2017/01/18
超絶簡単さつまいもケーキ
年末にウワジマヤでジャパニーズさつまいもの良いのがあったので、きんとんを作ろうかと一瞬だけ思って買っておいたのだが、もちろん作らなかった。そろそろ消費せねばと思いクックパッドで検索。超簡単な、混ぜるだけりんごとサツマイモのケーキがありましたよ。
レシピはこちら。
ゴロゴロに切って計ってまぜるだけ。薄力粉足りなかったので半分全粒粉、砂糖は半分ブラウンシュガーという適当さ。しかもシナモン忘れて焼き上がり5分前にオーブンから引っ張り出して全面に振った。
でも美味しくできました。素朴でうまうま!
私のようなずさんな性格の人にはぴったりな実に豪快なケーキである。
今年の抱負のひとつは、Yさんから頂いたレシピでシフォンケーキをちゃんと完成させること。
一回やってみたら、なぜか焼き上がりの高さが、完成予定の半分にも満たなかったのだった…。
2017/01/15
宇宙と核ミサイルの時代のスペースニードル
今回のソイソース『たてもの物語』には、スペースニードルのことを書いてます。
1962年のシアトル万博「Century 21 Exposition」のときに建てられたスペースニードル。
スペースニードルがなかったら、シアトルは今とは違う街になったのじゃないかと思うほど、シアトルとはきってもきれない存在。
シアトルにとってのスペースニードルは、東京にとっての東京タワーやスカイツリーよりも、さらにもう一段重要な存在という気がする。ランドマークや建物が土地とそこに住む人に与える影響は、きっとかなりある。
その中でもスペースニードルはかなり特別な存在だと思う。
今回参考にさせてもらったのは、シアトルのコラムニストKnute Bergerさんの、この本。
ミッドセンチュリーな素敵イラストもてんこ盛りの美しい本です。
スペースニードルは万博の構想の最初からあったのではなく、ほかのパビリオンの建設がもうはじまった後になってから実行委員のひとたちが「そうだ、タワー建てよう!」と思い立って、たった2年半でガシガシと作ったというのにはびっくり。
1962年頃というのは、そんな突貫工事が可能な時代だったんですね。
シアトル万博の実行委員長的な人が、シュトゥットガルトのラジオタワーを訪ねてインスピレーションを受けて、「こういうのをシアトル万博に建てよう!」と思ってから、用地も建設資金もないままに設計を完成させて発表。設計の仕上げはワシントン大学の教授でもあったVictor Steinbrueck氏も加わって、モダニズムの彫刻をヒントにあの有機的なシェイプをデザインしたのだそうです。
その後半年で出資者と用地を確保して、建築許可を取って即工事にかかり、8か月で完成したのだそうで、ほんとにすごいスピード。
現在だったら、建築許可が下りるまでに普通に3年くらいかかりそう。
そして、1962年というのは、そういえば、冷戦のもっとも緊迫していた時代で、前年にはベルリンの壁ができ、この秋にはキューバ危機があった年でもあったのだった。
ベルリンの壁とスペースニードルは同い年だったんですね。ちょうど同じ時に建設されていたという。
ケネディ大統領もシアトル万博にくるはずだったのだけど、ちょうどミサイル危機のときで風邪を理由に欠席したそうです。
以前、学校の地下に残っている核戦争用「フォールアウトシェルター」の存在を知っておどろいたのだけど、スペースニードルが建てられていた時代は、そんなシェルターがあちこちに作られていた時代でもあった。みんなが核戦争の可能性をリアルに感じていて、学校でも核戦争に備えた避難訓練があったり、地下室にシェルターを作る家もたくさんあったというそういう時代に、宇宙時代の明るい未来をプレゼンテーションしたのが「21世紀の博覧会」、シアトル万博だったということを、60年後に覚えている人はあんまりいない。
スペースエイジといえばドナルド・フェイゲンの曲を思い出すなあ、と思っていたら、スペースニードルをフィーチャーしたこんなビデオがありました。公式ではなくファンが作ったもののようですけど。
この時、まだ宇宙開発競争はソ連が大幅にリードしていて、アメリカは必死であとを追っていた。
連邦政府がおカネを出した「科学館(World of Science)」はミノル・ヤマサキの設計で、NASAの人工衛星のモデルが展示され、チャールズ・イームズの作った短編映画も上映されていたのでした。
seattle municipal archive
