2015/10/15

ダメになりたい



うちのアパートのリビングは狭い。
アトランタのYちゃんとこのようにラブラドール犬がかけまわるほどの広さはありませんので、アメリカでいう「カウチ」もソファも置きたくなかった。

ここに引っ越してきた2年前からずっと欲しかったもの、そして今も引き続きほしいもの、それは無印良品の「体にフィットするソファ」、別名「人をダメにするソファ」。

日本に帰ったときに店頭で座ってみて、即時ダメになりそうなそのパワーを体感し、心からほしいと思った。

でも残念なことにシアトル近辺の車で行ける場所には、MUJIがない。

そこでウェブで見つけたのが、アメリカ版の人をダメにするソファ、Yogibo君。

特大サイズのYogibo Maxは全長6フィート、180センチ強。
横たわって眠れるサイズです。お値段は239ドル。

「ビーンバッグ」だと思うと高いが、ソファだと思えば安い。

ウェブで注文したら、ある日、巨大な箱がやってきた。ぎゅうぎゅうに詰めれば人間3人くらい入る箱を、配達の人は放置していった。

MUJIのにくらべると中に入ってるビーズはもっと大きくて、座るたびに大雨の日のような音がします。

あとカバーのカラーはやっぱりMUJIのほうがオシャレです。グレーを選んだのに実際の色は紺に近くて、ちょっと思っていたトーンと違った。

でもサイズ的には満足。

一度ここに落ち着いてしまうと、起き上がるのがかなり困難になります。

読書用のスペースとして活用するつもりが、この場所で本を読み始めると5分後には爆睡モードに。

やはり人をダメにする実力は充分にそなえているのであった。


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2015/10/12

危なすぎる橋


先月末、シアトルのダウンタウンの少し北にあるオーロラ橋で大事故がありました。

第二次大戦中の水陸両用車両を使って、観光客を乗せて街の中から水の上に繰り出すツアー「ダックツアー」の車両が、突然コントロールを失って前の車にぶつかり、反対車線に飛び出して、ちょうど通りかかった大型バスの真ん中に頭から突っ込む形で激突。

バスに乗っていた5人がほぼ即死、ほかにも多くの人が重傷を負った、悲惨というほかない事故でした。

バスに乗っていたのは、ノース・シアトル・コミュニティーカレッジの留学生。9月から始まった新学期に入学したばかりのアジアからの留学生たちで、オリエンテーションの遠足の途中でした。亡くなった方の中には日本からの30代の女性もいました。
このコミュニティーカレッジでは、私もいくつか授業をとったことがあるし、息子も高校の時に通ったことがある、うちのコミュニティーの学校。

亡くなられた方がたとご家族の方に、心からお悔やみ申し上げます。

このオーロラ橋は、うちからダウンタウン方面に行くたびに通る橋です。
家からは車で10分くらいのところ。

事故のあった日は家で仕事をしていたのですが、救急車のサイレンがひっきりなしに聞こえるので何だろうと思ったら、この事故で重傷者をシアトル中の病院に搬送する救急車が、家の近くの病院にも来ていたのでした。


この橋って本当に危ないのです。
両側3車線あるのに、車線を隔てる中央分離帯がない。そして狭い。
この橋を通っている99号線というのは幹線道路で、インターステートができる以前はカナダからカリフォルニアを南北につなぐ唯一の主要道路でした。
現在の時速制限は40マイル(約65キロ)。
高速道路ほどではないものの、みんなかなりブンブン飛ばしています。

運転していてこの橋にかかると、いつもかなり緊張します。車線が狭いし、分離帯はないし。
通るたびに、反対車線から車が飛び込んできたらどうしようもないな、と考えずにいられません。

この橋で車線をまたぐ事故があったのは今回が初めてではなくて、去年もたしか1件あったし、この事故のすぐ数日後にも衝突事故がありました。
10年くらい前にバスが橋の下に落ちた事故もあったそうです。

今回の事故で、やっぱりなんらかの形で真ん中に壁を作るべきだろうという声が高まっているようですが、実現するにしてもかなり先のことになるでしょう。


この橋、以前は自殺の名所でもありました。自殺防止のためにこの高い柵が取り付けられたのが2011年。それまではちょっと乗り出せばすぐに落っこちてしまえる手すりだけしかなかったのでした。

この写真はその柵ができてすぐ後くらいの夏に、いっぺん橋を歩いて渡ってみようと思って歩いたときのもの。


下に見えるのは、フリーモントの跳ね橋。
ワシントン湖とピュージェト湾をつなぐ、狭い運河です。


橋の上から見た、夏ののどかな風景。この先がバラードの水門につながってます。


こちらは反対側のユニオン湖。
橋の高さは898メートル。竣工は1932年です。


こちらは、歴史ミュージアム(MOHAI)で以前見た、オーロラ橋建設当時のもの。
オーロラ橋(正式名称は「ジョージ・ワシントン記念橋」というそうです。知らなかった)の完成を目の前にした1931年3月、ユニオン湖にいた4本マストの帆船が運河を通って海に出て行く時の写真です。

