2015/04/22

Chick-fil-A が来た

 

 シアトル近郊の町、ベルビューとタコマに、待望のChick-fil-A が出来たそうです。

ジョージア州発の、メニューはチキンのみ、牛肉なしのファーストフード・レストラン。

2年前、アトランタに行ったときに初めてYちゃんに連れてってもらった。
フレッシュレモネードもあるし、ファーストフードにしてはきめ細かくてなかなかおいしいのです。

 

(アトランタで撮った写真を探してみました。やっぱりあった、笑)

どっちの店でもオープン前に徹夜行列ができたというニュースを聞いて、なぜチキンサンドイッチのために??と思ったら、「新しい店の最初の100名には1年間毎週無料のサンドイッチを贈呈」というプロモーションでした。

みんなほんとにテント持参で並んでるwww
これでニュースになるんだから安いものですね。
でもいくらタダだとはいえ、これだけの人が集まるのはすごい。
「チキンサンドイッチ界のクリスピークリーム」というほど根強いファンベースがあるんだそうです。

「EAT MOR CHICKN」(もっとトリをくぇ)という主張をかかげるウシたちが出演するここのテレビCMも、強烈におかしくて好き。


バーガーを食べていると、どこからともなく現れたウシに、うらめしそうに無言で見つめられるの巻。

ここの創業者は熱心なクリスチャンの人で、だからファーストフード店には珍しく、というよりも全米チェーンのお店ではあり得ないほど珍しいのですが、毎週日曜日は全店休業です。

これは創業時から変わらない方針で、ウェブサイトでは、「信仰上だけでなく、実務的にも理にかなったこと」として、「従業員がしっかり休みをとり、家族や友人と過ごし、希望するなら教会に行く時間を持てるようであるべきだから日曜は休み」といっています。

これはほんとに素晴らしい方針。ちょっと不便でも、みんな国民の祝日や日曜日は休みでいいよ!(といいながら、開いていれば日曜の深夜にスーパーで買い物しちゃうんですけどね)

ここのCEO(創業2代目)はしかし、2012年に同性婚について否定的な見解を述べて大炎上していて、各地の大学で学生がChick-fil-Aの出店を阻止するなどの痛い目にもあってます。

一大LGBT拠点でもあるシアトル市内への出店はあるのでしょうか。

ベルビュー店は混みすぎて交通渋滞を引き起こしているという話も。もうちょっと空いたら行ってみよう。

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2015/04/19

日本の美:「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」な包装アート


先日、猫パパPご夫妻に日本からのおみやげを頂きました。

美しい京都のお煎餅。

空気のように軽いお米のふわふわぱりぱりな食感も素晴らしいんですが、それより何より目を惹きつけられたのは、出来上がりはきわめてシンプルながら超絶技巧の包装。

お煎餅が入っている円筒形の缶が、一枚のふつうの紙で包んである。



こうやって。

長方形の紙で円筒が包めるのか! しかも、使ってあるシールは1枚だけ!
余計なテープがベタベタと貼ってあるような、雑な仕事ではありません。

日本に住んでいたら、きっとごくあたりまえのこととして見過ごしていたのかもしれないけど、四角い箱のキャラメル包みしかできない私からみると神々しくさえ見えるこの匠の技に、えらく感動してしまいました。


今、原研哉さんというデザイナーさんの『日本のデザイン』という新書を日本からNちゃんに送ってもらって読書中なんですが、その中で原さんは、日本には「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」という、長い伝統に根づいた価値観が行き渡っている、これは世界でもきわめて特異なことだ、といってます。

これには激しく同意。
ほんとにこんなに何ごとにも丁寧な国民ってたぶん、世界のどこにもいないと思う。

アメリカのカスタマーサービスに慣れた後で日本に一時帰国すると、毎度毎度激しいカルチャーショックを受けるゆえんです。

この缶を包む紙の形は、まさに「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」の粋。

これは間違いなく、風呂敷でものを包む、キモノという単純な形の衣服で身を包む、という生活の美意識が生んだものなんだなあ、としみじみ感慨にふけってしまいました。

「第二次対戦後、高度成長期を経て日本の街並みはひどく醜いものになり、家の中には醜くて要らないモノが溢れるようになったけれど、この辺で仕切り直して、日本にもとから根づいている美意識を社会の資本として活かし、要らないものを減らし、ほんとうにうまく機能する美しいデザインを世界に打ち出していってはどうか」

