2015/08/08
From Hiroshima to Hope
8月6日、シアトルのグリーンレイクで行われたイベント「From Hiroshima to Hope」に行ってきました。広島と長崎に落とされた原子爆弾による被害者を悼み、平和を祈る灯篭流しのイベントです。
近くに住んでいるのに一度も来たことがなかった。1984年から毎年行なわれてるそうです。
「平和、正義、人間の尊厳を祈る」。
歩道には被曝直後の爆心地の写真が展示されていました。
テントの中にはさらに多くの写真が。
アメリカ人の多くは、今でも、原爆投下は「戦争を終わらせるために必要だった」と信じている。
乱暴に言えば、一部の日本人が「日本は仕方なく大東亜戦争に突入したのだ」「アジアのために日本は良いことをしたのだ」と考えたがるのと同じ。
自分の国や自分の属するコミュニティが正しくないことを行ったという考えは、人を苛立たせるもの。
でもどんな国もどんな民族の手もみんな血塗られているのですけど。
戦争の被害者は、常に生活する個人であって、国ではない。
オレゴン州在住のアーティスト、Yukiyo Kawanoさんの作品が展示されていました。
広島に投下された爆弾「Little Boy」をかたどったもので、被爆者であったYukiyoさんのお祖母様の着物を使って作られています。
そのまわりに、ひらひらと集う舞踏家たち。
緑の公園の一画で風にゆらゆらと揺れる爆弾のインスタレーションは、無言の中にあまりにも多くのことを語っていました。
「リトルボーイ」と名付けられたこのひとつの爆弾で殺された人の数は、後遺症の被害があまりに広範囲で長期にわたるため正確な数字はないそうですが、少なくとも14万人。
70年前の広島のその日は、ちょうどこの木曜日と同じように雲ひとつない真っ青な空の朝だったそうです。
今の米軍が保有している、原子爆弾よりももっと強力な核弾頭は、たったひとつでピュージェット湾地域を壊滅させられるくらいの威力があるといいます。
米軍は今でも7300個の核兵器を保有。全世界では推定16000個の核弾頭があって、そのうちかなりの数が政情不安定な国に。
「There is no right hands for wrong weapons (「(核兵器という)間違った兵器を正しく扱える陣営」というものはありません)」。
というのは国連事務総長、潘 基文さんの言葉。この日のキーノートスピーカーのEstela Ortega さんが語っていました。
尺八演奏はラリー・ローソンさん。アコースティックの柔らかで美しい音。瞑想的な素晴らしい音楽でした。
プログラム冒頭、尺八の調べにのって、舞踏集団がこの「Little Boy」を静かにかかげて舞台の脇に移動させていきました。
舞台の脇にかかげられるLittle Boy。
プログラムの間中、舞台の脇で静かに揺れていました。
約2時間のプログラムは、日蓮宗のお坊さんの儀式、太鼓、バイオリンとピアノ、スピーチなど。
和太鼓のエネルギー。気持ち良さそうです。
芝生の上でピクニックをしながら見ている人びとは、もちろん日系人や日本人もいるのですが、圧倒的に白人その他、つまり一般的なシアトル市民の割合が多かった。
灯篭にはみな思い思いの字を書いていました。ボランティアの方に漢字を書いてもらうだけでなく、自分の文字で祈りの言葉を書く人も。
これは湖畔で出会った白人の60代くらいのおばさまが持っていた灯篭。
この人が寛容という言葉をなぜ選んだのか、聞いてみなかったけれど、他人の考えや自分と違う他人のあり方への寛容、あるいは自分自身への寛容というのが、ほんとうの平和の始まりなのかもしれません。
平和って本当はつまらない、イライラさせられる些細な諍いでいっぱいの毎日のこと。
戦争や革命やゾンビを有無をいわさず退治できる世界のほうがずっと変化とアドレナリンに満ちています。
それでも退屈で苛立たしい日常を、時に怒り、時に嘆きながら、基本的には喜んで機嫌よく過ごすこと。
そして同じ空間と時間を共有している人びとへの想像力と共感を、持とうと努力すること。
くだくだしい話し合いを経て、折り合える着地点を見つけようとすること。