当時6歳だったビル・ゲイツ少年も、9歳だったポール・アレン少年も当然観に行ったというこの博覧会は、きっとこの少年たちにも強烈な印象をのこしたことでしょう。
20世紀の終わりにこの二人が作る会社がやがてシアトルに莫大な富をもたらし、21世紀のはじめにはポール・アレンさんの建てたフランク・ゲーリー作のEMP(最近名前がまた変わってMuseum of Pop Cultureになった)がスペースニードルのすぐ横に建ち、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の建物も通りをはさんですぐとなりに並ぶことになったんですね。
Seattle Library アーカイブより。
この頃の溶接技師は、命綱なんか使わなかったらしいです。 「そんなものァかえって動きがとれなくなって危ねえってんだよ」といったとか。まるで鳶職のようだ。
幸い、スペースニードル工事現場では、死者も大怪我人も出なかったそうです。
ニードルのてっぺんの展望レストランの大枠が完成した時には、まだ壁のない吹きさらしのレストランの現場にシェフを呼び、展望レストランで一番最初のディナーを職人さんたちにふるまった、というちょっといい話も『Space Needle』の本で紹介されてました。
2017/01/11
寒い日
寒いです。
シアトルは樺太とおなじくらい緯度が高いわりにめったに零下にならないけれど、この冬はクリスマス頃からかなりさむい日々つづきです。
夜は華氏28度(マイナス2度C)だった。明日も最高気温華氏35度(2度C)とか。
華氏で20度台(つまり零下)になると、うっわー寒ぅ!と思っちゃう。たったマイナス2度なんだけど気持ちは激寒。
東京の冬はもっと寒かったはず。もう記憶のかなたの小学生のとき、毎朝冬は通学路で霜柱をふむのがたのしみだった。いまの東京には霜柱の出て来る場所もきっとあんまりないよね。
年末年始がっつり寒くなって、冷蔵庫より外が寒く、うっかりベランダに出しておいた野菜が半分凍ってしまった。
道を歩いてても、水たまりに氷が張ってたりして新鮮。
きのうは雪の予報が出ていたけれど、結局雨だった。
オレゴンのほうは大雪だそうです。
寒いから散歩に出るのにも手袋の出番があって嬉しい。
2年前に息子がアイスランドのオミヤゲに買ってきてくれた、ウールの素朴なミトン。
去年は暖冬すぎてぜんぜん出番がなかった。今年は活躍してます。
2017/01/10
くまコーヒー
Kuma Coffee は、シアトルの新進(2009年始動)ロースター。
この間友人宅でごちそうになったエチオピア産が激ウマだったので、以来、リピート。
いま出ている「Fresh Crops−Bright」というブレンド(東アフリカの産地の、新しく收穫されたばかりの豆のブレンド)は、ほんとうに「bright」。
飲みくちが軽くて、ふわっと明るい香り。柔らかい果物のような、キラキラした感じのコーヒー。
ドリップで淹れたけど、エスプレッソにもお勧めとあります。
コーヒー袋はスタンプ手押しという手作り感満載で、いかにも地元のマイクロロースターという感じ。
クマコーヒーはシアトルの地元系のスーパーマーケットにおいてある。
前にはウォーリングフォードのあたりにカフェがあったはずなんだけど、もうなくなってしまって、今は卸売り専門になったらしい。
サイトには「コロンビアの買い付け旅から帰ってきたよ!」という記事が。
ここも、畑に直接豆を買い付けに行っている。
サイトによると、「クマ」という名前は、オーナーの犬の名前だそうです。
日本の人かと思ったらそうではなくて、宣教師のご両親に連れられてケニアに行っていたあいだにアフリカのコーヒーが好きになったという人。クマちゃんは、シェルター犬だったそうだ。
そういえばCTちゃんちがハワイで飼ってた最初の犬(ロットワイラー)、クマという名前だった。わりとよくありがちな大型犬のなまえなのか?
2017/01/09
3ドルのステキ椅子
冬休みにうちの息子がガールフレンドのKちゃんとワシントン大学のサープラスストアに行ってこんなものたちを買ってきました。
大学のキャンパスでいらなくなったものたちを放出するストアで、カヌーから血球計算器までいろいろ売っている。
この成形プラスチックの椅子、さいきんのとは違って分厚くてしっかりしていて、シートの形が身体にフィットして本当に座りやすい。
脚部は学校のものだけに質実剛健で色気もなにもないけど、このシートは色も形もキレイだし、デザインほんとに素晴らしい。
この椅子はKちゃんがサンディエゴのお部屋用に持っていきました。
ちなみにお値段は3ドル!
