Great Schoolsの記事にこんなくだりがありました。
As parents in a big city with a competitive school lottery, we know the
importance of choosing the right school for our children.
(人気公立校の抽選枠争率が激しい大都市で子どもを育てる親として、子どもにとって最適な学校選びがどれほど大切か、私たちは皆よく知っています。)
この「
a competitive school lottery」って、アメリカの公立校に子どもを通わせたことのある方なら多少なりとも悲喜こもごもの思い出がある言葉ではないかと思います。
が、日本やほかの国の方には、たぶんピンと来ないのではないでしょうか。
「school lottery(学校のくじ)」=入学のための抽選枠、ということですが、どうして公立校に抽選枠があるのかというと、アメリカの公立校は
学校間でものすごい格差があるからです。
私が子どもの時通っていたのは東京都内の区立小学校でしたが、どこどこの小学校は良いとか全然ダメとか、中野区は良くて杉並区はいけないとか、そんな話は聞いたことがありませんでした。
現在はどうなのでしょう?多少はあるのかな?
地域によっても違うのかもしれませんが、少なくとも昭和後半(
後半ですよ、一応ね!)の東京郊外では学校間の格差、学区間の格差というのはほとんどありませんでした。
今思えば、どこの小学校にも図工と音楽の専用室と専任教師があり、音楽室にはちゃんとしたグランドピアノがあり、広い校庭とプールと体育館があった。…って、アメリカの公立校に比べたら、考えられないほど素晴らしい環境です。
ハワイ州でもワシントン州でも、公立はもちろん、私立校だってそこまでの設備がある小学校はほとんどありません。音楽室や美術室どころか、音楽や美術の時間も、予算の都合で存在していない学校のほうが多いです。
アメリカの学校には連邦政府からあんまりお金が出ていないので、ほとんど地方税でまかなわれています。ハワイのように州が一括して管理しているとこもあれば、もっと小さな単位の自治体で学校を運営しているところもあります。
シアトル市の学校はシアトル市の運営で、予算の半分は州から、約4分の1が市の目的税(School Levy)からで、国からの補助金は13%に過ぎません。(参考
*Seattle Public Schools )
ハワイ州は(シアトル市も)予算を学校に均等に(生徒数に応じて)分配しているはずなのに、それでも学校間に差が生じるのはどうしてなんだろう、と最初疑問に思っていました。
学校間でパフォーマンスに差が出る理由は色々ありますが、裕福な地域に優秀な学校が集中するのはまぎれもない事実です。
Great School
などのサイトは、生徒の全国平均テストの点数や先生と生徒の割合などで各学校に「点数」をつけていますが、この点数が1から10の評価で8~10の高得点
の学校は、かなりの割合で地価の高い地域にあります。
学校の評価が良いと学区にある住宅の値段も高くなるので、不動産価格と学校のスコアはほぼ比例関係にあるといってもいいくらいです。
各自治体でシステムは違いますが、シアトル市やハワイ州では各学校に学区外からの「越境入学」枠がそれぞれあって、人気学校には希望が殺到します。これがschool lottery枠です。
子どもを12年間公立の幼稚園~高校に通わせてみた実感として、ハワイでもシアトルでも、優秀な学校は
1)落ち着いた住宅街の恵まれた環境にあり、コミュニティからも強くサポートされている。
2)その学区に子どもを通わせるため、子どもが学齢期になる前から引っ越して来る親も多い。>コミュニティからのサポートがさらに強くなるし、学校への金銭的・時間的サポートも強い。
3)学区外からの越境入学を希望する親は概して教育熱心で、学校にも積極的に関わるし、子どもにもお尻を叩いて勉強させる
4)教育熱心な親が多いので学校全体の成績が上がる
…という良循環によってどんどん明るくなって行くのに対して、問題のある学校は、真逆の悪循環にはまっているようなのです。
1)比較的平均世帯収入の少ない地域にあり、治安も良くない場合が多い。コミュニティからのサポートが薄いことが多い。
2)教育熱心な親は遠くてもほかの学校に通わせたがる。時間やお金を使って学校をサポートする親の数が少ない。
3)移民が多い地域では子どもの教育にまで手が回らない親も少なくなく、勉強時間も確保されないので、子どもの成績も上がらない。それどころか学校に来ない子どもも多かったりする。
親たちからの時間的/金銭的サポートというのは、慢性的に予算の少ない公立校ではかなり大きなファクターです。
ハワイで人気公立校に子どもを二人越境で通わせていた知人は、学校に「感謝の気持ちとして」数千ドルはすると思われるポータブル倉庫をぽんと寄付してましたし、校舎のペンキを塗ったり草を刈ったりといったボランティア活動やPTAの寄付集めにも、越境で通わせている熱心な親は積極的に参加する確率が高いのです。
で、冒頭のこの記事は、そうやって希望の学校に入ったは良いけれど、今度は「良い先生」が自分の子どもの担任になるように働きかけるべきかどうか…と悩む親の話でした。
希望の学校に子どもを入れ、最善の環境を提供するためにあらゆる手段を駆使する親の中には、いろいろな手段で先生のチョイスに働きかけようとする人も多いようです。
これは日本で問題になった、要求だけをゴリ押しする「モンスターペアレント」とは全く違って、学校に多大な貢献をしている親たちです。PTA活動にも熱心で、時間もお金も出している親は自然と学校とのパイプが太くなり、公式にではなくとも影響力が強くなるというのはうなずける話です。
実際、12年間の間にははっきり言ってやる気がないとしか思えない先生、子どもが嫌いとしか思えない先生、自分のやり方を押し付けることしか出来ない先生にもお目にかかりました。
反面、感動するほどエネルギッシュで、生徒をインスパイアしてくれる先生にも何人か会いました。
アメリカでは教え方やカリキュラムもかなり先生の裁量にまかされているので、同じ学校でも先生によって大変な差が出て来るのは事実です。
でも先生のチョイスに親が口を出すべきか。出せるのか。
記事の著者は、何も言わなかったことで「とても評判の良い先生」のクラスに娘が入れなかったのにはやはり悔いも残る、下の娘の時には、子どもにどんなスタイルの学びが必要なのか、きちんと主張しようと思う、というような結論を述べていました。
親の努力やリソース次第で子どもの学ぶ環境にも結果にも大きな違いが出るのが当然、ということが前提になっているアメリカの公教育。飛び交う情報を集めて、ベストと思う学校を選び、子どもが入学できるように最大の努力を払い、さらには学校内でも先生について情報を収集して、子どもがどの先生に当たるかにもいろいろ運動する、当然学校の活動には貢献するし、子どもの宿題もばっちり見てやる。…というのが「できる親」、みたいなことになっているので、親にとっても相当ストレスです。わたしはとてもそんなパーフェクトなことはできないので、焦ったり、罪悪感を感じたりもしました。
同じ学校内でも格差があるから、親が受身ではいけないということと、親が子どもに常に期待値を示していかなくてはいけない、というのは何度も痛感させられました。(もちろん、期待通りには育ってくれないものですが、それはそれとして…)
学校にも個性があって、画一的でなく、いろいろなチョイスがあるのは大変良いことだと思いますが、とにかく積極的に情報を集めて動ける余裕のある人勝ちのシステムだから、結局格差はそのまま受け継がれることになるなあ、というのも実感です。
いつもありがとう!
よかったらまた来てくださいねー。
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