもそのような、アンバランスで相反的なものではないかしらね?


いっぽうの薫さんは、無邪気ななにものかから、菩薩のような、聖母のようなかたちにおさまっていく。


最後はプッチーニの(<たしか)美しいアリアでしめくくり。

薄い磁器のような、ほんの一瞬だけ存在する美しいもの。
ゆらぐ、静かなカタマリとしての身体と心。



そのあと、観客たちが舞台に招待された。
観客の中のダンサーさんたちが、とても自然に無言で舞台に出てきて、アリアにあわせて一斉に即興でゆらゆらし始めるのに、鳥肌がたった。



この帽子の子が、ニワトリ青年、Ariくん。ダンサーの子はみなこうなのか、スーパーに繊細で知的で穏やかなひとたちだ。


休憩のあとは、Vanessa Skantzeさんの舞踏。
Joy Spainさんのベースとボーカルのライブ演奏で。


ヴァネッサさんのは、とても力強い、息苦しいような舞踏だった。

身体の中から、思わぬ激しく気味わるいものが、のたくり出て来る。それがいつの間にか、自分になっている。みたいに見えた。



「「そうらみろや、息がなくても虫は生きているよ。あれをみろ、そげた腰のけむり虫がこっちに歩いてくる。あれはきっと何かの生まれ変わりの途中の虫であろうな」。言いきかされたような観察にお裾分けされてゆくような体のくもらし方で、私は育てられてきた」
 (土方巽 『病める舞姫』)。

自叙伝だそうです。読んでません。すみません。この冒頭部分だけネットでみつけたのです。

このくだり、この日のヴァネッサさんの舞踏にぴったりな気がする。

楽しゅうございました!やっぱりときどきは街に出かけるべきだのう。


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2017/01/21

きのうのパレードと今日のマーチ


とうとうこの日が来ちゃいましたね。

オバマの時とはまったく違う、大統領就任式とパレード。
昨日は演説は聞かなかったけど、洗濯ものをたたみながらパレードのようすをみてしまった。

なんだか祝典というよりは葬列のような。警官の姿ばかりが目につき、パレードの主要部分にはきっと抗議の人たちは入れなかったのだろうと思うけど、閑散とした感じ。
パレードの最終地点では観客席がガラガラという異常な光景…。

フェイスブックでパレードをライブ配信していて、ニコニコ動画のコメントみたいにリアルタイムで絵文字の反応が流れるようになってた。
「ひどいね(怒)」と「悲しいね」が、「いいね」と「超いいね」が半々、ときどき「笑えるね」が流れ、コメントはトランプ支持者と反対する人の罵り合戦。

選挙が終わっても分裂はますます続くね。


就任式翌日のきょうは、ウィメンズマーチ。

きょうは世界中でほんとうにものすごいことになっている。

ニューヨークタイムスのフォトストーリーを見て奮えた。


 世界各都市のマーチの写真が。ニューヨーク、シカゴ、LA、パリ、ロンドン、アテネ…。

息子のガールフレンドKちゃんもママと一緒にこの週末DCに飛んで、マーチに参加しています。

このパワーが、実際に社会を、政治家を、法律と経済を、変えていけますように。


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2017/01/19

4年ごしの恋が実った (´;ω;`)


ここに越してきてからというもの、4年越しにほしかったこの子が!

やっとうちにやってキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 
ヽ(=´▽`=)ノ☆彡ヽ(=´▽`=)ノ☆彡ヽ(=´▽`=)ノ☆

去年日本に帰ったときもカリフォルニアに行ったときも、飛行機の預け荷物で持って帰れないかと思いつめたけどやっぱハコが大きすぎ(箱の寸法もいちおう聞いて測ってみた)。

カリフォルニアのMUJIでは配送もきいてみたけど周辺地域にしか配送してないといわれ。
もうクルマでサンフランシスコに買いに行くしかないのかと思っていたところ。

ある日、突然前触れもなしにMUJI USAのオンラインストアで売り出されていたのでした。しかも年末年始セールで20ドル引き!

ああやっとこの日が。感涙。



この子が入手できなかったのでうちにはおととしからYogiboくんが来ていたのだけど、やっぱりこの元祖「人をダメにするソファ」は、頭ふたつ以上飛び抜けて素晴らしい。

Yogiboくんは中身にはいってるビーズが大きく、袋もぺたっとしたふつうの封筒型なのでべつにサポートはなく、身体を預けるとどこまでも沈んでしまい、起き上がるのにたいへん苦労をするのです。

でもこの子は、ほんとに体にフィットするんですのよ!

