2019/05/10

聖人と女奴隷 <フィレンツェ思い出し日記 その10>


ウフィツィ美術館の窓から見える景色。すぐ横を流れるアルノ川。
これだけぎゅうぎゅうに混み合っていても美しい建物群のありかたというのがあるんですね。同じコード、同じトーンで統一されていること。
日本の街並みの混乱ぶりは、そのまま戦後の美意識のカオスとバイタリティのあらわれでもあるんだなあ、としみじみ思ったりして。こういうのと比べてみるとよく分かる。



ギャラリーの窓から見える夕暮れのヴェッキオ橋。


それを眺めている人。
最初、これ生身の人間のパフォーマンスかと思ってぎょっとしました。

ローマ時代の大理石の彫像が並ぶ展示室の隅、窓の前にぽっと置かれているモダンアート。

英国のアーティスト、アントニー・ゴームリーさんの作品でした。
展示室には説明もなにもなし(見つけられなかった。フィレンツェの美術館は、日本やアメリカに比べて解説の量が少ない気がします)。

ウフィツィ美術館のサイトを探してようやく、ゴームリーさんの展示の解説ページを見つけた(こちら、英語)。今年の2月から5月末までの展示だそうです。


夕陽が差し込むと彫像もさらにドラマチックに見える。


 ゴームリーさんの作品がもうひとつ、ドゥオーモが見えるテラスに立っていた。



こちらはフランドル、現在のベルギーの画家、フーゴー・ファン・デル・グースさんの「ポルティナーリの三連祭壇画」。
全体はこんなです。


これもインパクト強かった。
ボッティチェリさんが「プリマヴェーラ」を描いていたのと同時代、1476〜78年頃の制作。
メディチ銀行のブルージェ支店を取り仕切っていたポルティナーリさんの依頼で制作されたもので、両翼(観音開きで、パタンと閉じるようになっている)にはポルティナーリさんと妻と3人の子どもたちがひざまづいている姿が描かれてます。

「当初はポルティナーリ家の建てたフィレンツェのSanta Maria Nuova病院付属の教会に飾られていた。1483年にフィレンツェに主に海路で運ばれた」と美術館の解説にありました。

メディチ銀行、すごいですね。ほんとに世界を制覇する勢いで、ベルギーにも支店があったんですねー。
このころのフランドル地方。ヒエロニムス・ボスさんも活躍してた頃ですよね。面白そう。どんな世界だったのか。

フランドルの画家の絵、やっぱりフィレンツェの絵画とは全然雰囲気が違う。技法的なことより先に、空が暗くて人の顔が青白いww

もう一回出しちゃいますけど、この女の子はその銀行家ポルティナーリさんの長女らしい。


すっごく気になるのはこの後ろで口開けている存在!きみ何者?!

これについてはどこにも何も解説がなかった。
後ろの二人の女性は聖マルガリタとマグダラのマリア、とあります。

聖マルガリタは伝説の殉教者で、竜の形に化けた悪魔にのみ込まれたけれど持っていた十字架が刺さって竜の腹が裂け、中からなにごともなく生還したという伝説によって安産の守護聖人になっているそうな。(byウィキペディア)
で、この銀行家の長女ちゃんはマルガリタちゃんという名前なのらしい。それで聖マルガリタ。


 ウィキの聖マルガリタ。

なのでたぶん、聖マルガリタが腹を破って出てきたところのドラゴンなんでしょう。
聖人伝説って、すごく奥が深いし幅広い世界ですね。


でもこの絵で一番気になるのは、なぜこの生まれたばかりの幼子イエスが地面にころりと放り出されているのかということです。

 天使たち「こんなところに赤子が!」「ムキダシで!」「地面に!飼い葉桶でもなく!」

誰か毛布かなにかかけてあげて今すぐ! て思いますけど、これには象徴的な理由があるんでしょうか。

羊飼いたちが生まれたばかりの幼子イエスを拝みにきたところを描いている絵なのですが、なぞなぞのように情報量が多いです。


ロッソ・フィオレンティーノさんの「奏楽天使」。1521年。
この人もマニエリスムの画家に入るそうです。

この天使の絵、絵葉書を持っていて、ずーっと栞に使っていたので、ここで再会できてちょっとびっくりでした。



ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」。1538年。
マーク・トウェインが「全世界に存在する絵画の中で、最も下品で下劣でわいせつな絵画である」と言った、そうですが。トウェインはフェミニストだったんだなあ。19世紀にそこまで言うってすごいわ。

