2019/03/22

オリジナルゲットー <ヴェネツィア思い出し日記 その4>


まだまだ続くヴェネツィア日記。


Kちゃんがヴェネツィアで一番行きたかったというのは、旧ユダヤ人居住区とユダヤ博物館。なぜか去年、大学でヘブライ語を2学期続けて取ったというKちゃん。
小学校から高校の途中までカトリックスクールで育って、ご両親の出自は英国、スリランカ、アイリッシュアメリカン。ぜんぜんユダヤ人と関係ないんですけど、前世でユダヤ人だったのかもしれません。



サン・マルコ広場の喧騒(まじで喧騒)から小路をくねくね歩き、いくつも橋をわたって20分ほど行くと、いつの間にかしーんとした地区に入っています。


観光客の姿がすっかり消えて、ていうか人っ子一人いない。
なんだかジョルジュ・デ・キリコの絵みたいで、ちょっと怖いくらい静か。


でもここまで来ると洗濯ものが干してある!やっと生活感のある街区に出たってかんじ。
ひと気はないが。



運河の上の洗濯ものに萌える。
洗濯ものって干すときに、見栄えを考えますよね?
これは大変優秀な、絵になる洗濯ものです。
でもどうやって干したり取り込んだりするんだろう。


ヴェネツィアのユダヤ人居住区というのは16世紀はじめに設置されて、ユダヤ人はここに住むことを強制されたそうです。
鋳造所の跡に居住区がつくられたため「鋳造所はヴェネツィア語で「Getto」といい、これがユダヤ人居住区を意味する「ゲットー(Ghetto)」の単語の語源になったといわれている」(by ウィキペディア)そうです。
ゲットーってヴェネツィア語が語源だったんですね!

博物館ではツアーがあって、16世紀のものだという大きなシナゴーグに案内してくれる。
おっちゃんの英語がとても聞き取りにくくて、半分以上ぼーっと聞き流してました。

居住区に押し込められていても、ユダヤ人は貿易で大活躍していたそうです。



家々のドアの前にあるプレート。これは第二次大戦中にナチスに連れされ、ホロコーストの被害者となった人たちのメモリアルだそうです。


Stolperstein(シュトーパーシュタイン)という名のメモリアル。
「つまずく石」という意味だそうで、故人の名前、生まれた年、連行された日、アウシュビッツ収容所に送られたこと、そして殺害された日が記されていました。


こういう街路の扉の前に、そっと設置されています。
この「つまずく石」は1992年にドイツ人のアーティストがドイツ国内で始めたプロジェクトで、ヴェネツィアにはわりと最近、2010年代になってから設置されたようです。


検索していたら、この地区を尋ねたとっても詳しいブログ記事がありました。
このゲットーは16世紀以降どんどん人口が増え、手狭になって3回拡大したそうです。
…ていう話もツアーで聞いたはずなのだが頭の上を通りすぎていった。



帰りに寄ったレストランで食べたイカスミのスパゲティがおいしかったです。
たまたまとなりのテーブルに日本の青年が男子ばかり6人くらいで来てて、メニューにないイカスミスパゲティを注文していたのでそれに乗じて注文。日本のガイドブックに載っているお店みたいでした。
大学の卒業旅行だそうです。いいねえ。

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2019/03/20

謝肉祭の仮装する人びと <ヴェネツィア思い出し日記 その3>


ヴェネツィアに行ったときは、たまたまカーニバル期間中でした。

カーニバルとは。

「謝肉祭(しゃにくさい、カーニバル)は、もともとカトリックなど西方教会の文化圏で見られる通俗的な節期で、四旬節の前に行われる。」

「カーニバルの語源は、俗ラテン語 carnem(肉を)levare(取り除く)に由来する。元々は四旬節が始まる灰の水曜日の前夜に開かれた、肉に別れを告げる宴のことを指した」だそうです。byウィキペディア。


なので、サン・マルコ広場もその周辺も、仮装した人だらけ。


到着した夜、まずはサン・マルコ広場に行ってみよう!ととことこ歩いていったら、なんだかズンドコズンドコ響いてくる。

なんと広場のまんなかにステージが設置され、大音響でアメリカンなダンスミュージックが流れていて、クラブ、いやディスコ、みたいなことになっていた。舞台後ろの大スクリーンにステージや観客が映し出されて、仮装した方々もちらほら踊ってた。

そして次の晩にはカントリー&ウェスタンのバンドが演奏していた。なぜだ。


昼間は心静かに広場を歩けるのかと思ったら、昼間は昼間でなにかのイベントをやっていて、『スター・ウォーズ』のテーマが大音量でかかっていたり、ライブバンドが演奏していたりで、ずっとわあわあしているのだった。