橋の完成以降は、このようなマストの高い帆船はもうユニオン湖ーワシントン湖へは通行できなくなりました。

なにしろ80年以上前に造られた橋ですから、いまの時代の交通量に対応するのは大変。幅を広げることはできないので、現在は両側にある歩道をなくして分離帯を作るというプランも検討されてるそうです。

ちなみにこの橋の下にはトロルも住んでいます。

歴史もありキャラクターもある、シアトルにとっては大事な橋。切実に、もっと安心して通行できるようにしてほしいです。

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2015/10/09

アトランタ再訪 グリッツLOVEと牛からのメッセージ


9月末にアトランタに行ってきました。展示会に出展する日本企業さんのお手伝いの仕事で、観光の時間はぜんぜんなかったのですが、1日前に現地入りして、アトランタ在住の友人に再会できました。

国内便だから1時間ちょっと前に空港に着いてればいいねー、なんてノンビリしてたら、到着時間を計算し間違っていて、なんと、生まれて初めて飛行機に乗り遅れてしまいました。

「この便にはもうチェックインできません」といわれた時にはさーっと体が軽くなった気が。

幸い同日の便に席があって、振り替えてもらえました(差額は手数料の25ドルで済んだ!)が、空港で6時間待ち、夕方到着の予定が真夜中着に。

クライアントさんより1日前の到着にしておいてよかったーーーー。

おかげで友人たちと予定してた夕ごはんをキャンセルしたあげく、心優しいYちゃんに真夜中に空港まで迎えにこさせるという大迷惑をかけてしまいました。でも、空港での待ち時間が6時間くらいあったので、その間に終わっていなくてうわーどうしようと思っていた仕事をほぼ片付けることができました。

Yちゃんちはアトランタの北側のアルファレッタという落ち着いた住宅街にあります。

Yちゃんは私と同じくシングルママで、高校生の頭が良くて超かわいいお嬢さんAちゃんとふたりぐらしですが、行くたびに(って2回めだけど)四つ足の家族が増えている。

前回訪ねたときは中型犬セイント君と、いつもすごく機嫌の悪い猫シナモンちゃんだけだったのですが、今回は、手足を伸ばしたら全長6フィートはあり、私よりも頭一つ分は確実にでかい、そしてものすごくハイパーなチャチャちゃん、そしてこの写真↑のフレンドリーな美形ねこ、シマちゃんが増えてました。

この次行ったら何人家族になっているのか、楽しみですw

Yちゃんちはタウンハウスで、うちのアパートと同じ2ベッドルームなんだけど、フルサイズの浴槽つきバスルームが2つあって、さらにリビングルームは2倍は広い。

大型犬と中型犬と猫2匹が駆け回るスペースが充分あるのです。

そしてその真中でお嬢さんが優雅にビオラを弾いているという、かなりカオスだけど楽しいリビングで短くも楽しいひとときを過ごすことができました。


Yちゃんたちと日曜の遅めのランチを一緒に。
住宅地の真ん中にぽつんとあるソウルフードのレストラン、Greenwoods on Green Streetという店を探して行ってみました。

トマトソースとワケギつきのフライド・グリーントマト。


ボリュームは1人前が3食分くらい。トリ1/2羽分のフライドチキンには、蜂蜜のソースがかかってて、ちょっと中華風なテイスト。
つけあわせのカラードグリーン、スイートポテト、マカロニチーズ、ブロッコリーキャセロールなどは正統派ですが、メインディッシュは独自のツイストをかけてるっぽい感じです。

揚げ物類はさすがにパーフェクト。

Aちゃんは「海老入りグリッツ」というこれまた強烈な南部ならではのメニューを注文してました。


ソウルフードの店なのに、マントルピースに七福神が飾ってあるという不思議な店。
天井にはもちろん、ゆるゆると回る扇風機。
店の前にはピースサインが立ててある。全体に「折衷」を通り越してもはやアナーキーな感じです。

その中で教会帰りの正装した黒人カップルが食事の前のお祈りをしているという、とても不思議な店でした。またぜひ行きたい!


シアトルにはグリッツがあまり見つからないという話は以前にも書きました。挽き割りとうもろこしのおかゆであるこのドロリとしたグリッツが、私は大好き。

これを塩気の強いソーセージとかベーコンとかと一緒に食べるのが定番の南部の朝食メニュー。
泊まったホテルの朝食ブッフェにも当然グリッツがついていて、ほんとに嬉しかった。

日本から来て南部は初めてのクライアントさんは、「味はないけど微妙においしい、障子用の糊のようなたべもの」と不思議なコメントをされていました。

アトランタのスーパーにズラリと並んでいる数々のグリッツ! Yちゃんがお土産にと買ってくれました(TдT)。
なくなったらまたアトランタに買いに行かなくっちゃー!


