2011/10/29
紅葉第二弾(たぶん最後)
メイプルの紅葉。これはもう2週間くらい前の。今では真紅になってます。
カナダの国旗になっているシュガーメイプル。本当にあの国旗の色のまんまの赤になるんですよねー。
今日あたりは午後、お天気もよくて、少し片付いたら近所にでも紅葉を見に行こうと思っていたのですが、ぜんぜん余裕がありませんでした(涙。
真っ赤な写真も撮りにいきたかったのだけど、もうそろそろ終わりでしょうか。
このメイプルは、先々週の日曜日、息子のサッカーの試合の帰り、注文したブリトーが出来るのを待ちながら撮ったもの。サッカーのシーズンも気づけばもう半分過ぎていて、あと1ヶ月を残すのみ。もう11月ですものねー。
バスの窓やオフィスの窓から眺めるだけでも、変わりゆく秋の色、目の癒しになります。
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2011/10/26
Revolution
10何年も前のことですが、ハワイで最初に取ったカレッジの授業が「マクロ経済101」でした。
講師はたしかカイバラ先生という日系の人で、余談が面白かったのですが、その余談の中で、アメリカの貧富の差はほかの先進諸国と比べてもきわめて大きく、年々急速に拡大しているけれども、「アメリカで革命が起きないのは人々が自分の生活レベルにおおむね満足しているからだ」と言っていたのが、とても印象的でした。
「Occupy Wall Street」に始まったデモはシアトルにも飛び火していて、ダウンタウンの数カ所に陣取った集会は恒久的な構えになりつつあるようです。数日前にウェストレイクの広場前を通ったときは、ぱらぱらとプラカードを持った人がいて、地面に円座を作ってるグループがあって、マラソンの救護所みたいな感じのテントがあって、所在なさそうに警官が3名くらい遠くから見てるだけでした。燃えてる感はなしでした。
「先進国に生まれたという既得権益を守るためのデモ」という言い方をしている方もいて、なるほどーと思ったのですが、国境の外と比べてどうかと考えている余裕は、今のアメリカ人にはありません。
カイバラ先生が言ってたように、20世紀後半のアメリカ社会はどの階層にもそれなりに豊かさがいきわたり、先はもっと良くなるということを誰もが信じて疑わない国でした。アメリカ人が底抜けに楽観的な国民だったのは、国力のおかげでした。その時代はもうすでに過去になりつつある気がします。
これから大学に入る世代の子たちは、親の世代ほど楽観的な国民ではなくなるでしょう。
80年代までは、工場で働いていても、スーパーのマネージャーでも、バスの運転手でも、まじめに一生懸命働いていれば郊外に(場所にもよるけど)広い家が買えて、ガレージに車を2台持ち、新しい電化製品をそろえて、年に1度家族で遠くに旅行に行くような生活が手に入ったとのこと。でもそんな中流階級のライフスタイルを手に入れるのが、実際問題、難しくなってきた。
90年代後半から、あれよあれよという間にグローバリゼーションが進み、精緻をこらした金融装置が寡黙に働き続けている結果、国内の貧富の差がますます加速度的にひらき、真ん中の層が、波に浸食されるワイマナロの砂浜のようにすごい勢いで狭くなりつつある。その速度を、ここへ来て多くの人びとがひしひしと危機感を持つくらいに肌で感じられるようになって来たのだと思います。
オバマ大統領が当選したときにも、これって一種の革命と言えるのかも、と、ほんのり思ったのですが、あれから3年、期待したほどの「チェンジ」は期待したほどのスピードで実現せず、景気は回復せず、大統領は孤立し、中東も不安定なまま戦争も完全に終わらせることが出来ず、健康保険改革だっていまだに進まない上に、失業率と学費だけがどんどん上昇している今。デモ参加者の多くは2008年の選挙のときに熱狂的にオバマを支持した層だと思いますが、今は怒りをウォール街と、富の偏在を加速させている金融システムに向けている、向けるしかない、のでしょう。
次の大統領が誰であっても、国内景気が停滞したまま格差拡大が加速し続けるなら、今回のデモどころではない過激な運動が起こり始めるのじゃないかという気がします。カイバラ先生の言った「革命」が熟成する材料が、徐々にそろいつつあるのかもしれません。既得権をひっくり返すのは相手が金持ちであればあるだけ、相当のことがなければ無理。ロベスピエールみたいな人が出て来ても東電の幹部や金融機関のボスの首をちょん切ってしまえる時代ではないけれど、世間の怒りがある沸点を超えて溜まって来たら、何か象徴的な事件が起こり始めるかもしれません。いったいどんな混乱が始まり、どんな血が流れるのか、何かほんとうに、この電子化された世界経済に対して有効な変更を加えることの出来る可能性はあるのか、固唾をのんで見守るしかありません。
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2011/10/23
きのこの季節
街角のあちこちにかぼちゃのオレンジ色がともる頃。今年もキノコの季節がやって来ました。
