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2013/03/02

Piggly Wiggly <ジャクソン 4>


<「さあて、ベビーちゃん。必要なものを探そうね」…
肉屋からは、豚足の燻製を一塊もらう。店内は明るく、商品はきれいに陳列されている。床におがくずが落ちてる黒人用のピグリー・ウィグリーとは段ちがいだ。お客のほとんどは白いレディたちで、笑顔をふりまきながらお買い物。…四、五人のメイドも買い物してるが、みな白い制服姿だ>(『ヘルプ 心がつなぐストーリー』上巻 173p)

スーパーマーケットの「ピグリー・ウィグリー」は、サウスカロライナの友人を訪ねた時に初めて連れていってもらって、インパクトの強い名前がくっきり頭に刻まれたのでした。

安いスーパーマーケットだと聞いていたけど、人種隔離政策当時は黒人専用だったというのは『The Help』を読んで初めて知りました。

白人用スーパーとして出て来る「ジットニー・ジャングル」はもうなくなってしまってますが、ピグリー・ウィグリーは南部全域ばかりかイリノイ州やウィスコンシン州にも展開中。

ジャクソンに着いた夜、ご飯を食べに出て軽く道に迷いうろうろしていると、このブタ君の看板が目にはいりました。
場所柄黒人のほうが多かったけれど、もちろん白人のお客さんもお買い物してました。


棚に豚足の漬け物を発見! 買わなかったけど。これで5ドルってお買い得?



そしてクリスマスに売れ残ったと見られる大量の「むらさき」が!

<「むらさき!」とメイ・モブリー。あたしはベビーにクランベリー・ソース缶を持たせてやる。古い友達を見るような目でベビーが缶にほほ笑みかける。この子は“むらさき”が大好きだ>(上巻 173p)

 1ドルは安いなあ。いらないけど。

ブタ君の顔マークがあまりに可愛いので、何か荷物にならないものを、と、結局ペーパータオルを一巻き買ってシアトルに持って帰りました。


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2013/03/01

ブレトンズ・ドラッグストア <ジャクソン 3>



映画『ヘルプ』の撮影は、おもにジャクソンから北へ60マイルのグリーンウッドという町で行なわれましたが、ジャクソンにもいくつかロケ地があります。

ダウンタウンから少し北に行ったFondrenの町並みもそのひとつ。
この一画はミッドセンチュリーな看板がひとかたまり残っていて、ベーカリーやカフェもある、ちょっと文化的な香りのエリア。

ダウンタウンの中心部は閑散としてたけど、この一画は賑わってました。

ロケ当時の写真はこちら


このすぐ近くにあるBrent's Drug Store でも撮影が行なわれました。

この絵は映画のセット用に描かれたもののようです。


 Brent's Drug Store は、『ヘルプ 心がつなぐストーリー』の後半、ルー・アンとスキーターが会話する場面の舞台です。泣けちゃう場面のひとつ。

<わたしは店の前側へ向かう。軽食カウンターにいるエリザベスとルー・アンのそばを通り過ぎなくてはならない。ふたりとも背を向けたままだが、鏡越しに、視線でわたしを追っているのが見える。そして、ふたり同時にうつむくのも。…>

<店の端の通路から逃げ出そうとすると、ルー・アン・テンプルトンがヘアブラシの棚の陰から出てきた。「スキーター、ちょっと時間ある?」わたしは立ち止まり、驚いて目をしばたたく。…ルー・アンがちらりと視線を向けた窓の外では、エリザベスがミルクシェイクを手に車へ向かっている>(下巻 305p)

ルー・アンはこっそりスキーターに、自分の家のヘルプ、ルーヴィニアにどれだけ助けられているかを語ります。

<「スキーター、わたしにとってルーヴィニアは、この世で誰より勇敢な人なの。あれほどの困難をかかえながら、話し相手になってくれるのよ。毎日生きていけるよう助けてくれるの。彼女がわたしについて書いたものを、お孫さんの件で力になってくれたと描いてあったのを読んだときほど、人生で感激したことはないわ」>(下巻 306p)


昔は薬屋さんが本業で、カウンターでソーダやミルクシェイクを出すソーダファウンテンがおまけについていたのでしょう。 店の名前は「ブレトンズ・ドラッグストア」のままだけれど、薬屋さん商売はもうたたんで久しい様子。ソーダファウンテン&レストランとしてとても流行っていて、ほぼ満席でした。

