10何年も前のことですが、ハワイで最初に取ったカレッジの授業が「マクロ経済101」でした。
講師はたしかカイバラ先生という日系の人で、余談が面白かったのですが、その余談の中で、アメリカの貧富の差はほかの先進諸国と比べてもきわめて大きく、年々急速に拡大しているけれども、「アメリカで革命が起きないのは人々が自分の生活レベルにおおむね満足しているからだ」と言っていたのが、とても印象的でした。
「Occupy Wall Street」に始まったデモはシアトルにも飛び火していて、ダウンタウンの数カ所に陣取った集会は恒久的な構えになりつつあるようです。数日前にウェストレイクの広場前を通ったときは、ぱらぱらとプラカードを持った人がいて、地面に円座を作ってるグループがあって、マラソンの救護所みたいな感じのテントがあって、所在なさそうに警官が3名くらい遠くから見てるだけでした。燃えてる感はなしでした。
「先進国に生まれたという既得権益を守るためのデモ」という言い方をしている方もいて、なるほどーと思ったのですが、国境の外と比べてどうかと考えている余裕は、今のアメリカ人にはありません。
カイバラ先生が言ってたように、20世紀後半のアメリカ社会はどの階層にもそれなりに豊かさがいきわたり、先はもっと良くなるということを誰もが信じて疑わない国でした。アメリカ人が底抜けに楽観的な国民だったのは、国力のおかげでした。その時代はもうすでに過去になりつつある気がします。
これから大学に入る世代の子たちは、親の世代ほど楽観的な国民ではなくなるでしょう。
80年代までは、工場で働いていても、スーパーのマネージャーでも、バスの運転手でも、まじめに一生懸命働いていれば郊外に(場所にもよるけど)広い家が買えて、ガレージに車を2台持ち、新しい電化製品をそろえて、年に1度家族で遠くに旅行に行くような生活が手に入ったとのこと。でもそんな中流階級のライフスタイルを手に入れるのが、実際問題、難しくなってきた。
90年代後半から、あれよあれよという間にグローバリゼーションが進み、精緻をこらした金融装置が寡黙に働き続けている結果、国内の貧富の差がますます加速度的にひらき、真ん中の層が、波に浸食されるワイマナロの砂浜のようにすごい勢いで狭くなりつつある。その速度を、ここへ来て多くの人びとがひしひしと危機感を持つくらいに肌で感じられるようになって来たのだと思います。
オバマ大統領が当選したときにも、これって一種の革命と言えるのかも、と、ほんのり思ったのですが、あれから3年、期待したほどの「チェンジ」は期待したほどのスピードで実現せず、景気は回復せず、大統領は孤立し、中東も不安定なまま戦争も完全に終わらせることが出来ず、健康保険改革だっていまだに進まない上に、失業率と学費だけがどんどん上昇している今。デモ参加者の多くは2008年の選挙のときに熱狂的にオバマを支持した層だと思いますが、今は怒りをウォール街と、富の偏在を加速させている金融システムに向けている、向けるしかない、のでしょう。
次の大統領が誰であっても、国内景気が停滞したまま格差拡大が加速し続けるなら、今回のデモどころではない過激な運動が起こり始めるのじゃないかという気がします。カイバラ先生の言った「革命」が熟成する材料が、徐々にそろいつつあるのかもしれません。既得権をひっくり返すのは相手が金持ちであればあるだけ、相当のことがなければ無理。ロベスピエールみたいな人が出て来ても東電の幹部や金融機関のボスの首をちょん切ってしまえる時代ではないけれど、世間の怒りがある沸点を超えて溜まって来たら、何か象徴的な事件が起こり始めるかもしれません。いったいどんな混乱が始まり、どんな血が流れるのか、何かほんとうに、この電子化された世界経済に対して有効な変更を加えることの出来る可能性はあるのか、固唾をのんで見守るしかありません。
お帰りにはこちらにも↓クリックいただけたら嬉しいです。