これは Chanterelle(シャンテレール)きのこ。日本名はアンズタケ。
地元スーパーでも、「ノースウェスト産、wild (野生)」がポンド8ドル近くで手に入ります。肉厚で、ソテーやリゾットにするとおいしいです。
この辺のスーパーではしめじやシイタケも通年手に入るのだけど、ノースウェストの山で採れる野生のきのこが出回る秋には、いろいろ試してみたくなります。
でも今年はきのこ的には「ハズレ年」らしいのです。
例年、カスケード山脈のあたりの秘密の場所にきのこ狩りに行く人によると、去年は松茸が山ほど採れて佃煮にしたくらいだったのに、今年は松茸、1本しかなかったとか……。
そういえば、去年の今頃はスーパーでも地元産松茸が山盛りになってたのに、今年はまだ全然見かけていません。
庭にはこんな立派なキノコが生えてるんですけど……。いかにも食べられそうな外見。肉厚で、おいしそうじゃないですか? 大きさは小さめのポートベロくらい。
みんなに制止されたので、ソテーにしてみるのはやめましたが。
こちらも庭のキノコたち。こちらはひょろっとしてエノキっぽいですね。食べてませんよー。
そういえば、先日Trader Joe's のチラシを読んでて初めて知ったのですが、アメリカのスーパーで一番普通に売ってる Cremini (「クレミニ」?かな。単にブラウンマッシュルームとも言いますね)とPortobello(ポートベロ)って、同じ種類なんですってね! ブラウンマッシュルームが育って巨大化したのがポートベロなんだとか。知りませんでした。
2011/10/18
ひらめビル ボンマルシェ
ダウンタウンの真ん中にあるMacy's のビルディング。 バスの窓からふと見ると、そこにはひらめが。
シアトルのビルは、せいうちとか平目とか、海の幸(?)が多いようです。
たつのおとしごもいるのです。竜宮城? そのまわりを取り巻いているのは、ぜんまいのようにしか見えないのですが…? 建築家を問いただしてみたい気持ちでいっぱいです。
このビルヂングは1929年建築。
もとは「Bon Marche(ボン・マルシェ)」というデパートの旗艦店で、19世紀末に創業して、いろいろな会社に合併されつつ、わりあい最近(2005年)にMacy's に完全に衣替えするまで、「ボン・マルシェ」というのれんを守ってきたのだそうです。
地元では「ボン」と呼ばれていたとか。
「今日はボンに買い物に行くよ」「わーい」
て、なんだかほのぼのする名前ですね。
いまでも、オリジナルの「ボン・マルシェ」の文字が壁に残されているのが、平目の後ろに見えます。
2011/10/16
紅葉第一弾
先週くらいから、いきなりキューッと寒くなったシアトルです。朝晩は10度C近くまで下がります。すっかりマフラーの季節。
と思ったらもう10月も半ばなんですものね。
葉っぱの色も変わるわけです。
スカーフが好きなので、空気がぴりっとして来るこの季節は嬉しいです。まだ外を歩いても寒すぎないし。
せっかく良い季節、この週末も午後はお天気続きだったのに、仕事が立て込んでいて、なかなか写真を撮りに出かける時間もありません(涙。
ノースカスケイドの紅葉も見たかったなあ(遠い目)。来年に期待です。
これは近所で先週、通りすがりに車を停めてあわただしく撮ったもの。今日通ったら、もう半分くらい散ってました。めまぐるしい…。
この木はよく見かけるのだけど、名前がわかりません。ハート型の葉がかわいらしい。一番早く紅葉する木です。
玄関先にオレンジ色のかぼちゃが並び、庭には魔女や骸骨やクモの巣が登場しはじめました。もうすぐハロウィーン。
と思ったらもう10月も半ばなんですものね。
葉っぱの色も変わるわけです。
スカーフが好きなので、空気がぴりっとして来るこの季節は嬉しいです。まだ外を歩いても寒すぎないし。
せっかく良い季節、この週末も午後はお天気続きだったのに、仕事が立て込んでいて、なかなか写真を撮りに出かける時間もありません(涙。
ノースカスケイドの紅葉も見たかったなあ(遠い目)。来年に期待です。
これは近所で先週、通りすがりに車を停めてあわただしく撮ったもの。今日通ったら、もう半分くらい散ってました。めまぐるしい…。
この木はよく見かけるのだけど、名前がわかりません。ハート型の葉がかわいらしい。一番早く紅葉する木です。
玄関先にオレンジ色のかぼちゃが並び、庭には魔女や骸骨やクモの巣が登場しはじめました。もうすぐハロウィーン。
2011/10/11
ボルシチランチと巨大ピロシキ
「せいうちホテル」Arctic Building の、3rdアベニューに面した1階に、ピロシキやさん「Piroshki On 3rd」があります。
アラスカと極北のテーマでテナントを募集して、ビルを北のイメージでまとめてみた…。というわけでもないのだろうけど、ちゃんとしたボルシチとピロシキが気軽に食べられる、カフェテリア&ベーカリーです。
働いてるのは、みんなロシアだか東欧だか、北の国っぽいヘビーなアクセントのある女性ばっかりで、顔がいかめしくって、みんなちょっと怖いw アメリカ風の愛想はあんまりないけど、それが多分、お国柄というか、その地方のデフォルトなんでしょう。(追記:聞いてみたら、ロシアでした)