というのが原さんの主張です。


無駄といえば、日本のお菓子やらの包装って、過剰としか思えないものが多いです。
「丁寧」「繊細」を常に求める日本の消費者の要求に合わせようとするあまり、過剰さが、無駄が、ふくれ上がってしまっているように見えます。

たとえば一口サイズのお煎餅やクッキーに、プラスチックの個別包装、プラ材の成形材、プラスチックの外袋、と二重三重の袋がかけられていて、中身の5倍くらいの包装材がゴミとして出る、というのは、「緻密」であっても「簡潔」ではないし、美しくもないですよね。

この洗練を極めたお煎餅缶の包装のように神々しいほど簡潔な美しさを持ったものが、もっと日本からどんどん出てきて、世界を驚かせてくれるといいな、と思います。


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2015/04/16

LUCY&草薙少佐




 ひだまりの日の猫たち。

久々に、一眼レフを出してきてみました。



先日、だいぶ前だけど『LUCY』を見ました。
すごく面白かったです。

前知識なしで見に行ったんですが、リュック・ベッソン監督の映画だったんですね。

話の内容に対してアクションは派手すぎだと思ったけど、説得力ありすぎの韓国ヤクザとフランス人刑事がすごく良かった!

この監督はこういうアウトロー的な男を色っぽくみせるのがほんとに上手だなあ。さすがフランス人。
韓国マフィアは北野たけしの映画のヤクザより怖かった。(たけし映画のヤクザには色気がない)

人間は脳の潜在的な力の10パーセントしか使っていないというけれど、100パーセントを全開で使えてしまったらどうなるか?
という話でした。

(以下、ネタバレ注意)




これは人工知能の話ではないけれど、いつか確実に人間の能力を超えていくと考えられている人工知能も、最後にはこの映画のルーシーちゃんの完成形みたいな感じの存在になっていくんではないかという気がします。30年後だか、100年後だか、300年後だかに。

脳がどんどん発達して、自分の体の組成や、自分以外のものの組成も思うままに変えられるようになってしまうルーシーちゃんは、

「私たちは時間の中にしか存在しない」

と言うのです。

「We do not really die」


とも。


そして最後には時空を超えて、原初の「ルーシー」(全人類と遺伝子的につながっているという類人猿のルーシー)と出会います。
(時空を超えていくときに座ってたのはハーマンミラーのエンボディチェアでした!)

 
凄い勢いで脳が発達していく中で、頭にどんどん入ってくる知識と見識を一体どうすればいいのかわからない、というルーシーちゃんに、モーガン・フリーマン演じる教授は、こう助言します。

これまでにすべての生命がしてきたのは、受け継ぐことと、分かち合うことの2つでしかない。
ぜひ、あなたが今得ているその見識を、我々にも分かち合ってほしい。

そして最後に、脳の最大キャパシティに達したルーシーちゃんは「情報」をのこして、すべてのものの中に溶け込んでしまう。

いってみれば「スピリット」みたいな存在になった、ということなんでしょう。あるいは、ある意味「情報」そのものになったということか。

スカーレット・ヨハンソンは、『ロスト・イン・トランスレーション』で最初に見たときには美人だと思わなかったけど、奇妙に色っぽい女優さんですね。最近、すごく好き。

ハリウッドで制作が進行中という『攻殻機動隊』の草薙素子少佐役にスカーレット・ヨハンソンが決定しかかってるという話をどこかで見ましたが、ほんとか??

コアなファンの人からは猛反発が出てるらしいですが、どういう映画になるのか興味しんしん。
アニメ版の実写化ってことなんでしょうね。

ということで手元にある士郎正宗さんの『攻殻機動隊(1)』を20年ぶりに読み直してみました。
そしてびっくり。

最後のほうに出てくる、電脳空間で自我を芽生えさせる「生命体」の「人形使い」というのは、映画の完成形のルーシーちゃんと同じようなモノではないか!

