2013/03/09

ビーバーその後


花もほころび始めた3月です。

ゴールデンガーデン公園に行ってみました。

去年6月に見に行ったビーバーロッジをチェック。


 あった。巨大化してます。

 削り痕も新しい。


水辺の樹木ばかりか、周辺の舗道沿いの木も次々に倒されてます。




この調子ではすぐに池のまわりに木がなくなってしまうんではないかと心配になるほどですが、"My Ballard" によれば、公園管理局ではビーバーはそっとしておくポリシーです。


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2013/03/05

Lucky Buddha Beer ?


先日、セントラル・マーケットで見かけて思わず買ってしまいました。

Lucky Buddha Beer


うううーん、でもこの人は…どうみても仏陀ではなくて「布袋さん」じゃないか?

でフェイスブックページに行ってみたら「福禄寿喜」て書いてあるし…?


みんな一緒くたか!  



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2013/03/04

雛祭り舞踏とTOKARAさんの桜道明寺



3月3日、フィニーにあるTOKARAさんのオープンハウスイベントに行ってきました。

お天気も良く、花もほころびはじめて、シアトルも春の予感たっぷり。



お琴と三味線の地唄、それに薫さんの短い舞踏を堪能いたしました。


飾られていたお雛様がまた、婀っぽくて演目にぴったり。


舞踏家は急な階段からゆらゆらと登場。春先のかげろうのような。
昼寝の夢に立ち現れた、遠い昔の遊び女のような、はかなくも可憐、そしてあやしい一幕。


小さな畳敷きの部屋に、千種さんの三味線と地唄が気持ちよ〜〜く響きます。
本当に気持ちの良い音空間でした。なんと贅沢な春の午後。


本日のスペシャル、道明寺ももちろん頂いてきました。
桜の葉の華やかな香り。上品な餡の味、久しぶりでございました。

次は5月5日子どもの日、柏餅も買いにいかなければ!




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橋の向こう <ミシシッピ州ジャクソン 5>


 <週のうち六日、バスに乗ってウッドロー・ウィルソン橋を渡り、ミス・リーフォルトや、ご友人の白人家族の住むベルへイヴンに向かう。>(『ヘルプ 心がつなぐストーリー』上巻 28p)

ミシシッピ州ジャクソンのグーグルマップは何度も何度もにらめっこしたのだけど、この「ウッドロー・ウィルソン橋」がどうしても見つからなかった。

実際に行ってみると、これは川にかかる橋じゃなくて、鉄道の線路をまたぐ大きな陸橋でした。

この橋は、『ヘルプ』では黒人地区と白人地区をわける境目として描かれてます。実際、その通りでした。

 <こうしてジャクソンでは、白人の居住区はどんどん増えていくが、あたしらの住む地区はひとつの大きなアリ塚みたいだ。売り物にはならない政府の保有地に囲まれていて、人が増えてもこれ以上は広がりようがない。黒人地区は混み合っていくばかりだ。>(上巻29p)


『ヘルプ』の舞台になったのは1962年から63年ですが、それから半世紀たった現在も、この「棲み分け」の状況はあまり変わっていないように見えます。

上の写真は、ウッドロー・ウィルソン橋を渡ってしばらく行ったあたりにあった、きわめてシンプルな窓のないナイトクラブ。
 ミニーの旦那、リロイが飲んだくれていたのもこんなクラブだったかもしれません。


 このすぐ近くに、自宅前で暗殺された黒人活動家メドガー・エヴァーズの家があります。

<「KKKに撃たれたんだよ。自分の家の前で。一時間前に」
背筋に鳥肌が立つ。「家ってどこ?」
「ガインズ通りだよ。あたしらの病院に運ばれたんだ」>

 <ミニーはこぶしを握り、歯がみしている。
「子どもちたの目の前で撃たれたんだよ、エイビリーン> (上巻 328p)

