2017/04/11

今年の木蓮


桜が満開になったと思ったら、すぐに雨と大風がきて、今年の桜はあっという間に終わってしまいました。

シアトルは朝晩気温が低いので、雨と風さえ来なければ桜もほかの花も長持ちするのだけど。

木蓮(マグノリア)も、今年は桜よりも少し遅めに咲き始め、そしてやっぱりあっという間に終わり。


近所のおうちの、みごとな木蓮。
この大きな花がこんなにみっしりついているので、大変な迫力。
日本の木蓮は、もっと、ぱら、ぱら、という感じで咲いていた気が。

これも、満開になった次の日の雨でもう茶色くなってしまってました。
花弁が大きくて痛みやすいので、桜よりも見頃の期間は短いのかも。


こちらは今日のワシントン大学構内。
桜が満開だった先週、この木蓮の木の前にインド人の初老のご夫婦が2人でニコニコと立っているのを、大勢の子どもや孫たちがそれぞれのケイタイやカメラで写真を撮ってて、コダックモーメントのコマーシャルみたいでほのぼのでした。

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サーカスの悪い夢 シルク・ドゥ・ソレイユ



シアトル近郊、マイクロソフトの本社がある町レドモンドでやってる、Cirque du Soleil(シルク・ドゥ・ソレイユ、アメリカ人は「サーク・ド・ソレイル」と発音するようです)『LUZIA』をみてきました。

息子の誕生日ウィークでふんぱつしたよ。 ギフトの代わりにサーカスへ連行。
単にお母さんが観たかったのでは、という噂は聞き流してください。


夕空にサーカステントって鉄板でワクワクする。テントの先端からはぴゅうと蒸気も出ている。わけではなくて、たまたまいいあんばいにそこにあった飛行機雲です。

Marymoor Parkという、以前にサッカーの試合でも何度か行った、だだっ広い公園で開催中。
公園のまんなかなの芝生の上に停めるのに、しっかり駐車料金を15ドル取られます!
大勢で行く方はぎゅうぎゅうに乗り合いで行くほうがお得よ。



このエキゾチックなテントの形が素敵。

シルク・ドゥ・ソレイユのプロダクションは、熱のある日のうなされる夢から出てきたように幻想的。

以前にも一度だけ、ホノルルのブレイズデール・アリーナに観に行ったことがあった。
「サルティンバンコ」だったかな?もう詳しい内容は忘れたけど、女声ボーカルがドラマチックでほんとうに綺麗な舞台だった。

今回のも、ハチドリ人間、魚人間、わに人間、蝶人間などが活躍でした。

(以下、多少ネタバレあり。サーカスを見に行ってびっくりしたい人はスルーしてください)




一番最初はハチドリ人間の輪くぐり。平和でアップテンポで明るくてよかった。

メキシコがテーマのこのショウは特別にカラフルで、以前観たショウよりもサーカスらしい、下世話でキッチュな見世物小屋的なカラーが強かった。

ピコ太郎みたいな愛想の良いお兄さんの超絶技巧ジャグリング、レトロな感じのアクロバット、ターザン美青年のエアリエル、ほんものの蜘蛛人間。

そう、この蜘蛛人間は、関節を自分ではずせるのかなんなのか、ヨガマスターでも絶対にありえない、人間昆布巻きみたいなポーズになってしまう。まだ若い男の子なんだけど、毎日こんなことをしていて大丈夫なのかと他人事ながら心配に。

うちの息子はもうどうにもこれがダメだったそうで、トラウマになりそうだったといってました。


最初から3番目くらいのブランコとフープのショウで、輪っかにはいってグルグル回転していたお姉さんが、上から下りてきたブランコのお姉さんと衝突するというアクシデントがあって、お姉さんたちはショウを中断してひっこんでしまった。

ピエロが出て来るまで数分間の居心地悪い沈黙が…。

こういうアクシデントがあったこともあり、なんだか落ち着かなくなって、フィナーレ近くで2つのブランコの間を蝶人間のお姉さんやお兄さんが飛び移るアクロバットは、お尻がチリチリするほど怖かった。