というのが寛容の精神なのかもしれない。平和とは、凡庸で疲れるものなのでしょう。
2015/08/07
大地震が来るよ
先月の『New Yorker』誌に載った記事「The Really Big One」のせいで、シアトルでは非常用キットの売上が急に伸びたんだそうです。
この記事は、シアトルを含む太平洋岸北西部に間違いなく来る巨大地震について、予測されている恐ろしい事実を余す所なく臨場感いっぱいに紹介してます。
記事はこちら。もうこのイラストからして怖い。アメリカの北西部がそっくりぺろっとめくれてなくなってるの図。
かなり長い詳細な記事で、
1)たまたま日本で学会に出席していて東日本大震災にでくわした地震学者の、3.11の思い出
(学会に集まった地震学者たちが、揺れが始まった途端に腕時計をみて時間を測り始め、大震災になると気づいていくところが生々しいです。)
2)Cascadia subduction zone とは何かの説明
(西海岸の太平洋沖700マイルくらいのところにあるプレートが出会う場所で、日本語では「カスケード沈み込み帯」と訳されてます。
アメリカ大陸が載っているプレートの下に海洋プレートがゆっくり沈み込みながら緊張を静かに高めていて、その力が何百年かに一度断層の大破壊を引き起こして大地震を引き起こすことがわかったのは、実はつい最近だという。南海トラフ地震と同じ構造。)
3)この断層が急に沈むとどんなことが起こるかの不吉な予言
(最大規模の断層破壊が起こった場合には、マグニチュード9の地震が起き、巨大津波が日本とアメリカ北西海岸を襲い、シアトルからオレゴン北部までの地域が壊滅的な被害を受ける。
シアトル市内でも地すべりが3万ヶ所予想されてるそうです。
FEMAでは、この巨大地震が起こった場合には死者1万3000人、負傷者2万7000人という、アメリカ史上最大の自然災害になると予測。)
4)この「沈み込み帯」が巨大地震を起こすことが発見されたいきさつ
(日本で記録されていた1700年の「みなしご元禄津波」が実はシアトル沖の地震が原因だったということが突き止められたのが、1990年代。
この話は以前にどこかで読んだことがありましたが、推理小説みたいな話で、とても面白い。)
5)日本に比べて、アメリカのこの地域ではいかに大地震に対する備えや認識のレベルが低いか
(送電システムや石油や天然ガスの施設にもほとんど地震への備えがなく、耐震構造も1994年までマグニチュード9の地震を想定していた建物はほとんどない。オレゴンでは75%の建物が巨大地震に耐えるようには作られていないとのこと。
いやその意識高いはずの日本だって「想定外」のおかげであんなことになったのですから、と思うと大変な現実です。
最後に紹介されている、オレゴン州の太平洋沿岸の学校の話が悲痛。津波が来たら完全に沈むのが確実なエリアに小学校がある自治体で、資産税をいくらか上げて、沈まない地域に土地を買って移転させるという案が提出されたのだけど、住民投票でボツになったという話。この小学校の生徒たちにはまともな避難場所が用意されていない。アメリカはこういうことも国や州じゃなくて自治体レベルで決まるのですよね。)
…という、実に暗く恐ろしい内容の記事なのでした。
あと50年以内にこの「カスケード沈み込み帯」由来の大地震の起こる確率は、3分の1。壊滅的な巨大地震が起こる確率は10分の1。
アメリカ政府が西海岸の土地を手に入れ、幌馬車や船で最初の入植者たちがこのあたりにやってきてから、まだ200年そこそこ。
何度も大地震や津波に見舞われてきた日本とは違い、こんな地震の起きる地域とはうっかり知らずに、都市を建設してしまったんですね。
この記事で紹介されたFEMAのディレクターの
「Our operating assumption is that everything west of Interstate 5 will be toast.
(ハイウェイ5号の西側は壊滅すると推測されます)」
という言葉がシアトル住民の間に軽くパニックを引き起こしました。
わたしもハイウェイの西側に住んでますが、I-5の東に住んでるからって「ほっ!俺はかろうじて東側だぜ」て、安心してる人、全然違いますよ(笑)!
