ここのとこ数週間の仕事が一段落してほっとしてます。スケジュールはちょいきつかったけど、すごく楽しいお仕事でした。またご縁があると良いなー。
さて、先月で、1年半ほど続けさせて頂いたSoy Source の連載を、しばらくお休みさせて頂くことにしました。
ちょっと立て続けにきついスケジュールの仕事が来ていたのと、色々ほかに片付けたいことが山積みになっているので、先にその長いリストに取り組まないことには。
もともと学校で歴史を専攻したわけでもなく、何のクレデンシャルもない者がぽっと思いつきで始めたものですから、始めてみて大汗。
毎回毎回、試験前夜の付け焼き刃の詰め込み勉強のようでした。資料を読み込んだりあっちこっち行ってみたり、しかしそんな機会でもなかったら手に取らなかった本にも出会えたし、考えてもみなかったことを深く調べてみるきっかけになって、自分的にはとても面白かったです。
間違っていたら後からこっそり修正できるブログ記事と違って、刷っちゃったらそれっきりの印刷物の緊張感も、文字数制限があるのも久々で、なかなか良かったです。
最後の回は、『Hotel on the Corner of Bitter and Sweet』(邦題『あの日、パナマホテルで』)を読んで以来ずっと気になっていた、ジャクソンストリートのジャズシーンについて。
この本をとっても参考にさせて頂きました。
Jackson Street After Hours (Paul De Barros著)。
1993年出版の本ですが、ペーパーバックも出てます。
(アマゾンのこの本のページには、やっぱり、「この本を見た人はこの本も見ています」に 『Hotel on the Corner of Bitter and Sweet』が。あの小説を読んだら、ジャズ最盛期のジャクソンストリートについてもっと知りたくなるはずです!)
というか、『Hotel on the Corner of…』の作者、ジェイミー・フォードさんも、小説世界を描くにあたって、きっとこの本を参考にしたのは間違いないと思う。
この表紙のピアニストが、シアトルジャズ界の超大物、オスカー・ホールデン。
ナッシュビルで生まれ、ミシシッピ河のリバーボートでルイ・アームストロングと共演していたこともあったという人で、シアトルを訪れるミュージシャンや後進の若者たちにもとても慕われていた、「長老」といった立場の人格者だったようです。
『Hotel on the Corner of…』では、主人公のヘンリーとケイコが路地裏からジャクソンストリートのクラブ「Elks Club」のライブを見ようと忍び込み、オスカー・ホールデンに出会って、特別に店内に入れてもらい、生きた音楽に圧倒されます。
ケイコの家族が収容所に送られ、それぞれ別々の人生を送って年老いたヘンリーとケイコを半世紀の後に結びつけるのも、そのオスカー・ホールデンの幻のレコード、という設定。
この小説の魅力の1つは、チャイナタウンと日本町、そしてジャズ・クラブの並ぶジャクソンストリートという、同じ町内に共存していながら決して交じることのなかった、でも微妙に反応しあっていたに違いないコミュニティが、ケイコの家族、ヘンリーの家族、ヘンリーの友人の黒人ミュージシャン、という3つの視点から描かれているところ。(そしてシアトル住人にとっては、舞台となる実在の通りや建物を立体的に感じられること)。
『Jackson Street After Hours』は、シアトル創設期から「スピークイージー」全盛の禁酒法時代を経て戦中戦後のジャズ黄金期、そしてその後現在に至るまで、シアトルのジャズ史に足あとを残したミュージシャンやクラブを丹念に追ってます。
禁酒法の時代には、ジャクソン通り近辺だけではなく、街の中心を外れた街道沿いにかなりおおっぴらな「スピークイージー」と呼ばれる隠れ酒場があって、もちろんジャズのバンドが夜中過ぎまで演奏していたとか(レイクフォレストパークのあたりに、繁盛店があったそうです)。
禁酒法時代の酒場、スピークイージーはたびたび警察の手入れを受けたものの、ほとんどお目こぼし状態だったのに、まるでニューヨークの「コットンクラブ」のような人気店だった店の黒人オーナーのみが実刑を受けて刑務所に送られたとか。本人も歴史家も、そのオーナーが当時白人しか住んでいなかった住宅街(マウントベイカー)に家を買ったために、白人エスタブリッシュメントの怒りを買ったのだと信じていたとか。
黒人ミュージシャンが演奏できる店と白人の店は暗黙の了解ながらはっきりと分かれていて、ダウンタウンにあった大きなクラブの舞台は白人ミュージシャンのみだったとか。
白人ミュージシャンと黒人ミュージシャンの組合が統合されたのはやっと1958年になってからだったとか。
サードストリートの、今のベルタウンのあたりには、5000人を収容できる大きなジャズホールがあって盛況だったのだ、とか。
そんな話が満載の労作です。
(これは現在のベルタウンの唯一のジャズクラブ、Jazz Alley前)。
今ではもう、ジャクソン通りにはジャズの店はかげも形もなく、あるのはベトナム料理店や中国マーケットばかり。
でもシアトルのジャズの伝統は、音楽そのものがロックンロールやポップスに追われて隅っこのほうに場を占めるようになってからも脈々と続いてます。
シアトルに来て1年め、息子の進学関連でルーズベルト高校に用事があって行ったとき、たまたま、学生のジャズアンサンブルが音楽室(とても立派)でプチ演奏会をしているのに行き当たって、本当にぶったまげた。これ高校生? なにこの学校??? 普通の公立だよね? と頭がクエッションマークでいっぱいになった。しばらく後で、このルーズベルトとガーフィールド(クインシー・ジョーンズとジミヘンの出身校でもある。ジミヘンは卒業しなかったけど)高校というのは長年、全米の大会で毎年優勝争いをしているほどジャズに力を入れてることを知ったのでした。
今でもこの2校は、才能ある音楽家を送り出してます。
シアトルは、こんな国の端っこにあるにも関わらず、何か図抜けた人が出てくる確率が高いようです。 「水に何か入っているに違いない」って話も(笑)。私は、きっと火山のせいだと密かに思ってます。
これは去年、ジャズ・アレイに見に行った、パット・マルティーノのバンド。
サックスはジェームズ・カーター。シアトルの人たちじゃありませんけど。
まるで銀行家のように冷静で正確でストイックなギターと、飛んだり跳ねたり踊ったりのサキソフォンの会話が、かっちりいきいきしたリズムに乗ってて、めちゃめちゃカッコよかったです。
パット・マルティーノさんはCDで聴いた分にはあまりぴんと来なかったんだけど、ライブで聴いたらとんでもなくすごかった。
来週は
バラードで小さなジャズ祭りがあるもよう。行けたらちょっと覗いてみたいです。
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