タテとヨコではサポート力が違うので、ダメになり具合が2段階選べるのも素敵。

ダメになるだけじゃなく、ちゃんと姿勢を正して座ることもできる。

ちなみにこの赤いお膳は、去年、吉祥寺の古物屋さんで買ったもの。かなり塗りの良い、まったくハゲもカケもない美品で、なんと一膳1000円とかだった。

どこかの古いお家のお蔵からでてきたものらしく、セットでいくつもあってお椀もそろってて、思わず全部買って帰りたくなったけどさすがにスーツケースがいくつあっても足りないので、これだけにしました。推定明治初期のものだそう。

リビングが一瞬でおめでたくなるお膳です。

CTちゃんに見せたら、ますますギフトショップ化が深化したと、ため息をつかれることであろう。

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2017/01/18

超絶簡単さつまいもケーキ


 年末にウワジマヤでジャパニーズさつまいもの良いのがあったので、きんとんを作ろうかと一瞬だけ思って買っておいたのだが、もちろん作らなかった。そろそろ消費せねばと思いクックパッドで検索。超簡単な、混ぜるだけりんごとサツマイモのケーキがありましたよ。
レシピはこちら

ゴロゴロに切って計ってまぜるだけ。薄力粉足りなかったので半分全粒粉、砂糖は半分ブラウンシュガーという適当さ。しかもシナモン忘れて焼き上がり5分前にオーブンから引っ張り出して全面に振った。

でも美味しくできました。素朴でうまうま!

私のようなずさんな性格の人にはぴったりな実に豪快なケーキである。


今年の抱負のひとつは、Yさんから頂いたレシピでシフォンケーキをちゃんと完成させること。
一回やってみたら、なぜか焼き上がりの高さが、完成予定の半分にも満たなかったのだった…。

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2017/01/15

宇宙と核ミサイルの時代のスペースニードル

 Seattle library アーカイブより

今回のソイソース『たてもの物語』には、スペースニードルのことを書いてます。

1962年のシアトル万博「Century 21 Exposition」のときに建てられたスペースニードル。

スペースニードルがなかったら、シアトルは今とは違う街になったのじゃないかと思うほど、シアトルとはきってもきれない存在。

シアトルにとってのスペースニードルは、東京にとっての東京タワーやスカイツリーよりも、さらにもう一段重要な存在という気がする。ランドマークや建物が土地とそこに住む人に与える影響は、きっとかなりある。
その中でもスペースニードルはかなり特別な存在だと思う。

今回参考にさせてもらったのは、シアトルのコラムニストKnute Bergerさんの、この本



ミッドセンチュリーな素敵イラストもてんこ盛りの美しい本です。

スペースニードルは万博の構想の最初からあったのではなく、ほかのパビリオンの建設がもうはじまった後になってから実行委員のひとたちが「そうだ、タワー建てよう!」と思い立って、たった2年半でガシガシと作ったというのにはびっくり。

1962年頃というのは、そんな突貫工事が可能な時代だったんですね。

シアトル万博の実行委員長的な人が、シュトゥットガルトのラジオタワーを訪ねてインスピレーションを受けて、「こういうのをシアトル万博に建てよう!」と思ってから、用地も建設資金もないままに設計を完成させて発表。設計の仕上げはワシントン大学の教授でもあったVictor Steinbrueck氏も加わって、モダニズムの彫刻をヒントにあの有機的なシェイプをデザインしたのだそうです。

その後半年で出資者と用地を確保して、建築許可を取って即工事にかかり、8か月で完成したのだそうで、ほんとにすごいスピード。
現在だったら、建築許可が下りるまでに普通に3年くらいかかりそう。

そして、1962年というのは、そういえば、冷戦のもっとも緊迫していた時代で、前年にはベルリンの壁ができ、この秋にはキューバ危機があった年でもあったのだった。

ベルリンの壁とスペースニードルは同い年だったんですね。ちょうど同じ時に建設されていたという。

ケネディ大統領もシアトル万博にくるはずだったのだけど、ちょうどミサイル危機のときで風邪を理由に欠席したそうです。

以前、学校の地下に残っている核戦争用「フォールアウトシェルター」の存在を知っておどろいたのだけど、スペースニードルが建てられていた時代は、そんなシェルターがあちこちに作られていた時代でもあった。みんなが核戦争の可能性をリアルに感じていて、学校でも核戦争に備えた避難訓練があったり、地下室にシェルターを作る家もたくさんあったというそういう時代に、宇宙時代の明るい未来をプレゼンテーションしたのが「21世紀の博覧会」、シアトル万博だったということを、60年後に覚えている人はあんまりいない。

