【Pedophilia】n. 小児愛、ペドフィリア
【Pedophie】n. その性向/嗜好の人。
先月、『
The Pedophile's Guide for Love and Pleasure(小児愛嗜好者の手引き)』と題された自主出版本がアマゾン・コムで販売されて問題になった。
著者によると「未成年(少年)との性交渉をより安全により傷つけない方法で行ない、捕まっても軽い罪で済むよう」にするための手引きだという。LAタイムスによると、「大人と少年との性交渉が絵入りで描かれていた」とのこと。
当然、すぐに一般の目に見つかって、100件以上の怒り狂ったレビューが殺到、オンラインで(Kindle版もあった)販売していたアマゾンにも矛先が向かった。
アマゾンは最初のうち、「犯罪を助長したり肩を持つ気はないが、表現の自由を尊重して出版物の検閲はしない方針です」という声明を出したものの、あまりにも非難の声が高まったために耐え切れず、その本を
ネット書店から取り下げた。
が。激怒した人々はそれだけでは収まらなかった。
フロリダのある郡の警察が覆面捜査に踏み切り、この本の著者にわざわざメールで直販を申し込み、取引が成立して本が送られてきたところで逮捕状を発行、著者は
コロラド州の自宅で逮捕され、フロリダに送られて拘留された。罪状は、猥褻罪(felony obscenity)。
医療マリファナの件でも驚いたのだけど、同じ国でとは思えないほど州によって法律が違い、犯罪が成立したりしなかったりの差が激しい米国。
このような書籍の販売はコロラド州法では罪にならないが、フロリダ州の「obscenity laws(わいせつ法)」では犯罪になる。らしい。
著者の弁護士は「表現の自由を保証した憲法修正第1条に照らして犯罪は成り立たない」と主張しているけれども、フロリダ州の判事は1万5000ドルの保釈金を設定して、12月末の段階ではまだ牢屋に入っていた。
自宅で逮捕されてほかの州の牢屋に送られるってすごい話だ。
日本では去年、「非実在青少年」をめぐって東京都の条例改正が大議論になっていた。
規制の当面の効力や内容そのものよりも、誰が判断するのか、いったん制定されてしまうと歯止めがなくなってしまうのではないか、などを危惧した全面反対派が多数だったように見える。
言い出した人があの知事でなければこれほどの反発は買わなかっただろう。
その後も知事の発言は、意見の違う人の話を理解しようという姿勢はひとかけらも見せず、大上段から火に油をそそいで挑発を狙っているとしか思えない内容ばかりで、まともな議論になりようもなかった。
私の愛する萩尾望都氏も署名に参加していたし、「文化が滅びる」とまで言っている漫画家さんもいた。たしかに萩尾氏の作品が、暴力や性描写があるから高校生に見せてはいけないという法解釈になるのだったら、私も反対する。
とは思うのだが。
あの都知事の言うことに賛成するのは非常に不本意だけど、私は基本的に、日本にはこれに関してもっと規制がないのが不思議だと思っている。
条例文を実際みてみると、
「当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は閲覧させないように務めなければならない」
と、いたって慎重で腰が低い。「させてはならない」でも「禁止する」でもないし、違反となりうるのは青少年に対して販売したり閲覧させた場合であって、どんなにお下劣な本であっても、大人が売買したり所持していても犯罪にはならない。
こんな腰の低い条文に文化を滅ぼすなんて大層な力があるとは思えない。
だいたい、最初に議論の的になった「非実在青少年」=マンガやアニメなどで性的対象物にされている 未成年や子ども。という語については、笑われたあげくに条文から消えてしまった。
もともとはコドモを性的対象にしている画像があまりに氾濫しているという認識から出てきた改正案だったはずなのに、議論の方向が変わってしまったみたいだ。
日本に帰るたびに、本当に、びっくりするような露骨なエロ画像、が公共の場所に野放しになってるなあと思う。コンビニや駅の売店で売ってる雑誌に、こんなもの載せていいんだ、と仰天してしまう。
ちょっとネットを探してみようものなら、本当に本当に胸の悪くなるような画像が次から次へと出てくる。アマゾンジャパンでは、幼稚園児や小学生の女の子をレイプして楽しむ成年男子を写実的に描写したマンガが普通に買えるし、ネットで簡単に見ることができる。そんなもの、できれば一生見たくなかったです。
