パイオニア・スクエアからチェリー通りを上って行くと、3rdアベニューと4th アベニューの真ん中の坂の途中に、せいうちホテルがあります。
遠くから見ると、白いテラコッタの外壁にブルーとサーモンピンクをあしらった、ケーキのような瀟洒なビルディング。
でも、近くに寄ってみると、外壁にはずらりと
セイウチが。
正式名称は、
Arctic Building(アークティック・ビルディング)。今は
ヒルトンのDouble Tree系列のホテルになってます。
なぜこんな思い切ったデザインなのかというと、このビルはもともと、Arctic Club という、アラスカのゴールドラッシュで一山当ててシアトルに帰って来たラッキーな人々のクラブハウスとして建てられた建物だったからなのでした。
19世紀末の
ゴールドラッシュでは、世界中からアラスカの奥地へ、1年間でなんと10万人もの人が殺到したのだそうです。
シアトルはその時、アラスカへの玄関口となって、金を掘りに行く人たちのための装備(山あり急流ありのものすごい悪路だったため大変な装備が必要で、カナダ政府が一年分の食糧を用意して行くことを義務付けたという噂がさらに需要を加速させた)を商うビジネスが急成長して、シアトルの成長にも貢献したのだとか。
アラスカに金探しに行った10万人のうち7万人がシアトルを通って行ったのだから、当時としては大変な経済効果だったんでしょう。
1890年のシアトルの人口は4万2000人だったのが、10年後には倍の8万人になってたそうです。
この後ろに写ってる煉瓦のビルの壁にも、「The Alaska Building」と書かれています。
パイクプレイスの市場がある港沿いの通りも「Alaskan Way(アラスカン・ウェイ)」て名前で、最初にシアトルに遊びに来たとき、へえこの道がアラスカまでつながっているのねー、と感心しただけど、そうじゃなくて、アラスカへ海路で行く人びとを送り出す道だったのだった。
19世紀末から20世紀の初頭にかけて建てられたシアトルのビルには、アラスカの面影が漂うものが多い。スミス・タワーの内装にも、アラスカの大理石が使われてました。
せいうちホテルの中にはまだ入ったことがないのですが、Polar Barというクラシックなバーと、Juno というモダンなレストランが入っていて、アラスカンドリームを受け継いでます。せいうちホテルの極北バーには、ちょっと行ってみたい。
ゴールドラッシュの当時の写真や当時のようすを再現した資料などは、パイオニア・スクエアの
Klondike Gold Rush Seattle Unit に展示されてます。ここは、ビルの中にあるけど国立公園という不思議な施設で、入場は無料。
アラスカにも片割れのユニットがあるそうです。
金探しに行った10万人のうち、実際に現場に辿りついたのは3万人か4万人で、その中で金を実際に見つけて富を得たのは、数百人だったそう。
ある説によると、金探しの人々がアラスカで見つけて持って帰った黄金の総額と、アラスカに行くために人びとが使った金額はほぼ同額だったとか。
そのアラスカンドリームがシアトルの町の基盤のひとつになって、町のあちこちに今でもひっそり埋め込まれているんですね。