日本企業の皆さんはタイトなスケジュールでめいっぱい働かれます。

商談を兼ねた気のはるビジネスディナーの翌日は、Yelpで見つけた居酒屋に行ってみました。
その名も「MISO」。

ダウンタウンからクルマで10分くらいのところにあるいま風居酒屋で、天井からは流木をアレンジしたアートが飾ってある。
寿司バーで寿司を握っているのはヒスパニックの板前さん。注文をとりにきたサーバーはアジア系だけど日本語は話せない青年。スタッフにもお客さんにも日本人は一人も見当たらない。
でも味噌汁も揚げ出し豆腐もかなりちゃんとした、普通の和食でした。

平日の夜にもかかわらず、アトランタのヒップな方々(30代くらいのお洒落カップルが多かった)で店内はいっぱい。
皆さん、箸を器用につかってクリエイティブな巻きずしを食べ、バーで日本酒を飲んでました。

和食の文化はほんとに米国の(少なくとも都市圏には)浸透したんだなあ、としみじみ。



アトランタのダウンタウンに滞在したのですが、ずっと雨降りだったし、落ち着いて写真を撮る時間もありませんでした。展示会場前で空港に行く前に撮ったこの1枚が唯一の観光写真。

左の建設中のは「メルセデス・ベンツ・スタジアム」。
アトランタ・ファルコンズの本拠地になる、8万人収容の開閉型ドームなんだそうです。

それより気になるのは、黄色い看板に「DISTANZ YERSELF FRUM BEEF」と、おもいっきり間違ったスペルで書かれた不気味なメッセージ。

これは最近シアトル近郊にも出店したチキンサンドイッチのチェーン店Chick-fil-Aの広告。
「ギウ肉に、ちかづくな」という牛たちの訴えです。

本社がジョージア州なので、アトランタ内にはこのアグレッシブな牛たちを主役にした広告がとても多いです。


帰りの飛行機に乗る前に、わざわざいっこ手前のターミナルにあるここの店に行って、レモネードとチキンサンドイッチを買いました。
国内線エコノミーはご飯が有料だし特別美味しいものはなさそうだし、腹ごしらえをしておくに限ります。


行きの飛行機で見えた、ブロッケンの影。いつもチョイスがあればかならず窓際、なんだけど、帰りの飛行機はMiddie Seat(3列の真ん中席)でした(´;ω;`)。


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2015/10/07

パンプキンに弱い


なんだか店の前とか近所の家の前にカボチャが増えたなと思ったら、もう10月ではありませんか!

8月からずっとバタバタしっぱなしだったので、まだ夏が終わったばっかりだと思ってた!

そしてTrader Joe's に買いものにいったら、ありとあらゆるパンプキン食品が並んでいる!

仕事がちょっと立て込んでくると、ろくでもないおやつをやたらと買い込む癖がある、わたくし。

しかもわたしはなぜか、パンプキンに弱いのです。

スタバでも、甘い飲みものは普段は絶対頼まないのに、なぜか「パンプキン・スパイス・ラテ」というその響きに惹かれてふらっと買いそうになる。

だからこの日のトレジョのパンプキン攻撃には、飛んで火に入る夏の虫。

トレーダージョーさん、毎年この季節には季節限定のパンプキングッズで攻めてくるのですが、今年は特に豊富に揃えているように見受けられます。


「Pumpkin Butter」は去年も買った品。しかも去年は2瓶消費しました。これやばいです。
これをのせるだけであなたのトーストがパンプキンパイにアップグレードする魔法のバター。
クリームチーズと一緒にベーグルに載せて食べれば、簡単に幸せになれます。

 トレーダージョーズの広報担当の方、パンプキンバターの日本語コピーはトレジョ検定1級のわたくしにぜひおまかせください。謝礼はパンプキングッズで応相談。


追記。

トレーダージョーさんから、恒例の「Fearless Flyer」(という名のチラシ)が届きました。

商品の写真もイラストも一切なくて、ヴィクトリア朝のレトロなイラストとふざけたコピーが満載で毎回脱力感たっぷりの、24ページもあるチラシです。

このデジタルな世の中に完全に逆行していてとても新鮮なんですが、この10月号に載っていた99品目のうち、なんと51品目が(今日はちょっと暇だったので数えた)パンプキン関連。
今年のトレーダージョーさんの、常軌を逸したパンプキンへの傾倒ぶりが明らかになりました。