みんな、こんな記事を読んで震え上がったことも数週間すればほんのり忘れてしまって今シーズンのシーホークスの成績予想で頭がいっぱいになるのは目に見えていますが、とりあえず、災害時用のキットを揃え、当座の避難場所や連絡方法をいくつか考えておかねば。庶民にできるのはそのくらいでしょうか。
あとは家の中で本棚が倒れてこないように補強するとか、寝るとき近くに靴と着替えをおいておくとか(ガラスその他が割れて歩けなくなる可能性があるので。わたしはハイキングシューズをベッドの下に置いてます)。
うちでも数日分の水やら非常食やらを買ってはあるけど、まだちゃんとしたサバイバルキットに組み立ててません。(この間非常用のレトルトカレーを食べちゃってまだ補給してないし)
日本ではやっぱり災害への意識が高いから、簡易トイレまで入ったキットがいろいろ揃ってますね。
とはいえ、本当に巨大地震で交通もすべて遮断されるような事態が起きたら、この地域の数百万人のためにFEMAがどのくらいの救助をしてくれるのだろうか。
そんなことになったら、アメリカという国そのものが間違いなく傾くのだろうなあ。
近所のカフェに行く途中の道。家の前にラベンダーが豪勢に咲いているお宅が多い。
こんな普通の平和な日常は本当に最高の贅沢ですね。
2015/08/03
ニューカマーズ
シアトルの設計事務所でインテリアデザインの仕事をしてるCTちゃんが面白いリンクを送ってくれました。
シアトル市のDepartment of Planning and Development (「都市開発計画課」かな?)がつい最近オープンしたサイト、Shaping Seattle: Buildings 。
上の図はそのキャプチャです。
この青いマルはすべて、開発中の物件。このサイト、すごく画期的で、良くできてると思います。
サイトに行ってマルをクリックすると、その物件の完成予想図や現在プロジェクトがどの段階にあるか(デザインレビューの提出、建設許可の交付、建築の完成まで)が閲覧でき、その建築プロジェクトに対してコメントを寄せたい場合にはサイト上で送信することもでき、説明会がある場合にはその日時も掲載されてます。
シアトルはとにかく最近ものすごい建築ブームで、建築許可が下りるまでとにかく大変時間がかかったりするらしいのだけど、その透明性を高めるために作られたインタラクティブなサイトです。
自分の近所にどんな建物が立つ計画があるのか、ひと目でわかる。
建築ブームで人口が急激に増えてると聞いてはいるけど、このマルの数を見ると改めてビックリします。
バラードのあたりにも新しい集合住宅が集中してるのが良くわかるけど、ダウンタウンにこれから建つ予定のビルディング数もすさまじいです。
シアトルは2014年には全米の都市で成長率ナンバーワン(2.8%)になったほど、急激に成長してます。
今年は2.3%で、テキサスのオースティン、コロラドのデンバーに続いて第3位だそうですが、人口は年間1万5000人ずつ増えている。
2014年現在の人口は668,342人だそうです。
この勢いで増え続ければ、あと10年で人口80万人超え。
人口が増えるのは仕事があるということだし、高学歴高収入のニューカマーがやってくるのは税収が増えて自治体が活性化するので良いことではあるのだけど、土地は有限なので、何かしらが変わっていくのは必然です。
外から来たドットコムの若い高給取りたちのために物件の値段や家賃が高くなりすぎて古くからの住人がもう市内に住めなくなってきてる(私もいつまでいられるか…(´;ω;`))、という、サンフランシスコと同じ現象がシアトルにもじわじわと起きてきてます。
それに道路や電車などのインフラや、低中所得層の住宅も開発中ではあるけれど、成長率にまったく追いついていないので、道路が渋滞しまくってて、どこ行っても混んでるし、昔のシアトルじゃなくなってきた、と、以前からの住人からはよく文句が聞かれます。
サウスレイクユニオンを大開発中のアマゾンをまるごとタコマに移転させてほしいと思っている人も少なからずいると思われます。
うちのアパートの裏通りをはさんで向かいに築半世紀くらいたってそうな木造の庭つき一軒家があります。