以前に読んだときにはきっとほとんど理解できてなかったと思う、ていうか覚えてないのですが、

「物質宇宙は沈殿物のような部分でしかない」
「遺伝子や模倣子は君が消えたあとも成長を続ける…ドーナツ状に」
「上へいくほどレベルは巨視化し決定論的にふるまう。逆に下は微細構造にいく程非決定論的になる」
「ネットワークは超宇宙サイズで無限の深さを持つ」
「生命はその枝の先に成る果実」


…というこの世界観は、このところとってもリアルに感じられているものでした。『攻殻機動隊』初版は1991年、まだ一般にインターネットも普及していなかったことを考えると、ここに出てくる情報やネットと意識の捉え方は恐ろしいほど時代に先がけてます。

このマンガの舞台は2030年。それまでに日本を巻き込む戦争が起こる可能性は少ないと思うけれど、人工知能やウェアブル端末(サイバーパンクの予言どおり、本当に人体への「埋め込み」型になってもまったく不思議じゃない)の発展で、15年後の世界では「個人」の捉え方が大きく変わってくるのだろうなあと思います。部分的なサイボーグ化も、草薙素子少佐ほどの義体はまだできないにしても、だんだんと進むのだろうし。


ていうか、「2」が出てたの知らなかった!

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八重桜の並木


今年のシアトル、ソメイヨシノは4月の声を聞くか聞かないかのうちに終わってしまいましたが、今は八重桜が満開です。

うちのアパートがある町内では両側に八重桜の並木という豪華な道があって、今日あたりは桜吹雪でした。


こっちは色の薄い種類。最近植えられたもののようで、まだ若い木です。

ここだけでなく、庭に桜を植えている家も多いし、学校や公園にもたくさんあるし、シアトルの人は桜がほんとに大好きなんですね。

3月はずっと暖かかったのにまた急に気温が10度C以下に下がって、季節が少し逆戻りしたような陽気です。



ツツジの上に桜が散っているという、絢爛豪華な色。



今回も、iPhone写真でした。


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2015/04/15

NEO POPのカオスとKawaiiの空白


先日、ボランティア公園のシアトル・アジア美術館に「NEO POP」展を見に行ってきました。4月5日まででした。

日本人アーティスト「Mr」の展覧会。 入り口から、もう萌えてます。
左側の帽子をかぶった男の子キャラはファレルだそうです。


ビデオでコラボレーションをしておられる。


展示室の入り口に突然あるのがこのゴミの山。


ああ、なんかこのカオスは見覚えがあるよ。というのが、第一印象。

ウチの弟Aの部屋が少しこんな感じだったし、ほかにもこういうカオスの部屋は何度か見たことある。

解説には、このインスタレーションは「東日本大震災にインスピレーションを得た」と、ありました。

A reminder of the debris that blanketed the Tohoku area in the aftermath of 3.11 tsunami and earthquake, the installation embodies the post-disaster fear and frustration of the Japanese people since the catastrophic events.

(3月11日の津波被害により東北地域を覆った瓦礫を思わせるインスタレーションは、この天災の後に日本の人びとの心に長くのこる恐れとフラストレーションを体現するものなのです)

ううううーん、そう? 

私はこのインスタレーション自体は面白いと思ったけど、大震災にそういう形で直結させちゃうのはちょっとどうなの?やや安直じゃないの?と思わずにいられませんでした。
だってこの部屋、見たことあるもの、昭和の末に。

震災うんぬんは後付けじゃないかと思うなあ。分かった気になってもらいやすい説明、て気がするんですけど。


むしろこのカオスは「数十年来の、僕の頭の中の状況です」って言うほうが、迫力あると思うんですけど。


このカオスは、天災を再現しようというものとは感じられないのです。
形あったものが天災でひっくり返された、という状況ではない。
だんだんに増えてきたモノが収集つかなくなって崩れてしまった、というさまに見えます。

自分の中に前から巣食っていたものが、震災を機に、明るいところに出てきてしまいました。という意味なのだったら納得できる。



そしてこの汚部屋、カオスは、たぶん昭和の日本に生きた人の中には、程度の差はあれいくらかずつは埋め込まれているのではないかと思うのですよ。

天災に対してではなくて、もとからあったこの片付けようのないカオスにいいようのないフラストレーションを感じる。

でもそのイライラさせるところが素直に面白かった、インスタレーションでした。


この風景も見たことがある。昭和の悪い夢の中でw

ところどころにある三文印鑑のケースは、匿名性というか、だれにでも所有可能であること、または無名性、の象徴ってことなのかしら?  