そんなものを描くやつは直ちに生きたまま腐って死んでしまえと心の底で思わないではないが、人の頭の中は自由である。人の勝手だから好きなものを作って楽しむことを止めることはできない。児童ポルノは国際犯罪だけれども、非実在犯罪の被害者が非実在である以上、個人で作って楽しむことを禁止はできないし、どれほど遺憾であっても、禁止するべきではない。(できることならフロリダ州の保安官か
Dexter に一網打尽にしてどこかに連行してほしいと思うけど、それは私の頭の中の自由な妄想)
でも、それは日のあたるところにさらすべきものじゃない、人に見られてはいけない妄想だ、という、そういう意識があまりに希薄なんじゃないか?作り手と、配給している側にも。
わたしは、人の道に反したことを妄想して楽しむ変態さんには、変態なりの矜持をもってほしいとすごく思う。自分たちは日陰モノであるという自覚と矜持だ。
日向に出てきてはいけないものが(目についたら被害者の立場に共感して不快に思う人がいたり、リアルであれば犯罪な行為を
愉楽の対象として描くモノについて言ってます)、日本ではあまりにもゆるくとり扱われていて、「だからどこかいけないんだよ」という意識がオモテの文化にも目に見えてしみ出しているように思えてならない。
昔の貸しビデオ屋さんには、アダルトな部屋をビニールのビラビラした暖簾で隔離していた。今はネットで何にでもアクセスできる分、どこかのまんなかに微温な巨大な水たまりができていて、その中で何やってもオッケーみたいな空気が醸成されているような気がする。
ていうか、もしかして、変態の人がすでに絶対多数を超えてしまっているのかもしれない。
これはいいけど、これは嫌だなと思うラインが引きづらいのはわかる。
しずかちゃんの入浴シーンとアダルトロリマンガの間のどこかにその境界はあるのだろうけど、そのグラデーションがまことに広大すぎ、複雑すぎるのはわかる。でも必ずどこかに境界はあり、それは、変態さんの方がむしろわかっていらっしゃるのではないかと思う。それは社会が話し合いで決めていくべきものだと思う。
こんなもの見たくないと拒否する声が、女性の側からほとんど出てこないことが、一番の驚きだ。小さい子どものお父さんやお母さんたちや、女性たちで、目に触れる画像に不快な思いをしている人は、そんなにいないのだろうか。
世の中そういうものだと達観しているのか。日本の寛容性なのか。本当にぜんぜん気にならないのか。私が知らないだけなのか、今回の論議では、そういう保護者目線の意見はまったく見かけなかった。
都条例が何を変えようとしているのか良くわからないけど、何にせよ多分、法律を作ることだけで変わるものではないのは確か。
旧式不良少年の都知事がいくら的外れなイヤミを連発しても、そんなものでは何も変わらない。都知事の声は一瞬大きくてもだれもまともに聞いてないし、最初から議論になってないし議論する気もないらしい。だったら都知事に発言の権利はない。
セクハラは被害者が嫌だと声をあげなければ犯罪にならない。日本の女の子たちや子どもの親たちがこれはハラスメントだと言いださない限り、この議論がちゃんとしたまな板にのることはないのじゃないだろうか。「これはいけません」と役所に言ってもらうのじゃなくて、「私はこんなものが公共の場所にあったり、子どもに簡単に手にはいるところにあるのをのぞまない」という人の声には、表現者、販売者とも耳をかたむけるべきだ。その声は今のところ、まったく聞こえない。ということは、誰も思っていないってことなの?
肌で感じる日本と米国の大きな違いは、こと児童を性の対象にするという考え自体について、米国ではもう本当に圧倒的に「気持ち悪い」「変態は死ね」「逮捕しろ」という声が多いこと。これは、単純に振りかざす正義のように聞こえるけれど、子どもを守る者の感情だ。
いろんな層で徹底的に価値観の違うアメリカ人だが、大半が共感する数少ない絶対的価値のひとつに、子どもは大人がきちんと守るべきもの、ということがある。これは青い州でも赤い州でも、人種や年齢層を問わず、ほぼ共通した価値観として守られていると思う。
それだけ、現実に子どもが暴力にさらされていることの裏返しであって、子どもが被害に合うたびに法整備がされて来た結果、社会の意識が変わってきたのでもある。アメリカで児童ポルノが違法とされたのは1982年の判決以来で、それ以前はなんでもありだった。
Pedophileに対してのアメリカ人のこの壮絶なまでの反感は、病んでいる社会の症例と言うことも、もしかしたらできるのかもしれないけど、日本のほうも非実在青少年を対象にしたPedophile の取り扱いに関しては、相当に深いヘンな病にかかっている気がするよ。
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