以前はそこに小学生2人と幼稚園1人の3人兄弟がいるファミリーが住んでいて、毎朝8時になると誰かしらの絶叫が聞こえてきて時報代わりだったのですが、奥さんが政府関係の仕事でアフリカ某国に転勤になってしまい、家族ごと引っ越していきました。旦那さんは数年間は仕事をやめてアフリカでStay-home-dad (専業主夫)になるのだと言っていました。今頃あの子たちはアフリカでも元気に叫んでいるかしら、とときどき気になります。
で、そこのおうちに引っ越して来たのが、30代前半と思われるカップル、PさんとCちゃん。
この辺の家はマーケットに出すと速攻で売れます。ここも「FOR SALE」の看板が出てから2週間ほどでなくなっていたので、あー売れたな、あー誰か引っ越してきたな、あー改装してるな、と眺めていたら、ある日、この2人からの招待状がうちのドアにはさんでありました。
PさんとCちゃんが、引っ越しの挨拶にカジュアルなバーベキューパーティーを開いて近所中を招待してくれたのでした。
ワインを持って遊びにいったら、この界隈にもう半世紀近く住んでるという老夫婦から最近隣りのアパートに引っ越してきた若い弁護士さんまで、バラエティ豊かなご近所さんたちに会えて、とてもおもしろかった。
Pさんは中西部出身で、コンピュータサイエンスの博士号を取ってレドモンドのあの某巨大ソフトウェア企業におつとめ。学部時代にはアートとサイエンスを両方専攻したというルネサンスな人で、引っ越してきてから床板の張り替えからなにから自分でやっているという、日曜大工もパーフェクトな才人。
Cちゃんはカリフォルニア出身で、修士号を取ってソーシャルワーカーとして働き始めたばかり。ロースクールに行って弁護士になるつもりだったけど、人のためになる仕事はJDをとらなくてもできることに気づいて方針を替えたんだそうです。
シアトルは2人とも2年目で、とても気に入っているとのこと。
Pさんは「僕は引っ越しが大嫌いだから、もうここに住んだらあと25年は引っ越さないつもり」といってました。
この家、ほかにももちろん買い手がついていて、不動産デベロッパーが彼らよりもずっと高い値段をつけていたのだけど、売主がここに長く住んでくれる人に売りたい、といって、彼らを買い手に選んでくれたんだそうです。
まさに「new comers (ニューカマー、新しく来た人たち)」の典型みたいな2人。
町が同じ価値観や感覚をもつ人たちを惹きつけて、そのキャラクターがますます強化されていく、という図式の見本みたいなカップルです。
コミュニティは勝手にできるものではなくて、この2人を選んで家を売った売主や、こうやって近所を招いて良い関係を作ろうとする2人のような人たちの意志が、少しずつ作っていくものなんですね。
2015/08/01
公園のピアノ
先日、バラードの公園の前を通ったら、テントの下にアップライトピアノが置いてあって、若いお兄さんがちょっとコールドプレイっぽい曲を弾いていました。
銀行に用事があって行く途中で、あと5分で銀行が閉まってしまう時間だったので、立ち止まってゆっくり聴いていく時間がなかったのが残念。
別の日の夕方には、初老のおじさまがジャズを弾いてました。
シアトル市内と近郊の22箇所の公園(と空港にも)に、地元アーティストが装飾したピアノを設置してみんなに弾いてもらおうという企画「Pianos in the Park」 のひとつです。
このバラードの公園に置かれたピアノは George Jennings さんというシアトルの画家がイラストを描いたもの。どの公園のピアノもカラフルでファンキーです。
ピアノと遊べるのは8月16日までで、各ピアノはウェブサイトの公開オークションで入札も受け付け中。
インスタグラムの#pianosintheparks でも、いろんな公園のいろんなピアノが見られます。みんな楽しそう。
2015/07/30
すいかのアイスティー
お茶もコーヒーも大好きですが、さいきんは夕方以降にカフェインをとるのを控えているので、カフェインレスのハーブティーもいろいろ試してみてます。
寝つきが悪い人は、午後4時以降はカフェイン摂取を避けたほうが良い、とこのあいだ訳した健康関連の資料に書いてあったよ!