Borscht、ボルシチは(お店のおばちゃんは「ボーシュ」と発音してました)お豆や細かく刻んだ根菜がたっぷりで、優しいおいしさです。これからの冷たい雨の降る季節にはぴったり。
夏の間は、蛍光ピンク色の冷たいボルシチ(ちゃんと別の名前があるのだけど、忘れてしまいました)もありました。この間、9月も末になってから「冷たいのはもうないの?」と聞いたら、窓の外を指差して「No more sun, no more cold soup!」と言ってました。無念。
ボルシチの(小)と小さいパンのセットで、6ドルくらい。
ピロシキはずっしり重量感があって、ボルシチとコンビではランチにはトゥーマッチでした。ピロシキ1個で、充分軽めの1食分になるボリュームです。
ピロシキのメニューはこんな。ポテトや肉の入ったものや、マッシュルームや野菜入りなど、バラエティ豊富です。これ↑は、スモークサーモンとクリームチーズの。 パン生地もおいしいし、形もかわいいのです。 前もって注文すると、一口サイズのピロシキ12個、15ドルというチョイスもあるとのこと。
このほか、東欧風ロールケーキなどのお菓子もあります。
Piroshki on 3rd
710 3rd Avenue Seattle, WA
月曜~金曜:朝6時半~午後6時
土曜:午前8時~午後2時
今通ってるオフィスのすぐ近くなので、帰りに前を通ると、ついふらっと寄ってしまいます。ここのピロシキ、ごはんの前のおやつにするにはちょっと重量級すぎるのですが。
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2011/10/06
せいうちホテルとアラスカン・ドリーム
パイオニア・スクエアからチェリー通りを上って行くと、3rdアベニューと4th アベニューの真ん中の坂の途中に、せいうちホテルがあります。
遠くから見ると、白いテラコッタの外壁にブルーとサーモンピンクをあしらった、ケーキのような瀟洒なビルディング。
でも、近くに寄ってみると、外壁にはずらりとセイウチが。
正式名称は、Arctic Building(アークティック・ビルディング)。今はヒルトンのDouble Tree系列のホテルになってます。
なぜこんな思い切ったデザインなのかというと、このビルはもともと、Arctic Club という、アラスカのゴールドラッシュで一山当ててシアトルに帰って来たラッキーな人々のクラブハウスとして建てられた建物だったからなのでした。
19世紀末のゴールドラッシュでは、世界中からアラスカの奥地へ、1年間でなんと10万人もの人が殺到したのだそうです。
シアトルはその時、アラスカへの玄関口となって、金を掘りに行く人たちのための装備(山あり急流ありのものすごい悪路だったため大変な装備が必要で、カナダ政府が一年分の食糧を用意して行くことを義務付けたという噂がさらに需要を加速させた)を商うビジネスが急成長して、シアトルの成長にも貢献したのだとか。
アラスカに金探しに行った10万人のうち7万人がシアトルを通って行ったのだから、当時としては大変な経済効果だったんでしょう。
1890年のシアトルの人口は4万2000人だったのが、10年後には倍の8万人になってたそうです。
この後ろに写ってる煉瓦のビルの壁にも、「The Alaska Building」と書かれています。
パイクプレイスの市場がある港沿いの通りも「Alaskan Way(アラスカン・ウェイ)」て名前で、最初にシアトルに遊びに来たとき、へえこの道がアラスカまでつながっているのねー、と感心しただけど、そうじゃなくて、アラスカへ海路で行く人びとを送り出す道だったのだった。
19世紀末から20世紀の初頭にかけて建てられたシアトルのビルには、アラスカの面影が漂うものが多い。スミス・タワーの内装にも、アラスカの大理石が使われてました。
せいうちホテルの中にはまだ入ったことがないのですが、Polar Barというクラシックなバーと、Juno というモダンなレストランが入っていて、アラスカンドリームを受け継いでます。せいうちホテルの極北バーには、ちょっと行ってみたい。
ゴールドラッシュの当時の写真や当時のようすを再現した資料などは、パイオニア・スクエアのKlondike Gold Rush Seattle Unit に展示されてます。ここは、ビルの中にあるけど国立公園という不思議な施設で、入場は無料。
アラスカにも片割れのユニットがあるそうです。
金探しに行った10万人のうち、実際に現場に辿りついたのは3万人か4万人で、その中で金を実際に見つけて富を得たのは、数百人だったそう。
ある説によると、金探しの人々がアラスカで見つけて持って帰った黄金の総額と、アラスカに行くために人びとが使った金額はほぼ同額だったとか。
そのアラスカンドリームがシアトルの町の基盤のひとつになって、町のあちこちに今でもひっそり埋め込まれているんですね。
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