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2015/09/23

キューバサンドイッチ紛争


シアトルいちおいしいキューバ風サンドイッチの店、PASEO のことはずっと前にも書きましたが、去年の11月、この店が突然閉店してしまった時には、シアトル中が大騒ぎになりました。

大げさのようですが、本当にちょっとした大ニュースでした。


背景はもちろん詳しく知りませんが、メキシコ系の従業員に差別待遇と給与不払いで訴えられていたそうで、急に破産宣告をして店を閉めてしまったのでした。

シアトル中のサンドイッチファンが嘆き悲しみ、キックスターターで店を買い取って再オープンしようなんて話がすぐに盛り上がったくらい。結局、シアトルの企業家でパイクプレイスマーケットの委員でもあるライアン・サントワイヤさんが9万1000ドルで買収して、わりあいすぐにフリーモント店が営業再開しました。

でもなんと、この9万1000ドルには、秘伝のソースのレシピは含まれてなかったそうです。

レシピなしで9万ドル。お買い得なのか。

フリーモントの店は元従業員がそっくり切り盛りしてて、ソースのレシピがなくても工夫に工夫を重ねて以前のサンドイッチと同じ味を再現した、と胸を張ってます。

私も再生パセオに2度ほど行ってみましたが、ピンクの店の佇まいも、行列の長さも、味も、ほとんど以前のままでした。

唯一、以前は現金オンリーだったのが、今度はクレジットカードが使えるようになっていて、さらに嬉しい。

良かったよかったと思っていたら、うちの近所にこの夏、新しいキューバサンドイッチ店がオープンしました。

Un Bien というこの店、前のパセオのオーナーの息子たちがオープンした店なのだそうです。
新聞記事で読んで、すぐ近くだし、とるものもとりあえず行ってみました。


やっぱり行列ができてました。待ち時間20分ほど。

記事では、以前のパセオのオーナーの息子であるロレンツィオさんは、新しいパセオに対して「悪い感情は一切ないし、競争するつもりもない。むこうはむこう、こちらはこちらで仕事をするだけ」と言ってました。 


以前のパセオのフリーモント店のレジのとこにいた、バナナに抱きつく猿くんはこちらに転居してました。

こっちも「Credit is GOOD」と、カード対応になってます。

値段はほぼ同じ、ひとつ約10ドル。どちらの店も、SODOにあるMacrina Bakeryのパンを使ってます。

私のお気に入りはベーシックな「グリルドポーク」。
うちの息子は、豚肩肉をほろほろに柔らかくなるまでローストした「カリビアンロースト」がお気に入り。

どっちも、秘伝または挑戦者の特製ソースをたっぷりつけて焼いて、とろっとなるほどグリルした玉ねぎ、シラントロ、ロメインレタスがはさんであります。

食べくらべてみて、私はどっちかというと、新生パセオのほうがおいしい気がしました。
どっちもおいしいのだけど、パセオの玉ねぎのほうがじっくり焼いてあって風味がよかった。
 でもキッチンに入ってる人によって若干味が変わるだろうから、甲乙つけがたいってとこだと思います。

映画『シェフ:三ツ星フードトラック始めました』は、とてもキュートな、ハッピーになる映画でしたが、この映画をみてキューバサンドイッチを食べたくなったらこの2店のどちらかへ! 絶対ソンはしませんよー。

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2015/09/17

エクス・マキナ再び 知らない間に集められているアレについてと、ペッパー君のオレオレ詐欺


夏学期で取った、「Anthropology of Body」という講座では、最後のレポートに映画『Ex Machina(エクス・マキナ)』を取り上げました。前回ブログに書いたときには映画館でさらっと一度見ただけでしたが、今回レポートを書くんでDVDで見なおしました。

この映画、意外なことに、今のところ日本公開はまだ決まってないそうです。(2015年9月現在)
*追記:2016年6月11日に日本公開が決まったようです。

設定については「ありえない」とけなしてしまいましたが、映像はリリカルで画面がとっても美しく、インテリアもかっこいいし、ディテールまでデザインが素敵。

アンドロイドのエヴァちゃん超カワイイし、良い映画ですよ。

メイキングを見たら、監督のアレックス・ガーランド(『28週後』の監督、カズオ・イシグロの『私を離さないで』も監督も手がけてます。これは未見!みなくては!)

*追記:訂正します。アレックス・ガーランドさん、これが初監督作品で、これまでは脚本と製作をてがけていた人でした。
『28週間後』は製作総指揮、『私を離さないで』は脚本・製作総指揮でした。
大変失礼しました。ダニー・ボイルの『28日後』の脚本もこの人なんですね。ゾンビ映画の中では最高に前向きな。ご指摘くださった方、ありがとうございます!