これもさんざん、美術史や社会学の講座でも、19世紀のマネがこれを下敷きに描いた「オランピア」と比較したりしてウェブや印刷物で見ていましたが、ああやっぱり本物は美しい。

優雅に完成されている世界。
女子をマイルドな奴隷または付属物とみなしている世界観を手ばなしで肯定するものとして、イライラするほど完成されている。

もっと下品で下劣でわいせつな絵画は、19世紀のアングルとかあのへんの最後の古典派のトルコ風呂とかを描いたやつらです。あのへんにくらべたら16世紀のティツィアーノはまだ上品だし優雅。

そう感じるのは、たぶん16世紀は時代があまりに遠いせいもある。19世紀の西欧の支配階級が持っていた傲慢さがひどすぎるせいかもしれないし、19世紀の古典派女奴隷絵画にはどこかに不自然な、不誠実さを意識の底で自覚している退廃的な後ろめたさをほのかに感じるせいかもしれない。

16世紀には、奴隷が一生奴隷でいるのは「神のさだめ給うた運命」であると誰もが納得していた。
19世紀にはそうではなかった。奴隷制はもう駄目でしょ、という意識が主権をとりはじめるなかで、 いやいやそれは社会の安定のためにうんたら、と既得権にしがみつく階級があった。そして帝国主義があり。

ヴィーナスも聖母も、男性優位のきっちりした階級社会で崇められてきた定型的な女性性であって、ボッティチェリさんが描いたように、コインの裏表のようなものですよね。



時間がなくって、カラヴァッジョのあたりはもうほとんど観られませんでした。

そうそう、これだけ大きな建物なのにトイレが2箇所だけで、地下の奥のほうにしかなくて、閉館30分前には閉まってしまいますのでお気をつけください。でもさすがにここはリッカルディ宮殿御不浄とは違い、普通の「洋式」でした。

本当にいつかまた、生きてる間にもう一度行きたい、ウフィツィ美術館。

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2019/05/09

聖母と春とビーナス、受胎告知、怖い聖壇画 <フィレンツェ思い出し日記 その9>



もう2ヶ月前のことになってしまったフィレンツェ日記。
ずんずん続けます。
写真を見るたびになんと美しい街であることか、と思う。ヨーロッパすげえ。

2日目の午後に行ったのはウフィツィ美術館。

フィレンツェのメインイベントだったのだけど、時間が足りなかったー。

フィレンツェカードを持っていたので美術館にはあまり並ばずに入れたのですが、ケイタイが死んでしまい、美術館に入ってから遅れてやってきた息子たちを待ちつつ、ジェニファーちゃんと並んで入り口のあたりで充電するという無駄な時間を費やしてしまった。

スマートフォンのポータブル充電器と、欧州のコンセント用のアダプターというものを持っていかなかったのは大失敗でした(アダプターは息子に借りた)。
街歩きには充電器が絶対必要ですね。

ウフィツィ美術館素晴らしすぎた。
充電終わって見始めたのが午後遅くなっていて、3時間くらいしかなく、もーぜっんぜん足りませんでした。
休憩時間も入れて5時間か6時間くらいほしかった。わたくし、作品を見るのにすごく時間がかかるので。


シモーネ・マルティーニの「受胎告知」。ゴシック後期、1333年の作品。
中世の平面的な人物にくらべると、確かに手や表情に自然な丸みがありますね。

「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられる。……マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名づけなさい」(ルカによる福音書、新共同訳)

 …と、大天使ガブリエルに告げられた瞬間のマリア。

しかし!
こんなにあからさまに嫌そうな顔をしている受胎告知のマリアははじめて見ました!!