エヴァーズの家は博物館として保存されていますが、見学は予約制なので中は見ませんでした。彼が撃たれて倒れたドライブウェイも、そのままに保存されています。
 

 エヴァーズ宅のあるガインズ通り。この通りは手入れの行き届いた、比較的良い暮らし向きの家が多い。



でも地区のほかの場所は貧しさが露わです。


裕福でない地域には、放し飼いだか野良だかわからない犬が困った顔でうろうろしているのは全米共通。
ハワイにもワシントン州にも、犬放し飼いエリアがあります。
人を噛んだりしない限り、犬がちょっとくらいうろうろ出歩いていても隣人も大騒ぎしないのでしょう。


こちらは橋の反対側、ダウンタウンに近いノース・ステート・ストリートのお屋敷。
 ジャクソンの白人エスタブリッシュメントたちが居を構えた通りです。


 現在の基準からすると規模は小ぶりですが、意匠をこらしたお屋敷。ギリシア風円柱の並ぶポーチ、裏のポーチにはブランコの椅子、きっと表玄関のドアを開けたら中には回り階段があるに違いない。
 

 ダウンタウンから少し離れたベルヘイヴン地域は、『ヘルプ』でエリザベスやヒリーが住むという設定の住宅街。20代の中流階級の若い夫婦が最初に住むに適当なこぢんまりした家が並ぶ、閑静な住宅街でした。


このネイバーフッドには犬はうろうろしていなかったけれど、かわりに猫たちがひなたぼっこをしてました。

人種隔離政策は半世紀前に撤廃されたものの、圧倒的な経済的格差の壁は今でも取り払われてはいないし、当時からの住宅街にはまだ「こちら側」と「あちら側」の違いが厳然と存在しています。


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2013/03/02

Piggly Wiggly <ジャクソン 4>


<「さあて、ベビーちゃん。必要なものを探そうね」…
肉屋からは、豚足の燻製を一塊もらう。店内は明るく、商品はきれいに陳列されている。床におがくずが落ちてる黒人用のピグリー・ウィグリーとは段ちがいだ。お客のほとんどは白いレディたちで、笑顔をふりまきながらお買い物。…四、五人のメイドも買い物してるが、みな白い制服姿だ>(『ヘルプ 心がつなぐストーリー』上巻 173p)

スーパーマーケットの「ピグリー・ウィグリー」は、サウスカロライナの友人を訪ねた時に初めて連れていってもらって、インパクトの強い名前がくっきり頭に刻まれたのでした。

安いスーパーマーケットだと聞いていたけど、人種隔離政策当時は黒人専用だったというのは『The Help』を読んで初めて知りました。

白人用スーパーとして出て来る「ジットニー・ジャングル」はもうなくなってしまってますが、ピグリー・ウィグリーは南部全域ばかりかイリノイ州やウィスコンシン州にも展開中。

ジャクソンに着いた夜、ご飯を食べに出て軽く道に迷いうろうろしていると、このブタ君の看板が目にはいりました。
場所柄黒人のほうが多かったけれど、もちろん白人のお客さんもお買い物してました。


棚に豚足の漬け物を発見! 買わなかったけど。これで5ドルってお買い得?



そしてクリスマスに売れ残ったと見られる大量の「むらさき」が!

<「むらさき!」とメイ・モブリー。あたしはベビーにクランベリー・ソース缶を持たせてやる。古い友達を見るような目でベビーが缶にほほ笑みかける。この子は“むらさき”が大好きだ>(上巻 173p)

 1ドルは安いなあ。いらないけど。

ブタ君の顔マークがあまりに可愛いので、何か荷物にならないものを、と、結局ペーパータオルを一巻き買ってシアトルに持って帰りました。


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2013/03/01

ブレトンズ・ドラッグストア <ジャクソン 3>



映画『ヘルプ』の撮影は、おもにジャクソンから北へ60マイルのグリーンウッドという町で行なわれましたが、ジャクソンにもいくつかロケ地があります。

ダウンタウンから少し北に行ったFondrenの町並みもそのひとつ。
この一画はミッドセンチュリーな看板がひとかたまり残っていて、ベーカリーやカフェもある、ちょっと文化的な香りのエリア。