このMr.という人の名前は、この展覧会について知るまでまったく聞いたことなかったのですが、村上隆氏の「お弟子さん」で、最近注目されてるのだそうです。


美術館での単独の展覧会はこれが初めて。


ほかの作品は「大きなパネルに描かれた、とても良くできた萌え絵」でした。


アニメな女の子のキャラはすごく可愛い。可愛さに隙がないけど間が抜けててイノセントで元気はつらつ。
非常に優秀で洗練された萌えキャラです。

しかしこの画面への情報の盛られ具合には、冒頭のインスタレーションと同じような圧迫感があります。


昔の雑誌の表紙のような体裁のこの2つのパネル絵にも、よく見ると脈絡のない看板だとか80年代的なロゴだとかが隙間のないほどに盛られている。

あのインスタレーションのゴミの山と同じような、たまりにたまって捨てられないでいる消費物、シンボル、標識、標語、意味のない情報の数々。

主役の女の子は可愛くてキラキラしているのだけど、その世界を構成しているのはなんだかとてもドロドロしたカオス。

たしかにこれは日本の「カワイイ」の世界です。日本のバラエティ番組のよう。

ハイパーで明るくて、この閉じた文脈の中では完璧に洗練されていて、何もかも予定調和の中にきれいに着地していて、水も漏らさないほど完成されているのだけど、中身はからっぽ。

この「からっぽ」こそ、でも、「カワイイ」の正体なんだなと思ったのです。


会場でもらったパンフに、「カワイイと萌え」についての解説がありました。
<シュールレアリスム運動のリーダーであったアンドレ・ブレトンがアーティストたちに対して無意識を解放せよと奨めたように、Mr.のメンターである村上隆はMr.に「可能な限り本当の自分自身に近づいて」作品の中に複雑な心理を解放するよう奨めました。>

<「キュー ト」という意味の「カワイイ」は、日本のポップカルチャー、特にマンガやアニメにおいて中心的位置を占めます。本展で展覧しているMr. の一連の近作は、日本のポップアートにおけるカワイイを「萌え」という新たな次元へもたらすものです。Mr.が表現する「萌え」な少女たちは、プラ トニックな理想像であり、従来的な感覚でのエロスではなく、思春期の少女のイノセンスに向けられた誇張されたファンタジーを体現しています。フィクション の可愛らしいキャラクターが表現する「萌え」は、若さや若々しい活力への希求を物語っています。これは日本の若者のサブカルチャーが生んだ概念であり、ファン タジーとバーチャル体験を重視し、権威、社会が期待するあり方、あるいは政治的な活動などに反抗する姿勢をあらわしています。>(拙訳)

温泉街で草間彌生の水玉カフェに行き、そのあとグラバー由美子さんの個展を見て以来、「カワイイ」と「萌え」についてずっと考えているんですが、カワイイや萌えが権威への反抗(rebellion)というこの解説はピンと来ませんでした。

ヲタク青年たちを思い浮かべると、それは「反抗(rebellion)」というような積極的な態度ではなくて、関与を拒否(refuse)または無視(ignore)くらいではないか、と最初思ったのですが、カワイイの主人公である少女たちについて考えてみると、「からっぽ」であること、あくまでも上っ面だけの存在(カワイイだけ)に徹すること、というのは、権威の否定といえばいえる。

これまでの社会、従来の規範が要求する「ナカミ」の重要性を否定すること、ナカミなんて意味がなくなるほど上っ皮が圧倒的に完成されていること。

期待されている「ナカミ」というのは、社会の文脈に従った成長ということ。カワイイというのはそんな期待どおりの成熟を拒否することが前提になっていて、従来の価値観をすべて(すくなくともその一瞬)チャラにすることができるカードなのだな、とも思ったのでした。