今まで見たことのある受胎告知の絵では、うら若きマリア様はびっくりしたり、天使に向かってつつましくお辞儀をしているのでしたが。

嫁入り前の娘がいきなり「あなたは身ごもって男の子を生む」とか、突然現れた天使に言われても、「なんでわたしが。ていうかあなた誰」ってなるよね、そりゃそうだ、と思わずにいられない。このものすごーく嫌そうな憂いの表情に共感しますね。

しかもこの天使の言葉「おめでとう、恵まれた方」がレーザー光線のようにマリアを直撃しています。逃げる場所なし。避けようとして体をよじっているマリア様。

ゴシック後期の人物描写。「切り絵」みたいにカクカクした中世の絵画様式の範疇にはいるものの、この表情は意外にリアリスティックな描写というべきではないのだろうか。

 全体図はこちら(ウィキのパブリックドメインより)。

金ピカの画面に、衣服のディテールなどがとても美しいです。
もとはシエナの教会の祭壇に飾られていたもの。


こちらはボッティチェリの師、フィリッポ・リッピの聖母像。1465年。
本当に透明感のある綺麗なマドンナです。

しかし、聖母子が全く目をあわせずそれぞれの世界に没入していて、天使にかつがれている幼子イエスの目が宙をさまよっているのはなぜなんでしょうか。天使はどちらかというと小悪魔的な表情です。



ウフィツィ美術館内で一番人がかたまっているのは、もちろんこのボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」と「ヴィーナスの誕生」の絵の前。

ボッティチェリさんもメディチ家の多大なバックアップを受けた芸術家で、Netflixの『メディチ』シーズン2ではメディチの貴公子たちの親友という役割で描かれてました。

あのボッティチェリさんはちょっとどうかと思うけどなー。ていうかメディチ君たちもねー…。


この『プリマヴェーラ』も『ヴィーナスの誕生』も、小学校以来何度も何度も何度も印刷物で眺めてきたのですが、正直そんなに期待していなかったし、それこそ無数のパロディも含めていろんな媒体で見すぎていたためか、通俗的でキッチュな感じのする変な絵だと思っていたのです。

でも実際に実物の前に立ってみると、その途方もない美しさに圧倒されてしまいました。

1980年代に修復されて、それまで黒ずんでいた画面の下に隠れていた精密な植物が現れてきて、学者が調べてみたら、フィレンツェ近郊に自生する花が190種類も確認されたそうです。


細部まで繊細。

やっぱりつくづく変な絵ではあるのだけど、ものすごく惹きつけるオーラがあります。

ボッティチェリって死後はほとんど忘れられていて、19世紀にラファエル前派のロマンチストさんたちに発見されてまた脚光を浴びたのだそうです。



それまでの英国ロイヤルアカデミーの権威ある伝統にのっとった画法に飽き足らず、「自然の忠実な再現」と「崇高な精神性」を求めた、ラファエル前派の人たち。
暗いイギリスのラファエル前派の画家たちは、イタリアルネサンス初期の画家たちの作品にある「純粋で素朴な精神」に、強い啓示のようなものを受けたらしい。

おなじように既存の権威とされる絵画手法に反旗をひるがえしたフランスの印象派とは違って、ラファエル前派ってなんかこうやたら理屈っぽくて、大げさで大上段に構えたところがある(そのわりに中身は意外にシンプルな神秘主義って気がする)と感じるのですが、それって、当時のイギリス社会の縛りの反映なんだろうなと思う。

ボッティチェリをフィレンツェで観て最初に評価したラファエル前派初期の一人が、耽美主義の画家といわれるバーン=ジョーンズさんだったそうです。なんかわかる気がする!

バーン=ジョーンズさんの描いた天使。

「ヴィーナスの誕生」。
うん、キッチュ。でもほんとうに美しい。
19世紀の真面目なイギリス人がここに「純粋で素朴な精神」を見て憧れたって、わかる気がする。

それってかなりの部分、気候のせいでもあると思うのだけど。


ディテールがすべて美味しい。ずっと眺めていたくなる。
実際、3回もこの絵の前に戻ってきちゃいました。
自分がこんなにヴィーナス好きなんて思ってもみなかったw


こちらもボッティチェリ、『書斎の聖アウグスティヌス』。1490−95年頃。
書き損じを散らかしているアウグスティヌスさん。


こちらもボッティチェリさんです。いろんな時代の聖人や天使に囲まれている聖母子像。

前列左から聖カタリナ(3世紀末に殉教した聖人)、聖アウグスティヌス(4世紀の教父)、 聖ベルナルド(12世紀の聖人らしい)。
右の3人は左から、洗礼者ヨハネ、聖イグナチオ(ローマで迫害され西暦107年にライオンの餌食になって殉教した聖人)、そして黒いカッコいい鎧に身を固めた大天使ミカエル。