この映画、いったいどこで撮影したのかと思ったら、ノルウェーなんだそうです。
途中に出てくる滝と氷河が印象的で、素敵です。

カッコいい家のすぐ前に滝と氷河があるという設定。室内も自然石をそのままいかした壁が、とても北欧的な、スーパーモダンなインテリアにすごく合っていました。 ぜひ住みたい家です。しかもアンドロイドつき。

日本で公開しないのは大変もったいない。アメリカでより日本でのほうがファンが多そうなのに!
公開されたらぜひお薦めです。観てソンはないです。

以下、盛大にネタバレますので、これからご覧になる方はこのへんで。ではまた~。



この映画はたいへん登場人物の少ない映画です。主要人物は4人。
美しいアンドロイド「エヴァ」ちゃん、その発明家、ネイサン(オスカー・アイザック)、そしてネイサンが経営するサーチエンジンの大企業に務めるプログラマーの若造、ケイレブ(ドーナル・グリーソン)、そしてネイサンの身の回りを世話する口を利かない謎の美女、キョウコ。

ネイサンは13歳でサーチエンジンのプログラムを発明した天才で、しかしヒョロヒョロのヲタクではなく、毎日ボクシングや筋トレに励み体を鍛えている健康マンです。頭脳も抜群、身体能力にも優れたアルファメールであるネイサンは、自分の作ったアンドロイドたち(当然ながら、美女ばかり)と、ケイレブ君をいいように操り、彼らの意志など屁とも思いません。

頭脳の優れた自分自身と、自分の目的だけが崇高で偉いと思って生きている人です。

ケイレブ君は、ネイサンの自信作であるエヴァちゃんが本当に人間と同等の知性を持っているかどうかのテストをする人員として、ネイサンが一人で住んでいる山荘に招かれます。

ネイサンは従業員であるケイレブのことを何度も騙します。最初は抽選で選ばれたことにして山荘に招き、この設定はやっぱりいくらなんでも無理があるのじゃないか、とケイレブが疑問を持つと、よく気づいたね、キミは優秀だから特別に選ばれたんだ、とおだてて、結局はモルモットとして利用します。

そして、踊れる板前アンドロイドのキョウコのことは、下女としてこきつかい、尊敬のカケラもみせずモノ的に扱う上に、性的にも利用しています。
ネイサンはいわば、家父長的特権階級の21世紀版的な存在として描かれています。

映画の観客の視点を代表するのは、わけもわからずにネイサンの秘密基地である山荘に招かれたケイレブ君。

スティーブ・ジョブズとアインシュタインとドウェイン「ロック」ジョンソンを足して3で割ったような伝説の創業者とサシで1週間を過ごせるという幸運に最初は舞い上がっていたものの、エヴァちゃんと対面し、ネイサンの振る舞いを見るにつけ、ケイレブ君はだんだんとネイサンに対して疑いの念をましていきます。

ケイレブ君はネイサンがエヴァちゃんよりも前に作っていた何体ものアンドロイドを見つけてパニクります。さらにキョウコもやっぱりアンドロイドだったことを発見して、彼の混乱は頂点に。自分も本当は人間じゃないんじゃないかいう不安にまでかられ、自分の腕を切って血を出してみたりします。

エヴァちゃんとガラス越しに「テスト対象」として数日間対面していたケイレブ君は、あっという間に彼女に強く惹きつけられていました。ネイサンがエヴァちゃんたちアンドロイドをぞんざいに扱っていることを知ったケイレブ君は、「わたしを助けて」と頼む彼女を救い出し、逃げる計画を立てるのです。

でもそれを先回りしてネイサンに止められ、実は、ケイレブ君はエヴァちゃんが「人を操って脱出のために使う」ことができるかどうかを試すために、つまり、ケイレブ君を脱出の道具として使えるかどうか見るために用いられたのだ、ということがわかります。

そしてさらに、衝撃の事実が明らかになります。

ネイサンは、ケイレブ君のインターネットや携帯電話でのあらゆる活動を通して、彼の嗜好データを集め、それをもとにエヴァちゃんの外見を作っていたのでした。

監督の言いたいキモは、きっとここだと思います。

グーグルをはじめとする企業が、サービスと引き換えに集めている私たちの膨大なデータ。どんなサイトを見に行ったか、どこに行ったか、だれと写真に写っていたか…など、私たちの行動のほぼすべてがデータ化されて、消費され、取引きされ、誰かのトクのために使われているということ。

アルジュン・アパデュライという文化人類学者が消費と時間のコモディティ化について語っているのをこないだ授業でちょっとだけ読みました。

もはやアメリカ人の生活の一部となっているクレジットカード決済は時間のコモディティ化のひとつの表れであり、「未来を前もって消費する」という行為で経験をゆがめている、というのは面白い指摘だなと思ったのですが、それはさておき。