奥のほうにPrescriptions(処方薬)のカウンターがそのまんま残されてます。

カウンターの上に貼ってある「ステーキ・プレート95セント」「フレッシュ・レモネード10セント」とかの古いメニューやヴィンテージの缶たちは、撮影用に使ったものか、ずっとインテリアとして使われているものか。



チーズバーガーとオニオンリングと、「バターペカン」のミルクシェイクを注文しました。
うまっ。特にクラシックなグラスに入ったミルクシェイクがめちゃうま。


昔ながらのハンドミキサーで作るミルクシェイクです。↑↑ 製作中。
普段はミルクシェイクを注文しても残してしまうのだけど、ここのは飲みきっちゃいました。

満席なのも納得です。 オニオンリングもすごくおいしかった。

正しいアメリカの軽食堂です。


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2013/02/28

ロバート・E・リー・ホテルとフリーダム・ライダー <ジャクソン 2>


ミシシッピ州ジャクソンの州議事堂の向かいにある州最高裁判所。


その数ブロック先にあるロバート・E・リー・ビルディング。
今は州政府関連のオフィスが入居してます。もとはジャクソン白人社会の社交の場だった Robert E. Lee Hotel 。

ヘルプ 心がつなぐストーリー』にも、何度も登場します。
スキーターとスチュワートのデートもここだし、クライマックスの慈善パーティもここ。

ウィリアムの運転するオールズモビルで、ロバート・E・リー・ホテルへ向かう>(『へルプ 心がつなぐストーリー』上巻 201p)

来賓たちはロバート・E・リー・ホテルに到着し、バーでカクテルアワーを楽しむ。八時には、パーティ会場へつづくラウンジ・バーの扉が開放される。窓には緑色のビロードの優美なスタイルのカーテンが垂らされ、赤い実をつけた本物の柊のブーケが飾られている>(下巻 143p)


前庭とドライブウェイのある広い敷地に立っている建物を想像していたので、町の真ん中でほかのビルと身を寄せているのは、ちょっと意外でした。

映画で使われたのは、ジャクソンから北へ60マイルほどの場所にある町グリーンウッドの裁判所。 こちらです。
映画の撮影はほとんどがジャクソンではなくてグリーンウッドの町で行なわれています。
主な撮影場所のリストはこちら



 ロビーも思ったより狭い。でも南部らしくきらびやかな内装は当時の面影をそのまま残しています。

州の役所が入っているので、残念ながら入れるのはロビーだけでした。ものすごく暇そうなやる気のなさそうなお兄さんが一人、ロビーの入口で入って来る人をチェックしてました。


エレベーターにはロバート ・E・ リー将軍の肖像が。


ホテルのオープンは1930年。南北戦争敗北から半世紀以上経っても南部ではアイドルだったリー将軍の名前を冠した同名ホテルは、ほかの都市にもたくさんあります。

 このホテル、1964年のThe Civil Rights Act(公民権法)によって南部各州の人種隔離政策が違法とされ、黒人客を受け入れなければならなくなった時にいったん閉館しています。そして数ヶ月後に「プライベート・クラブ」としてこっそり再オープンしたという暗い過去がありました。1969年以降は州が買い上げてオフィスビルとしたので、ホテルとしての歴史はあまり長くなかったのですね。

このビルはホテル兼コンドミニアムとしてリモデルしてはどうだろう、という意見がありますが、わたしもそう思う。

いずれにしても、歴史あるビルに愛着を持つ人がとても多くて、また保存できるだけの土地の余裕があるのはアメリカの良いところ。

同じ道を少し行ったところに、美しい流線型の物体がありました。



スペースエイジの流線型、シンメトリーのシンプルなデザイン、映画館風のひさし屋根とネオンサイン。かわいぃぃー!


映画館かと思ったら、もとグレイハウンド・バスのステーションだった建物でした。


ハウンドのマークもそのまんまに、現在は建築事務所が入居。さすが。


 全然前勉強をしていかなかったのですが、ここは1961年のFreedom Rider 運動で、ワシントンDCから到着した若い白人と黒人の男女学生の「フリーダム・ライダー」たちが大量に逮捕された場所でした。


途中で何度もKKKに襲われ暴行を受け、バスに火をつけられ、何針も縫う大怪我を負いながら目的地を目指した学生たちが全国の注目を浴びて、ケネディ大統領は介入せざるを得なくなって行きます。
最初の「ライダー」たちがジャクソンで逮捕されると、ジャクソンの刑務所を満員にしてしまおうと、次から次へ新しい「ライダー」が到着しました。

公民権運動がピークに向かう最初の大きな曲がり角だった年。『ヘルプ』はその翌年1962年を舞台にしています。お嬢さん育ちのスキーターは大学で文学を勉強していて、故郷の町でそんなことが起こっているのにまったく無頓着だったという設定。

