メリークリスマス!
まったくクリスマスの写真ではありませんが、色だけクリスマスカラー。ハワイで撮った葉っぱです。
昨日、買いものに行く途中で車のラジオを聞いていたら、ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」についてのエピソードをやってました。
史上最強のクリスマスソングとして知らない人はまずないであろう曲ですが、この曲は1941年の12月に初めて放送(ラジオのライブ番組で初披露)されたのだそうです。知らなかった。
1941年の12月といえば。さて、何があった年でしょうか。
真珠湾攻撃の直後ですね! ドイツもアメリカに宣戦布告し、アメリカが参戦して、第二次大戦が本格的な全面世界戦争に突入した、ちょうどそのときでした。
この曲はそんな極限的に不安な世相の中で愛され、そしてまもなく海の向こうに送り出された兵隊さんたちが故郷のクリスマスを思いながら聴く曲として、それに息子や夫や父親を戦争に送り出した家族が戦場の人を思う曲として愛された、戦時下のアメリカ人のとてつもなく切ない思いをかきたてるクリスマスソングだったんだそうです。
ビング・クロスビーが戦地に慰問に行った時にも、この曲はあまりにもセンチメンタルで故郷を思い出させるということで本人は歌うのを躊躇したけれど、兵隊さんたちから熱狂的にリクエストをされたのだとラヂオでいってました。
2年後に作られた、家のクリスマスを遠くで想う悲しい曲「I will be home for Christmas」(1943)も、同様に遠い異国で戦う兵隊さんのセンチメントを代表する曲として、大ヒットしました。これはいわば、「White Christmas」の続編だったわけですね。
その頃日本では、制御不能になっていく戦争に国民が総動員されて、勇ましい軍歌だけを歌っていた。
うちの父母はまだ幼くて、田舎に疎開してました。
第二次大戦でのアメリカの戦死者は約41万人。
日本軍の戦死者は100万人ともいわれ、民間人の犠牲者はその3倍ともいわれてます。
そんなとんでもない人数の人がバタバタと死んでいた数年間に、この平和なクリスマスソングは戦地で米兵さんたちの心のよりどころになっていた。 そしてそのアメリカは鬼の国だと教えられた日本の兵隊さんたちは、食べるものも満足に支給されず南洋や大陸で大量に死に、沖縄でも本土でも、大人や子どもが大量に無差別で殺された。
そんなことを思って聴くと、この曲が全然違って聞こえてきます。
何年か前に
クリスマスソング日記を書いたときにこの曲を自分的ベスト10クリスマスソングに入れなかったのは、あまりにも有名すぎて、格別な感慨もわかなかったからです。
私が育った高度成長期の呑気な日本でも、この曲はクリスマスになると繰り返し繰り返し町中でかかっていたと思います。
私はこの曲を聴くと、バタークリームをこってり盛ったクリスマスケーキが並ぶデパートを連想してしまいます。
たしか村上春樹さんはエッセイで、小さい時に家にこのビング・クロスビーのホワイトクリスマスのレコードがあって、繰り返し聞いていた、と書いていたと思います。満ち足りた平和の象徴のような曲として聞いていた。というような話だったと記憶してます。超うろ覚え。
ともかく昭和後期の平和な日本では、そして1950年代以降のアメリカでも、この曲は平和と繁栄と、その結果としての消費の象徴みたいな感じでうけとめられてたのだと思います。
74年目のホワイトクリスマス。
そしてこの歌に関するもうひとつのエピソード。それは、この曲の作者、アーヴィング・バーリンはロシア出身のユダヤ人で、クリスマスを祝う人ではなかったということ。
そして、彼にとってクリスマスの日というのは生後3週間の息子が亡くなった日で、お墓にお参りにいく日だったのだそうです。
クリスマスは家族や大切な人が集って満ち足りた食卓を囲む幸せな時、というのは、当たり前のことなんかではなくて、永遠の願い、というかかなえられない夢であることも多い。だからこそ心地よくて完璧な平和と幸せを歌うクリスマスソングが、これほど深く愛されるのかもしれないですね。