ちなみに私は最近寝つきがとっても良い。でもそれはもしかしたら眠くなるまで(午前2時すぎまで)起きているからかも…。
若い時みたいにあんまりエスプレッソや緑茶をガバガバと飲んでると、時々びっくりするほどきゅーっと胃や胸のあたりが痛くなることがあるのに驚いて、近頃は日中もカフェインレスのハーブティー率を増やしています。(デスクに座っている時って何か手元に飲みものがないと寂しい。)
レモングラスとかネトルとかラベンダーとかの葉をバラで買ってきて適当にブレンドするのも楽しいですが、いちばん手軽で安くておいしいのがCelestial のシリーズ。
「セレスティアル」ではなく「セレッシャル」という表記が定着してるようですね。
ナイトキャップをかぶっているクマの絵を見ただけでなごむ「Sleepy Time」は鉄板です。
このブレンドは本当に素晴らしい。寝る前にこのお茶を飲むと、ほぼ条件反射的にくつろぎます。
ティーバッグをマグカップにポンと放り込むだけで良いのも手軽だし、個別包装のない紙製のティーバッグなのでそのままコンポストに捨てられるのでエコ的にも高得点。(お高めなティーバッグってナイロン製のが多く、コンポストに捨てる時にいちいちバッグを破ってなかみを取り出すのが面倒。)
トラベルマグにそのまま放り込んでも大丈夫。
軽いしパッケージもかわいいので日本に帰国するときのお土産に重宝してたのだけど、 この間帰ったら、駅ナカの成城石井で売っていた。
アメリカで買うほうがもちろん若干安くて、セールの底値で1箱2ドル50セントくらい。セールの時にはすかさずまとめ買い。
スイカとハイビスカスとライムという、みるからにサマーな新製品が出てたので買ってみました。
水出しで、カラフェにぽんと入れて冷蔵庫に数時間おいておくだけで、すぐにこんな綺麗な色のアイスティーになります。
原材料はハイビスカス、ローズヒップ、オレンジピール、すいかとライムのフレーバー、「その他自然のフレーバー」とブラックベリーの葉。と書いてある。
色はたしかに綺麗な「すいか色」(ハイビスカスのね)ではあるものの、味的にはスイカ感はあまり感じられない。
暑い日にぴったりなので、このところ毎日冷蔵庫に常備してます。
2015/07/29
オタクの世界
やっと先日、中間試験のペーパーを出し終わりました。 先週は仕事やら色々と一緒に立て込んで、なんだかんだてんてこまいでした。いつも「降れば土砂降り」です。
趣味の大学、今学期は人類学を受講しています。この夏は2コマ取ろうと思ったけど、やっぱり無理だった。
講師はハワイ出身のトランスジェンダー女性(男性から女性になったほう)で、講義は「カラダ」を中心にした内容。面白いです。
中間試験のお題は、なんでもいいからマイノリティな人びとのグループについて考察して「カラダ」の視点から論じてみろというもの。そこで日本の「ヲタク」を選んでみました。
私は高校のときに漫画研究会に所属してみたこともあったので、オタク文化の片鱗くらいはかじって育ったのですけれど、「コミケット」にも行ったことはないし、ガンダムも全部見たことないしエヴァンゲリオンも良くわかんなかったし、なんとなくニオイだけ知ってるけど中に入りこみきれないで遠巻きに見てる感じでした。
それから数十年、オタク文化も変化と発展を遂げ、今では世界のすみずみにまでポケモンとジブリが浸透しているこの頃。1000ワードのレポートのために10時間ほどさらっとリサーチしただけですが、すごく面白かった。ほんと底なしに面白いと思いました。
宮台真司さんとかが論じてる書籍も目について、面白そうだと思ったけど、今回はなにしろなぜかレポート書くのにまる2日しかなかったので、そこまでは手が回らず。
まずヲタク文化総本山というべき(であっているのだろうか)コミケットについては、たまたまネットで見つけたNHKのドキュメンタリーが秀逸でした。
1975年に700名から始まったコミケットは今では年2回開催、3日間の動員が55万人だそうです。
今でも設置から救護所から自主規制の検閲まですべて3000名以上のボランティアによって運営されているという裏側と、「オタク」のステレオタイプにはまらない絵本作家の女性の出展者などにも取材して、温かいまなざしのドキュメンタリーでした。
ヲタク陣営からも、このドキュメンタリーに対しては色メガネの面白半分でない親切なドキュメンタリーだった、とよろこぶ声が多かったみたいです。
あと矢野経済研究所というとこの「オタク市場に関する調査結果」というのが公開されてて、これも興味深かった。