そしてありありと、幼稚園時代にわたしはブランコが死ぬほど怖くて、それを克服するのに大変な時間を要したことを思い出した。
非常にどんくさい子どもだったのです。
アクロバットを見るまで、ブランコ恐怖症のことはきれいさっぱり忘れていた。

いやとても楽しいショウだったんですよ。舞台美術もショーマンシップも一級だった。

でもサーカスってやっぱり怖いや。ここはとんでもないものが出てくる異世界。



テントの中に、シアトル在住Henry画伯の画も飾られていた。

この人の画も、悪い夢からでてきた感じで、よく見ると怖いでしょ。


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2017/04/08

うちの仕事場のSTINKSな朝


うちの仕事場です。

ちなみにデスクは、引っ越したときにCraigslistで探して、50ドルくらいで買ったもの。無垢材の木製でがっちりしていて幅が広いもの、と探してたら、ほんとに理想的なデスクがちょうど見つかった。持ってくるの大変だったけど。お気にいりのワークスペースです。

以前はWindowsマシンをメインに使用していたのだけど、一昨年MacBookProに買い替えました。

Macが使いたいけどWindowsも必要で、写真の整理にはAdobeのLightroomをMacで使ってるのですが、翻訳では Windows上でしか使えないツール(Tradosなど)がどうしても必要。

2台持ちはやむを得ないかな、ブートキャンプを使ってもいちいちリブートするのは面倒だし…と思っていたところ、何度もお仕事をご一緒させていただいた翻訳者のNさんご夫妻から、Mac上でウィンドウズを動かせるParallelsというソフトを教えていただき、それがものすごくサクサク動くのに感動して、即決定。

Parallelsを使うとまるで2台のコンピュータを連結して使ってるように、Windowsで開いていたファイルをMacのデスクトップに落としたり、Macで受け取ったファイルをWindowsのアプリケーションで開いたりが何も考えずに自然にできるんですよー。

これを教えてくださったNさんにはほんとに大感謝。

Tradosは画面がちまちましていて、いくら解像度がいいとはいえ15インチの画面ではやはり狭いので、翻訳作業のときには以前Windowsマシンにつなげていた外付けディスプレイをMacにつなげて使ってます。

(やっぱりMacのディスプレイに慣れてしまうと、この外付け液晶ディスプレイの画面は粗くて字が読みづらいけど)

以前のマシンにはかさばるエルゴノミクス仕様の外付けキーボードをつなげてたけど、今使ってるのはMac用キーボード。これ、見た目は華奢だけど、キーの反応が良いせいなのか、今のところはとくに手首に負担は感じてない。

という環境で一昨年来快適に使っていたのだけど、このあいだ、朝起きて立ち上げようとしたら、前の晩まで普通に活動していたMacBookProちゃんが、突然うごかなくなった。

立ち上げてもDockが出てこない。マウスのカーソルは動くのに、何もクリックできない。
りんごのマークもクリックできないしアプリケーションも何ひとつ開かない。

何度も電源ボタン長押しで強制終了しては立ち上げるのだけど、セーフモードで立ち上げるとマウスがまったく使えなくなる。

サポートのチャットを呼び出し、小一時間あれこれ試す。
サポートの担当者くんに指示されて「nvram reset」とかも試してみたのだけど、まったく効果なし。

とうとうチャットのサポート担当者くんに
Darn! 修理が必要みたいだね。近くのオーソライズドリペアショップとアップルストアとどっちがいい?」と聞かれ、

「えええええ。今日の午後までの仕事があるんですけど!どっちでもいいからなるはやで!」
と頼むと、
It stinks! それはたいへん残念に思うよ!ところで、一番早く予約が取れるのはレドモンドの修理店で木曜日。アップルストアの予約は月曜日…」(このチャットの日は火曜日だった)。

It stinksって…。ちょっとだけ和む。
Darnとかstinksとか、アップルの定形スクリプトに入ってるフレーズなのかな。一覧表になってたりしてね。

しかしまじでstinksな状況で、そんな悠長に待っていられる余裕はないので、わかった、それなら予約なしでアップルストアのウォークインを試してみるよ、どうもありがとう、と悲しくチャットを打ち切り、クロゼットから2年ぶりくらいにWindowsマシンをひっぱり出してきて、ちくしょう昨日6時間かけてやった作業をもう一度やりなおしだ!とセットアップを始めると、今度はネットがつながらない。

うあああああ、わたしは一体何の怒りに触れてしまったのか!まじですか!