<「そちらで白人と黒人用の乗り合いバス待合所を統合しようという運動があったのをニュースで見たわ」とスタインさんがつづけた。「警察は、四人用の留置所に五十五人もの黒人を押しこめていたわね」>(上巻 184p)


 同じ通りに、もうひとつミッドセンチュリーの素敵な看板がありました。


 こちらはもう長いこと閉鎖されている様子のモーテル。

この看板は、ヒリーに「女子青年同盟」から事実上追放されたスキーターがぼんやりと車を走らせる場面に出てきます。

サン・アンド・サンド・バーは閉まっていた。スピードを落として前を通り過ぎながら、電気の消えたネオンはこれほど生気のないものかと見上げる。車を適当に流しながら、背の高いラマーライフ・ビルの前を通り、黄色い光を瞬かせる街灯の列を抜けていく。まだ夜の八時だが、町は寝静まっていた。この町の人々はあらゆる意味で眠っているのだ
(下巻 195p)


 こちらが優美なラマーライフ・ビル。1925年完成。ラマー生命保険の本部があったビルで、ユードラ・ウェルティの父が重役として働いていたのだとか。

ジャクソンの建物めぐりは観光局のサイトにある「ヘルプ」名所めぐりガイドを参考にしました。



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2013/02/27

エイビリーンとスキーターの町 <ミシシッピ州ジャクソン 1>




ミシシッピ州ジャクソンへ。

去年12月、ルイジアナ州のシュリーヴポートでクリスマスを過ごしてから、レンタカーでアトランタ>アラバマ>ニューオーリンズと回りました。

 ミシシッピ州ジャクソンはシュリーヴポートからアトランタの途上にあります。シュリーヴポートからは東へ一直線に3時間ほど。

ジャクソンは一昨年下訳をお手伝いさせていただいた『ヘルプ 心がつなぐストーリー』の舞台で、訳しながらグーグルマップで何度も眺めた場所。寄らないわけには行きません。というわけで1泊してきました。


日のあるうちに着いて町を見ようと思っていたのだけど、シュリーヴポートでママとお買い物をしたり近所を見て歩いたりしているうちにすっかり遅くなり、着いたらもうとっぷり日が暮れてしまいました。

冬の旅行はこれだからつまらない。息子はお父さんと一緒に年末までダラスに行ってしまったのでアトランタまでは一人旅。



泊まったのは町外れのホテルで、周りはこんな↑↑↑、がらんとした雰囲気。夜間に一人でのこのこ出歩けるような場所ではありませんでした。

気の利いた店を探す気力もなく、Waffle House で寂しくサラダを食べたのでした。



ホテルの向かいには倉庫か何かだったらしい建物が放置されていました。

アメリカの町外れによくある、取り残された感じの、おそろしく景気の悪そうな町並みでした。 道路ばかり広くて空っぽ感がいや増す、人の気配が少ない通り、廃墟と駐車場。




美しい煉瓦の壁と、影絵のように割られた窓ガラス。


 ダウンタウンの中心へ向かうと、いきなり「パスカグーラ通り」が! 

 「パスカグーラ」は、主人公スキーターの家の若いヘルプの名前です。可愛い名前だと思っていましたが、ダウンタウンの通りについていたのね。

ミシシッピ州のメキシコ湾沿いにもパスカグーラという町があります。『インサイダー』でラッセル・クロウ演じる科学者がタバコ会社に対する訴訟で証言した場所がパスカグーラでした。



ダウンタウン中心部のカソリック教会。



中世の城ふう建物は、昔は学校で、現在は州の教育関連のお役所が入居してます。前庭にはマグノリアの木。

クリスマス後の休暇で閉まっている店や会社が多く、ダウンタウン中心部も閑散として人影が少ない。



州知事公邸。
エイビリーンが初めて仕事をした場所として語られています。

十三歳でメイドになり、初仕事として、知事のお屋敷でフランソワ一世様式の銀器一式を磨くことになった日を振り返る>(『ヘルプ 心がつなぐストーリー』上巻 255p)。



エイビリーンやミニー達が毎日利用するバスは、物語の重要な舞台です。

車内は白い制服を着た黒人メイドばかりで、みんなにこにこして、おしゃべりが止まらない。あたしたちの貸し切りバスみたいだ>(上巻 29p)