そのなかにルネサンス風の人がいたり。


路地にも仮装の人びとが押し歩き。


サン・マルコ広場に面している「世界で一番古い」というカフェ「フローリアン」。
創業1720年だそうです。

店内も鏡張りで豪華絢爛。ウェイターはみな姿勢がよい。


生クリームののったコーヒーを注文してみたら、想像していたのと若干違った。
いつまでたってもコーヒーにたどりつかないクリームの厚さ。うーむ。
コーヒーはまことに普通。でもお砂糖の袋のデザインがかわいい。
サン・マルコ広場に面したカフェはどこも、路地の奥のカフェの3倍くらいのおねだんです。


外から謎の人に覗かれる。

カフェの中にも、これから宮殿の舞踏会に行くみたいな格好の人がコーヒーを飲んでました。


ヴェネツィアのカーニバル仮装の人は、謎めいていてクールで、観光客がカメラを向けると一定の時間ポーズを取ってはくれるものの愛想は振りまかない…のがきまりのようでしたが、なかにはすごくサービス精神の旺盛な、孔雀の羽根をつけたドラァグクイーンの方などもいらした。

このとぼけたアヴァンギャルドなおっちゃんも(わたしよりはるかに若いと思うけど)、わりと愛想がよかったです。


仮装の人びとがあまりにも多いので、ますますテーマパーク的な印象が強くなるのでした。

繰り返し繰り返し写真で見ていたこの広場、このドージェ御殿が目の前にあるのに、ちっともリアルに感じられない。


もちろん、お面などインスタント仮装ツールの売店もたくさん出てました。


ライオン夫妻。
コスチュームはほんとうにこのまま舞台に出られるくらいよくできてるものが多い。
みなさん、このために世界各地からくるのかしら。いったい中の人はどんな階層のどんな方がたなのだろう。

ほとんどのオーセンティックな仮装びとはペアで歩いていました。そして、仮装びとにはモデルさんなみにすごく背の高い人が多かった。190センチくらいのペアとか。


このお二人がわたしは一番気に入りました。なんとオーセンティック。ドラマみたい。



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2019/03/19

ドージェの旧邸宅に泊まった自慢 <ヴェネツィア思い出し日記 その2>


ヴェネツィア市内に車ははいれないので、ホテルへは駐車場の近くから水上タクシーで移動。

水上タクシー運転手さんのいでたちが、かわいすぎる。
庭の妖精「ノーム」をモノクロにしてオシャレにしたかんじ。
イタリアの人は若者からおっさんまで、ほんとにごく自然にまんべんなくオシャレだった。



途中の家々。
ヴェネツィアの人口は年々急激に減っているそうです。たしかに住みやすい街ではないだろうと思われる。

『ガーディアン』のコラムによると1931年には16万人だったヴェネツィア本島の人口は、現在6万人だそうです。(これは本土も含めた「ヴェネツィア市」じゃなく、観光地が集中してる「ヴェネツィア本島」の人口で、「市」のほうの人口は26万人だそうです。島の面積は5.17km²と、わりとかんたんに歩いて回れるくらいの広さ。)
それに対して、観光客は平均1日5万5000人と、ほぼ同数。



下から見ても美しい橋。しかしやはり、どこかテーマパークのようです。


大運河沿いの物件は、お金持ちが改造して別荘になっているとか美術館やカジノになっているとか、そういうかんじ。生活感はまるでない。



大運河沿いの美しいホテル。同行のジェニファーちゃんのつてで、こんな素敵ホテルに泊まることができました。

16世紀にドージェのおうちだったというすごい歴史の建物。メイフラワー号がアメリカ大陸につく前からあるんだ。
サマセット・モームも、ヘミングウェイも泊まったそうです。


中はこぢんまりしているのだけど、とにかく重厚である。
ご宿泊になったハリウッドの有名人の写真もたくさん廊下に飾ってあった。

ちなみにヘミングウェイ先生は朝からワインをかっくらうなど底なしの酒豪ぶりを発揮してホテルの人を瞠目させたうえ、ロビーで野球をしたそうです。
それでも怒られるどころか宿代を割引にしてもらったそうな。文豪は得ですね。



こんなずっしり重いカギ。お出かけの時はいちいちフロントに預けるなんて、古風で素敵なシステムだ。
ターンダウンサービスのあるホテルなんて泊まったのはじめてだよ。

こんな素敵ホテルに泊まるのは最初で最後かもしれないので、めいっぱい自慢しますよ。


うちのリビングくらい広いバスルーム。
隣の部屋も見に行ったら違う色の大理石で飾られてました。部屋ごとに壁にはられいるテキスタイルも違う。

このホテルは数年前に大々的な改修工事を行ったばかりだそうで、古い建物なのに古いなりの不便をまったく感じないうえに、歴史的物件らしい重厚さがちっとも損なわれていない、超快適なお部屋でした。