もう力尽きたので、息子にプロバイダーのComcastにどうなってるのか電話で聞いといて、と頼んでシャワーを浴びにいくと、「ねえ、滞納になってるってよ」。ええええ。

そういえば、クレジットカードが新しく送られてきてて有効期限が変わってたのをほったらかしにしていたのだった。よく見たら先月も引き落とされてなかった。
それにしたって何の通知も送ってこないでいきなりサービス停止かい! 

支払いも済み、無事ネットはつながった。

息子が学校へ出かけた後、数時間後の締め切りに間に合わせるために集中しなければ、とデスクに向かって、Windowsを立ち上げながら、最後にもう一度Macちゃんをリブートしてみると、ぽん!と、まるで何事もなかったかのように、すべてが正常に働くではありませんか。

頭が???でいっぱいになったものの、とにかく動くなら仕事が先。

とりあえず大急ぎで仕事を片づけ、数時間後、無事納期にまにあわせることができてほっとしたところにまた息子が帰ってきた。

その瞬間、「マウスが接続されました」という表示が画面に。そして、Macちゃんはふたたび無反応に。

おおお!お前か!

犯人は、息子のバックパックに入っていたワイヤレスのマウスだったんでした。
以前にマウスを取り替えっこして使っていたことがあり、このMPBちゃんにも登録されいた。
どういうわけか、そのマウス野郎がわたしのMacちゃんを乗っ取ってクリックしっぱなし状態にしていたため、トラックパッドもわたしの使ってる外付け(Apple純正のでなく他社製の)マウスもクリックできなくしていたらしい。

普段使ってないから、ブルートゥースが何かの拍子にオンになってたことに気づかなかった。

サポートのチャットでも
「ひょっとして外付けマウスつなげてる?ちょっとそっちでクリックしてみて」
といわれたのだけど、自分が使ってる他社製のマウスを一生懸命クリックして
「やっぱりダメですぅー」
と言っていたのだった。

まったく無駄な骨折りに3時間ほどを費やした朝でした。
いったい何のお告げだったのか。
バックアップをしっかり取っておくように、ていうことでしょうか。

外付けHDを新調しよう…。

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2017/04/07

豪邸を飾る風景 Seeing Nature


パイクプレイスマーケットまで行ったので、すぐ近くのSAM(シアトル美術館)へ。

久しぶりに行ったら、1階ロビーの展示がクルマから大木に変わってた!

いま開催中の特別展は、『Seeing Nature』。

これは、マイクロソフト共同創業者、ポール・アレンさんの個人コレクション。17世紀オランダから印象派、モダンアートまでの風景画で、なかなかおもしろかったです。

フットボールチームサッカーチームポップカルチャー美術館映画館も持っていて、シアトルのダウンタウン周辺の開発にも多大な実績と影響力を持つ会社をお持ちのアレンさん。


自宅にも、やっぱりこんな絵画が飾ってあるのね。


ブリューゲル、モネ、セザンヌ、シニャック、エドワード・ホッパー、オキーフ、ホックニー 。


パンフレットに記載のインタビューでアレンさんは、友人に熱心なモダンアートのコレクターがいて、彼の話をきいてはじめて、アート作品って所有できるんだ!と気づいたと言ってます。

「素晴らしい作品を自分の住む空間に飾って、美術館で味わうのと同じ感覚を日常の中に持てるなんて、最初はそんなことが可能だと思わなかった」


いまでは世界で何番目かにお金持ちな人になったアレンさんですが、きわめて普通の人的な感想をのべてらっしゃって面白い。自分はその気になればセザンヌでもピカソでも家に飾れるんだ、て気づくのってどんな感じなのでしょうね。