後ろの段には天使たちが集まって、両脇の天使は、将来キリストが磔になるときに被らされる茨の王冠と、十字架にうちつけられる釘を幼子イエスの前に見せてます。ひどい。

聖母マリアは美しいけれども放心したような表情。これが聖母らしい美の表現なのかな。
頭上には貝の形が逆さになっていて、聖母マリアの首のかしげ方といい、「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスを思わせます。

もとはフィレンツェの教会に飾られていたそうです。



前の段の人たちも、殉教者が多いだけにみんな憂いのある表情です。

この絵が描かれたのは1488年頃。
過激な修道僧サヴォナローラがこの8年後にフィレンツェの政治顧問になり、不道徳な絵画や虚飾とされる装飾品や衣服が広場で焼かれるというような時代がやってくるのです。

そのサヴォナローラも、ローマ教皇にたてついたために破門され、逮捕されて拷問のうえやはり広場で火刑に処されるという末路をたどる。
激しいです。ていうかほんとうにあからさまに暴力が内包されていた教会の信仰システムであることよ、と改めて思わされる。



憂いある人々の中でも目を惹きつけられたのは洗礼者ヨハネ。
いったいこの表情はなんだ。

この3人の、まったく噛み合っていない視線。
どの視線の先にも、この世のものがあるようにはみえない。

それぞれが「死」を見ているのだろうと思います。

この絵の額縁の外側に小さなコマ割りの一連の絵があって、それもボッティチェリの作かどうかわかりませんが、そのうちのひとつがこれ↓。


これはたぶん、母にいわれて洗礼者ヨハネの首を所望したサロメちゃん。
「お母様、 ヨハネの首をもってまいりましたわよ」。


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2019/05/07

慈悲のマドンナ、トスカナの黄瀬戸風 <フィレンツェ思い出し日記 その8>


バルジェッロ美術館の残り半分には、中世やルネサンス期の彫金や焼き物などもいろいろありました。


ホグワーツ魔法魔術学校っぽい感じの天井。アーチが綺麗ですねえー。


ちょっと心うたれた15世紀の木彫。
作家名はなくて、Umbrian Art とだけ説明がありました。
15世紀に「ウンブリア派」っていう派があったんですね。
ウンブリアはフィレンツェよりもすこし南の地方。
今回行くチャンスはありませんでしたが、シアトルに素敵なCafe Unbriaというイタリアンファミリー経営のカフェがあるので、ちょっと馴染み深い地名。

Madonna of Mercy と名づけられてます。「慈悲のマドンナ」。


ケープの中に、王様から聖職者から尼僧からふつうの庶民らしい人たちまで、大勢を庇護しています。
奥のほう、群衆の頭だけがみえている。ものすごい数の人です。

日本の信仰でいったらお地蔵様的な感じの、衆生まとめて一気にひきうけましょうという慈愛と頼もしさがあふれてる像です。


やきものコーナーにあった変な容れ物。
黄瀬戸にそっくり。
なんなのこの動物は。


警察署&刑務所で刑場だったというこわい建物ですが、とても素敵な見ごたえたっぷりの美術館でございました。


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2019/05/05

バルジェッロ美術館のバッカスやダビデくんたち <フィレンツェ思い出し日記 その7>


リラックマに気を取られていました。フィレンツェ日記に戻ります。
バルジェッロ美術館のつづき。

ミケランジェロとドナテッロの代表作がいくつもある、豪華な展示室です。
警察署だったというけど、天井がめっちゃ高い聖堂のようなホール。
広くはないけど、自然光がいい感じで差し込んでいます。


1497年制作、ミケランジェロの「バッカス」像。
ダビデ像制作に取り掛かる直前、ミケランジェロ20代前半の最初の大きな仕事だったそうです。

品格あるダビデ像とはまったく正反対の、お腹もたるたるのだらしのない姿で、酔いつぶれて視線も定まらないバッカス。


後ろに従えている牧神くんも、完全にベロベロに出来上がっています。
「でへへへへぇ〜」という感じ。

こういうベロベロなモデルは、フィレンツェの富裕な若者たちのなかにいっぱいいたんでしょうねー。
しかし腕の筋肉とか背中とか、本当に美しいです。

「退廃」と「放蕩」をこれほど正確に、しかもある意味魅力的に描いた美術作品は、退廃がもっともっとおおっぴらに礼賛された19世紀にだって、そうそうなかったのではないだろうか。

