2013/10/01
2.6%
先日のシアトルタイムス記事(2013年9月28日)によると、シアトルの同性カップルの割合は2012年に2.6%を記録して、サンフランシスコの2.5%を抜いたのだそうです。
シアトル市内で結婚または同棲しているカップルが12万5000組で、そのうち7551組が同性とのこと。
2011年の1.7%から大きく飛躍したものの、これは他州から来た同性カップルが増えたのか、それとも市内に元々住んでいたシングルのゲイで一緒に暮らすケースが増えたのか、それは定かではないし、この程度の範囲の数字は「ゆらぎ」のうちで真にトレンドを表しているとは言えないという意見も紹介しつつ、記事はシアトルがゲイカップルにとって「生活のクオリティ」を提供する町だというLGBTグループの人の声を載せてます。
世帯中で同性カップルが多い1位と2位はシアトルとサンフランシスコ、で3位はというとこれが意外にもミネアポリスで、2.4%。
ミネアポリスって一度だけ、息子のサッカーの遠征で行ったことがあります。
行ったこともない中西部の都市に偏見があったんですが、緑が多く、ダウンタウンも規模は小さいけれど小ギレイで文化的で意外なまでにコスモポリタンで、あら意外に住みやすいのかも、と思ったのでした。
「モール・オブ・アメリカ」ってとてつもなく退屈な巨大モールに何度も連れていかれて辟易したのですが、その当時まだハワイになかったTARGETには興奮して買物をしまくってました。TARGETはミネアポリス生まれなんですよね。
ゲイのカップルが多い都市には、何かほかの要素にも相関関係を見つけられるかもしれないなんて気がします。
こちらもよろしく。
2013/09/30
環太平洋なタナカさん
その名も「たなかさん」。
ベルタウン周辺で話題レストランをいくつも経営しているTom Douglas の最新店で、厨房はロサンジェルス出身の日系シェフ(エリック田中さん)が仕切ってるのでたなかさん。
「ゆずみず」柚子ウォーターを注文。青じその葉が入っているのは斬新というか大胆というか。さわやか味でした。
テーブルに備え付けられたお薬味は、韓国風の唐辛子ペースト、ゆずコショウ風味噌など(ちゃんと覚えてない、ごめんなさい)、無国籍アジアふう。
メニューも、「オオサカ・パンケーキ(お好み焼き?)」とかオックステールとか、ルンピアとかロコモコとかラーメンとか、ハワイな感じのメニューも混ざる、わりにアットホームな食堂メニュー。
「モダン・アメリカン・アジアン・レストラン」と自ら名乗っているのはなるほどーと思う。
日本から来た日本人がプロデュースする日本料理店とは違うけれど、日本の本物を真似した「なんちゃって」ではない。無理してひねり出したフュージョン料理でもなくて、もう最初からの必然としての「アメリカン・アジアン」料理。ということは、必然的にハワイのパシフィックリム料理と似たバックグラウンド。
なすのマリネ。薄く切った揚げ茄子にコリアンダーとハラペーニョ。
シアトルって、ごく真面目な正統派日本料理店と、なんちゃってなジャパニーズ料理店はけっこういっぱいあるけど、こういうカジュアルでお洒落でアジアのエッセンスを全部使ったパシフィックリムっぽいレストランって意外になかったんでは。ホノルルみたいでちょっと懐かしかった。
2013/09/29
2013/09/28
ウィング・ルーク博物館
先日(もう随分前だけど)、インターナショナル・ディストリクトのウィング・ルーク博物館に行ってきました。
今月のソイソースのほうにも書いてます。
現在の建物には2008年に転居したそうで、20世紀初頭建設の古いホテルを徹底的に改装した、きれいなミュージアム。
1階のシアターには、その昔ニホンマチにあった「日本館劇場」(『あの日、パナマホテルで』にも出てきました)で使われていた緞帳が、ばーん!と再生されていて、椅子に座ってこの緞帳を見ているだけで、ニホンマチの賑わいが伝わってくる。
この中にある「まねき」レストラン、今でも営業してるんですよね!