アパデュライは20世紀後半の消費社会を批判して時間のコモディティ化の変化を指摘していたのですが、21世紀の現在では、時間だけではなく、私たちのふつうの生活のすべてがデータという形でコモディティになり、取引され、消費されているというのが、もう当たり前の現実です。

そうやって集めた巨大なデータの使い道を、企業や政府やその他いろいろなシステムはまだ考え始めたばかりだけれど、それは生活のあらゆる面をじわじわと変えていっているし、これからも、きっとまたびっくりするペースで変えていくのだと思います。

リゾートホテルのサイトや靴のサイトを観ていると、数日後にもその靴やホテルが見るサイトのあちこちに現れる仕組みとか、アマゾンの「おすすめ」などは、そのほんの始まり。

もちろん、自分のそういうデータを企業の手に渡さないように一つひとつ設定をすることもある程度可能ではあるけれど、多くの人は、便利さと引き換えに自分の行動がアマゾンやグーグルやアップルやヤフーやフェイスブックやその他の企業のサーバーに蓄えられることに目をつぶっているのが現状ではないでしょうか。

わたし自身もグーグルとアップルには生活のかなりの部分の情報を潜在的にあけわたしていると思う。

自分がインターネットでひそかに見ていたポルノやなにかのデータを盗み見していた他人(ネイサン)により、自分が必ず好きになるだろう女の子を目の前に置かれ、自分が取るだろう行動(その彼女を救出する)を先回りして勝手なシナリオの中に組み込まれるというケイレブ君の体験は、私たちの毎日の体験を極端にしたもの。

考えるとぞっとするけれど、考えても仕方がないので私たちが目をつぶっている事実を、この映画はエヴァちゃんという形で見せてくれています。



この映画の主役はやっぱり、いいようにデータを利用されてしまう消費者(ケイレブ君)であって、アンドロイドとか人工知能そのものじゃないのです。

だから人工知能の映画だと思って見に行くと、肩透かしをくらわされます。

だって、この映画で描かれているエヴァちゃんなどの人工知能は、ぜーんぜん現実的ではないからです。

映画では、巨大検索エンジン企業を持っているネイサンは世界中の携帯電話から世界中の人の表情のデータを集めて、それをエヴァちゃんの表情のもとにした、ということになってます。

しかし、おいおいおいちょっとばかし肝心なとこが抜けてるよ、と思うのです。

人間の意識の働きの背後には膨大なデータがあるのはもちろんですが、データをいくら集めても、それだけで意識が形成されるわけではない。

単なるデータの集積と、ひとつの意志を持ち、欲望を持ち、嗜好を持ち、希望と愛情と憎しみを持つ意識としての人間との間には、大きな隔たりがある。

表情のデータを何億集めても、そこにある感情の主体を作ることはできないし、感情を再構成するのも難しい。はず。ですね?

炭素をたくさん集めれば自然にダイアモンドができるかといえばそんなことはないし、アミノ酸を集めておけば生命ができるかといえばそうでもない。ですね?

モノと熱量の間にはやっぱり大きな隔たりがあります。

モノと生命の間にも。

データと意識の間にも。

たくさん集めるのは条件にすぎず、どこからどう生命とか意識が始まるのかは、科学がまだ解明しきれていない、「奇跡」。
その「奇跡」がなんなのか、解明されてしまったときにこそ、人類の歴史は大きく転換せずにいられないのだと思う。または、終わるのかもしれない。

最近、ようやくという感じでメディアも頻繁に「人工知能」を取り上げ、人の仕事は人工知能に奪われるのか?といったニュースが話題になったりしますが、そういう記事にもかなり誤解が多いと思います。

第一に、今話題になっている「人工知能」と一般に呼ばれているIBMのワトソンとかアップルのSiriとか、データの集積をもとに好みのなにかを選んでくれたり、記事を書いたりする「知能」というのは単なるエンジンであって、ほんとうの意味での(SF的な意味での、なんて言われ方もしてますけど)「人工知能」とは別物ですよね。

IBMもワトソンを人工知能ではない、コグニティブコンピューティングシステムだ、と言っています。

最近の「人工知能」ブームについては、こないだ読んだ、日本で人工知能を開発している新井紀子さんという方のインタビューがめちゃくちゃ面白かった。

新井さんは、現在の「人工知能」と呼ばれているサービスは、人間の側の「コミュニケーションが通じていると感じたい」という性質を利用した「オレオレ詐欺」のようなもの、だと言ってます。

これはなるほどなあ、と思わされました。老人ホームで話し相手になっている「人工知能」的なものもは、別に本当に意識なんかがなくたって、話す側が自分の思いを投影できればそれで役に立ってしまうんですね。