ダウンタウンの中心部は閑散としてたけど、この一画は賑わってました。

ロケ当時の写真はこちら


このすぐ近くにあるBrent's Drug Store でも撮影が行なわれました。

この絵は映画のセット用に描かれたもののようです。


 Brent's Drug Store は、『ヘルプ 心がつなぐストーリー』の後半、ルー・アンとスキーターが会話する場面の舞台です。泣けちゃう場面のひとつ。

<わたしは店の前側へ向かう。軽食カウンターにいるエリザベスとルー・アンのそばを通り過ぎなくてはならない。ふたりとも背を向けたままだが、鏡越しに、視線でわたしを追っているのが見える。そして、ふたり同時にうつむくのも。…>

<店の端の通路から逃げ出そうとすると、ルー・アン・テンプルトンがヘアブラシの棚の陰から出てきた。「スキーター、ちょっと時間ある?」わたしは立ち止まり、驚いて目をしばたたく。…ルー・アンがちらりと視線を向けた窓の外では、エリザベスがミルクシェイクを手に車へ向かっている>(下巻 305p)

ルー・アンはこっそりスキーターに、自分の家のヘルプ、ルーヴィニアにどれだけ助けられているかを語ります。

<「スキーター、わたしにとってルーヴィニアは、この世で誰より勇敢な人なの。あれほどの困難をかかえながら、話し相手になってくれるのよ。毎日生きていけるよう助けてくれるの。彼女がわたしについて書いたものを、お孫さんの件で力になってくれたと描いてあったのを読んだときほど、人生で感激したことはないわ」>(下巻 306p)


昔は薬屋さんが本業で、カウンターでソーダやミルクシェイクを出すソーダファウンテンがおまけについていたのでしょう。 店の名前は「ブレトンズ・ドラッグストア」のままだけれど、薬屋さん商売はもうたたんで久しい様子。ソーダファウンテン&レストランとしてとても流行っていて、ほぼ満席でした。

奥のほうにPrescriptions(処方薬)のカウンターがそのまんま残されてます。

カウンターの上に貼ってある「ステーキ・プレート95セント」「フレッシュ・レモネード10セント」とかの古いメニューやヴィンテージの缶たちは、撮影用に使ったものか、ずっとインテリアとして使われているものか。



チーズバーガーとオニオンリングと、「バターペカン」のミルクシェイクを注文しました。
うまっ。特にクラシックなグラスに入ったミルクシェイクがめちゃうま。


昔ながらのハンドミキサーで作るミルクシェイクです。↑↑ 製作中。
普段はミルクシェイクを注文しても残してしまうのだけど、ここのは飲みきっちゃいました。

満席なのも納得です。 オニオンリングもすごくおいしかった。

正しいアメリカの軽食堂です。


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2013/02/28

ロバート・E・リー・ホテルとフリーダム・ライダー <ジャクソン 2>


ミシシッピ州ジャクソンの州議事堂の向かいにある州最高裁判所。


その数ブロック先にあるロバート・E・リー・ビルディング。
今は州政府関連のオフィスが入居してます。もとはジャクソン白人社会の社交の場だった Robert E. Lee Hotel 。

ヘルプ 心がつなぐストーリー』にも、何度も登場します。
スキーターとスチュワートのデートもここだし、クライマックスの慈善パーティもここ。

ウィリアムの運転するオールズモビルで、ロバート・E・リー・ホテルへ向かう>(『へルプ 心がつなぐストーリー』上巻 201p)

来賓たちはロバート・E・リー・ホテルに到着し、バーでカクテルアワーを楽しむ。八時には、パーティ会場へつづくラウンジ・バーの扉が開放される。窓には緑色のビロードの優美なスタイルのカーテンが垂らされ、赤い実をつけた本物の柊のブーケが飾られている>(下巻 143p)


前庭とドライブウェイのある広い敷地に立っている建物を想像していたので、町の真ん中でほかのビルと身を寄せているのは、ちょっと意外でした。

映画で使われたのは、ジャクソンから北へ60マイルほどの場所にある町グリーンウッドの裁判所。 こちらです。
映画の撮影はほとんどがジャクソンではなくてグリーンウッドの町で行なわれています。
主な撮影場所のリストはこちら