一番はじめに買ったのはモネの「睡蓮」だそうです。
王道!!やっぱりみんな睡蓮が好きなのねー。

うんうん、わたしも使いみちのないくらいのお金と飾る場所があったら、とりあえず睡蓮を買っちゃうかもしれないね。

「とりあえず睡蓮」て、なんか無難な鮨ネタのようだね。

展示作品のなかでは、ブリューゲル、モネ、ターナー、クリムトの作品がわたしはとくに好きでした。


クリムトの「Birch Forest」。日本の襖絵みたいな、奥行きがあるようなないような森。

雰囲気暗いけど、ただ陰鬱なのではなくて内省的。夕方の森に散歩にいくような。

モネのは、ベネチアの水面を描いた紫の絵と、スモッグのロンドンの橋の絵がすごく素敵だった。

全体のバランスもとてもよくて、展覧会としてもいい感じに楽しめました。
展示数も、お昼を食べたあとに気軽に見るのにちょうどよい感じ。 




現代作品にはゲルハルト・リヒターの静かな風景画と、



その隣にデヴィッド・ホックニーの暴力的なまでにパワフルな「グランドキャニオン」。
マンゴーとドラゴンフルーツのような峡谷。



ポール・アレンさんも特にお気にいりというこの作品。どんなお部屋に飾られているのか、ぜひ伺ってみてみたいものです。

会期は5月23日までです。



こちらは3階の展示、ジェニファー・ウェストという作家さんの作品「Film is Dead」。


 映画用のフィルムに、食品やネイルポリッシュや、身の回りにあるいろんなもので加工をしたのを上映している。
物品としてのフィルムと、映像媒体としてのフィルムを二重に展示。
奇妙に静かで、なんだか落ち着く。


常設展示もかなり変わってた。


巨大ネズミのまわりに並ぶ迫力のある巨大作品は、 ドイツの画家アンゼルム・キーファーさんの。このひと作品は初めてみた。こんどもっとゆっくり観に行こう。

美術館はこのくらいのまばらな混み具合(空き具合)がちょうどいいよねー。



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2017/04/05

パイクプレイスマーケットのカフェ・カンパーニュ


先週木曜日は息子の誕生日だったので、春休みでサンディエゴから帰省中のガールフレンドKちゃんもいっしょに、パイクプレイスマーケットのCafe Campagneにランチに連れてきました。

以前から行ってみたかった。パリのビストロみたい〜。って行ったことないけどな。

平日でもほぼ満席で、予約に10分遅れていったら「あと5分くらいならテーブルとっておけるので、連絡してね」と留守電が入ってた。

息子は白いんげん豆とラム肉の煮込み「カスレ」。使い込んだル・クルーゼのおなべにはいって登場。ほっくほくでうまー。冬の煮込み料理だそうです。

わたしは鴨のコンフィサラダ、 Kちゃんはキッシュ。

やっぱりフランスのお料理はヘビーだ。量は一見そんなになさそうだけど、サラダもずっしり。3人とも食べきれず、お持ち帰りました。

写真はデザートにみんなでつついたクリームブリュレのみ。

度重なる落下事故のすえ、ついに先月、iPhoneの画面が割れてしまい、美しい亀裂が。亀裂はキレイだけどガラスが落ちると危ないのでスコッチテープを貼ってある。ので、なにを撮っているのかもわからないのである。

あたらしいのを注文済みなんだけど、まだ届かない(´・ω・`)。次は、「シャア専用」機!早くこないかなー。


マーケット入り口には騎馬警官がいて、ウマちゃんに触らせてくれた。

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脳がつながる日




『ゴースト・イン・ザ・シェル』観てきたばかりだけど、きのう、テスラのイーロン・マスクが「コンピュータと脳をつなぐ神経系UI技術を開発する新会社」Neuralinkを作ったと認めたそうです。ギズモードの記事はこちら

火星移住と同じでいつ成功するか、ほんとうに成功するかは未知数なプロジェクトではある。あるけど。『ゴースト・イン・ザ・シェル』の世界は、意外にほんとに数十年で来るのかも。

CBSは

ますます階層に敏感になりつつある世界で、ひと握りの人間が人間を超越する能力を手にいれるというのは、誰にとっても、最悪のシナリオではないか。特に、現在よりもさらに格差が進んだ時にその技術が実現すれば、なおさらだ

という論説を載せてます。

技術は可能になれば、誰が禁じても必ず実現するもの。
そんな技術がうっかり実現する前に、社会が格差を是正する方向にシフトしなければ、という論旨。もちろんだ!