スペースエイジといえばドナルド・フェイゲンの曲を思い出すなあ、と思っていたら、スペースニードルをフィーチャーしたこんなビデオがありました。公式ではなくファンが作ったもののようですけど。



この時、まだ宇宙開発競争はソ連が大幅にリードしていて、アメリカは必死であとを追っていた。

連邦政府がおカネを出した「科学館(World of Science)」はミノル・ヤマサキの設計で、NASAの人工衛星のモデルが展示され、チャールズ・イームズの作った短編映画も上映されていたのでした。

seattle municipal archive

当時6歳だったビル・ゲイツ少年も、9歳だったポール・アレン少年も当然観に行ったというこの博覧会は、きっとこの少年たちにも強烈な印象をのこしたことでしょう。

20世紀の終わりにこの二人が作る会社がやがてシアトルに莫大な富をもたらし、21世紀のはじめにはポール・アレンさんの建てたフランク・ゲーリー作のEMP(最近名前がまた変わってMuseum of Pop Cultureになった)がスペースニードルのすぐ横に建ち、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の建物も通りをはさんですぐとなりに並ぶことになったんですね。


Seattle Library アーカイブより。

この頃の溶接技師は、命綱なんか使わなかったらしいです。 「そんなものァかえって動きがとれなくなって危ねえってんだよ」といったとか。まるで鳶職のようだ。

幸い、スペースニードル工事現場では、死者も大怪我人も出なかったそうです。

ニードルのてっぺんの展望レストランの大枠が完成した時には、まだ壁のない吹きさらしのレストランの現場にシェフを呼び、展望レストランで一番最初のディナーを職人さんたちにふるまった、というちょっといい話も『Space Needle』の本で紹介されてました。

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2017/01/11

寒い日


寒いです。

シアトルは樺太とおなじくらい緯度が高いわりにめったに零下にならないけれど、この冬はクリスマス頃からかなりさむい日々つづきです。
夜は華氏28度(マイナス2度C)だった。明日も最高気温華氏35度(2度C)とか。

華氏で20度台(つまり零下)になると、うっわー寒ぅ!と思っちゃう。たったマイナス2度なんだけど気持ちは激寒。
東京の冬はもっと寒かったはず。もう記憶のかなたの小学生のとき、毎朝冬は通学路で霜柱をふむのがたのしみだった。いまの東京には霜柱の出て来る場所もきっとあんまりないよね。

年末年始がっつり寒くなって、冷蔵庫より外が寒く、うっかりベランダに出しておいた野菜が半分凍ってしまった。

道を歩いてても、水たまりに氷が張ってたりして新鮮。



きのうは雪の予報が出ていたけれど、結局雨だった。
オレゴンのほうは大雪だそうです。


寒いから散歩に出るのにも手袋の出番があって嬉しい。
2年前に息子がアイスランドのオミヤゲに買ってきてくれた、ウールの素朴なミトン。

去年は暖冬すぎてぜんぜん出番がなかった。今年は活躍してます。


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2017/01/10

くまコーヒー


Kuma Coffee は、シアトルの新進(2009年始動)ロースター。
この間友人宅でごちそうになったエチオピア産が激ウマだったので、以来、リピート。

いま出ている「Fresh Crops−Bright」というブレンド(東アフリカの産地の、新しく收穫されたばかりの豆のブレンド)は、ほんとうに「bright」。
飲みくちが軽くて、ふわっと明るい香り。柔らかい果物のような、キラキラした感じのコーヒー。
ドリップで淹れたけど、エスプレッソにもお勧めとあります。

コーヒー袋はスタンプ手押しという手作り感満載で、いかにも地元のマイクロロースターという感じ。

クマコーヒーはシアトルの地元系のスーパーマーケットにおいてある。
前にはウォーリングフォードのあたりにカフェがあったはずなんだけど、もうなくなってしまって、今は卸売り専門になったらしい。

サイトには「コロンビアの買い付け旅から帰ってきたよ!」という記事が。
ここも、畑に直接豆を買い付けに行っている。



サイトによると、「クマ」という名前は、オーナーの犬の名前だそうです。
日本の人かと思ったらそうではなくて、宣教師のご両親に連れられてケニアに行っていたあいだにアフリカのコーヒーが好きになったという人。クマちゃんは、シェルター犬だったそうだ。

そういえばCTちゃんちがハワイで飼ってた最初の犬(ロットワイラー)、クマという名前だった。わりとよくありがちな大型犬のなまえなのか?

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