男女1万人対象のアンケートで「自分をオタクだと思う」という人が(定義はほんと人それぞれだと思うんですけど)約4分の1。これは意外に多いような。
そして、その自称オタクの中で「独身で恋人なし」が半数以上、「今までパートナーを持ったことがない」人が35% 。これはほぼ予想通りの結果というべきか、意外に少ないというべきか。
これはまたハードディスクのアーカイブから発掘してきたハワイの写真たちです。アオサギはシアトルでも同じ顔。 |
ステレオタイプなヲタク像は、リアルな恋人がいなくても画像の若い女の子と想像の中またはエロゲでできてれば満足、というものですけど、そんな先入観をわざわざ丁寧に裏書きしてくれるかのように、昨今のヲタク文化では「俺はこのヒトにコミットした」というほど大好きキャラクターを「ヨメ」と呼ぶそうです。
「ボーイズラブ」大好きの「腐女子」という名称もそうだけど、自分をいったん薄笑いの対象に入れておきながらも内側はメラメラと萌えている。なんという複雑な手続きではないでしょうか。
『艦隊これくしょん』という角川書店が作ったゲームが以前から気になってたのでこれを機会にちょっと調べてみました。もとよりアメリカからはアクセスできないのですが、大日本帝国海軍の実在した戦艦や駆逐艦や空母や巡洋艦などを萌えキャラの女の子に擬人化したゲームです。
プレイヤーは唯一の「提督」となり、この「艦娘」たちを集め、育て、経験値を上げて海戦に臨むわけです。
このゲームってなんだか何重にも倒錯しているようにみえるんですけど、すでに280万人が登録してるんだそうで、この『艦これ』をテーマにしてるコミケの出展ブースがダントツで多いことから見てもその人気のほどが伺えます。現在はサーバーのキャパが追いつかなくて、新規のプレイヤー登録受付が難しいのだそうです。テレビアニメにもなってる。
それでもってこの「提督」が、お気に入り艦娘を選んで「ケッコン」できるという機能が去年追加されて、多くのファンからは感涙をもって迎えられる一方で一部からはドン引きされているというのも、とほうもなくブキミで、面白い…。
そしてお気に入りキャラを自在にからませてドラマを作りあげる「二次創作」を通して、ファンはそのコンテンツの体験を深め、それを共有することでさらにコミュニティの中で共感が増幅していくのだと思うんですけど、やっぱりインターネット出現後、決定的になにかが変わったんじゃないかなって気がします。
二次創作物の多くはハードコアポルノで、特に幼児や小中学生をレイプする内容のマンガとかもけっこう普通に流通しているのは、アメリカの生活感覚だとこれは即刑務所行きでノープロブレムと思うほど異常に感じるんですが、ロリコンポルノを含め「表現の自由」に関して何かつつかれると、ヲタク陣営はものすごく過敏に反応してスズメバチに襲われたミツバチの巣のようになってしまうのも、興味ふかい。
もちろん、 皆がまったく同じ価値観を持っているわけではないし、自らをオタクと認めるコミュニティの中でもいろんな意見や感覚がグラデーションになっているのに違いないのですが。
オタク文化って定義はそれこそ色々だと思いますが、「ロマンスとセクシャルな満足をリアルな関係の上に求めない」 というのも、すくなくともコアな一部には当てはまる。
ある意味潔ささえ感じてしまいます。
今の日本でオタクが軽く4分の1いるとすると、数十年後には日本人口の半分はオタクになっているかもしれない。
そうするともはやマイノリティではなく、オタク文化はイコール日本の価値観になる。
リアルでケッコンする人は人口の4分の1くらいになり、逆に社会のマイノリティになる日が来たりして。
2015/07/23
マグノリアの木
タイサンボク(泰山木)、マグノリアの花が咲いています。
この写真は今年のじゃなくて数年前に撮ったもの。最近ほんとにカメラにさわってない。
子どもの頃、泰山木が家の庭(正確にいうと隣あっていた祖父の家の庭)にありました。
馴染み深い木です。
幹の手触りも良く、かなりの高さがあって、庭の中では登るのに都合のよい唯一の木だったので祖父母が心配したのか、下のほうの枝をみんな切りとって登れなくしてしまってありました。
だからうちにあったこの木は、下から3メートルくらいまで枝がなく、花はずっと上のほうに咲くので、あんまりよく見たことがなかったのです。
巨大な花びらと、この人形みたいな大きな花芯が地面に落ちているのを使って遊んだ覚えはあります。それに、ざらっとした幹の心地よい感触は、今でもはっきり覚えています。
シアトルに引っ越してから、近所でよく庭木として見かけるので、はじめて間近で花を観察することができました。
こういう形の木だったんだと気づいたのは、シアトルに来てから。
