明けましておめでとうございます。
今年も素晴らしい1年になりますように。
クリスマスの後からちょっと風邪をひいて、今年のお正月はいつもにも増してのんべんだらりと過ごしました。
元旦からタランティーノの新作『Hateful Eight』を見に行き、2日はNetflix でキューブリックの名作『シャイニング』を見直すという、大変心温まる年始でございました…。
正月早々なぜこんなに血みどろ。
元日も2日もシアトルの冬には珍しい、豪華な快晴でした。
2日は郊外の湖畔の友人宅で焚き火を囲んで過ごしました。
なぜ私たちはこれほどまでに、火と水をみるのが好きなのでしょうか。
火を見ると引き込まれるし、水をみるとほっとするのはDNAに書き込まれている何かの作用であるのか。
この熱と光は、化学反応という大魔法。
薪の炭素が酸素と反応して二酸化炭素を生む。(といって良いのか。ちょっと不安)
薪に蓄えられたエネルギーが目に見える形で光と熱にどんどん変換されてるこのスペクタクル。
火炎というのは生きものっぽく見える。
生物の体の中で起きている生命の動力、あの生物の教科書で何度読んでもよくわからなかったATPという謎のシステムも、未だにぜんぜんよくわからないけどこの焚き火みたいなものなのか。なんてね。
お正月3日目は街にもほんの少し初雪が降りました。
朝日新聞に連載されてた大岡信さんの『折々のうた』の新書版を揃えて暇があると開いています。新年にはこんなのが目に入りました。(三巻)
万(よろず)を有漏(うろ)と知りぬれば
阿鼻の炎も心から。
極楽浄土の池水も
心澄みては隔て無し。
平安時代の歌謡集「梁塵秘抄」の一節です。
有漏とは仏教用語で「迷いの世界」だそうです。
万象が迷いの世であるとわかってみれば、地獄の火も心の内にあるものであるし、静謐な天国も心をすませば目の前にあるものだよと、いうことであるようです。
平安時代も平安な時代ではなく、今の世と同じく先の見えない不安で過酷な世の中であったでしょう。
こんな境地を求めていた平安の人の心境をちょっと思ってみてみたお正月でした。