シアトルはアメリカのほかの都市にくらべて、友達が作りにくいのだそうです。
そういえば、もうずいぶん前、まだハワイにいた頃に、シアトルで数年間仕事をしていたという日本人の女の子から、当地では友達を作るのが難しかったと聞いたことがありました。
ときどきそんなことを耳にしてはいたのですが、数日前にNPR系地元ラジオ局KPLU の記事で、シアトルで友人が作りにくい現象に Seattle Freeze という名前があるのを知ってびっくりしてしまいました。
「シアトル・フリーズ」って、カタカナで書くと、スタバの新しい甘い飲み物みたいですね。
記事ではUrban Dictionary を引用して、「シアトル・フリーズ」をこう紹介しています。
“A phrase that describes a local public consensus that states the city of Seattle and/ or its outlying suburbs are generally not friendly, asexual, introverted, socially aloof, clickish or strictly divided through its social classes, thus making the city/ area difficult to make social connections on all levels.”
(地域の特色をあらわすとして地元で広く受け入れられている表現で、シアトル市およびその周辺地域の一般的な傾向が、親しみに欠け、セクシャルでなく、内向的で、人と距離を置きがちで、仲間内にしか打ち解けない傾向を持ち、社会階層間ではっきりと分断されており、ゆえにこの地域で社会的なつながりを持つことがあらゆるレベルで難しいことを指す。)
へー。
この地域に2年半住んでみた感想として、「フレンドリーでない」というのはまったく当たっていないと思います。
たしかに、 知らない人から突然当然のように話しかけられる回数は、アメリカのほかの場所に比べてずっと少ないかもしれません。街を歩いていて知らない人と目が合ったとき、アメリカ人は久しぶりに会った旧友のようににっこりすることが多いのに、シアトルではまるでそこに突然出来た壁のように見つめられることが多いようには感じます。
でも、たとえば東京と比べたら、シアトル人のほうがずっと人なつこい度が高いです。
東京ではすれ違う人と目を合わせること自体がとても少ないし、駅で知らない人から「そのブーツいいね」なんて声をかけられることは(キャッチセールスか酔っ払いのおっちゃんかナンパ以外では)まずないでしょう。(先日、バス乗り場の係員の人から急にブーツを褒められたのでした。目が合ってもにっこりしない人もいるけれど、垣根の低い人も一定数いるのですよね。でもそういう人はたいてい他の地域出身かも)。
東京に帰るたびに、街ですれ違う人と目の合う回数がなんと少ないことよ、と思います。でもそれは、公共の場で他人の空間に踏み込まないという社会的プロトコルがあるからで、べつに東京の人が特別冷たいわけではありません。シアトルも、アメリカにしては珍しく、ちょっとそれに似たところがあるのでしょう。
晩秋のころの写真ですが。KirklandのCafe Zoka。 やっぱりコンピュータ開いて自分の世界に没入の人は多いかも。 |
南部などの、あけっぴろげで垣根の低いのがデフォルトな地域から来た人は、シアトルのそんな傾向に出会うと、冷たくされたと思うのかもしれません。
おととし、翻訳のクラスでフランス人のマダムと知り合いました。彼女はテネシーだったかアラバマだったかの公立高校で10年近くフランス語を教えていたそうで、旦那さんの転勤でシアトルに移ってきたのでしたが、彼女はシアトルの人は放っておいてくれるから良い、と言っていました。南部では皆親切だけれど、それは「すごくsuperficial (上っ面)で、人のことに鼻を突っ込みたがる人が多い」、とも言ってました。感じ方はほんとにいろいろです。
フレンドリーさの尺度はともかく、「introverted(内省的、内向的)で、人と距離を置きがち」というのは、たしかにあるあるある、と思い当たるふしが。自分とセカイの違う人にあまり関心がないという感じは、たしかに受けます。でも頭から拒否したりほかの価値観や暮らし方を否定するわけではなく、ただおだやかに、少し遠くから無関心な目を向ける。シアトルの人にはそんなタイプが多いのではないでしょうか。
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