うちにあったのはマッチ棒みたいなかたちになってたので、そういう形状の木だという先入観があったのです。
アメリカでは、木蓮も白蓮もコブシもこのタイサンボクもひとまとめに「マグノリア」と呼ばれています。 なぜこうも大雑把なのだろうかと不思議に思うほど。
でも南部で「マグノリア」といえば間違いなくこのタイサンボク。
『マグノリアの花たち』は、ルイジアナを舞台にした映画でした。
カエルが降ってくる映画もありましたね。『マグノリア』。
近くで良く見ると、ほんとに優雅で華やかな花。
この花が特に気になるようになったのは、マージョリー・ローリングス著『Cross Creek(クロス・クリーク)』を読んでから。
最近新訳も出た『仔鹿物語』(新訳は『鹿と少年』)の作者として有名な著者のエッセイ集で、20世紀の前半の北フロリダのオレンジ農園での生活をつづったものなのですが、これが本当に素晴らしい。
まだ『子鹿物語』(原題『Yearling』)という代表作を書く前。フロリダにオレンジの果樹園と小さな家を買って、ニューヨークでの生活を捨てて女一人で移住。
この辺境といっていいような田園の人びと(恐ろしく貧しい白人家族、頑固一徹の農家のおっちゃん、黒人の娘たち、など)と出会い、かなり真剣に果樹園経営と自家用農園を営み、乳牛と鴨を飼い、猟にでかけ、ニューヨークから友人が来れば土地の一風変わった食材を使って、ものすごく美味しそうなコース料理を作ってふるまったりするのです。
独立心が強いだけでなく、本当にたいていの事は何でも出来てしまう、「リソースフル」というのはこういう人のためにある言葉なんだ、と思わされるような人。
芯が通っていてかなり頑固で気が強く(庭に入ってきたブタを撃ち殺してさばいて豚肉パーティーを開いたら、そのブタの持ち主がやってきてあわや大げんかなんていうエピソードもある)、でも人や動物を見る目には驚くほど偏見がなく、温かい。
ちょっと検索してみたら、マージョリーさんに関するこんな素敵な記事がありました。
『クロス・クリーク』の章のひとつは、マグノリアの木への賛辞で始まっています。
「最小限の幸福というものが、ほかの人びとにとって何なのか、私は知らない。私自身にとって何かということすら、確実に言うのは不可能だ。けれども、私にとって是非とも必要な、はっきりとした形あるものが何かを言うことはできる。それは、空を背負った樹木の天辺だ。
もし体の自由がきかなくなったり、長い病に伏せるようなことがあっても、あるいは、大いにあり得ることだけれど牢屋に放り込まれるような羽目になっても、外の世界と繋がるその一片の形見さえあれば、私は生きていけると思う。クロス・クリークに来た最初の日々、私にはそんな支えがあった。
それはマグノリアの木だった。周りを取り巻くオレンジの木々のうち一番高い木々よりも、まだいっそう背が高い。この世に醜い木というものはないが、マグノリア、Magnolia grandiflora (タイサンボク)には、特有の完璧さが備わっている。
周りがどれほど繁っていようとも、ヒイラギやライブオークやモミジバフウがどれほど繁く混み合っているさなかにあっても、マグノリアは完璧な左右対称の樹形をつくる。この樹を見ていると、品格とは、人であれ植物であれ、おのずと内に備わっているものなのだろうか、と思わされる。
成長するために隣りをむやみに押しのけることがないので、オレンジ園に植えておくことのできる数少ない木のひとつなのである」(拙訳)
この本は日本では昭和20年代に『水郷物語』という題で翻訳されたそうです。
メアリー・スティーンバージェン主演で映画化もされてます。
彼女はマージョリー女史のイメージに良く合っていたと思うけど、やはり原作の世界があまりにも豊かなので、物足りなく感じてしまう。
でもマージョリーさんのたくましさ、緑深い「水郷」の感じはよく出てました。
『Cross Creek』中の、「日々の糧」という、料理と北フロリダの独特の食材(キャンプで食べる極上のビスケット、農園の野菜、天国のようなマンゴーアイスクリーム、クリスマス料理、それに蛇肉やリス肉も…)が次から次へと出てくる章がもう本当に面白い。友人や他の人にもぜひ読んでもらいたくて、この章含めいくつかの章を翻訳済みなのですが、もう気づいたら3年もほったらかしになっていた。
紙の本で出版できなくても、何かの方法で読んでもらえる方法はないものかと、またちょっと模索してみようと思います。時が経つのは早過ぎるー。
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