イーロン・マスクがほかで言ってるような「ベーシック・インカム」だけでは、格差の是正にはつながらない。それだって、導入が実現するには、1930年代の大恐慌なみの社会的な災厄が起こらないと、きっと無理なんだろうなー。

あーやだやだ。
若者よ頑張ってくれ。
おばちゃんに出来ることは、今のところなにもないな!

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2017/04/04

ゴースト・イン・ザ・シェル!


『Ghost in the Shell(ゴースト・イン・ザ・シェル)』みてきました。

予告編を何度か観て、こりゃダメかも〜。うーん。でも観ないわけにはいかん、と思いつつ劇場に行ったんだけど、予想以上によかったです

士郎正宗さんの原作コミックは、わたくし、崇拝しているのですが、情報量が多すぎて何度読み直しても完全に理解できない。

原作とも押井守監督のアニメ版映画とも全然別ものだけど、これはこれで了解いたしました。ふつうにいいと思う。

「草薙素子少佐」じゃなくて「レイチェル少佐」のスカーレット・ヨハンソンは本当によかった。
内省的な目ぢからがすごくて、アンドロイドっていわれれば、まあそうかも、と思えるような存在感。

義体(人工の肢体)を開発する科学者役のジュリエット・ビノシュも大好きな女優さんの一人。このひとが画面にいるだけで映画の格が上がるかんじ。


一人だけなぜか日本語を喋る荒巻部長役のたけしも。原作の部長のキャラとは全然違うのだけど、妖怪的な不気味な存在感があってこれはこれでよかったです。なんかでもヤクザっぽいな。

バトーさんはもうちょっと凶悪そうなほうが良かったなー。ちょっといい奴っぽすぎる。

そして、トグサ役が中国人(香港人かな)俳優というのは、少佐がスカーレット・ヨハンソンというよりもむしろ残念な気がする。俳優さん自体はとってもトグサらしくてよかったんだけど。

あと、フチコマが出てこなかったのがなんといっても残念でした。
フチコマまたはタチコマは、ネットワークにつながっていてうっすらと自我のようなものを持っているという設定の人工知能搭載の多機能のりものです。たしかに、フチコマちゃんを出すとお金かかりそうだし話がややこしくなるわね。

(以下マイルドにねたバレ)

原作の舞台は第4時大戦後、核戦争で東京が消滅した数十年後の日本の「ニューポートシティ」だけど、冒頭に画面に字幕で出てきた説明をちゃんと読まなかったこともあり、映画の舞台はどこなんだかよくわからない。日本にしては国際化しすぎていて、もはや東アジアの大陸に溶解してしまった日本国家の都市という感じ。もしかしたら韓国と北朝鮮と香港とマカオと台湾と日本で合併したのかもしれない。

たけしが一人で日本語で喋ってはいるけど、ほかの登場人物は英語。

日本語、韓国語、中国語の看板が入り混じり、キッチュな巨大人物や鯉のホログラフ映像がビルの谷間にびっしり立て込んでる景色は、なかなか見ごたえありました。

とにかくビルが多くて垂直にせせこましい混沌としたアジア都市は、どうみても近未来香港。

香港チックな漢字の看板いっぱいのゴミゴミした都市は押井守監督のアニメ版をそのまま実写化したかんじだけど、『ブレードランナー』の衝撃的なディストピアのアジア都市の延長線上にあって、ビジュアルでびっくりするようなところはあまりなかった。むしろクリシェな感じ。90年代的な近未来解釈。(ゲイシャロボットも、90年代的なセンスだなと思う)


義体を作っているのは、国家以上の権力がありそうな企業「HANKA」。この企業のロゴとか、ちらっと映る社屋とかもなんとなく90年代ふうであんまりウルトラオシャレじゃなくて、少し残念でした。これも香港風というべきなのか。

たけしが「首相と話してきた」っていう場面が2回あったけど、どんな首相のいるどんな国家体制になってるのかは謎。HANKAの白人男性社長は政府と癒着しているらしいけど、敵としてはうすっぺらすぎて怖さがない。

ハリウッドから見ると、結局中国も日本も韓国もひとまとめにアジアなのねというのが良くわかる。ていうかね、たけしの存在でかろうじて日本の原作に敬意を表してはいるけど、完全に舞台は中国に取られてしまっている感。

