鹽竈神社から松島を通って、南三陸へ。
松島をスルーするつもりじゃなかった。
松島の駅の近くにクルマを停めて、最初に目についた店で穴子フライを食べ、津波はここまで来たという張り紙が店の戸口付近にあったので会計の時に「大変でしたね」と言ってみると、店主さんは東松島に家があり、津波警報を聞いて家にいる犬を連れて来ようとクルマで家に向かったものの、津波が来たので途中でクルマを捨てて走って内陸に逃げて間一髪助かったけれどもクルマは水にのまれ、家は流され、村の人が600人以上も流されて亡くなり村はほとんど壊滅した。という話を聞いて、呆然としてしまい、うっかり松島をろくに見ずに通り過ぎてしまいました。
ちょっと高台の松島を見晴らすハイキングコースに行こうと思っていたのだけど、急にどこからともなく大雨がやって来て、それでは海沿いに行こうと思ったら女川の仮設住宅付近に迷い込んでしまい、その先あちこちでまだ復旧の道路工事が続いているようなので、いったん石巻に戻ってひたすら、南三陸をめざす。頭は夕飯のウニでいっぱい。
上の写真は途中の北上川の落日です。
南三陸についたのは日もとっぷりくれた7時近くでした。
お湯に入る間もなく、夕飯へ急ぐ。ウニがわたしを待っている!
ウニとの遭遇。
まだザワザワと動いておられる殻付きウニ様。 すぐ近くで穫れたものだそうです。
ウニ初遭遇のうちの息子は、初ウニがいきなり動いている殻に入っていたのでややヘビーな体験だったらしく、2個のうち1個をわたしにくれた。
もちろんありがたく、ひとさじも残さずに頂きました。
幸せとはこういう形もしているのだ。
なんとこの日は満月でした。
南三陸ホテル観洋という温泉ホテル。ウニつきオーシャンフロントの畳の部屋で2名22,222円なり。 お買い得でした。
浴場は2フロアあって、海が見えるサウナと露天風呂つき。浴衣でエレベーターを下りて大浴場に行くシステム、夕飯の部屋の隣から聞こえてくる宴会の演歌カラオケ、などなど含め息子には新鮮だったようす。朝食バイキングには地元のお刺身もついていた。
母は露天風呂の岩にけつまづいて足の甲をすりむき負傷。
どこかに行くと必ず何かしらアクシデントなしには済まないらしい。
翌朝、4時になぜか目が覚める。もう空が明るくなっている。
日本の朝は早い。デイライト・セービング・タイムの利点は朝、明るくなるのが遅くなることなのだということに初めて気づいたw
かもめとウミネコはとっくに起きてミャアミャアと活動中。
夏至の日の日の出。
薄曇りだったので太陽がまんまるに見える。モネの『印象 日の出』みたいな日の出でした。
ウミネコ君の参加により、自動的に『リターン・トゥ・フォーエバー』が頭に鳴り響く。チャ〜チャララ〜。
この志津川湾の杭は、手前がわかめ、その奥がホヤなど、そして一番遠くのは鮭の養殖の囲いなのだそうです。
「やっと去年くらいから、復活できたんです」と、フロントの女の子が教えてくれた。
フロントの前には、津波の直後の南三陸町の映像が流されています。まだたった5年。
すっかり流された町はまだ、土盛工事の最中。
高台にあるこのホテルは、震災直後、家を流された町の人たちの避難場所にもなっていたそうで、電気も水もなかった時から営業再開までの記録が部屋にも置かれていました。
平和な一日が奇跡だということをついうっかりと私たちは忘れてしまうことがありますね。