ゲームのほかのルールをすべて無効にしてしまう、ジョーカーのようなカード。これを出すと、それまでの世界がぐらっと変わってしまうのです。 

その力は本質的には「エロス」であるはずなんだけど、そうストレートにはいかないのがカワイイの世界。


驚いたことに、ドーナツを頭につけた女の子たちが見にきていました。
なにかのコスプレ、なのか、オリジナルなのか不明ですが、全身萌え萌えでした。

この展示は、Mr.が作った短編映画『誰も死なない』に使われた衣装。

この映画は会場で上映中だったものの、席がなかったのでちょっとだけ見て出てきてしまいました。


「萌え」についてはほんとに人それぞれ勝手な見方ができますよね。

男性アーティストが「女性美」を描いた作品には19世紀のものからこの「萌え」に至るまでイラっとさせられることが多いです。が、それはまた別の機会に。



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2015/04/13

懲りずにドリアン




いい加減な年をして、変なおやつを見つけると買わずにいられないのはなぜなのか。


以前に黒ゴマアイスクリームが大当たりでおいしかったシアトルのアイスクリーム屋さんPINK'S の「ドリアン」風味をスーパーで見つけてしまいましたよ。

しかも他のフレーバーは5ドルくらいなのに、これだけ7ドル以上の高額商品。

えー高っ!と言ってたら、Mちゃんが買ってくれた。ありがとう。いただきます。


蓋を開けると、さっそくほのかなLPガスの匂いが。

その瞬間、思い出した。あの真夏の中西部ドライブでのドリアンウエハファース事件を。

2スクープ食べました。おいしいと思う。思うけど、匂いはガス。

食べ終えたお皿をしばらくそのまま目の前において映画を見ていたら、映画が終わる前に頭痛がしてきました。

[Extremely Pungent ]と断り書きがついているだけに、かなりの実力があります。


息子と、遊びに来ていたそのガールフレンドにも勧めてみました。

2人とも蓋をあけてくんくん匂いを嗅ぎ、すぐに蓋をした。

「プロパンくさい」

といって、食べてくれません。


おいしいのに。
カボチャ種とドライパパイヤでトッピングしてみた。
トッピングの味がわからない。

いまTomozo家に遊びに来ると、もれなくドリアンアイスを御馳走しますよ。
(なかなか減らない)

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2015/04/11

スノコルミー滝の散歩道と鉄道博物館


4年くらい前に『ツイン ピークス』ロケ地めぐりで行ったスノコルミー滝に久しぶりにいってみました。


今回もiPhone 写真のみ。動画もためしに撮ってみました。 単に滝です(笑)。


 滝を見物できる展望台にあった張り紙。「ドローン使用禁止」。
この近辺にいるハヤブサの営巣活動を脅かすので禁止です、って書いてありました。

ドローンで空撮があっという間にほんとに手軽になってきて、You Tube とかインスタグラムにもいっぱいアップされてますが、まだ何も規制が追いついていないんですよね。
ここでの禁止は、Migratory Bird Treaty Act て、渡り鳥を保護する法律を根拠にしてます。



前にきたときにはまだ工事中だった滝の下までのトレイルが出来上がってました。

犬も歓迎の散歩みち。行きはよいよい(ひたすら下り)、帰りは登り。それぞれゆっくり歩いて(帰りはちょっと頑張って)片道15分くらいです。


 ところどころに樹の説明があります。感心したのは、学名と簡単な説明のほかに、スノホミッ シュ/スノコルミーのネイティブ部族言語での名前が書いてあったこと。

ハワイではハワイアンの言葉に対して大きな敬意が払われていて、役所や学校から高級リゾートまで、あらゆるところで目にするのに、ワシントン州でネイティブ部族の言葉をこういった形でみかけることはほとんどないですね。シアトル酋長の名前を冠した街があるというのに。
 

滝の下もこういうボードウォークになっていて、河原や滝壺には直接下りられません。
(滝のずっと下流のほうでは川へのアクセスあり)



下から見るとこんなです。


この滝って、電力会社の持ち物だったんですね。
ここでも発電してるって、知りませんでした〜〜。19世紀末からあったという発電所なのでした。

 

滝のすぐ近くに、昔はシアトルまでつづいていた線路跡があって、駅の建物が綺麗に復元されて博物館(Northwest Railway Museum/ノースウェスト鉄道博物館)になってます。
この駅舎は1890年のもの。

以前に来たときはここの博物館までは来なくて、近くに放置?保存?されている列車のコレクションを見て帰ったんでした。


ここの前を走ってる線路はちゃんと整備されてて、4月から10月の間の週末、5マイルの線路を往復する列車が 走ってるんだそうですよ。




「きかんしゃトーマス」ファンのお子さんだったら喜ぶことでしょう。うちの子どももトーマス好きだった。

知らなかったけど、今のトーマスはCGなんですね!

昔の3Dアニメの手作り感あふれる奥行きのある画面はすごく好きだった。目玉しか動かないきかんしゃたちも最初はブキミに感じたものの見慣れてくると妙に表情豊かに見えてきて、味わい深かった。あの静かなナレーションと、ゆったりしたペースも貴重でした。


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