それはそれで寂しい話だとも思うし、それで話す側が満足ならばそれで良いのかもしれないとも思うし。

この間TED Radio で聴いた、米国MITの人工知能研究者も同じようなこといってました
 (これにでてくる女性研究者のうち1人は、老人ホームでロボットに反応している老人たちを見て衝撃を受け、本来人間がになうべき社会的な役割をロボットにやらせたりしちゃいけないんじゃないかと言い、もう1人は、ロボットそのものというよりもテクノロジーを使って遠隔地にいる人がよりダイレクトなコミュニケーションを取れたり、バーチャルと現実の両方を駆使して子どもたちが学ぶのは良いことだと主張してます。いずれも、人間がこれから相対することになる現実に対して考えるときに、とても役に立つ視点だとおもいます)

それでこの映画に戻ると、まずどこが馬鹿馬鹿しいかというと、第一に、エヴァちゃんがあまりにも完成されたアンドロイドであるからです。

洋服を着たら人間の女の子とまったく見分けがつかない、綺麗な透明感ある肌と、表情豊かな瞳、優雅な身のこなしができる手足をもった繊細なロボット。

いくら超弩級の天才でも、これを一人で開発するのは、どこかの宇宙人の手伝いでもなければ無理でしょう。

視覚、聴覚、触覚、といった感覚器官がどれほど高度なものであるか。
このうちひとつでも、まだ現在の技術では模倣できてませんが、多分、人工知能の研究と同時にこちらもどんどん進んで、たとえば全盲の人が視覚を得られたり、眼鏡の代わりに人工眼を入れるのが普通になったりする日もわりと近々来るのかもしれません。

でもそれにはおそらく何千人もの研究者が気の遠くなるほどの時間をかける必要があることでしょう。

皮膚だって同じ。皮膚は人体の中でもっとも大きな感覚器官であり、それだけでなくて生存に不可欠な役割も担ってます。

エヴァちゃんに取り付けられるような自然な人工皮膚が実現するものなら、重度のやけどを負った人にも、生まれつき重い皮膚障害を負った人にも、光明がさすというものです。
それに美容外科はもう不要になるかもしれません。
これだけで人間の歴史はかなり変わるに違いない。

第二に、意識とか指向性に対する誤解もあると思います。
映画の中で、ケイレブ君に「なぜエヴァにセクシャリティを与えたんですか?人工知能にセクシャリティは必要ないでしょう。たとえば、灰色の箱だって良かったわけなのに」と尋ねられて、ネイサンはこう答えます。

「灰色の箱が、別の灰色の箱に働きかけなくてはいけない切実さを持っているかね? 働きかけあうことなしに、意識が存在し得ると思うか? とにかく、セクシャリティっていうのは楽しいもんだよ。存在するなら、楽しまない手はないだろう」

だけど、この「セクシャリティを与える」というのは、まさに神の業であり、セクシャリティを持っているというのは、すなわち「意識」であり「知能」であるということなのだから、もう最初からテストとか必要ないです。

セクシャリティというのは、私たちの「指向性」の根幹にあるものです。

あらゆる生命を動かすエンジンのひとつがセクシャリティであり、すべての好き嫌い、感覚、快適さ、芸術の大きな部分に、セクシャリティが関与しています。そうですよね?

ネイサンが言うようにセクシャリティは楽しみでもありながら、人に苦しみを与えるものでもある。

将来、レイ・カーツワイルさんが言うように、人工知能が人間よりも賢くなり、人間が意識をクラウドに保存することさえできるようになるとしたら、その時、ヒトと人工知能を分かつものというのは、身体性であり、それに基づく欲望でしかないのではないかと思います。

先日やっと読み終わった田中優子さんの『江戸はネットワーク』の中に、こういうくだりがありました。

「言葉は人がそう信ずる限りにおいて人の運命を握っているが、また、人はその言葉をスルリとかわすこともできる。その力を失わせ、息の音を止めることさえできる。とすれば、言葉にとっての『現実』とはいったいどこにあるのか。日常生活とのネタの類似なんぞにはありはしない。何かに具体的に作用するその『力(エネルギー)』の中にしかない。その作用は、言葉に関与する人間の実際上の身体と、その全身が世界を発見していくその切り取り方にかかっている」
(『江戸はネットワーク』「笑い飛ばしてみせようか 平賀源内」 285ページ)

ここで田中さんが論じているのは、世界のすべてを茶化して無力化してしまおうとするかのような平賀源内の仕事と、その意識のあり方についてなのだけど、身体性(「言葉に関与する人間の実際上の身体」)が論理(「言葉」)より前に現実であるというのは、人間が人間である限り普遍的な真実なはずです。