壁にもふっかふかの詰め物がしてあるのでとても静かで、テキスタイルも美しい。
錆のでた古い鏡や古い版画が飾ってある。



全館のあちこちに配されているヴェネチアンガラスのシャンデリア。


ロビーの鏡。これは古い時代のものなのかアンティーク風に作ってあるのか、もはやわからないところがさすがだと思います。


朝ごはんは運河の見える席。シチリア島のブラッドオレンジジュースがおいしかった。
コーヒーも美味しい。そしてバカ高い。


美しいエッグベネディクトでした。



すぐ外は運河沿いのテラス。サマセット・モーム先生もいたく感激したという景色です。
なんと贅沢な朝ごはんであったことか。


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ぽかぽか


きのうまでヒーターつけてたのに、急に20度Cという初夏なみの温度になるシアトル。

今日は半袖に薄手のカーディガンで外出。
そしてカフェに行ったら冷房が入ってて寒かった。



Cafe Unbria。ここはシアトルで一番イタリアっぽいカフェです。
ヴェネツィアふうのシャンデリアがあったり、なんだか全体に華麗。
マキアートおいしいです。チョコレートもついてくるよ。



ポカポカ陽気なので、すれ違う人がみんなニコニコしてる。


先週末。CTちゃん夫妻にフリーモントのオシャレレストランにつれていっていただきました。

宇宙の中心フリーモントも、ぱっと見はあまり変わらないようでいながら、いつの間にかトロルの近くにタブローソフトウェアのでっかいオシャレオフィスビルができてて、川辺のビルにはグーグルが入居して、だんだんとヒッピー色がうすれてじわじわアップスケールなITタウンになりつつあるようです。


クレジットカードのリワードか何か(なんだかすっかり忘れた)で3か月分だか半年分だか無料で送っててくれるというので購読中のWマガジン。

そして今日届いた、なにこの表紙!
この二人の取り合わせ!めちゃくちゃ萌えるんですけど♡

今年はアカデミー賞まったくフォローしてませんでした。
ラミくんおめでとうございます♡


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2019/03/17

絵葉書都市 <ヴェネツィア思い出し日記 その1>


ヴェネツィアに行く前にヴェネツィアについて知っていたのは

1)沈みかかっている。
2)むかしドージェという元首がいた都市国家だったらしい(…マンガで読んだ。森川久美だだったかな…懐かしいけど詳細はまったくおぼえてません…)。
3)サン・マルコ広場にサン・マルコ大聖堂がある。

…くらいのおそまつさんでした。我ながらひどい。


行く途中の飛行機の中で、有名旅行ライターRick Steves(この人シアトル近郊の出身でワシントン大学卒業生なんですね。知らなかった)のガイドブックとスマートフォン用アプリでちょっとだけ勉強しました(一夜漬けすぎ)。

スティーブスさんのアプリ、すごくよくできてて、サン・マルコ大聖堂でもフィレンツェの街歩きと美術館でも大活用させていただいた。内容もいかにもアメリカ人的なジョークがちょっとうざいけど、とても面白いです。)

河口の砂州みたいなとこに杭を打って建てた都市なんだ。そりゃ500年もしたらだんだん沈んでいくだろうな、と素朴に思う。

そしてほんとうに交通手段は船だけなんですねー。
車がいっさい入れない都市というのは世界でもほかにあんまりないのでは。自転車も禁止されてるそうです。

だから、なんだか現実感がまるでない。


 どこを見ても、どの運河もどの路地もあまりにも絵葉書のように絵になりすぎて、ウソみたいな都市だ。

 
運河は150もあるそうです。

ゴンドラに乗っているのは日本人、中国人、韓国人の観光客が圧倒的に多かった。



どこかのドアの取手。建物の細部がいちいち、めちゃくちゃ本気出してるディテール。
現実味のない都市だけど、ディテールはすごい。


いったいなんの生物だかわからない意匠のノッカー。
Kちゃんが、自分ちのバーニーズマウンテンドッグ、ブーンちゃんにそっくり!と大騒ぎでした。


たしかに似てる。



リック・スティーブスさんはヴェネツィアのことを「beautiful decay」と表現していました。

わたしも、この都市は「美しい抜け殻」だなと思った。

うちの青年とKちゃんは「来たのが100年遅かった」と嘆いていた。

何百年も前からヨーロッパの有閑階級の青年たちが遊びにくる観光地だったそうですけど。きみは百年前に来たら有閑階級青年ではなくて荷物をはこぶ人とかだったんじゃないかね。


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