バス停はごく簡単で、信号機にこんなサインが取りつけられているだけでした。



州議事堂。アメリカの州議事堂はどこの州でもドーム屋根とギリシャ風の柱がデフォルトです。

週のうち六日、バスに乗ってウッドロー・ウィルソン橋を渡り、ミス・リーフォルトや、ご友人の白人家族の住むベルへイヴンに通う。そのすぐ隣りがダウンタウンで、州の議事堂がある。議事堂はそりゃあ大きくて、とても立派だけど、いつも外から見るだけで中に入ったことはない。あそこの掃除には、いったいいくら給金を払うんだろう>(上巻28p)



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2013/02/15

ドレッシング



ものすごーく今更なんだけど、去年のクリスマス・ディナー。

今回の南部の旅行は、うちの息子に16年ぶりに彼の覚えていない家族と再会させようというのが第一の目的でした。

というわけでまず、クリスマス、ルイジアナ州のShreveport (シュリーヴポート)という街に、彼のグランマを訪ねました。わたしにとっては「もと家族」。

グランパ、おばさん、その他もろもろの親戚一同、並びにこれも息子にとっては9年ぶりに会うお父さん、に会えて、楽しかったようです。今までで最高のクリスマスだったと言っていた。


グリーンはいろいろ食べたけれど、このクリスマスディナーにママの作ったターンナップ&マスタードグリーンのミックスが一番おいしかった。

それに、ドレッシング。北部風の「スタッフィング」よりずっと濃いぃ〜品です。

ほろほろに煮たターキーの首の肉とギブレット(砂肝その他の内臓)を刻み、コーンブレッド、セロリ、玉ねぎ、ピーマン、セージ、カイエンペッパーと混ぜる。 ターキーの首肉もむしって入れてしまいます。

ドレッシング製作中。

16年前に訪ねた時は、見た事もない国から来たわけのわからない嫁で、ほとんどコミュニケーションが出来てなかった。それからお互いにいろいろあった16年をはさんで、今回行ってみたら「もとママ」とキッチンで料理をしながら女同士の話が出来るようになっていた。メンズの悪口やゴシップに花が咲き。私にとってもとても楽しいクリスマスでした。


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2013/02/14

揚げもの街道


 

シアトルの空がそのままついて来たような空模様のアトランタでしたが、食べものは充実してました。なんでもおいしく感じた。


これは1945年創業のレストラン、Mary Mac's Tea Room
元旦に友人と行って、おせち料理のかわりにフライドチキンとカラードグリーンでお正月を祝ったのでした。


大人4人(含む高校生男子1名)で、メイン料理3つ、サイドを3つ、デザート1つを選んでおかわりし放題、で1人20ドル、という『サウザン・スペシャル』をオーダー。
新年だったので、一口サイズのブラックアイド・ピーズがおまけでついてきた。 縁起物です。


メインは、フライドチキン、ターキー&ドレッシング、カントリーフライドステーキ。サイドはフライドオクラ、カラード・グリーンにコーンブレッド、スクワッシュ・スフレ。

 ほんとに茶系で統一したメニューでしたね。


そしてデザートはピーチコブラー。
おかわりどころか4人でも最初のラウンドが食べきれず、お持ち帰りにしてもらいました。


旅の間中、いつもの5倍くらい揚げ物を食べたと思う。南部は揚げもの天国。
そして味つけが濃い。



これはアトランタでよく見かけたファーストフードレストラン、Chick-fil-A 。
「もっとチキンを食べよう」と訴える牛たちのコマーシャルが涙をそそる。


 
アトランタの次は、車で南へ向かって、アラバマ州のメキシコ湾に面した街モービルに泊まりました。

ダウンタウンのWinzell's Oyster House というレストラン&バー。カウンターの中で牡蠣の殻を剥く専門係のおっちゃんが、すんごく良い味出してる。牡蠣の殻剥き30年、て感じの風格がにじみ出てました。



その日のフライド・グリーン・トマト。このこってりしたソースが、めちゃうまかったー。

トマトのフライも、メキシコ湾沿いに来るとクレオール風に。


息子が食べた、海の幸フライセット。
まんなかのころころしたたこ焼きくらいの形のが、コーンブレッドに香辛料を入れて揚げたハッシュパピーです。


シーフードガンボ、泥のように濃いぃ海老こってり味。
このあとニューオーリンズに行ってガンボばかり食べていたので、最後の日には体から海老の匂いがしてきたのでした。

もちろん牡蠣もいただきました。

こうアブラものが続くと、だんだん体の中心から食べた油がにじみでてきそうな気がして来て、この日はさすがに、ホテルに帰っておなかが落ち着いてから、息子とジムに行ってみたりしたのでした。


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