別の言い方をすれば、わたしたちは感覚器官を持った身体と、大脳辺縁系と、大脳皮質をひっくるめた、割合にあやふやな存在です。大脳皮質だけでは、人間とはいえない。

前世紀までの哲学な人たちは、たぶん頭が良すぎてそのへんにあまり気づかなかったのではないかと思うのだけど、人工知能の出現間近になって、人間は結局カラダだよ、ということがだんだんと明らかになりつつあるのではないかという気がするのです。

ネイサンが狂ったように身体を鍛えるエクササイズ・フリークであるのも象徴的ですね。



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2015/09/03

世界の終わりの小さな幸福 青島千穂さんの『Rebirth the World』展


久々の更新です。学期末のペーパーと仕事が重なって、目が白黒していました。夏学期が終わり、やっとひと息ついたら、もう秋。まったく良い年をして何をやっているのだか。

かなり前の話なんですが、シアトルアジアン美術館に青島千穂さんの展覧会を見に行ったの巻。

この展覧会『Chiho Aoshima - Rebirth of the World』はすごく良かったのだけど駆け足で観て来てしまったので、もう一度じっくり見に行ってから書こう、なんて思っていたらもう9月になってしまいました。9月中に行けるかどうか微妙になってきたので取り急ぎ、またもやiPhone写真にて。

前回の「ミスター」に続いて、村上隆氏のスタジオKaikai Kiki所属アーティストによるシアトルアジア美術館での展覧会第2弾です。

わたし、村上氏ご本人の作品もちゃんと知らないし、カイカイキキ関連には今まであまりピンと来たことがなかったのだけれど、この人の作品には見た瞬間から手繰り寄せられました。



アドビのIllustratorを使ったデジタル作品(プリントアウト)が多いですが、なんといっても圧巻はこのパノラマアニメーション。

右側に火山、左側にオーガニックな形のビルディングが並ぶ都市を配したパノラマのアニメーションです。ビルはみんな人の顔がついていて、擬人化されている。手前のほうには卒塔婆が並ぶ墓場もある。

顔のついたスピーカーが「大変だ~!」と叫びだすと、右手の火山が噴火し、大災害が起こってビルが次々に倒壊し、街が崩壊して行きます。

やがて噴火は収まり、 地震で倒壊した街も少しずつ復興していきます。

そして、次の災害が起こるまで。

この短編アニメーションはエンドレスで展示されています。

山、噴火する。街が壊れる。世界がよみがえり、街ができる。山、噴火して、街、壊れる…。



青島さんの作品は、この展覧会を見に行くまで存在も知らなかったのだけど、この不思議さ、こわ可愛いさ、かなりどまんなかで、ストレートに好きです。

「自然と人間の文明の共存は難しい。互いに理解しあえない2つの魂を描いた」という青島さんの言葉が美術館のサイトに載ってます。




横長の画面は、部屋いっぱいのかなり大きなもの。

ベンチに座ってこの顔のついたビルたちが倒壊していく風景を観ていると、アーティストの言葉とはうらはらに、文明と自然というのはそもそも対立するものじゃなくてひとつのシステムではないのかしらという感覚にとらわれてきました。

人の側には無数の物語がいつも泡のように生まれては消えて流れていくけれど、もっと大きなサイクルで自然は時々思い出したように寝返りを打って、そのたびに泡のように生命が呑み込まれて消えてはまた慌ただしく生まれて地に満ちていく。

個人の生活や、コミュニティや国家や文化も、地球のスケールから見れば、しょせんは泡のようなもの。

だけど、このパノラマを観ていると、その泡のような生命や文明が、泡なりにたくましく強いものにも思えてきます。


Kaikaikikiのプロフィールには「その画の内容は日本的な妖怪と墓場の亡霊、つまり異世界との対話がメインであり、極めてパーソナルな心象風景に集中している。そのためか、10年以上墓場の隣に住み続けてきた」とありました。

生きるものにとっては常に常に理不尽な暴力である死と滅びを、この人はいつも、静かな恐れと興味を持って見つめているのだろうなと思います。その視線には、とても共感。

マクロな視点で見れば、自然の一部でしかない、死と、個人や社会の滅び。ミクロな、当事者の視点と、全体を見渡す視点とが、作品の中で同時に存在するものとして、同じ重さで捉えられています。


自然に呑み込まれてはまた生まれてくる青島さんのビルたちを観ていると、はかない生命がそれぞれの場所でそれぞれの時間を生きているというその瞬間が、幸福というものなのだなあ、としみじみ思ってしまうのです。


デジタルで画を描き始めた人ですが、最近では肉筆作品も制作しているそうで、これはそのひとつ、日本画ふうの作品。素敵すぎる。(ガラス越しに撮ったのでちょっと映りこみが入ってます)
この人の、それぞれの生きもののタマシイの描き方がとても好き。

会期が終わるまでにまたぜひ観に行きたいと思います。
パノラマアニメの部屋で1時間くらいぼーっとして、世界の終わりを見続けていたい。

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