 ロビーも思ったより狭い。でも南部らしくきらびやかな内装は当時の面影をそのまま残しています。

州の役所が入っているので、残念ながら入れるのはロビーだけでした。ものすごく暇そうなやる気のなさそうなお兄さんが一人、ロビーの入口で入って来る人をチェックしてました。


エレベーターにはロバート ・E・ リー将軍の肖像が。


ホテルのオープンは1930年。南北戦争敗北から半世紀以上経っても南部ではアイドルだったリー将軍の名前を冠した同名ホテルは、ほかの都市にもたくさんあります。

 このホテル、1964年のThe Civil Rights Act(公民権法)によって南部各州の人種隔離政策が違法とされ、黒人客を受け入れなければならなくなった時にいったん閉館しています。そして数ヶ月後に「プライベート・クラブ」としてこっそり再オープンしたという暗い過去がありました。1969年以降は州が買い上げてオフィスビルとしたので、ホテルとしての歴史はあまり長くなかったのですね。

このビルはホテル兼コンドミニアムとしてリモデルしてはどうだろう、という意見がありますが、わたしもそう思う。

いずれにしても、歴史あるビルに愛着を持つ人がとても多くて、また保存できるだけの土地の余裕があるのはアメリカの良いところ。

同じ道を少し行ったところに、美しい流線型の物体がありました。



スペースエイジの流線型、シンメトリーのシンプルなデザイン、映画館風のひさし屋根とネオンサイン。かわいぃぃー!


映画館かと思ったら、もとグレイハウンド・バスのステーションだった建物でした。


ハウンドのマークもそのまんまに、現在は建築事務所が入居。さすが。


 全然前勉強をしていかなかったのですが、ここは1961年のFreedom Rider 運動で、ワシントンDCから到着した若い白人と黒人の男女学生の「フリーダム・ライダー」たちが大量に逮捕された場所でした。


途中で何度もKKKに襲われ暴行を受け、バスに火をつけられ、何針も縫う大怪我を負いながら目的地を目指した学生たちが全国の注目を浴びて、ケネディ大統領は介入せざるを得なくなって行きます。
最初の「ライダー」たちがジャクソンで逮捕されると、ジャクソンの刑務所を満員にしてしまおうと、次から次へ新しい「ライダー」が到着しました。

公民権運動がピークに向かう最初の大きな曲がり角だった年。『ヘルプ』はその翌年1962年を舞台にしています。お嬢さん育ちのスキーターは大学で文学を勉強していて、故郷の町でそんなことが起こっているのにまったく無頓着だったという設定。

<「そちらで白人と黒人用の乗り合いバス待合所を統合しようという運動があったのをニュースで見たわ」とスタインさんがつづけた。「警察は、四人用の留置所に五十五人もの黒人を押しこめていたわね」>(上巻 184p)


 同じ通りに、もうひとつミッドセンチュリーの素敵な看板がありました。


 こちらはもう長いこと閉鎖されている様子のモーテル。

この看板は、ヒリーに「女子青年同盟」から事実上追放されたスキーターがぼんやりと車を走らせる場面に出てきます。

サン・アンド・サンド・バーは閉まっていた。スピードを落として前を通り過ぎながら、電気の消えたネオンはこれほど生気のないものかと見上げる。車を適当に流しながら、背の高いラマーライフ・ビルの前を通り、黄色い光を瞬かせる街灯の列を抜けていく。まだ夜の八時だが、町は寝静まっていた。この町の人々はあらゆる意味で眠っているのだ
(下巻 195p)


 こちらが優美なラマーライフ・ビル。1925年完成。ラマー生命保険の本部があったビルで、ユードラ・ウェルティの父が重役として働いていたのだとか。

ジャクソンの建物めぐりは観光局のサイトにある「ヘルプ」名所めぐりガイドを参考にしました。



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