ウィング・ルークさんは、中国生まれアメリカ育ちのとっても優秀な青年で、シアトルの高校に通い、高校在学中に第二次大戦に招集され、勲章を貰って帰って来てワシントン大学で学び、弁護士となって、1962年に30代半ばでシアトル市の市議になった人。
意外な気がするんだけど、西海岸で、アジア系が公職に就いたのは彼が初めてだったそうです。
ハワイではまさにその頃、テリトリー(準州)から州になるのと同時に、若きダニエル・イノウエ議員が州代表としてワシントンDCに入ったんでした。イノウエ議員もウィング・ルークさんと同様に大戦で一兵士として戦い、帰還後GIの奨学金で大学からロースクールに進み、政治家を目指した人。同時代の同じくらい優秀な民主党のホープ同士として、太平洋をはさんで交流もあったことだろうと思います。
イノウエ議員が州代表として国政に参画していた同時期に、この米国本土西海岸ではルークさんが州の議員どころか市議になるのもおおごとで、61年の選挙では人種差別的な中傷が繰り広げられていたのに対して、若い人(たぶんワシントン大学の関係者が多かったと想像)を中心に1000人規模のボランティアが後押ししたなんてところ、規模は小さいけど2008年のオバマさん陣営みたいな熱気があったんでしょうね。
きっとそのまま活躍していたら、いずれは州や国政にも進出していたに違いないルークさんでしたが、市議になって3年後、わずか40歳で、飛行機事故で亡くなります。
カスケード山中に墜落した遺体が見つかったのは3年後だったそうです。
館内ツアーのガイドさんは、そのルークさんの甥御さんだそうで、この博物館はルークさんの捜索のために集まった資金をもとに創設されたんだと話してくれました。
1階の乾物屋さんは、ちょっと数週間バケーションで休んでましたっていう感じの、すぐに主人が戻ってきて営業を再開しそうな風情で、干しえびまでそのまま。
ここは、20世紀初頭からほとんど改装されずに営業していた中国人の家族経営のお店がそっくりそのまま、売りものの干しえびまで含めて寄付されて、ミュージアムの一部になっているというライブな展示です。
復元された宿泊者用の部屋。館内ツアーで見られます。
どの部屋に窓があって、意外に居心地よさそう。単身労働者の部屋っていうと「蟹工船」みたいな環境を想像してしまうけど、20世紀初頭とはいえ、そこはさすがアメリカというべきか、建築基準によって各部屋に窓を備えなければならなかったため、建物の真ん中に明かり取りの「light well (光井)」が作られてます。
労働者の仕事の場所は鮭の缶詰工場などが多かったようです。
最上階にあるのは中国人アソシエーションの集会場。
白人の銀行は移民を相手にしてくれなかったため、事業経営におカネを出し合ったり、人や仕事を斡旋したりという互助会のような組織がたくさんあったのだといいます。
ユニークな顔をした獅子? なんだか誰かに似ている。
うちの息子はこの獅子を異常に怖がった。
気づいてみると、インターナショナル・ディストリクトの古い建物の最上階には、こういうアソシエーションのものらしい立派な出入り口がほかにもいくつかあるのでした。
Wing Luke Museum of the Asian Pacific American Experience という長い名前にこめられているのは、なかなかひと言では説明しきれない複雑な歴史。
ウィング・ルーク博物館
719 South King Street, Seattle, WA 98104
(206) 623-5124
入館料:大人12ドル95セント
10am-5pm (月曜休館)
2013/09/24
苺ショートケーキの町
Gig Harbor(ギグ・ハーバー)です。
タコマのちょっと上、タコマ・ナローズを渡ってすぐのとこにある小さな町で、ピュージェット湾のすごく奥まったところ。こぢんまりした入り江を囲んだ港がある。
まるで池のような静かな浦ですが、これでもれっきとした海。ちゃんと太平洋につながっている。太平洋までは200キロ以上あるけど。
タコマ山(レーニア山)がちょうど良い位置に見えて、山中湖みたいでもある。
19世紀後半から入植が始まっていたという(ここも北欧系の人が多かったようです)、入江を囲む町並みは、ちょっとリゾートっぽい雰囲気です。
ここのベーカリー&カフェ、Susanne's は、心なごむおいしさでした。
パニーニとスープ、おまけのパスタ、ここで焼いているパンパニッケルなどの田舎パンもおいしい。
でも特筆すべきはこちら。日本ふうショートケーキ。なぜ、あなたがこちらに? と尋ねたくなる、その佇まい。4ドルでいくらか小銭のお釣りがくる値段でした。
ワシントン産牛乳を使っている生クリームがうまっ。 スポンジも文句なしです。もちろん、目の奥が痛くなるようなアメリカンな甘さではありません。素朴なところがまた素敵。もうちょっと食べたいくらいのサイズにも、心を掴まれる。
アメリカで食べた苺ショートケーキのうちで、ケーキ作りの上手な友人が作ってくれたのと、日本人パティシエのいるケーキ屋さんのを含む、ベスト3に入る上品な味。
こうして、ギグ・ハーバーは苺ショートケーキの町として記憶されるのでした。
エクレアもあるよ。
はい、8月に撮った写真でございます。まだラベンダーが盛りの頃。 屋外席の季節は、もうそろそろ終わってしまったですね。
こんなところに?と思うような小さな町に、優秀ベーカリーやらカフェやらがひっそり隠れているのが、ノースウェストの嬉しいところです。
月夜の舞
19日、中秋の名月の宵。
Aさんの、緑に囲まれた素敵な邸宅にて、舞踏家薫さんのパフォーマンスを拝見いたしました。
かぶりつき席にて。『ツクヨミの笑み』
能舞台のような、緑の梢の海の上に張り出した素敵なデッキがステージ。
今回も書家 Yoshiko氏が、文字のうごめく空間を作る。
今回は、赤いTシャツ地に書かれた文字を引き裂いた、赤麺、こと「しがらみ」が、舞台の真ん中にうにうにと異常な存在感を放って鎮まっておりました。
白い結界に置かれた、しがらみ。
舞台をしつらえている間に、梢の間に月がさしのぼって来ました。
日もとっぷりと暮れたころ、鐘の音とともに舞踏家が登場。
にじり口のような、小さな窓から! 『リング』の貞子を一瞬思い出してしまいました。
しがらみにまみれる。 舞踏家の後ろでは月が静かにのぼり続けています。
漢字は幾百億の重い思いを背負っている。
月の人は文字を散らしながら歩く。
冷たい月の見下ろす舞台。ドラマチックなパフォーマンスでしたが、サロンでの開催だけに、のどかでくつろいだ感じでもありました。
昔の人は月の光が人を狂わせると、いわれのない罪を月にかぶせたものです。
ツクヨミのことは良く知りませんが、ギリシャ神話でも月は女神。夜は女のものか。
舞踏の後は、大皿に張った水に映る月を囲み、「炭坑節」が出たり、唄をうなる人もあり、たいへんに楽しい月見の会でございました。
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