今回の
Soy Source 記事には、1909年にシアトルで開催された『アラスカ・ユーコン・パシフィック博覧会(Alaska-Yukon Pacific Exposition)』のことを書きました。
ワシントン大学キャンパスで開催されて、キャンパスの基本設計にも寄与した博覧会。
建物のほとんどは石膏製の短期用で、会期が終わるとすぐに取り壊されてしまったものの、キャンパスで長期使用することを前提に建設されたものもいくつか、現役で残ってる。
会場のキモだった、レーニア山が見える噴水広場「レーニアビスタ」も。晴れた日のあの噴水越しのレーニア山の眺めは感動的だけど、1世紀前の万博会場の一部だったというのを知った時にはちょっと驚いた。
スザロ図書館には壁に大きな博覧会当時の写真が飾られているけれど、ワシントン大学の学生も、キャンパスが万博会場だったというのはあんまり知らないようです。
大日本帝国出資の「ニッコー・カフェ」、写真は
aype.net より。賑わってますね。
文明開化の日本国は張り切って欧米の万博に出展しただけでなく、国内でも盛んに博覧会を開催していた。
夏目漱石先生の『虞美人草』を読んでいたら、ちょうど小説が新聞に連載されていた1907年に上野公園で開催された東京勧業博覧会が出て来てた。
(引用)
蛾は燈に集まり、人は電光に集まる。輝くものは天下を牽く。金銀、砂礫、瑪瑙、 瑠璃、閻浮檀金、の属を挙げてことごとく退屈のひとみを見張らして、疲れたる頭をがばとはね起こさせる為に光るのである。…
文明を刺激の袋の底に篩い寄せると博覧会になる。博覧会を鈍き夜の砂に漉せば燦たるイルミネーションになる。いやしくも生きてあらば、生きたる証拠を求めんがためにイルミネーションを見て、あっとおどろかざるべからず。文明に麻痺したる文明の民は、あっと驚く時、始めて生きているなと気が付く。
(引用おわり)
シアトルの博覧会はこの2年後だからほぼ同時代。真夜中まで会場を燦爛と飾ったというイルミネーションは、「疲れたる頭をがばとはね起こさせ」たんでしょう。
「文明 」がまだ新しくてピカピカの、金箔つきの唯一無二の価値であった時代。日本は日露戦争でとほうもない数の戦死者を出したけれど、とにかくロシアに勝って、強国になったと鼻息荒かった。欧州も米国も、まだ世界大戦を知らない。