ちなみにこの像は枢機卿の依頼でミケランジェロがつくったのだけど、出来上がりをみて「いらない」といわれたそうで、銀行家の家に飾られたそうです…。



こちらはミケランジェロよりも約100年前、3世代前くらいの巨匠、ドナテッロさんが作った「ダビデ像」、1440年制作。ミケランジェロの「バッカス」の半世紀前につくられたものですが、なんとなく雰囲気が似てる。

同じ裸像でもミケランジェロの英雄的なダビデ像とは違って、ヘルメットとブーツだけ身につけているところが、まずもってコスプレ感強い。

倒したばかりの巨人ゴリアテの首に足をかけて得意そうに微笑むダビデくんはかなり中性的で、BLマンガにでてきそうなクールな美少年。
すごく都会的な印象です。

BBCのドラマ『メディチ』にも、この像、出てきました。
男色の彫刻家ドナテッロが作った退廃的な像だといって、メディチ家の敵が煽るシーンもあった。


男性のヌード彫刻というのは、そもそも肉体の美しさを賛美するという思想がなかった中世の教会の支配下ではまったくありえないものだったので、このBL美少年ダビデくんは古代ローマ時代以来はじめての男性裸像として、ルネサンス美術を切りひらく存在となったそうです。

このあとに続々とつづく裸像たちのさきがけとなったルネサンス最初期の代表作なんですね。

実際、メディチ家の宮殿の中庭に飾られていたこの像を、メディチ家の庇護と教育を受けていた少年ミケランジェロくんは日々目にしていたのでしょう。


こちらもドナテッロ作のダビデ像。1409年。こちらは着衣です。
裸像のほうはドナテッロさん50代くらいのときの作品ですが、こちらはそれより30年ほどさかのぼり、20代前半のときの作品。このダビデくんは良家のプリンスという感じですね。


このダビデくんととても良く似た印象だけどもっとかっこいいのが、聖ジョージ。


1417年、ドナテッロさん30代の作品。
この人は、美術室の石膏像で顔みたことありました。でも全身像がこんなになっているのは知らなかった。
聖ジョージというより、日本では「ジョルジュ」または「聖ゲオルギウス」像という名前のほうが通りがいいですね。聖ゲオルギオス、というとめっちゃ強そう。
竜退治で有名な聖人です。

たぶんこれから竜を退治するところなのでしょう。

眉を寄せた表情は、石膏像だと単にちょっと困った顔に見えるんだけど、 こうやって下から見上げるとすっごく凛々しくてかっこよかったです。
こんなにイケメンだったのね!


こちらはミケランジェロのブルータス像、1540年制作。
一見すると、より直線的な大づかみの彫像という印象だけれど、表情はとても繊細。


こちらの正面から見た横顔は英雄的だけれども、顔の右半分では少し唇を歪めてワケありげな表情をしているのを、 リック・スティーブズさんは、親友カエサルの暗殺に加担したブルータスの英雄的な面と狡猾な面を微妙に表現しながら、さらにフィレンツェの独裁者だったメディチ家と愛するフィレンツェ共和制に対するミケランジェロ自身の揺れ動く心情を映している、と評してます。ふーん。


こちらはルネサンス時代も後期のジャンボローニャの作品「マーキュリー」。1580年。
ミケランジェロの次の世代でいわゆる「マニエリスム」の作品。

マニエリスムって「自然を凌駕する行動の芸術的手法」とか言われてもさっぱり分からなかったけど、こうやってルネサンス初期から後期までのすごい作品を並べて見せてもらうと、ああなるほどねー、ミケランジェロの世代が古典美を現代(当時の)によみがえらせて完成させてしまったあとで、こういう方向にいかざるをえなかったんだねえ、というのがちょっとわかる気がする。
あまりにも不自然にねじ曲がった姿勢のマーキュリー。



そしてちょっとこれは、足のせ台としてはあんまりなんじゃないかと思うよ。


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