このスチール棚も、6ドルとか7ドルとかそんな値段だったらしい。
この「燃える液体」入ってるよというステッカーがキュート。
なんか一見それらしい実験道具を並べているけど、うちの青年は科学青年じゃないんだな。 単にコーヒーを淹れる道具なのである。
ハリオのコーヒードリッパーをクリスマスにKちゃんからもらったそうです。
ドリッパーをのせてるスタンドは、サープラスストアで買った実験用具らしい。
無意味にフラスコまで揃えているw これはわざわざアマゾンで買ったようです。
あっという間にまた新学期が始まって、Kちゃんはサンディエゴに(椅子持って)帰っていきました。
福岡ハカセは、時の流れが速く感じられるのは代謝が遅くなり、体内時計がゆっくりになるので一年の感じ方が長くなり、時間の経過についていけなくなるから、という説をとなえています(『動的平衡』「脳にかけられたバイアス」)が、代謝だけでなくてすべての回転が遅くなってる気がする、新年。とほほ。
2017/01/04
華麗なおせちと黒豆の惨事
元旦は、Yさんのお宅で開催された「おせちの会」にお招きをいただきました。
これはですね、一品作るのでもかなりの手間と熟練を要するおせち料理を何品かずつ作って持ち寄り、その総力を結集させて一大豪華おせちをつくりあげ、みなでほのぼのと満足するという会。
お元日はすこし雪が降って、Yさんちのお庭にはご息女Rちゃん作のゆきねこちゃんが。
おせちのみならず、お雑煮も超豪華。
こちらはY家のシェフMくん作の新潟風、鮭と大根のお雑煮。
おもちは焼くのではなくとろりと茹でもち。
こちらは舞踏家薫さんの、福岡風お雑煮。
白身魚と椎茸、青菜に、やはり茹で餅。お出汁は昆布とアゴ(アゴ風の干し魚をコリアンマーケットで発見したそうで、そちらを使用)。やっぱり豪華ですね!
わたくしは東京風お雑煮(さといも、かまぼこ、小松菜のかわりに水菜、とりにく)と、たたきごぼう、黒豆、つくねで参戦したものの。
たたきごぼうは、なんか微妙に酸っぱくてよ!
つくねは…丸くならなんだ!団子ちゃう!かわいくない!
そして黒豆は…いちおう柔らかくなり、味はしみたものの、
黒くなかった。
左下がわたくしの。右上はYさんのと市販の、正しい黒豆。
うちのは、黒豆ではなく海老茶豆である。
しかも行く途中のクルマの中で豆の容器をかたむけてしまい、砂糖たっぷりの煮汁をクルマの床に500ミリリットル以上ゴボゴボと注いでしまうという大惨事も引き起こした。
年の瀬から新年そうそう、自分のデクノボウぶりを嫌というほど思い知った2017年。
心して気をつけろということですね。
本当に、事故とか火事とか出さないように気をつけます。
お雑煮のお餅もYさんち自家製(パン焼き器でできるのだとな!)。
Yさん、お仕事明けに大晦日から24時間以上寝ないでご子息&ご息女とあれこれと完璧に用意したという、まるでトライアスリートのようなタフさ。器がちがう器が。
日本の美、花蓮根と花人参。
昆布巻き、錦玉子、きんとん、伊達巻、酢蓮、紅白なます、田作り、数の子、黒豆(海老茶豆)、たたき牛蒡、海老のうま煮、ごぼうといんげんの肉巻き、鮭の西京焼き、鰤の照り焼き、ローストビーフ、煮しめ、つくね。
「錦玉子」というものをわたくしは存じ上げませんでしたことよ。
花にんじんはKさんの作なり。
そして伊達巻も!
平目と海老とあともう一つ白身魚(忘れた)のすり身から、Kさんがご自分でお作りになられたというこの美しい伊達巻。「生涯初の伊達巻クッキング」とは思えない、毎日伊達巻作ってかれこれ10年といわれても納得するような仕上がりでござるよ。
お重に詰めるのもけっこう難しくて楽しい。
決まりは無視して各自好きなように詰めるので、それぞれ個性が出る。
小鉢を入れるときれいにまとまりますね。Yさんは飾りの枝まで用意してくれた!
ずらりと並んだお重。
うちのは、いつだったか実家からもってきたシンプルな春慶塗の。
たぶんまだ2回くらいしか使っていないし、こんなに立派なおせちを詰めたのは、たぶん初めて。お重くんもやっと出番がまわってきて、お重冥利につきたことでしょう。
お酒はYさん秘蔵の日本直送「鍋島」と「鶴齢」。どちらも麗しく美味。
ひととおりみんながおせちを食べ終わったあたりで、さらに怒涛のデザートが登場。福砂屋のかすていらにとらやようかん、バクラヴァに干菓子に焼き菓子に。
この上なく贅沢なお元日でした。世界が広がった。
Yさん、ご参加の皆様、美しくおいしいものをほんとうにありがとうございました。
また顔を洗って出直します。黒豆めー。
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