ひだまりの日の猫たち。
久々に、一眼レフを出してきてみました。
先日、だいぶ前だけど『LUCY』を見ました。
すごく面白かったです。
前知識なしで見に行ったんですが、リュック・ベッソン監督の映画だったんですね。
話の内容に対してアクションは派手すぎだと思ったけど、説得力ありすぎの韓国ヤクザとフランス人刑事がすごく良かった!
この監督はこういうアウトロー的な男を色っぽくみせるのがほんとに上手だなあ。さすがフランス人。
韓国マフィアは北野たけしの映画のヤクザより怖かった。(たけし映画のヤクザには色気がない)
人間は脳の潜在的な力の10パーセントしか使っていないというけれど、100パーセントを全開で使えてしまったらどうなるか?
という話でした。
(以下、ネタバレ注意)
これは人工知能の話ではないけれど、いつか確実に人間の能力を超えていくと考えられている人工知能も、最後にはこの映画のルーシーちゃんの完成形みたいな感じの存在になっていくんではないかという気がします。30年後だか、100年後だか、300年後だかに。
脳がどんどん発達して、自分の体の組成や、自分以外のものの組成も思うままに変えられるようになってしまうルーシーちゃんは、
「私たちは時間の中にしか存在しない」
と言うのです。
「We do not really die」
とも。
そして最後には時空を超えて、原初の「ルーシー」(全人類と遺伝子的につながっているという類人猿のルーシー)と出会います。
(時空を超えていくときに座ってたのはハーマンミラーのエンボディチェアでした!)
凄い勢いで脳が発達していく中で、頭にどんどん入ってくる知識と見識を一体どうすればいいのかわからない、というルーシーちゃんに、モーガン・フリーマン演じる教授は、こう助言します。
これまでにすべての生命がしてきたのは、受け継ぐことと、分かち合うことの2つでしかない。
ぜひ、あなたが今得ているその見識を、我々にも分かち合ってほしい。
そして最後に、脳の最大キャパシティに達したルーシーちゃんは「情報」をのこして、すべてのものの中に溶け込んでしまう。
いってみれば「スピリット」みたいな存在になった、ということなんでしょう。あるいは、ある意味「情報」そのものになったということか。
スカーレット・ヨハンソンは、『ロスト・イン・トランスレーション』で最初に見たときには美人だと思わなかったけど、奇妙に色っぽい女優さんですね。最近、すごく好き。
ハリウッドで制作が進行中という『攻殻機動隊』の草薙素子少佐役にスカーレット・ヨハンソンが決定しかかってるという話をどこかで見ましたが、ほんとか??
コアなファンの人からは猛反発が出てるらしいですが、どういう映画になるのか興味しんしん。
アニメ版の実写化ってことなんでしょうね。
ということで手元にある士郎正宗さんの『攻殻機動隊(1)』を20年ぶりに読み直してみました。
そしてびっくり。
最後のほうに出てくる、電脳空間で自我を芽生えさせる「生命体」の「人形使い」というのは、映画の完成形のルーシーちゃんと同じようなモノではないか!
以前に読んだときにはきっとほとんど理解できてなかったと思う、ていうか覚えてないのですが、
「物質宇宙は沈殿物のような部分でしかない」
「遺伝子や模倣子は君が消えたあとも成長を続ける…ドーナツ状に」
「上へいくほどレベルは巨視化し決定論的にふるまう。逆に下は微細構造にいく程非決定論的になる」
「ネットワークは超宇宙サイズで無限の深さを持つ」
「生命はその枝の先に成る果実」
…というこの世界観は、このところとってもリアルに感じられているものでした。『攻殻機動隊』初版は1991年、まだ一般にインターネットも普及していなかったことを考えると、ここに出てくる情報やネットと意識の捉え方は恐ろしいほど時代に先がけてます。
このマンガの舞台は2030年。それまでに日本を巻き込む戦争が起こる可能性は少ないと思うけれど、人工知能やウェアブル端末(サイバーパンクの予言どおり、本当に人体への「埋め込み」型になってもまったく不思議じゃない)の発展で、15年後の世界では「個人」の捉え方が大きく変わってくるのだろうなあと思います。部分的なサイボーグ化も、草薙素子少佐ほどの義体はまだできないにしても、だんだんと進むのだろうし。
ていうか、「2」が出てたの知らなかった!