きっとコアな日本のファンには、もうそこだけできっと拒否反応のひとがいるのだろうな。
でもね、「俺たちの少佐をかえせー」と言ってももう無駄だと思うだよ。 

DreamWorksなどに続いて、映画の冒頭に制作会社&配給会社のクレジットが何社も続くのだけど、最後の2社は中国のだった。ネットでちょっと調べても出てこなかったので何をした会社かわからないけど。

とにかく制作現場でのパートナーとしても、市場としても、ハリウッドが必死で見てるのは中国なんだな、もう日本は、映画でのたけしの存在が象徴するように、もっともバイタルな存在ではなくなって、シンボル的なものになってきたのかもしれない、とふと実感しました。

ヲタクのひとたちが微妙に右傾化しているらしいのは、世界が、そしてこの東アジアの一画が、もう取り返しのつかないほどグローバル化してしまったことの証明なのだな、と、映画とはまったく直接関係ないけどそんなことを思ったりもした。

グローバル化っていうのは「フラット化」なりと主張してたのはトーマス・フリードマンさんだけど、実際にはグローバル経済はこの映画のニューポートシティに描かれるような格差や荒廃を作り出している。でも、意匠や文化のフラット化は進んでいる。日本の「クール」が新しかったのは、きっと90年代までだ。今ではジャパニーズアニメの言語はもう世界のミレニアル世代の共通言語のなかに組み込まれているのだし。本当の「フラット化」というのはもしかしたらこの映画の町並みのような風景のことをいうのかもしれない。
  
(以下盛大にネタバレあり)






原作やアニメ版映画の草薙素子少佐は強くてハードボイルドで、感傷も他者への共感も強いて持とうとしない。これは、ジャパニーズアニメのキャラクターのひとつの典型。

だけど、この映画の「レイチェル」少佐は、ふつうに傷つきやすく、自分の出自に納得していない。

なので少佐の自分探しが映画の本筋になる。

原作世界では、ネットワークにつながる電脳の中に個性または「魂」というべき「ゴースト」がゆるく存在しているという非常にややこしくエキサイティングな設定なのだけど、この映画では、ひとの脳を人工の義体に埋め込み、完全に統合することに初めて成功したのが「レイチェル」ということになっている。

そしてレイチェルには時々、ジェイソン・ボーンのように、過去の記憶が一瞬戻ってくる。いったい自分はなにものなのか?
 

追っていた敵が、実は自分が作られる前の実験体として捨てられた人造人間だったということがわかり、いったい自分の前には何体実験体があったのか、とレイチェルは自分を作ったハカセを問い詰め、ついに真相を知る。

「テクノロジーの暴走に反対する革命分子」みたいな若者グループが、警察の襲撃を受けて国家に拉致され、その若者たちの脳がこのプロジェクトに使われていたのだった。レイチェルの脳は「モトコ・クサナギ」という若い女の子のものだった。

反乱分子が国家に拉致されてその肉体が国際企業の実験に使われる。中国を念頭におくと、何か妙に説得力がある話。

強欲な企業のCEOからレイチェルを逃がすために犠牲になるハカセ(ジュリエット・ビノシュ)と、モトコという娘を失った後、古い高層アパートに一人で住んでいる寂しい母(桃井かおり)という2人の「母」のおかげで、この映画の少佐はかなり人間らしい存在になってる。

原作コミックは、子どもにはちょっとみせられないエロ画像入りで、少佐のコスチュームもかなりエロい。でもこの映画(PG13)のレイチェルのボディは、かなりトーンダウンしていて、わざと作りものっぽい感じになってた。

全体に、映画としてすごく新しいところもなく、ものすごく尖ったところもなく、期待される中の妥当なラインで丸くおさまるように手をうったという感じがする。
映画そのものも少佐も、おっとりした印象だった。

せっかくなら、日本のヲタクたちも、世界のミレニアルたちもぶっ飛ぶような、金字塔的な映画になっててほしい。という淡い期待は裏切られたけど、優等生的にグローバル化した少佐も全然わるくなかった。ホールフーズで売ってる感じだけどな。

でも、本当にせつない近未来の絶望を圧倒的な映像で描く映画が観たい。
と思うと、押井守監督のバージョンをやっぱりもう一度観たくなるのでした。


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